「ひょうときもん」「ひょうときもの」? 漢字では書けません。臆病者という意味だと思います。
私は小学校6年生まで、夜、おじいちゃんとおばあちゃんの間に挟まって、いわゆる「川の字」になって寝ていました。夜中。「おじいちゃん。小便。」「なに!」「小便に行きたい。」「もう!、昌宏は、ひょうときもんじゃのう。」といってトイレまで付いてきてくれたのでした。大邸宅に住んでいたわけではありません。トイレは、祖父母の部屋から出て10歩ほどの所です。おばあちゃんも布団に座って帰るのを待っていてくれました。
今思い出して、私はおじいちゃんに何かを拒否されたり叱咤も激励もされたりしたことはありません。たいして褒められたこともありません。成すがままの私を、いつもニコニコして見ていただけでした。〝 明治生まれ 〟のおじいちゃん。その記憶は〝 愛 〟としか言いようがありません。三世代が同居するのが普通だった頃のことでした。
かく言う私も、5人(高校1年~25・6才くらいの社会人)のおじいちゃんで、2人(2才 0才)のひいおじいちゃんでもあります。同居はしていないが、小さい頃はよく我が家に来てくれていました。みんな可愛くていい子たちです。しかし。私は、孫たちにあれやこれやとよく物申します。良いじゃ悪いじゃとすぐに決めつけます。さてさて、50年後。〝 昭和のじいちゃん 〟は、この世にはいませんが、彼らの記憶の中にどう残っているのでしょうかね。
余談の余談みたいになりました。こういうのを支離滅裂の文というらしいです。