投稿日: 2016/10/08 9:50:56
八歩蟷螂拳の名人、衛笑堂は、延桐、字が梓生、山東省棲霞県六区荊山郷東杏山村に生まれました。
幼い頃には、地ショウ拳を学んでいたと言われています。
16歳の時から、蟷螂拳の名人・馮環義に、4年間にわたり、八歩蟷螂拳を学びました。
29歳になると上海租界に招かれて拳を教えました。
この時に、精武体育会の太極拳教師であった、呉鑑泉より、呉家太極拳を学びました。
1948年に、一時、韓国に移り住み、1950年に台湾に移住しました。
台湾大学や東南工専、致理商専などで、八歩蟷螂拳を教えました。
著書には『実用蟷螂拳』『実用蟷螂拳続集』『実用蟷螂拳秘笈』があります。
八歩蟷螂拳の教習では、実戦派としての姿勢を崩すことは無かったようです。
現在の台湾では、八歩蟷螂拳を下記の先生方が教習しているようです。
王傑、左顕富、陳国興、温送珍、劉興業、澎韓萍。
また、他にも、台湾の武壇の関係者が、八歩蟷螂拳を教えています。
衛笑堂は、一時、公園で教えていたので、多くの生徒がいましたが、真伝を教えられた人物は、ごく少ないと言われています。
八歩蟷螂拳の「八歩」とは、元々、「抜歩」であり、「抜歩蟷螂拳」と称していたようです。
どちらも、中国語発音が同じのため、どこかの時点で変化したと考えられます。
「抜歩」の一般的な形態は、前足を大きく後ろに引き、跳躍するように、間合いを取る歩法です。
『実用蟷螂拳』には、攻撃の直後に、離脱して間合いを取ると、解説しているようです。
八歩蟷螂拳は、八卦掌や通臂拳の影響を受けて成立したとされています。
本来、「抜歩」と称していたのであれば、八卦掌の戦闘法の一部との共通点があり、影響が大きかったとも考えられます。
八歩蟷螂拳に係わる八卦掌の人物は、王宗慶といわれています。