三下り半
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新潟県立文書館のインターネット古文書講座の第9回学習資料に「離縁状(去状)」が使用されている.
離縁状の日付から,江戸天保 15 年 (1844) に井澤博輔が妻に書いた去状である.改めて調べてみると,古文書の学習資料として類似の資料が多く利用されている.文章が短い上に,内容が分かっているので,自習するのに便利な資料である.
離縁状の俗称である「三行半」あるいは「三下り半」は「短い離縁状」という漠然としたものではなく,ワープロのテンプレート様に正確に3行半分で書かれている.解説によると,本例の「其方義不熟二付」のように,離婚の原因を明確にしない例が最も多いようである. 夫が妻に離縁状を渡さずに再婚した場合,所払いの刑罰を科すという規程があり,夫には離縁状を出す「義務」があったとも書かれている.形式上は夫に離婚権があったといえるが,夫が追い出されている例もたくさん存在する.「三行半を突きつける」は,何となく 封建的な男尊女卑の印象が強いが,自由奔放に生きた女性も多く,本資料で登場する「おきん」(実名は「常野」)もかなり奔放に生きた人だったことが関係文書から分かっていて,後続の講座で詳しく紹介されている.
紆余曲折の末,復縁したというハッピーエンドストーリである.後日談の資料も講座で「常野の復縁」として紹介されているので, 「離縁状」からたどることができる(参考資料).
なお,井澤博輔は,一時浪人をした後に再就職をして平造と改名するが,その就職先は,「遠山の金さん」のモデルである南町奉行遠山左衛門少尉景元であった.注)遠山景元の南町奉行在職期間 1845-1852.
右の読み下し文を古文書の空白部分に赤文字で貼り付けてみると分かりやすい,東京都古文書館が「古文書解読チャレンジ講座」で採用している方式であり,私は化学描画ソフト (ChemDraw) を用いて重ね描きしている.
古文書の勉強を始めた頃は,「之」,「候」,「江」,「ニ」のくずし字や変体仮名に戸惑うことが多いが,本資料のような短い資料でなれるのが早道である.
語句の説明
去状【さりじょう】近世の離縁状のこと.3行半に書くのを原則とし,俗に三行半(みくだりはん)ともいう.
一札【いっ‐さつ】 1枚の書き付け.1通の手紙や文書.
不熟 出来の悪いこと.熟練していないこと.折り合いが悪いこと.不和.
「依而如件」依ってくだんの如し.そんな訳で右に書いた通りであります.証文の最後に書く決まり文句(慣用語).
本文の意訳:其の方を,折り合いが悪いので,この度相談の上,離縁する旨申しました.今後どこへ再縁しても,まったく差し支えありません.後日のため.右記した通りであります.
類似例(日本経済評論社,三行半研究余滴)
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離別状之事
其方義、此度離別いたし候条、
向後何方え縁組仕候共、此方ニては
少も差構無御座候、
為後日一墨差遣候処如件
未四月 繁 二
おふさとの
あなたを,この度離別いたしました.これからどこへ縁組なされても,私の方では,少しも差し支えありません.後日のため,一墨(筆)さしつかわすところ,以上の通りです.
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追記
「送り」という書類
離縁の場合,離縁状が必要であるが,そのほかに「送り」という書類があった.それは婚姻の時からの手続き?で,女が一村から他村へ嫁いで行く時,女の村の名主から男の村の名主に宛てて「村送り」を書き,また,女の檀那寺から男の檀那寺に宛てて「寺送り」を書いた.
参考資料
講座資料
第09回 離縁状 E9806 中頸城郡石神村林泉寺文書(20180111変更)
第12回 石神村常野、家出して江戸にのぼる(1) E9806 中頸城郡石神村林泉寺文書
第13回 石神村常野、家出して江戸にのぼる(2) E9806 中頸城郡石神村林泉寺文書
第14回 石神村常野、家出して江戸にのぼる(3) E9806 中頸城郡石神村林泉寺文書
第15回 常野の復縁 E9806 中頸城郡石神村林泉寺文書(20180111変更)
離縁状と縁切寺(穂積重遠著,日本評論社,近代デジタルライブラリー)