百合鏡記録

51~56

<その51>

どうにも城の中が騒がしい。

戦いなのだからずっとそうではあるのだが、なんというか、様子が違う。

魔王がどうこう言っている。耳を澄ます。


決着がついてしまったことを、トトテティアは獣の耳で理解した。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

仲間たちは気づいているだろうか。

とりあえず魔王は、生きたまま敗れたらしい。あとは自分たちが撤退すればこれ以上戦う必要はない。だけど、誰かが変な気を起こしてしまったら、話は別である。

このまま玉座に行って、魔王に聞いてみたい気もした。自分は、やはり、魔族なのか、どうか。

それで全部の謎が解ける訳ではないけれど、わかってしまえば少しは楽になれるから。

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ふと思う。

いま目を瞑って、あの夢に旅立ったなら、また違うものが見えるだろうか?

<その52>

そっと目を瞑ると、そこはやはり城の一室の光景であった。

けれど、すぐにそれは額縁の中にあるものだと気づく。ずいぶんと大きな絵だ。その高さも横幅も、トトテティアよりずっと大きい。

後ろを振り返ると回廊に出た。そこかしこに絵が飾られている。

主題になっているのは、どれも一人の人物だ。後頭部から腿の辺りまで伸びる白い毛に、黒い肌。長く後ろ向きに突き出した一対の角。マズルと牙。鍛え上げられた強靭な肉体。獣のような四肢。太い尾。その背に担いだ巨大な剣。

天井にかかっている帯には、『テア・テンサ博物館 今月の特別企画 ~魔王ゲヲン展~』とあった。


ゲヲン。思い出した。

魔王、ゲヲン。私たちの世界が、いまの形になるきっかけを作った者の一人。


そう。ここは私たちの世界。ヒトが死に絶え、魔族だけが生きる地。

アル=ゼヴィン。

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全ての始まりは、ヒトが汚染された地上に魔族を取り残し、天空の島々に移り住んだことだった。

そんな中で生まれたゲヲンは、成長する中で異常なまでの魔力を開花させ、異常なまでの勇気と野心でもって地上の魔族をまとめ上げると自ら魔王を名乗り、天空に軍を向けた。それに対してヒトの側も、ゲヲンと同じくらいに異常な戦士―――勇者を差し向け、対抗した。

戦争は天空の島々全てを巻き込んだものとなったが、最後はゲヲン自ら勇者の首をはねたことで終わった。

魔族はヒトへの怨恨を隠さず、そしてヒトはそれに耐えきれず、一人残らず死んでいった。


共通の敵がいなくなった魔族は、今度は身内同士で争い始めた。ゲヲンは余生の全てを費やしてもそれを止められなかった。彼は乱世を生き抜き、未来を取り戻す王にはなれたが、平和を維持する王にはなれなかったのだ。

二度目の戦争は、美しい天空の島々を全て穢れ切った地上に叩き落とした。魔族のほとんどは死に絶え、間もなくこの世界から生命は消えるものと思われた。

だが、ある島に滞在していた学者たちは、そこに環境維持のためのシステムがあることを発見し、それを用いて周囲を浄化することに成功した。

魔族の歴史は再び動き出し、今日に至るまで続いている。

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そして、私はその中で生きていた。

トレジャーハンターの風術士、トトテティア・ミリヴェとして。

<その53>

墜ちた天空の島々から、遺産を取り出す。それが、アル=ゼヴィンにおけるトレジャーハンターの仕事だ。

あの学者たちが、一つの『島』―――今、そこはフィザ=ゼヴィンと呼ばれている。ゼヴィンの礎という意味だ―――とその周りを浄化して、暮らしに多少余裕が出てきた頃に、他の『島』まで遠征する者たちが現れたのがその始まりだった。

彼らは犠牲を伴いながらも『島』に辿りつき、なんとかそこで生き抜いて、引っ張り出した叡智の結晶たちでもって大地に緑を蘇らせた。

その繰り返しで、魔族は再びその生存圏を広げていったのだ。


今日のアル=ゼヴィンは、だいぶ生き物が暮らすのに困らない世界になってきている。

それに伴って、世間のトレジャーハンターを見る目も変わりつつあった……未来を築く勇気ある人々というよりは、一獲千金を狙う命知らずども、といった感じに。

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魔族が見つけた七つ目の『島』、カー=カリは広大な盆地のど真ん中に突き刺さっている。その東の山の中腹に、トトテティアの産まれた村はあった。

カー=カリはいつでも、彼女の視界の中のどこかにそびえていた。

いつかはあそこまで、自分の足で行ってみたい。そんな思いが、トレジャーハンターになろうとした理由の一つだった。


そんなにも大きかったカー=カリは、何故か今日の日まで、記憶の中から消えてしまっていたのだけれども。

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たまたまこの地を訪れた世話好きなトレジャーハンターに連れられ、トトテティアはカー=カリで最初の冒険をした。

上手くいった、と言えるだけの成果は得られた。魔力を伝達するパイプをいくつも持ち帰ることができたのだ。大掛かりな機械を造るのに使えるので、高く売れるものだった。

この時ついでに拾った、羽根のような形をした何かのパーツを、彼女は今日の日まで売らずに持ち歩いている。大した値がつかなかったから、というのもあるが。


たった一度の成功で過剰な有能感を得たトトテティアは、さっそく家族に別れを告げ、よその国へと旅立った。

<その54>

青い女がいた。

帽子が黒くて、肌が白いが、それ以外は瞳も服も全て青ずくめだった。ヒトのように見えるが、脚はない。かわりに蛇の身体がくっついていて、その鱗も青かった。


半蛇族の水術士、クアン・マイサ。

ライバルだったかもしれなくて、友人なのかもしれなくて、とりあえずは相方といったところで、

もしかしたら、愛してしまっているかもしれない相手だった。

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当時まだ人が入ったばかりだった第二十四の『島』、メッア=メッド。クアンとの出会いはその遺跡の探索でのことだった。

この地を攻略しようとしていたとあるトレジャー・ハンターが、水術士と風術士を必要とし、それでクアンとトトテティアが呼ばれたのだった。

今となっては自分でも恥ずかしく思っているくらいなのだが、当時のトトテティアは増長していた。カー=カリの『島』の遺跡から持ち帰った宝が、故郷の村のために使われた―――それで、家族に友人たちにかつての先生にと手放しで褒められた、というのも、あったのかもしれない。

一方のクアンは、大人しかった。表情を変えることが少なかった。自慢の一つや二つをしてやっても、ろくに反応をしない。それが気に入らなかったトトテティアは、彼女に何の活躍もさせずにお宝を手に入れてやろうだなどと先走り、罠にかかった。

すみやかにしみ込んでいった致死の毒からトトテティアを救ったのは、クアンだった。使い魔のスライムを口から潜り込ませ、それを媒体に治癒の術を行きわたらせたのだ。

口や鼻からとろりと粘体を出したまま、五臓六腑を内からもこもこと膨らまされる感覚を、トトテティアは一生忘れることはないだろう。見下しているようで、憐れんでいるようで、だが治療が済んだ後はどこか寂しげなものに変わっていった、クアンの目も。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

それからクアンとは何度も顔を合わせた。偶然なのか、あるいはどこかで考え方が似てしまっているのかはわからないが、よく同じ遺跡に行くのだ。

宝を奪い合うこともあれば、あの日のように助け合うこともあった。それもいつからか、後者の方が増えてきたように思う。

トスナ大陸に来る直前も、一緒に冒険をしていた。

<その55>

二人で訪れた第二十八の『島』の奥には、巨大な光があった。

それは、輝きだけでなく、物理的な力を発していた……それは無生物に対しては斥力になり、生物には引力として働くようだった。自らを封印していた遺跡を崩して姿を現し、何も知らずにやってきた者たちを呑み込んでいったらしい。


トトテティアは、クアンと二人で光の力に抗ったが、かなわなかった。

巨大な生物の食道で揉みほぐされているかのような感覚に耐え、光と音の嵐に流されていき、そして、


唐突に全てが遠くへ去り、静かな森で、まぶたを開く。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

全てを思い出したトトテティアは、戦いの後始末が終わり次第、あの光を探しに出かけることにした。

無論、あてはない。だけど、あの引力が、どこからか自分を呼んでいる気がする。おとぎ話のようなものを考えるなら、役目を終えて帰る時がきたということなのかもしれない―――自分自身の手で魔王を倒したわけではないのだが、そのあたりは別にどうでも良かったのだろう。

それはこの魔界のどこかでひっそりと輝いているようだ。プラインカルドを観光する願いは残念ながらかなわないらしいが、仕方がない。


さて、一つ気がかりなのは、クアンもアル=ゼヴィンに戻れたかどうか。

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クアンは強かで賢く、だけどいつでも物憂げな女であった。獣の基準で見てもかなりの大食らいであるトトテティアに対して、クアンは小食だった。二人で『島』を探索する時にはドジを踏むのはいつもトトテティアの方で、それを助けるのがクアンだったし、対立した時にはいつでも出し抜かれた。

そんな風に、色んなところが正反対だったけど、だからこそ興味深く思えたのは事実だった。一方のクアンは、自分に対して何かを求めようとしては、それを律しているように思えた―――それだけではない。自らを喜ばせようとすること自体を禁じてしまっているような、そんな感じが時々するのだ。

だけどそれじゃあ、何のために生きているのだろう。


時々思ってしまう。クアンがどこかに消えてしまうことを。

二度と戻ってこれないほど、遠い所へ。

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別れの時が近づいてきた。

ここでの冒険も、振り返れば悪くない思い出だ。


このトスナ大陸のことを、けして忘れはしないだろう。

<その56(最終回)>

魔界の森に風が吹く。ゆるやかに、寂し気に。草木を、やさしく震わせながら。

木々の間を、一人の雌の獣人が歩いていく。辺りに道しるべはない。けれど、彼女はどこへ向かうべきかを知っているようだった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

道なき道を進む。

たとえ木が道を塞いでいても、枝の上を行く。崖を登らされたり、滑り下ろさせらたりもする。

けど、何が行く手を阻もうが、どうでもよかった。


あの子が、向こうにいてくれるのならば。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

陽も沈みかけた頃になって、トトテティアは森の奥にふわふわと浮かぶ光珠を見つけた。

身体が、心が、引き寄せられるのを感じる。間違いない。

あとはただ、祈るだけだ。

最後に見た風景を思い出す。

あの遺跡の通路。そこに続く、湖と、森と、空と。

「……ねぇ、クアン。そこにいるよねっ?」

胸と腹とを揺らして、トトテティアは光の中に飛び込んだ。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

第二十八の『島』、そのふもとの町の食堂は大盛況だった。

腕を六本持つ橙の肌の男が、その全てにプレートを持ち、忙しく歩き回っている。

「へ、へええ……クアン、魔王になってたんだ」

「やったのは商売の真似事だけどね」

店の端っこの方、二人掛けのテーブルに、トトテティア・ミリヴェとクアン・マイサはいた。

「テティこそ、大丈夫だったの。魔族を敵に回すだなんて―――」

「まぁ、悩んだこともあったけど……考えすぎないようにしたから、さ。あちこち冒険できて、楽しかったよ」

「……君らしいわ」

そんな風に話していると、あの六つ腕のウェイターが慎重にバランスを取りながらやってきて、

「お待たせしました、大鼠の丸焼きとワームのステーキ五段盛りと、それから……」

「ぅおっほぉ!」

十数人前はあろうかという大量の料理がテーブル狭しと並べられ、トトテティアは臆することなく食らいついた。

あれから彼女は、トスナ大陸から持ち帰ったものをもれなく売り払っていた。その結果がこの大量注文である。オドから奪ったあの防具も例外ではない―――どうせすぐにサイズが合わなくなるのだ。この調子なら、明日にでも。


二人は喜ばしげに見つめ合い、語らいながら食事を続ける。

今はただ、それで、よかった。


アル=ゼヴィンの夜は、そっと更けていく。