幻の滝 御船町七滝

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(七滝,年末まで見物可能,発電所工事,取水中止)

肥後藩の御用絵師であった杉谷雪樵(すぎたにせっしょう,1827-95)が描いた「七滝御覧図(ななたきごらんず)」という絵図がある.御船町の七滝神社にある滝を描いたものである.

七滝神社は,南北朝時代に阿蘇家の祖神を祀ったのが始まりとされている.滝の巌上に建つ七滝神社は,滝を御神体として信仰を集めていたが,戦国の世を経て江戸初期にはすっかり荒廃していた.貞享3年(1686),神社は第5代肥後藩主綱利によって再建された.熊本藩年表稿(細川藩政史研究会編)の貞享3年3月の項には,「藩主益城郡七滝見物、越えて貞享5年2月,石燈籠2基七滝社に寄進 (家譜続・本)」と記載されている. その後,歴代藩主や側室が甲佐の簗とセットで度々見物に訪れている.

しかし,昭和12年(1937),七滝の上流百数十メートルの地点に,JNC(チッソ関連会社)の水力発電用取水堰ができたため,普段はごくわずかな水流しかなく,枯れ滝同然になってしまった.本来の荘厳な姿を見ることができるのは,大雨の後,あるいは年に一度の滝祭り(5月)の時に,特別に水が流される時だけである.

ところが,今年は水力発電設備の工事に伴い,取水を中止しているため,今年12月迄は高さ60メートルの豪快な瀑布を,何時でも見ることができるという(熊本日日新聞 5月).

8月6日,益城まで行ったついでに,南下して滝見物に行ってみた.益城から国道443号線を南下し,御船(辺田見交差点)で左折し,445号線を東(矢部方向)に向かって進むと,途中に八勢川にかかる下鶴眼鏡橋(霊台橋,通潤橋につぐ日本で3番目に大きい単連アーチ橋,4.4km地点)がある.下鶴橋を左手に見て,石橋に平行して架けられている国道橋を渡り,さらに進むと17分程度で七滝郵便局前交差点(8.7km)に 着く,そこを右折してしばらく進むと七滝神社上の駐車場(9.4km)に到着する.

当日は,今夏最高気温を記録した日の午後2時過ぎということもあり,駐車している車はなく,帰路に着くまで人に会うことはなかった.七滝を正面から見るには,山の斜面に作られたジグザグの不規則階段を滑らないように下らなければならない(標高差 60 m).金属製のパイプで作られた手すりが設置されているが,汚れていて軍手なしには触りたくない状況だった.七滝御覧図に描かれているようななだらかな坂道ではなかった.

滝壺の縁に下り立ったものの,自然の中に一人身を置き,空気中に漂うイオンを満喫するような落ち着いた気分とは程遠い雰囲気が漂っていた.阿蘇の巨大噴火の際,火砕流によって生成した巨大な溶結凝灰岩の柱状節理,そのすき間をぬって流れ下る大量の水,神秘的な滝壺の色,谷にこだます轟音等々,地球の力に圧倒されたと言っても過言ではない.猛暑下の直射日光を避けることのできる木陰を選んで,ひと通り写真を撮ったが,猛暑のため思考力が低下し,滝の色(白一色になる)や動きに合った絞りやシャッター速度などを考慮する必要があることを忘れてしまった.

注)柱状節理 岩に入った柱状の割れ目.マグマが冷却固結する際に収縮して生じる.玄武岩では六角柱ができることが多い.

静止画では,水の迫力が伝わらないので,動画も撮ってみた.しかし,三脚を持っていなかったため,手ぶれがひどく公開できるような代物ではなかった.下の動画は,Appleの動画編集ソフトiMovieを用いて手ぶれ補正処理を行ったものである.補正前後の画像を比べると,飛び跳ねるような動きは大幅に改善できた.細かいことを言わなければ,撮影後の手ぶれ補正は「駄目元」で試みる価値があるようだ.

水の動き,音により雰囲気の一部でも伝わると幸いである.なお,撮影点が滝の正面より向かって左寄りであるため,最上段の部分は隠れている.

滝の高さは,御船町のホームページによると 40 mと書かれている.国土地理院の標高地図で調べても同程度である.滝より下流で取水すれば,枯れ滝になることもないはずと愚考しながら,標高を調べると,下流の調整池(濃青T形)の標高(160,7 m)との兼ね合いで現在の取水口の標高(162.5 m)が必要のようだ.右上の取水堰(赤丸 ● )からの水は途中八勢川の上流(標高 176 m)から取水した水と一緒になり,調整池を経て左下の発電所(標高 60 m,赤丸 ● )へ,青点線にそってパイプを流れ下る.なお,調整池は八勢川の標高 95 m の地点と繋がっていて,一定の水位を保っているものと考えられる.

本来の滝の姿が出現するのは,年に一度の滝祭りの時だけとなると天候に左右されてしまう.今秋は,滝と紅葉が同時に撮影できる絶好の機会になるものと思われる.

七滝阿蘇神社について

説明板に書かれてい内容

七滝神社の由来と貴族の歌碑

七滝神社は,滝権現といって滝を御神体として祀ったのが始まりとされています.その後,南北朝時代の観応2年(1351年),阿蘇大宮司惟村が七滝神社を創建し,阿蘇氏の祖神を祀りました.以後,戦乱の時代が続き荒廃していましたが,肥後細川氏第5代綱利が貞享3年(1686年)に再建.その際,社殿の両側に細川氏の九曜の紋を刻み,拝殿にニ基の灯篭を寄進し,現在に至っています.また,境内には七滝を和歌に記した宮中の貴族三人の歌碑が建てられています.拡大図

左へ下ると神社

右にトイレと滝へ下りる道がある

追記

御船ー七滝間にはコンビニや商店は存在しない.自販機(複数台設置)は3箇所(下鶴橋,ゴルフ場入り口,七滝郵便局前)程度確認.

今回は,序に寄ってみたので,準備不足(飲料水,履物,軍手等)であったが,足腰の弱った後期高齢者が,熱中症になるのを恐れながら訪れる観光スポットとは言い難い(私見).

年に一度,放水される滝祭りの時(5月第二日曜日)は,駐車場は七滝郵便局横に設置され,送迎バスが運行される.神社上の駐車場では地元の産物を売る市が催される.その模様を紹介したホームページを参考資料に記した.

参考資料

永青文庫資料にみる肥後の街道とその景観 熊本大学学術リポジトリ

七滝川第二発電所は1937年(昭和12年)に取水開始した.下鶴橋の横に在る.七滝川第一発電所は七滝の上流 約 2.4 km の地点に在る.

・下鶴眼鏡橋 明治19年,橋本勘五郎,弥龍父子によって架設された石橋.交通量の増大による近代橋の架橋に伴い,文化財として保存.

御船町観光ホームページ

清流の森

秘境七滝(放水の前後を紹介)

・静止画,動画:OLYMPUS ミラーレス一眼 PEN Lite E-PL6.動画のファイルサイズ(20秒)は9.8MB,オリジナルの1/4程度.

(2015.8.10)