投稿日: 2016/11/07 5:04:05
中国武術を学び始めた当初の教習では、基本的に「站椿功」から初める門派(流派)が多いと思います。
当流では「馬歩」(騎馬式)です。
門派にもよりますが、当流では「馬歩」(騎馬式)という「架式」を中心に、下半身の形を維持させた状態で、止まる訓練を行います。
これは、「站椿功」という「静功」が重要な訓練だからです。
当流の先人は、武術の根源は「静」であると説きました。
外形だけで言うなら「站椿功」の止まった状態で「静」を練ります。
「站椿功」から学ぶのはこの教えからです。
また、訓練が進めば「馬歩」(騎馬式)の細かい要求と「站椿功」の練習目的と意味についての説明を、段階的に行います。
つまり、本当の意味での「静」である「真静」の教習です。
もちろん、この技法は難解なため、理解する事は、極めて困難な事です。
そして、この「静」から「動」が生まれます。
ただ動いている事と「動」は別物だという事です。
本当の意味での「動」である「真動」についての考え方の理解はさらに困難な事です。
そのため、「站椿功」の訓練は、中国武術を訓練する限り続ける必要があります。
これは「真静」から「真動」を生むためには、時間がかかるためです。
もちろん「站椿功」だけを練習しても、足腰が硬くなり、場合によっては、応用性のない武術になります。
意味を知らずに練習しても、効果は得られないという事です。
しかし、基本功や足腰を鍛えるだけだと思われている「站椿功」には、名人達が紡いできた技法が、内包されています。
武術を学んでいて良く言われた言葉があります。
「秘伝とは睫毛(マツゲ)のような物だ、目の前にあるのに見えない」と。
「站椿功」のような単純で単調な形態の訓練の中にも、普通では見えない技法が内包されています。