弘化無人島漂流記

弘化無人島漂流記聞

弘化元年末(1845年)阿波の幸宝丸11人乗りが江戸に向う途中、紀伊沖で大風に逢い漂流し、2週間後鳥島(小笠原諸島と八丈島の中間の無人島)に漂着した。 船の食料等で一ヶ月程命を繋いでいたが、アメリカの捕鯨船マンハッタン号)が同島に海がめを取るために立ち寄った為、運よく11人は救出される。

日本に向う途中、海上で南部からの江戸に向って遭難した幸太郎丸11人乗りが漂流しているのを発見し、これも救出する。 合計22人を乗せ て浦賀に向ったが、日本の警戒が厳しく異国船は近づけない。 そこで、外房の警戒の薄いところで2人下ろして、仲間が乗っていることを役所に届出る。

日本側でも対応に意見が色々でたが、浦賀奉行が人道主義を貫き浦賀に全員上陸できた。 一人も犠牲者が出ず、比較的短期間に故国に戻れた珍しい例である。

下の文書は戯作者が脚色して書いたものと思われるが、当時の取調記録や奉行所意見等は会員HP大船庵に委しく載っている。 こちら