形意拳の名人達、李洛能、郭雲深、李存義の略歴

投稿日: 2016/11/04 6:02:11

形意拳は、内家三拳のうちの一つに数えられ、太極拳八卦掌と共に、内勁を重視する武術です。

当流の八極拳も、この形意拳からの影響を受けていると言われています。

この形意拳には、多くの名人がいます。

下記では、この形意拳の名人と言われる、李洛能郭雲深李存義について、紹介したいと思います。

李洛能は、形意拳の開祖であり、神拳李とも呼ばれた名人です。

商用で山西省小韓村に訪れた際に、戴龍邦より、戴氏心意拳を学び、形意拳を作りました。

一時期護院(ボディーガード)の職を務め、その際に、車永宏宋世栄などに、形意拳を教えました。

また、後に故郷の河北省深県帰った時に、劉奇蘭郭雲深などの優れた弟子を育成しました。

郭雲深は、河北省深県の生まれで、一説によれば、貧しい鋳物鍛冶の家に生まれたと言われています。

後に、李能然(李洛能)の門下に入り、形意拳の教授を受けました。

彼は、多くの他流試合を経験し、敵に半歩踏み込んで、五行拳崩拳を発するだけで敵は皆倒れた為、「半歩崩拳、あまねく天下を打つ」と賞賛されたと云われています。

また、彼は兵法書を好んで熟読し、特に、「奇門遁甲」にすぐれていました。

彼が教授した生徒も多く、その弟子には、李魁元錢硯堂、閉門弟子で、意拳を創始した王向斉、「孫式太極拳」を創始した、孫禄堂、半歩崩拳の呼び名を継承した、尚雲祥などがいます。

李存義は、幼少より、長拳通背拳などの拳術を学び、後に、劉奇蘭より形意拳を学びました。

さらに、郭雲深や、八卦掌董海川からも学び大成しました。

彼は、単刀李の通り名で呼ばれるほどの名人で、1912年には、袁世凱大統領の親衛隊の武術教官であった、李瑞東に招かれ、天津の中華武士会の教務主任となり、つづいて王向斉孫禄堂尚雲祥と共に、南洋学校で武術の教授を行いました。

また、1918年、ロシア人ボクサーと試合をし、勝利したという逸話をもっています。



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