渡辺崋山自害一件

渡辺崋山自害

渡辺崋山(本名 登1793-1841)田原藩士の家の生れたが小藩で貧困生活を余儀なくされ、子供の頃から絵を書いて家計を助けた。 成人して藩に仕え家老末席迄出世する。

蘭学を好み蘭学者グループのリーダー的存在だった為、幕府目付で保守派の鳥居耀蔵に狙われ、モリソン号事件で幕政を批判した廉で高野長英等と共に処罰の対象となる。 所謂蛮社の獄で崋山は天保10年国許で蟄居謹慎を命ぜられた。

国許で謹慎中の生活を賄う為、絵を描いて売った事が知られ、藩に迷惑を掛けたと云う事で割腹自殺したと云われている。 文書は自殺の報告を受けて、江戸の町奉行所から三河国田原藩に検使が派遣された時の関連報告書である。