仮名手本忠臣蔵 鶴ケ岡の段

赤穂事件と忠臣蔵

戦国の世から100年以上経過し、平和が続いた元禄年間に起きた赤穂事件を題材として創作された仮名手本忠臣蔵は特に名作として人形浄瑠璃や歌舞伎で上演された。 元禄14年(1701年)に江戸城で起きた赤穂藩主浅野内匠頭の吉良上野介に対する刃傷沙汰により、藩主は切腹、藩は取り潰しとなった。 浪人なった旧赤穂藩士の中47名が元禄15年12月吉良邸に打ち入り、主君の無念を晴らすという事件である。 事件から40数年を経て始めて仮名手本忠臣蔵は発表され、それ以来現代に至るまで上演されている。 物語は江戸時代の赤穂事件を題材としているが、幕府の忌諱を避けるために冒頭の第一段は太平記(南北朝時代)の話しとして纏められている。 題名の仮名手本とは、いろは47文字の手本で浪士四十七名を連想させ、忠臣蔵とは主君の仇を討った忠臣で、そのリーダー大石蔵之介の蔵を連想させる。