観琉球聘使行列記

観琉球聘使行列記

琉球王国は1609年に薩摩藩島津氏の侵攻を受け、それ以降は夫迄の中国明王朝と薩摩藩と二重の支配を受ける事となる。 その結果日本の将軍代替わりには慶賀使、琉球国王代替わりには恩謝使を江戸に送る事になる。 江戸時代を通して寛永11年(1634年)から嘉永2年(1850)の216年間に18回江戸に使節をおくっている。 使節一行は正使以下100人前後で江戸には一ヶ月程滞在した。

史料は近江国栗太郡目川村(現滋賀県栗太郡栗東町目川)に住む医者鎌田右内(白雪居、雪斎と称す1744-1802)が草津辺で使節一行を見学した際の記録である。 この時の使節は11代将軍家斉の就任祝いの為に派遣された慶賀使一行である。