天保改革狂言

天保改革狂言

天保の改革は享保、寛政の改革と並び、江戸時代の三代改革と云われているが、庶民にとっては至って評判が悪い。

改革は幕府経済再建と重農主義、外国の脅威に対する危機管理等を基本とし、質素倹約、農村への人返し、貨幣改鋳、株仲間解散、江戸・大坂の十里四方幕府一元管理とする上地令、印旛沼の干拓等の施策である。

天保の改革は老中首座の水野越前守忠邦(浜松藩主)主導で進められたが、水野腹心で始目付、後南町奉行になった鳥居耀蔵も実務を握り、目付時代は政敵探索、叉町奉行時代は芝居禁止の悪玉奉行として武家からも町民からも嫌われた。

上知令で関係大名達から反対が出て一旦水野は辞任するが、再度将軍家慶から老中に任命された。 しかしその後鳥居と共に収賄で罷免されている。 下の文書は水野や鳥居が断罪された事をパロディ風に表現している。