八極拳と蟷螂拳の練習法!!李書文の晩年の技術と李氏八極拳の成立!!八極拳と蟷螂拳の特性
投稿日: 2017/07/24 7:57:43
八極拳には、多くの門派(流派)や系統が存在します。当流の八極拳は、神槍とも呼ばれた、八極拳の名人である、李書文の晩年のものです。
この八極拳は、比較的、他派の八極拳と比べて、簡素な形態の套路(型)が特徴的だといえます。
これは、昔から、李書文太夫子の晩年の成果と言われます。では、なにが成果なのでしょうか。
我々の八極拳は、李書文が行き着いた境地だと言えます。
もっといえば、彼だけが表現できる世界だとも言えます。
そのため、李書文より八極拳を受け継いだ先師は、多くの武術(門派)を学んだ経験を元に、この難解で、高次な作品に段階を配置しました。
それでも難しく、理解するのは極めて困難です。これは太極拳や、八掛掌も同じような意味を持ちます。
昔から、これらの武術のみを練習して、大成した人はいないと言っていいでしょう。
現代では、メディアなどの影響もあり、八極拳、太極拳、八掛掌の教習を希望する人が多いですが、それだけに専念しても、一部分しか理解できません。
正確に練習するなら、我々の八極拳は、馬歩(騎馬式)からして、難解だといえます。
そのため、馬歩(騎馬式)にも、厳格な要求と段階があります。だから、蟷螂拳などを研究、理解する事は大切なのです。
これらの武術は、形と用法が直結しています。言い変えれば、その使い方しか出来ません。
そのため、套路(型)の種類が多いといえます。逆に、八極拳などは、套路(型)の数は少ないといえます。
これは、言い変えれば、すべてを潜在的に含んでいる事の顕れです。
ここで考えなければならない事は、全てを含むという事は、個人の理解に大部分が委ねられている事であり、これは方向を少し間違えるだけで、使い物にならないばかりか、負けやすいものとなるという事です。
一方、一つの形に、一つの結果(用法、使い方)しか含まないものは、個人の理解に関わらず、その結果は一定だと言えます。
そのため、大天才でない限り、当流の八極拳や、太極拳、八卦掌のような、個人の拙い理解が及ばない程、高次な技術をようする武術を理解するためには、蟷螂拳などの技術の理解が、比較的しやすい武術を研究、理解する事を通して、技術の理解を深めなくては、八極拳や太極拳、八卦掌を理解する事は難しいと言えます。
では、蟷螂拳は、八極拳より、技術力の低い武術なのでしょうか。
上記までの文章を読むならば、そのように感じるかもしれません。
しかし、それは間違いです。上記のような内容の文章を書くために、便宜上、比較対象として、蟷螂拳を使ったに過ぎません。
八極拳と蟷螂拳のどちらが高級かという、低い次元の話ではありません。
実際的には、八極拳と蟷螂拳の、性質の違いに過ぎません。
仮に、どちらが高級か、というならば、万人に平均した実力をもたらす、蟷螂拳の方が合理的で、かつ現代に向くと言えます。
当流の八極拳は、前述した様に、一人の人間(李書文)の行き着いた境地です。しかし、蟷螂拳はそうではありません。
それは成立過程をみればわかります。極端な言い方をすれば、蟷螂拳は、多くの武術の良い所取りの武術だと言えます。
そのため、現代の人間に向いていると言えるのです。
ただ勝つという行為においては、蟷螂拳は、八極拳より優れているのは真実です。
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