天下人書状

天下人の書状

信長、秀吉、家康などの天下人の自筆書状を見る。 彼らの署名のある書状は多いが殆んどは祐筆が

書いたもので、実際の自筆は究めて稀と云う。

信長書状(与一郎宛)

(そでがき)働承知□□

おりかミ

披見候

いよ\/

御働候

事候

無油断

馳走候へく候

十月二日 與一郎殿

折り紙 披見候

いよいよ御働き候事候

油断無く馳走候べく候

十月二日 與一郎殿

註 天正五年(1577年)織田信長が松永久秀を攻めた際、 与一郎(後の細川忠與)

が若干15歳ながら織田方で活躍した事に対して信長が発給したもの。 唯一の

間違いない信長自筆と云われている。

大意: 報告書見た、よくやった、今後も油断なく尽くすこと。

信長書状(夕庵宛)

(端書)

我ら御隙入候者

上計ハ

無用候

相州より

使これを

其元にて

仕立候て

ミやけとして

可遣候

かしく

申夕庵殿

註 天正八年(1580)武井夕庵宛

(信長家臣、祐筆)

相州(相模国)より使い、

これを其元にて仕立候て

みやげとして遣わすべく候

かしく

夕庵殿に申

(端書) 我ら御隙入候は上計は無用候

大意: 相模国(後北條)からの使いはあなたに任せる。 土産を持たせるが余り

立派にする必用は無い。

豊臣秀吉書状 (おね宛て)

かへす\/こ

の子わひろい

と申候へく候

はや\/とまつら人

こなたを廿五日ニいて可申候

おこし候事まんそく

やかて参候て御めにかゝり御物かたり

にて候、そもしより

申候へく候

れい申候へく候、さため

てまつらこをひろい

にてはや\/と申こし候

間、すなわちこの子わ

ひろいこと可申候、した\/

まておのしもつけ候まし

く候、ひろい\/と可申候

やかて\/かいちん可申候

心やすく候へく候

めてたく

しく

八月九日

早々とまつら人(松浦人)

お越し候事満足

にて候、そもじより

礼申し候べく候、定め

て松浦子をひろい

にて早々と申越し候

間、 即ちこの子は

ひろいこと申すべく候、下々

迄「お」の字付け申間敷く

候、 ひろい、ひろいと申すべく候

やがてやがて開陣申すべく候

心安く候べく候

めでたく

かしく

八月九日

(そで書き部分) 返すがえす此子の名はひろいと申し候べく候

此方を廿五日に出申べく候

やがて参り候てお目にかかり御物語

申し候べく候

註:文禄二年(1592)秀吉が肥前名護屋に在陣中、淀君の男子出産(後の秀頼)

に際し、子の名前を「ひろい」とすることを正妻おねに送った書状といわれる

徳川家康書状

返々御わつらひ

あんし参らせ候

めてたく

御わつらひ御心もと

なくおもひ候て、藤九郎

まいらせ候、何と御いり

候や、くわしく承

まいらせ候、くわしく

藤九郎申まいらせ候

かしく

ちよほ申給へ 太ふ(家康)

猶々さう\/(早々)

御ふミ(文)かたじけなく

奉存候

御書かたしけなく

見まいらせ候、こゝ

元ふしん(普請)申付

やがて罷下

御礼可申上候、めてたく

かしく

三月廿君ち

はりま殿

御ひろう 大ふ(内府=家康)

大意: 煩わしい事で心配だろうと思い籐九郎を行かせた。 何なりと委しく聞かせて

下さい。 籐九郎が報告するでしょう。

千代保殿 内府(家康)

返す返す煩わしいと心配しています。

大坂落城に際して城を出た家康の孫の千姫を安じて、侍女の千代保に家康が

送ったもので、元和元年頃の手紙

大意: 御手紙忝く拝見しました。 こちらから普請を頼み、間もなく訪問しお礼を

申上げます。

三月廿五日

播磨殿

御披露 内府(家康)

猶早々のお手紙忝く存じます

註:はりま御前(督姫)は家康次女で池田輝政室

禁裏修繕を輝政に依頼した其礼状を家康が出したもの