弘化二年市川団十郎

八代目市川団十郎

八代目団十郎は七代目の子であり評判の役者だったというが、なぜか大坂で割腹自殺をしている。

取上げた文書は、23歳の時に奉行所から親孝行の旨、弘化二年に表彰されているもの、及び32歳で自殺に関するものと書置きである。 最初の表彰文は実際公表された文書の写しに違いないが、書置文(遺書)は本人が書いたものではなく作り物と云われている。

自殺の真の理由は謎だが書置きの作者は、団十郎が大坂で仕事をせざるを得ない事に対し、自分を育て盛り上げてくれた江戸のお客達に申訳が立たない、という事で切腹したと言いたげである。