亜墨利加船渡来書簡差出

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亜墨利加船渡来書翰指出

嘉永6 年6月(1853年)米国ペリー提督が4隻の軍艦(内二艘は蒸気船)を率いて江戸湾に渡来し、和親と通商を求めた国書を久里浜で幕府に手渡した。 江戸時代初期から鎖国して来た日本に取っては開国は一大事であり、時の幕閣は諸大名、幕臣,市井の人々に広く日本の取るべき道について意見を問うた。 その結果一ヶ月程の間に多数の意見がよせられた。 教材の史料は諸侯の意見の一部が写本の形で集められている。 省略や筆者の大意などもあり、実態を必ずしも反映していないものあるようだが、概ね当時の諸侯の考え方は出ている。

意見を大別すると

1.既定方針どおり開国拒否

2.大多数は戦力で対抗できるまでの消極的開国

3.少数であるが積極的に開国し世界に雄飛する など

P6より クリックで拡大