返註録上

妙々痴談返註録上

妙々痴談が出版された後、今度は現役役者に説教をするのに名前を使われた先代達が、ある事ない事云って子孫に恥をかかせた、と云う事で妙々痴談の本を糺す形式を取っている。

作者は戯作者の烏亭焉馬の二代目で、初代の焉馬(故人)が五代目海老蔵に代わって痴談の本を責める。 上巻は妙々痴談の上巻で取上げられた役者、七代目団十郎と尾上松助批評に対する反論となっているので、妙々痴談上の方を読めば返註録上は理解しやすい。

鳥亭 主人著 百部限絶板

七代目白猿 (現役 7代目市川団十郎)

五渡亭国貞画 堅不許売買

妙々 返注録 全二冊

痴談

天保四癸巳年 小善斎蔵

季秋発販之記

坂東秀佳(三代目坂東三五郎 故人)

松緑恵林(初代尾上松録 故人)

瀬川仙女(三代目瀬川菊之丞 故人)

五代目路考(五代目瀬川菊之丞 故人)

半草庵楽禅(三代目坂東彦三郎 故人)

故人談州楼焉馬(初代烏亭焉馬)

自序

むかしより戯場俳優の善悪を摺巻に

撰て出せること西鶴・基磧・八文字 *江島基磧

屋自笑の作集余多あり、菖蒲草 *芳沢あやめ芸談

或は佐渡島日記、皆ことごとく名人上 *佐渡島長五郎芸談

手の旧きことを著たる摺巻なり、夫とハこと

替りて今天保四巳年新発せし役者必読

妙々痴談と題せし文は、業のよしあしを

はぶきてただ身のふるまひの善悪(よしあし)きなど

空ごとをまじへ、非を挙し集冊なり、そも

此道に入べき者の作り出せる者とも覚

えず、ただに恥かがやかしたらまほしきにや

あまりに鳴呼(おこ)のわざならめぞ、此返したことせよかし

とひたすらに集に入りしひとびとのすすめ

ものし給へば眺(め)なき小蛇(くちなハ)の人におそれぬ

さまなれど、戯(たわふ)れに三つ四つは反古の裏にかい

つけておくりぬ、そをことごとしく桜木に

えりて集冊となせしは、さながら秋の末とて顔

に紅葉をこきちらすわざにこそ

菊月 烏亭主人 *九月

(目次)

故人えん馬 半草庵樂善 瀬川仙女

五代目白猿に 芝翫・梅玉へ 古今流行のいミを

かはりて 伝説分(でんをときわかつ) 杜若(とじゃく)にかハりて

ちだんをこらす のぶる

坂東秀歌 五代目路考

松緑恵林 ちだんの 后のまきに

妙々痴談に 教訓をあざける うらミをかへす

真意を解

1

役者必読 返注録巻之上

妙々痴談

江戸 烏亭主人著

故人焉馬五代目代白猿懲痴談

松緑恵林妙々痴談解真意

七代目市川団十郎は去年の春、倅海老蔵に

団十郎を譲り、功成り名遂て身退く、老込だ

といハれぬさきと、白猿となりて本場の草庵へ引

篭るのところ、欲に走り利に走る表方の者共が

両町より百度まいり、是非にことたび御出勤

とひたすらのたのミゆえ、無詮事(よんどころなく)両座出勤

早朝より堺町、昼後は隣りのふきや町、両座

の労れに、帰るとその侭臥房(ふしど)にいりて眠りし

が人声のかしましく聞ゆるままに、ふと目を覚し

何事なるかと枕をもたげ、うかがひ見れば、奥の間

の表座しきのかたにあたりて、人をののしるさま

なれバ、不審ながらもうかがいひより、紙戸(からかみ)の透間(ひま)

よりさしのぞけバ、燭台を四ツ五ツ照らしたて

五六人ならび居る、真中に怪しきものを高手小

手にいましめて有り、白猿おどろき瞳を定めて

よくよく見れバ、こハいかに、禁(いまし)めたるハ人間ならで役

者必読妙々痴談と上書したる中本也、高座(かみくら)にハ

前の焉馬故人、烏亭談州楼、次は楽善、仙女、秀

佳、松緑、五代目路考まで皆一様ニならび居る、故人

焉馬ハ妙々痴談をはたと白眼(にらまえ)声ふりたて、おのれ

痴談うけたまハれ、是にござる、人々の顕れ出しと

いつハりて、よくも子孫に悪口せしぞ、爰へ出るのも定

めし何ゆえにおれが出るのだとおもハふが、作者のこと

なれバ本に拘つた事、且ハまた向ふじまの白猿

とハ兄弟分、娑婆の白猿ハ孫同然なれバ、親玉に

なり替つて返答申也、上の巻三丁目妙々痴談曰、▲去年

八代目に名を譲る披露のとき、改名を止めたいが昔

はむかし、今ハ今、道を糺すハ古風」とハどうした

事だ、吉田の兼行が四十にして死んこそと書れ

しを知らざるか、俗に云へバ団十郎もモヲトいはれぬ

さきに名前をゆづり、海老蔵に成て、八代目を守(も)り

たてるが大功ならずや、其次に痴談ニ曰 ▲改名の起りも

根を尋ねれば身軽になつていつ何時でも自由

に旅芝居へ行下拵へであろうが、団十郎の名は

大江戸八百八町根生のお取立にて他国へハやらぬとの

事、又丑年の大火にも灰の中を踏わけての旅支

度、大胆不敵言語道断也」とハ何ぞや、夫ハ一を知て

二をしらぬといふもの、燕雀何ぞ大鵬の心をしらんや

改名せしハ名を重んじてせし事也、上京せしハ深き

意味のある事、例なきことにもあらず、既に寛保元酉

年、二代目海老蔵、三代目団十郎を同道にて大 *二代目団十郎

坂へ登り、試なき大当り同二戌年江戸へ帰る、然るうへ

は団十郎にて上京なしても苦しからず、然るを名を

重んじて江戸ひいき連の元祖、三升連へ名を預け

1.根生(ねおい):その地で育つ

2. 丑年の大火: 文政十二年の大火

3.燕雀何ぞ: 燕雀安知鴻鵠之志哉

史記、秦に対し反乱を起した陳勝の言葉

4.寛保元酉 *1741年

3

海老蔵と名乗り高野山へ参詣せしところ、京

大坂にて引とどめられしなり、それを何ぞや痴談曰、其

身の利口にまかせ、世の中を見越したる了簡にて

独り者が門口の鍵でも預けるやう」にとにくにくしく

書しハいかに、又幟を沢山貰ふたるをわるく云ふ

とて痴談曰、▲元来のぼりをもらふ事ハ江戸役者は悦

ばぬこと也、そのわけハ京都ハ四条河原に芝居がある

ゆえ、河原者の名も起り、おなじところに小屋掛して

居る曲馬、軽業同様に何かし丈と染たるハなげ *尉、丞に似せる

かハしき事なり、歌舞伎役者へのおくりものハ

引幕水引幕の外ハことわるべきに、上がたハ利

勧第一勘定づくの見物ゆえ、引幕水引は

入用(いりよう)が余分になり、幟なれバ直(ね)も安く往来の

人の多く目にとまり、利勘に出来るハのぼりなり

それゆえに利勘ひいきといふ名目(みょうもく)もある」抔と口

合を交(まぜ)て書れしが、それハ一向に幟りのわけを

1. 利寛: 嵐璃寛

4

しらぬといふもの也、引幕水引よりハ尊敬(あがめし)もの

なり、引まく水引こそはるかに劣りたるもの、能に

幕なし角力に幕なし、元しばいにもまくなきを

寛文四辰のとし、市村宇左衛門改め竹之丞玉 *1664年

川主膳と相座にて、引幕はじめてかけ、夫より

引つづき狂言も続狂言になりたる也、幟りハ古き

事にて角力へも幟を建る、既に角力ハ諸侯方

の御抱御けらいとなり、帯刀ハもとより侍已上にも

召出さるるものなれども、幟りハくるしからず、阿武(あぶの)

松緑之助、横綱免許の節も江戸大角力の

ばしよへ五反にて阿武松緑之介丈と不畏(いかめしく)書し

幟をたてたり、これハかくべつの事なれども、のぼりは

元はたなり、既に神仏の宝前へも備へるなり、それを

いやしきなどとハ、あまりにものをしらぬといふもの、又

痴談ニ曰▲上方を能(よき)事とおもひ、一年の内三座の芝居を

廻り、月雇ひの役者になる」とハ何事ぞや、江戸芝

1. 阿武: 五代目横綱

5

居ハ役者一統に一年住ときハめて、座頭が麾(ざい)を取 *極めて

てその年中に仕やうとおもふ狂言ハ何をしても

出来るやうに座組をして、作者を抱へ、金主・仕手 *仕手 製作陣

方、帳元・座頭・作者寄合て一年の興行日二

百日と見積り、何千何百両の蔵入、惣座中の給

金・雑費(ついえ)何程と勘定して、芝居興行するゆえ

に年中の給金高の内三分一を顔見世に払ひ

置、その年の内外座(ほかざ)へ行ぬ掟ゆえ、是まで二百

余年永続して興行も出来けるを、近頃ハ一年

住といふ事もいつかなくなり、三座を勝手次第に

出勤するハ不行跡千万也」などとかうまんらしく *高慢

書れしが、それハ誰もこの道へ入るものにしらぬ者

もなく、一年の入用がいくら、興行二百日と積り

蔵入がいくら、給金がいくらと勘定して芝居の

出来かたをくわしくしるせしは、故人中村重助が書

置れし乗合船といふ写本(かきほん)を何処でか見ていふ

1.中村重助 :天明期の戯作者

6

のであろうが、それハ時に合ぬといふもの也」一芝居

に金主一人ツヽ付て居て、顔見世に三分一を払ひ

六狂言のうちさしつかへなく、物事が出来さへ

すれば、何ほうぼう西風(あち)東風(こち)と歩行(あるき)たひ事が

あるものか、まだくわしく云解(いいとき)たいが、素人にわか

らぬ事、また血で血を洗ふやうなものだから

是ハまづいハぬが、役者のわるいわけもなし、太夫

元の咎でもなし、唯独りで一ト芝居を引請る

程な金主のないのがわるいのなり、又作者の事

を述懐(はば)をいふが、おれも作者だが爰をよく聞よ

昔ハむかし、今ハ今、一狂言つつに表方でも骨を

をりて、役者をこしらへる事ゆえに顔がきまると

すぐに付立、惣ざらひと足元から鳥の立やうに

初日をいそぐゆえ、なかなか稽古の入るものでハ納

らず、すぐに初日になるやうな書物でかうが古い

もの、おほくハ浄瑠璃狂言で事を済すゆえなり

7

又痴談ニ曰▲座頭を勤める役者ハ初日払ひ、不足なる

時はまづ座中へ振分、自身の分ハ跡へひき

さがる筈なるに、外のものにハさらにかまハず、おのれ

ばかり先へ取こミ一統ニ影事をいハれ、自分の

耳へハはいらぬゆえ知るまいが、にがにがしき事なり

この後は倅団十郎が元服(げんぶく)するまで上がたへ登

る事ハおもひとどまり、芝居の風儀をなほせ」など

とハ何のたわ事、外のものにかまはず先へ取などと

野鄙(やひ)なる事ハ云かへしたくハなけれど、おのれが云

出したるゆえ返答をする也、先座頭から云ふが

かハいそうに七代目も十ヵ年ほどが間一座を引

受、団十郎の名にきずのつかぬやうに給金ハもと

より五分持の六分持のと金をはたらき、払ひを

済せたらぬところハ自身が荷(しょ)い、夫がたまりたまりて

たいそうな借金と也、年々たし金なかなか、三ツ井 *足し金

と鴻の池を伯父さまに持てもたらぬ借金、今の内

1.六狂言 :十一月顔見世・一月正月狂言

三月春狂言・五月・七月

九月送別興行

2.述懐: 端場 主題ではない

3.付立: 衣裳・小道具・鳴物

4.かう : 稿本

8

倅ニ名をゆづり、海老蔵となれバ一座を引受る

にもおよバず、且ハお江戸根生の御ひいき、江戸名

物といハるる名に借金があつてハ我ハもとより、倅

にも団十郎よりまづさきへ借金をゆづるやうに成

大切の名に疵の付やうなものゆえに、平の抱役者

となりて、給金を取り借金を抜が第一なり、自分が

一座を引うけぬゆえ、両座ハおろか、上方へでも長

崎へでも行て一年もはやく無借にして団十郎を

元服さする心なるべし、御江戸御ひいき大切、団

十郎の名前大切と真心をもつてのはからひを、こと

ごとしく言立しハ何事ぞや、また痴談曰▲芝居者

程薄情なものハない」とハ是もおのれを返り見ぬ

手前勝手なり、商人(あきんど)にしてくらぶれバ、当時き道

のよき代ろ物にハ元手をたんと出して沢山仕入

また不行(ぶゆき)ものハ格別に安くなけれバ買ぬもの也

譬へバむかし風の平打(ひらうち)の笄(こうがい)ハ三十双でもいやだと

1.両座 :中村座、市村座

2.笄: かんざし

9

いふし、また流行(はやり)の小短かいさい尻なれバ、八十双

でも九十双でも飛立て買やうなもの、流行に

おくれた役者ハ見物を入れぬゆえ不用(もちいず)、また流

行の役者ハ少し無理をいつても、見物を入れる

ゆえにもちゆる也、夫を何ぞや、芝居道ばかり薄情と

いハんや、此理いかんときめつけれバ、痴談は面(ひょうし)に汗

をなし、袋をかむり平伏(うずくまる)、かたハらより松緑恵林

すすミ出て、焉馬にむかひ、まことに仰ことわりなり

につくきハ此痴談、わしにも一ツ云ハせて下され

ヤイ似せ本、由良之助でハないが獅子身中の虫

とハおのれが事、なんぼ家の業だとておれがやう *幽霊

れいになりて孫の松助を能も汝恥しめしよな

第一にいふべき事ハ痴談ニ曰▲いつまでも子供のやうに両

親ばかりこわがつてしミつたれな事を見ならひ、立

者の勢ひがぬるい、女郎でも沢山買ひ毎夜毎夜

うなぎ・すっぽんで酒を呑て、金をつかへバ其はづミで

1.さい尻: 三味線撥の取っ手

2.双: 匁(銀)

3.松緑恵林:初代尾上緑録 化け物芝居の元祖

10

出世もする」とハ何のたわ言、放蕩でなけれバ出

世ハせにものか、あまりと云へバたわけた異見、評判

記のよしあしはむかしよりあること、八文字屋の評

判記、これも今のハ出たらめだらけ、中のわけを知

らぬものが書と見えて、白い事ばつかりある、昔の*何もしらない

やうに書やうなら、第一当人の修行にもなるし

また譬へバわるく書れても憂ひがきかぬとか、又

仕打がアーでハないのといふやうな事なら、草葉の*仕打 表情

影からも能そう気をつけてくれるとよろこんで

礼でもいひますが、舞台の事ハなんともいハず

しミつたれだの吝嗇(しわい)のとハなんの事だ、夫を

素人が知つた事が、又おれが孫をいふでハないが、今

の内は親がかり、まだ出世前の身をもつてどう

して放蕩で済むものか、それハ独り立て高金(こうきん)

を取て、親の世話にならぬやうになつてからなれバ

人も吝嗇(しわい)といハふが、部屋住のものをなんといふ

11

ものがあるものか、又痴談ニ曰▲親仁(おやじ)に勘当をされる程な

事を仕出しても苦しうない、早く人にも金を遣(や)り放蕩になつ

て立(たて)者(もの)になられる工夫をしろ」とハ余りに人を馬鹿にし

た言様、それでハどうか内かたの者が金でも貰ひたいと

云様な異見の仕様、作者が有てのことか、真直に云と目に

角立てきめ付れバ、痴談ハ頭をすりつけて作者も何もム(ござ)り

ませぬ、誠に是が本の出来心でござりますと滑稽(しゃれ)ながら

蹲(うずくま)る

役者必読妙々痴談 返註録巻之上終

1.八文字屋の評 :役者口三味線 元禄十二

出典:個人