中原御殿御宮記

中原御殿御宮記

中原御殿とは現在の平塚付近にあった徳川家康の宿所で東海道が整備される前、駿府と江戸の往復に使用し、又鷹狩の際の宿所として用いた。 東海道整備後は使用されなくなり、明暦の大火の後、解体して材料は江戸城の復興に使用されたという。 中原街道の名前はこの御殿の名前から来ているという。 解題文章は江戸後期に諸国地誌を幕府で編纂する際に書かれたもので、この頃は御殿の面影はなく、代わりに家康を祭る御宮が立っていたことを述べている。 ここでは家康は東照大権現の神として書かれている。