中国武術(中国拳法)の言葉、「高手在民間」について。現在と昔の違い。八極拳の名人、李書文
投稿日: 2017/01/23 5:33:35
中国武術の世界には、「高手在民間」という言葉があります。
「高手」とは、現代で言うなら、「名人」や「達人」のような、高い能力を持った「武術家」といった意味でしょうか。
「高手在民間」という言葉は、言葉の通り、「高手」は「民間」の中にいる、というような意味です。
ここで言う「民間」とは、「武術」を職業としていない、あまり知られていない、一般の人間といった意味でしょうか。
しかし、この「高手在民間」という言葉は、一概に正しいとは、言えないのではないかと思います。
この言葉の捉え方は、時代によって変わってきます。
現代の中国では、「武術」を「健康法」や「体育」として、或いは、「表演武術」などの、「スポーツ」として、指導、練習しているケースが多いようです。
このような場合、昔の戦闘法としての「武術」の技術を、そのまま練習する事は、少なくなります。
他にも色々な意味がありますが、例えば、危険な技術や、余りに習得に時間が掛かる技術、習得に危険が伴う技術などです。
しかし、現代でいう「民間」で「武術」を伝えている人間は、昔ながらの技術を伝えています。
そのため、「スポーツ」化していない「武術」が残っていると言えます。
しかし、時代によっては、まったく逆の状況だったと言えます。
それは、「清朝」などの、まだ、「武術」の技術が、職業として活用されていた時代です。
「清朝」などの時代では、「武術」の技術が、職業として活用されていました。
このような時代では、「武術家」として、本当に能力のある人間は、「民間」ではなく、「武術」の技術を活用できる職業についていました。
町で「武術道場」を開き指導したり、物資運搬の「護衛」につく者などです。
近代においては、「軍隊」に所属し、戦闘に参加する。
或いは、「軍隊」の「武術教官」や、要人の警護などをしました。
当流の先人には、外国のシークレットサービスに武術や、警護術を指導していた者もいました。
このような時代では、「高手在民間」の言葉は、当てはまらなかったと言えます。
このように、時代によっては、優れた「武術家」は、「民間」より、専門職として活躍したと言えます。
つまり、現代においても、「民間」に伝わっている「武術」だからといって、優れているとは限らず、逆も言えると思います。
その「武術」の「門派」や「系統」が、どのような人物に受け継がれてきたか。
彼等がどのような功績をあげたかによって、内実は変わってきます。
ただ、「古伝の武術」、或いは、「源流」を受け継いでいるからといって、優れている訳ではなく、「名人」の系統だからといって、優れている訳でもありません。
「名人」の「弟子」が、全員「名人」である訳ではないからです。
例えば、八極拳の名人と言われた、神槍・李書文の弟子は、全て合わせれば、数百人はいました。
しかし、その中で、真に活躍し、現代でも名を残した人物は、数人です。
このように、現代では、その武術門派(流派)が優れているかは、ただ、他人の言葉や、情報を鵜呑みにするのではなく、自分で考え、判断する必要があるのかもしれません。
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