桜田門外変

江戸状の写 万延元申年之事

「桜田門外の変」といえば歴史上有名であり、 時の大老井伊直弼が水戸浪士に襲撃され殺害された事件である。 これ以後歴史の歯車は大きく回り幕府の権威も落ちて幕末の動乱に向って行く。

この襲撃の一部始終を舞台で云えばかぶりつきで見ており、この状況を認めた当に歴史の一次史料というべき古文書が残っている。 文書は杵築藩の書状で、桜田門外の現場の通りに面した同藩邸長屋の窓から見ていた藩関係者のものである。

襲撃側は17名で井伊家側は60名と云う事で、普通であれば簡単に大老の首など取る事はできない筈であるが、雪混じりの雨で井伊側は笠に合羽、刀には袋が被せてある、と云う出で立ちに対し、浪士側は十分の準備をしており、不意であった事等、井伊側に極めて不利な状況だった様である。