和宮下向諸用書留帳

文久元年 諸用書留帳

江戸時代末期幕府は開国に踏み切ったが、開国に反対する攘夷運動が朝廷と結びつき、井伊大老が暗殺されるなど幕府権威は大きく失墜した。 幕府としては起死回生のため14代将軍の御台所に時の孝明天皇の妹である和宮を迎え、公武一和を図り難局を乗り気切ろうとした。 和宮が京都から江戸に嫁入りするときの空前絶後(26000人、長さ50km)の行列を支えるため、通路となった中仙道の宿場ではたいへんな苦労をしている。 この宿場でも補助の助郷を幕府に要請したが、幕府権威も下り坂で威令も効かず、結局現場の宿場が多大の犠牲を払って何とか輸送を行った。 この記録は多大な宿場の損害に対し、幕府への費用負担の嘆願書の控えである。 尚諸用書留であるため、宿場に関係した他の水争いの処理なども含まれている

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