鎌倉大仏縁起下

鎌倉大仏縁起巻下

1498年の津波で大仏殿、僧房も全て失われ、大仏も200年以上荒れ放題になっていた。 江戸時代中期増上寺の大僧正を勤めた祐天上人が大仏再興に努め、弟子である実業家野島泰祐の資力により、大仏周辺の土地を買い戻し、正徳二年(1712年)に念仏堂が完成する。 祐天上人はこの開闢に当り、泰祐の法名をとり高徳院と名付ける。 その後泰祐は罪により遠島となるが享保6年(1721年)に復帰し、引き続き家業を続け念仏堂の充実に努める。

上巻では鎌倉時代の稲多野の局の大仏建立の発願努力と大仏開眼が中心だが、下巻は江戸中期の祐天上人と野島泰祐による再興が中心である。