八卦掌の創始者、董海川の教習法。撃刺進退之法と練神導気之功、八卦拳と八卦掌。八極拳(李書文系、李氏八極拳)との関係。尹福と宮宝田の八卦掌

投稿日: 2016/12/26 10:53:10

八卦掌の創始者は、董海川と言われています。

董海川には、全て合わせれば、千人近くの弟子がいたと言われています。

この弟子達の八卦掌における、代表的な門派流派)は、尹福が伝えた尹派八卦掌尹式八卦掌)と、程廷華が伝えた程派八卦掌程式八卦掌)です。

当流の八卦掌は、尹福から、宮宝田へと伝えられ、護院内部(皇帝の住む、紫禁城の護衛を担う部署)にて伝わってきた、尹派宮式八卦掌です。

上記以外にも、八卦掌には、多くの門派流派)や系統が存在します。

これは、董海川の教習法や、本来の八卦掌という武術の教習法が、特殊だったからだと言われています。

董海川の教習法は、一定の練習体系通りに、全ての弟子に、同じ内容の教習をしたわけではないようです。

教える弟子の能力や、資質によって、教習内容を様々に変化させていたと言われています。

本来の八卦掌には、大きく分けて、二種類の技術が存在します。

八卦掌の昔の石碑であり、墓碑銘でもある、文安董公墓誌には、撃刺進退之法練神導気之功という記録があります。

つまり、宮宝田派でいう、八卦拳八卦掌(あるいは、八母掌)と呼ばれる二種類の技術です。

この練神導気之功八卦掌と称される技術は、八卦掌と呼ばれる武術の中核となる、歩法身法などを発生させる、内功内丹術)の事でもあります。

董海川の教習法は、この練神導気之功八卦掌と称される技術の教習は、一応に、ほとんどの弟子には行ったようですが、撃刺進退之法八卦拳と称される技術については、必ずしも教習しなかったようです。

また、練神導気之功八卦掌と称される技術の教習においても、同じ形態の掌法套路)でしたのではなく、弟子の能力や資質、または、弟子の武術歴によって、変えていたようです。

そのため、現代の八卦掌には、一人一門派と比喩されるほど、多くの門派流派)や系統が形成されました。

つまり、董海川という人物は、八卦掌という武術の、中核となる要素の教習はしましたが、体系的な技術の形成と、教習はしなかった武術家なのだと考えられます。

董海川から、撃刺進退之法練神導気之功、あるいは、八卦拳八卦掌と呼ばれる技術の、より多くの内容を受け継いだのは、尹福だと言われています。

そのため、尹福掌門大師兄と称すのです。

このように、八卦掌の本来の教習法は、一定的な体系ではありません。

現代の、多くの八卦掌門派流派)が体系的に整っているのは、後世の武術家によるものだと言えます。

しかし、董海川尹福以後も、近代になるまでは、多くの八卦掌門派流派)において、必ずしも、体系的な教習ではなかったようです。

また、尹福の弟子であった、宮宝田も、弟子によって教習法を変化させていたと言われています。

つまり、弟子の能力や資質、武術歴によって、必要な事のみの教習をした弟子も、多くいたと言われています。

当流に伝わった八卦掌は、八卦掌の技術が伝わる前に、すでに、八極拳李書文系、李氏八極拳)の技術が確立していたため、撃刺進退之法八卦拳と呼ばれる技術の教習は、最低限の物のみだったと言われています。

これは、撃刺進退之法八卦拳と呼ばれる技術と、八極拳練習する内容が、同種のものだったためです。

つまり、当流に伝わる八卦掌は、練神導気之功八卦掌と呼ばれる技術に特化していると言えます。

そのため、他の尹福系統の八卦掌より、柔軟円転する動作が多いと言えます。

また、宮宝田系統では、武術の名称として、八卦拳と称する事が多いですが、当流の技術体系では、練神導気之功八卦掌と呼ばれる技術に特化し、練習内容が、この技術に比重を置くため、八卦掌という名称が適切と考え、この、八卦掌という名称で呼びます。






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