鎌倉大仏縁起 上

鎌倉大仏縁起上

江戸時代に書かれた鎌倉の大仏の由来である。 鎌倉の地は聖武天皇の時代に東日本の惣国分寺が建立された。

源頼朝の時代となり、平家に破壊された奈良の大仏の復興に頼朝が招かれ、東国に大仏建立を思い立ったが、叶わぬ内に死去する。 この意思を継いだのが侍女の稲多野局で、北條政子始め周囲を動かし、1243年木造八丈の大仏及び大仏殿が完成する。 しかし間もなく大風で破損したので、金銅の大仏の製作にかかり1256年高野山の恵智妨を招き開眼供養をする。

その後1334年、1369年に大風で破損、修理を繰返したが1498年の大地震と津波により大仏殿仏閣、僧房を全て失った。 以後修理する人もなく200余年が過ぎ去り、 霊場も今は狐や兎の棲家である、と云う事で上の巻は終る