活動弁士試験(映倫の始まり?)

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(活弁映画,弁士,試験,映倫,大正9年)

大正11年に書かれた歴史の裏話によると,活弁の第一回学術試験が大正9年に実施されたと書かれている.映倫が誕生したのは戦後のことであるから,戦前にも映倫に似た規制があったということになる.

当時,活動弁士の中には品行の悪い者や説明の際に,卑猥な言葉を遣ったり,危険思想を鼓舞する者などもあらわれた.またフイルムの内容そのものにも問題があるものが見られるようになり,規制の必要性が叫ばれる事態になった.

そこで,警視庁は,フイルムの題材を選択して許可制にするとともに,弁士の適性試験(学科)を行うこととした.

学科試験の内容

1.活動写真映画の説明の観客に及ぼす影響如何.

2.活動写真の取締に就いて知る所を記せ.

3.左の字句を説明せよ.

A. 公安 風俗

B. 黄禍 勧善懲悪

警視庁で行われた学科試験の受験者は86名であった.規定通りに採点したところ,合格者は皆無,それでは営業が成り立たないというので,規則違反等の前科のない者を選び,お情けで免許状をもらった弁士は僅かに6名であったという.

現在,活弁映画は,無声映画時代末期に弁士であった松田春翠(1925〜1987)によって設立されたマツダ映画社が,収集・保存している.会社のホームページによると,作品数約1000作品(不完全な作品を含む),6000巻のフィルムライブラリを保有している.また,月1回,松田春翠の弟子である澤登翠を中心と した現役活動弁士による「無声映画鑑賞会」を開催している.

インターネット上では「滝の白糸」(YouTube版)を観ることができる.当然のことながら,当時の活弁士ではなく,保存されていたサイレント映画に現役の弁士(澤登翠)が説明を吹き込んだものである.

「滝の白糸」初公開 1933年(昭和8年)監督 溝口健二 上映時間100分 原作 泉鏡花 出演者 入江たか子,岡田時彦

日本では、1930年代前半(昭和初年)に発声映画(トーキー)に移行し始めた.1935年の「虞美人草」は俳優の声が入っているので,「滝の白糸」はサイレント映画の終わりに近い作品と言える.五所平之助監督の「伊豆の踊子」(1933)は無音映画である.Wikipediaでは,1938年(昭和13年)までは,剣戟映画を中心にサウンド版を含めたサイレント映画が製作・公開されていたと書かれている.

その顛末記の原文は以下のとおりである.

1.活弁の学術試験

活弁とは活動写真の弁士であるが,その弁士の中にははなはだ不品行な者や,無学の者などあって,フイルムの説明に当たり卑猥な言葉を遣ったり,又は危険思想を鼓舞したりする者も尠くないので,その影響は実に恐るべきものがある.のみならず活動写真のフイルムその物にも亦た題材の宜しからぬものがあって,種々の弊害を惹き起こし,風俗を紊乱し,為に罪悪を犯すの媒介となるものが尠くない.

そこで,警視庁ではこれが改善を図らんが為に,そのフイルムの題材を選択して活動写真会社に許可するの方針を執ると共に,弁士の学科試験を行う事となり,大正九年八月六日を以て先ず第一回の試験を警視庁で執行した.

是日の受験者は総計86名であったが,その中には若い女子連から喝采を博している評判の弁士もあり,又た自ら一流の弁士なりと鼻を高くしている者もあり,いづれも紋付羽織袴かフロックコートに山高帽子という扮装で,威儀を正して出頭した.

其の試験問題は次の三つである.

1.活動写真映画の説明の観客に及ぼす影響如何.

2.活動写真の取締に就いて知る所を記せ.

3.左の字句を説明せよ.

A. 公安 風俗

B. 黄禍 勧善懲悪

そうして試験時間は2時間である.随分長い時間を與えられたものだ.

2.及第者僅かに六人

右の活弁試験は,丁度小学生徒の試験問題のやうであるが,之がなかなか六ヶしいので禿頭の老弁士が首を傾けている,其の隣では頻りに頭を捻っている.頃じも夏の真最中で,試験場は蒸されるような暑さ,受験者の鼻の尖から汗が流れている,頭から湯気が立っている.中にも活弁界の元老として知られたる某などは,口先は上手だが文字の書けぬ悲しさに,頭を痛めた結果であらう,遂に脳充血を起こして其の場に卒倒した騒ぎで,試験場は恰も活動写真その儘の喜劇悲劇を演じたのである.午前十時に始まった試験は正午を限りとするのであるが最後の五分間になっても未だ一人も答案を出す者がない.終に時間が来たので皆々容赦なく答案を取り上げられた中には白紙のままの者もあった.

審査の結果,86人の受験者中で及第者は僅かに6人.その6人も実はお情けの免許で,全体に成績の悪いことは驚くの外はない,もし之を厳密に審査したなら,恐らく一人も及第する者がなかったとは何ともお話にならぬ有様ではあるまいか.併し此の86人に與えて置いた従前の免許状を全部取り上げては,差向き活動写真の営業が立ち行かぬから,規則の違反,品行の不良,卑猥の言説,説諭科料処分などのい有無を取り調べて,比較的善良なる者を選り抜き,特に免許状を下付することにしたのが僅かに其の6人であったとは,何と心細い話ではあるまいか.

資料

1)「面白い日本歴史のお話 : 伝説. 明治・大正の巻」,著者 中村徳五郎 著[他],出版者 石塚松雲堂,出版年月日 大正11

2)「耳の趣味」,著者,鈴木鼓村 著,出版者 左久良書房,出版年月日 大正2 職業としての活弁の紹介 p317

3)YouTubeに掲載されている活弁映画には,『瞼の母』があるが,弁士澤登翠による『瞼の母』活弁の様子をまとめたダイジェスト映像である.

4)最近の上演:弁士澤登翠等によって「チャップリンの放浪者」,「子寶騒動」,「剣聖 荒木又右衛門」,「生れてはみたけれど」,「ポンペイ最後の日」,「復讐の紅薔薇」,「ルンペン人生 シネマ騒動」,「百萬両秘聞」,「ルンペン人生 釣日和」,「バグダッドの盗賊」などが映画祭,無声映画鑑賞会等で上演されている.

(2014.10.19)