渋川六蔵

渋川六蔵上申書

渋川は天保の改革を行った老中首座水野忠邦のブレーンの一人で水野の三羽烏と云われている。 この上申書は水野のルートで出されたものと思われるが、林述斉(大学頭)に学んだ人らしく難しい漢語が多い。

意見の内容は和漢の古例をひいて、上は人事に気をつける事、賄賂や門閥で昇進するような事はなくすべき、学識のないものに重要な事は任せられない、 貨幣の質を落としてはいけない、イギリスやロシアの危機に備える為外国の知識ある人材を関係奉行に選ばなければいけない、等々。

ご意見ご尤もであるが、自分の学識を宣伝して売り込んでいる様にも見える。 しかし26-27歳の下級武士がこんな上申書を将軍に出すことが出来たのは以外と幕府は開かれていたとも見える。

蘭学取締上申書

八代将軍吉宗が行った蘭書輸入の許可は科学などには多いに役立ったが、最近は誰でも蘭書を入手できる様になった事で弊害も出ている。 蘭書を全面禁止はする必要ないが、一部の蘭書を必要な立場の人間だけが入手を許されるべきである。 という趣旨である。

これは蛮社の獄(天保10年5月)で蘭学グループの一部が幕政を非難したという理由で弾圧された事を利用して、幕府の天文方での蘭学独占を狙ったものとも見える。