投稿日: 2017/09/18 10:03:47
八極拳の高い段階には、「軽」という概念があります。
この概念は、八卦掌からの影響だとも言われています。
この「軽」という概念は、霊と説く人もいます。悪習でいわれる「浮」とは違います。
浮とはただただ軽く、浮き上がっている状態の事です。
また、腰の定まらない状態を示し、軽とは軽霊なることを言います。
また、馬歩(騎馬式)等の、站套功において要求されるのは「沈」であって「重」ではありません。
站套功ばかりを狂信的に行なった人間の八極拳は、「重」になりがちであり、使えないものが多いようです。
昔の練習では、站套功のような、静止する練習を行った場合、その倍近くは、歩法の練習をおこなったと言われています。
站套功は、足腰の強化するための練習ではありません。
站套功の練習だけを行って、強大な功力がついたり、命中率が高くなるのならここで述べている口伝は初めから存在しないでしょう。
さて、軽霊とはなんなのでしょうか。
これは素早いことを示すのではありません。
居着かないことを示します。
これを実現するためには太極でいう「走」が必要となります。
走とは動のことで、常に動いていることを示します。
また、練習の問題として、站套功は、主に下丹田の練習だといえます。
拳路、套路は中丹田の練習です。
ちなみに、当流の李書文晩年の八極拳(李氏八極拳)では、套路とはいえ、小八極拳の第一段階は、站套功に分別されます。
さて、中丹田の練習は、練精化気と呼ばれ、主に肩甲骨の開合、伸肩をもって行なわれます。
さらに付随する歩法によって仙骨を開くことができたなら、居着く事は無くなります。
このためには、八極拳を主に練るよりも、蟷螂拳や、八卦掌などを、練習した方が目的を速く達成できると思います。
八極拳でいわれる活歩とは、震脚して、打つことではありません。
このような歩法は、実戦では使えない歩法であって自己満足にすぎません。
これは、死歩であり、形の違う站套の動作を、連続して行なっただけだと言えます。
活とは活々としていることで、いくら速く、動作を連続的に行なっていても、それは死歩でしかありません。
重要な事は、それが活ではないと、気付くことです。
連続した死歩は、打とうとしても、動いている敵は捉えられません。
これは、功と用を混同しているからです。
軽霊に至るには決して速く動くことではありません。
居着かないことを練習することが大切です。
「流れる水は腐らない」という言葉がありますが、当流の李書文晩年の八極拳(李氏八極拳)においての捉えかたとは、上記のような意味です。
これを、踏まえて、套路を練習すべきではないかと思います。
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