百合鏡記録

31~40

<その31>

とうとう、魔界に来てしまった。

そこら中に生えている草や木を、トトテティアは知らない。吸血鬼や半人半馬はともかく、イカだかタコだかが陸に乗り上げてるのもおかしい。

それなのに気味が悪いと言い切れなくて、どこか暖かみのようなものも感じていた。

適度な緊張を保てなければ、戦いにも支障が出る……わかってはいるが、仲間たちに相談するのも怖かった。

「……なら、無闇に悩んでるのはよくないか」

テントの中の灯りを消して、トトテティアは眠りについた。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

また、グライダーでどこかを飛んでいる。

行先はきちんとわかっていた。正面に、逆さになった山のようなものが聳え立っていて、そこへ向かっているのだ。

だが、何のために……あの中で、冒険をするために、である。そして、このまま一気に行くわけではないともわかっている。

逆さの山のふもとに見える街を目がけ、少しずつ高度を下げていった。風を操り、大地に滑りこんでいくようにして、グライダーを停める……

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

街の中に人間は一人もおらず、異形の者ばかりがいた。

そんな中で、堂々と大通りを歩き、あの逆さ山の下を遮るようにしてあった建物に入る。そこには荷物を担いだり、がっつりと防具で身を固めた輩がたむろしていた。

侮るような目を、いくらか感じる……気にもしないで、入口正面から見えたカウンターに向かう。

「《島》に入るんですかい? 嬢ちゃん」

受け付けは、角を生やした毛深い男だった。身長差があるというのに、顔をほんのり上げてみせている。

「ええ。わたしは依頼を受けた風術士です。下から上に行くのには、風が必要でしょう―――」

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

目を開く。

テントの外を覗いてみたが、まだ辺りは薄暗かったので、すぐ中に戻る。

「私はいったいなんだったっての……」

言って誰かが応えてくれるなら、苦労はなかった。

また体を丸め、尻尾を抱いて二度寝に入る。街を見つけるまでは、できる限り体力を温存していかなくてはならない。

<その32>

あの夢から逃れることはできない。眠っている時はもちろん、ただ目をつむってじっとしているだけでも、人外の者たちばかりの世界の景色を見ることがある。

自分がたとえ彼らの仲間―――魔族であったとしても、それだけでは魔王と戦うのをやめる理由にならないのは、トトテティアにもわかっていた。魔王に従わない魔族だって、中にはいる……だが、自分がそうだったとして、なぜそうするのか? 魔王を敵に回す、その理由すら思い出せないことに気付いたとき、トトテティアは動揺をした。こんなところまで来たならば通っていて当然のはずの筋が、通っていない。

戦って、夜が来て、また目を閉じる。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

上へと向かう螺旋のトンネルを歩いていた。地上近くの入口から入り、一度休憩も挟みつつ、はや数時間。狭い場所は風をろくに感じられないから嫌いだったが、それでも我慢ができたのは、この先に待っているもののためであった。

通路の先が明るんできたことに気付けば、駆け足となる。広い場所に飛び出し、崖の手前で立ち止まり、そのまま天を仰げば、丸く切り取られた青空が見える。

ここは、すり鉢の傾きを急にしたような地形のなかだった。上だけでなく、下の方にも青いものが見える……すり鉢の底に小さな穴があって、そこから空と同じくらいに青く、だが鋭い光が漏れ出し、辺りを照らしていたのだ。どういうわけか、穴は光だけでなく、気流をも吐き出していると感じられた。ずっと風と付き合い続けたことで鋭敏になった毛皮が、そう捉えるのだ。

いつまでも観察ばかりはしていられない……深呼吸をひとつして、崖から跳躍する。丸っこい体はそのまま、羽根のように軽々と浮かび上がり、見上げた空へと送られる。

そこから周囲に広がる森と、旧い都市を見た。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

目を開ける。深緑の小さなテントの見慣れた天井が、そこにあった。

体を起こしたトトテティアは、今見た夢の続きを知っていた。あの都市の中に入って、宝探しをするのだ。そういう生業だった。そのはずだ。だが、今は……

トトテティアは再び、身体を横たえる。眠れなくても、休むくらいはしておかなくてはならない。

<その33>

(※この回で一度宣言登録をし損ねています。日誌のデータも失われたため、ナンバリングはこのまま進めます)

ちょっとしたアクシデントこそあったが、この不思議の森からもそろそろ抜け出すことができそうだった。北方から、暮らしの香りが漂ってくる―――トトテティアも獣の仲間なので、そういった刺激に対してはたいへん鋭い。

これで、着いたら何か甘いものでも手に入ると助かるのだが。魔界の果物なんか食べたら、また記憶をくすぐられてしまうかも……そんなことを考えながらも、トトテティアは皆の後を追っていた。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

魔族の国の夢は、相変わらず続いていた。

あの旧い都市の探索もしたし、他の《島》とやらに行くこともあった。時には誰かとチームを組み、時には誰かと競い合い。

楽しい夢ではあった。《島》の遺跡には大体何かしらのトラップが仕掛けてあり、危ない目に遭うことも少なくなかった―――たとえ夢の中でも命は惜しいものだ―――が、自慢の風の術や、身体の力も使って切り抜けてみせた。遺跡を造った文明について突っ込んだ知識は持っていないけれど、そこでの暮らしの様子などを想像してみるのもつまらないことではない。

自分はやはり、冒険者の気質なのだろう。過去がどうであろうが、それだけは確かだといえる。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

明け方にテントを出て、大きく息を吸い込む。下を向くと、玉のような胸の間から出っ張った腹がちらりと見える。それを確かめるように少し静止してから、息を吐き出した。この丸っこい体つきは子供のころからそうなのだが、特に嫌だとは思っていなかった―――小柄さも相まって、可愛らしいと言われることもあるのだって、悪くはない。馬鹿にされているのなら話は別だが。

今日で、無事に町まで辿り着けますように。そう願いながら、トトテティアは水汲みに出かけていった。

<その34>

魔族の町を前にして、どうするかを考えることになった。

攻め込むことになったとして、今の調子では、トトテティアは本気で戦えるかどうかわからなかった。とはいえ、それで仲間を危険に晒すのも、望むところではない。考えてみれば既に魔王軍を敵に回してしまっているのだから、その情報がこの辺りにも伝わっていて、指名手配などされてしまっている恐れもある。

ここは一応、敵地であると思っておいた方が良いのだ……頭ではわかってはいても、トトテティアは少しの寂しさを覚えた。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

事態が動かないとすることもなくなってくる。

キャンプの設営を終え、少し休憩をしていたトトテティアはふと木の上に登り、ビーズの入ったお手玉で遊んでみる。故郷から持ち出してきたものの一つだった。風の強い崖の上でやれば、それだけでちょっとした修行になる―――風術士の先生から、そう教えられていた。

勘は鈍ってはいなかった。お手玉はくるくると飛び回る。パターンにはまった動きを見つめて、眠気を感じる余裕すらあった。

自分はのんき者なのかもしれないと、トトテティアは思った……あるいは、現実を直視したくない気持ちがどこかにあるのだろうか?

頃合いを見てお手玉を受け止め、木から飛び降りる。次は夕食の支度をしなくてはならない。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

一晩休み、朝が来た。あの町の人々とどう付き合うか、決める時間が近づいていた。トトテティアとしては話し合うことに一票入れるつもりでいた。

だが、例えどうなろうとも、今の仲間たちのために行動するまでである。問題は、実際にそれができるかどうかだ。

<その35>

幸いにも宿町ネティーブラの人々は、傷つけられなければ牙を剥くことはなかった。

すぐ近くにまで獣が入り込んできていたりして、この街自体は決して安全な場所ではなさそうだったけれど、まあ悪くはない。

宿が決まった後、散策していたトトテティアは通りすがりの住民に、この町に図書館の類は無いかと尋ねてみた。いや無いが、知りたいことがあるなら占い師にでも相談してみたらどうか、と返された。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「で、おんしは魔族かもしれぬ、と悩んでおると」

紹介された占い師は、深青の肌の魔族だった。髭を蓄え、顔には皺が見える。街の案内をしてくれた爺さんよりは、まだ若い。

「別に厭ってわけじゃないけど、不安なの。この先も命のやり取りを続けるのなら、こんな気持ちを抱えてちゃいられないわ」

「それは、そうだろうが」

「わたしの過去を、教えてもらえる?」

背の低いトトテティアは、ここでも上目遣いをしてやらないといけなかった。

「やってみよう」

魔族の男は、テーブルに置かれたいくつかの呪具を操作した。トトテティアはその動きに一定のパターンを見出すことができた。なにか術を使うのだ。それが害を及ぼすものかもしれないという考えは、頭から追い出した。

ふと、呪具たちの間に幻影が見えた。プラインカルド城の光景だ。もっと前にと念じると、幻影の時間もさかのぼっていく……やがて、トスナ大陸に上陸する以前に至る。

トトテティアは、外の大陸のある港にいた。風術士の力で帆船を誘導してくれれば船賃をまけると、相談を持ち掛けられている。その前は、街道を歩いていた。その前は……

「……何、これ……。」

幻影の遡及がストップする。トトテティアは、静かに汗を垂らした。

「うん?」

「見たことは、あるの……なのに、思い出せてなかった……」

トトテティアの呼吸が、ほんの少し乱れている。それを見た男は呪具を片付け始めた。

「心に負担がきとるな。またにした方がよいだろう。また、があるかはわからんが……」

「ううん、ありがとう……」

かけていた椅子の背を頼りに、トトテティアは立ち上がる。理解できない消耗を感じていた。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

ところでこの町の周辺は延々と森が続いているらしいが、どうするのだろう。

今頃宿では皆が相談しているかもしれない。トトテティアは、暗くなった街路を歩いていった。

<その36>

焦げた臭いがトトテティアの鼻をつき、振り返る。

ついさっき旅立った町が、燃えているのが見えた……自分たちと入れ替わりに現れた者達がやったらしい。

「……何で……。」

それをやるだけの理由を持った者だって冒険者の中にはいるのだと、想像はできる。魔王軍が暴力に訴えた以上、あり得ないことではなかった。

わかっていても、トトテティアは動揺を隠すことができずにいる。

それは、魔族に対して抱く得体のしれないシンパシーだけのせいではなかった。

また、があるかはわからない……あの占い師の顔が、街を案内していくれた老人の姿が、トトテティアの心にこびりついて離れなかった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

歩きながら、町で見た地図を思い出す。

この先には交流の橋とやらがあるようだった。名前からして、橋の向こう側にもまた別な町があるのかもしれない。

そこも焼かれてしまうのだろうか。止められないことなのであれば、せめてその前に。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

夜、トトテティアはテントの中で新たな本を読み始めた。

少し前に、どこかの書店で手に入れたまま放っておいた雷の本が一冊あった。することがなくなってきたので、手を付けることにしたのだ。

魔力の消耗こそ大きいが、現在使っているものよりも精度に優れる術が載っていた。これを覚えることができれば、もっと戦いに貢献できるかもしれない。

「……やれることは、やってかないとね」

夜食の果物をかじりながら、トトテティアは本を読み進めていくのだった。

<その37>

まだ、炎の臭いが流れて来る気がする。ネティーブラからは、だいぶ離れたはずなのに……

獣としての嗅覚をトトテティアはありがたいものだと思っていたけれど、今だけはほんの少し煩わしかった。あるいは仲間たちも案外同じように感じているのだろうか。

キャンプを立て、簡単に夕食を済ませると、疲れからかトトテティアはすぐに眠ってしまった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

魔族の世界の夢は、今でも時々見る。

また、別な《島》に乗り込んだ。そこの遺跡は、広いジャングルの奥にあったのだが、途中で嵐に来られてしまった。

慌てて岩山の穴ぐらに逃げ込んだトトテティアは、四つん這いになって―――大きな胸が地べたをこすった―――身体を震わせ、浴びた雨を飛ばす。

目を開けると、壁が一瞬、ぼんやり光るのを見た……ドウッ、ガラガラガラッ! 背中の毛が逆立った。隅っこに身を寄せ、穴の外の景色を目に入れる。

ふるさとで起きた、山火事の記憶がよみがえる。あの時は風術士たちがどうにかしてくれたが、いま森が燃えたら、どうすればいいのか……

ドーウッ! また雷が落ちた。しばらくすると、焦げ臭さを感じ始めた。

トトテティアはとうとう後ろ脚で立ち上がって、雨の中を逃げ出す。

だが、空が光る。五感が、押し流される……

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

目を開けそうだと気づいたトトテティアは目を開けた。夢が厭な方向に進みかけた時は、そうするのが一番良かった。

傍には、開きすらしなかった雷の術の書が置かれている。花柄のしおりが一枚、挟まっている。開いてみると、より大きな雷雲を行使して巨大な雷を落とす術について解説しているページが見えた。

何度か、めくってみる。書かれている文章だけではいまいちピンと来なかったのだが、さっきの夢がインスピレーションを与えてくれたようだった。

寝ている仲間の近くで放っていいものではないから、試し撃ちは実戦でやるしかないが。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

テントの外を見ると、少しずつ空が明るんでいくところだった。

明日には交流の橋に辿りつけるかもしれない。そこに平穏があることを、トトテティアは祈った。

<その38>

トトテティアは雷撃を完全に制御してみせた。

閃光と轟音が大地を揺さぶる度に、魔物たちは焼け焦げ、黒煙を上げて動かなくなる……トトテティア自身、これには恐怖をした。

共に旅をしている仲間たちが、今は何よりも大事なのである、彼らの為の残酷さは必要であるだろうと、彼女は自らに言い聞かせる。

それでもどこか気が済まないのは、物の焼ける臭いをつい昨日まで恐れていたからかもしれなかった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

橋を渡っていくと、どこか威容を感じさせるシルエットが、ずっと向こうに見えた。

城である……もしや、魔王の? だとしたら、妙にあっさりと辿りついてしまったものだとトトテティアは思う。

そこに続く橋が交流の橋だなどと呼ばれているのも、なんだかおかしかった……しかも魔物こそおれど、警備にあたる兵士などは見かけないのだから、訝しみたくはなる。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

キャンプのテントの中で、トトテティアはまたあの本を読んでいた。

ここまで来れば新しい呪文を覚えるよりも、既にある程度モノにした術を磨き上げていく方がいいと考えた……もっともあの雷の魔法は、規模が大きすぎて練習すらままならない。強すぎる力というのも考え物だと、彼女は実感する。

結局、軽く瞑想をしてそのまま寝てしまった。

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また明け方に目を覚ましたトトテティアは、外に出て、ふわりと風に乗って浮かび上がった。

体重を支え切れるような木に乗って、あの城を見つめる。見れば見るほど、ただものではないと予感をさせる。もしもあそこで、何もかも済んでしまうなら……

「……そう都合いいモンでも、ないよね、きっと」

確証のないことを考えるのはやめにする。朝日に挨拶をしたトトテティアは、仲間たちを起こしに戻って行った。

<その39>

魔王城の城壁近くで、キャンプを張る。

これを壊す以外に侵入の手立てはないらしいが、実行したならばもう後戻りはできないだろう。さりとて、できる準備もあまりないが。


戦いを振り返る。流石に、苦戦を強いられるようになってきた。

自分たちの戦力で、魔王のところまで辿り着けるとよいのだが……逆に、それさえできれば何か可能性はある、ともトトテティアは期待していた。

必ずしも、殺し合いをしなくてはならないものとは限るまい。というか、彼女としては魔王の命を奪いたくはない。

彼女の奥底から、正体のつかめない何かが、それは決してやってはならぬことであると囁くのだ。

魔王、とは、歴史の、礎だ。

……それは、このトスナ大陸の話、なのか?

トトテティアの頭の中で、耐え難い違和感が巡り巡っていた。


眠って、目覚める。

意思決定の時間が迫ってきていた。

<その40>

隠れ場所のないホールに飛び込めば、トトテティア・ミリヴェは壊した壁から風を呼び込み、天井近くまで上がらなくてはならなかった。

もちろん、敵はやってくる。トトテティアは、雷雲を見下ろして操ることをやらなくてはならなかった。

かき乱される風が、空間を伝って、トトテティアに相手の位置を教える。

イルストリオール・トニトルスが、室内に閃光を撒き散らした……

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

倒しきったところで、トトテティアは床に飛び降り、空気のクッションの助けでふわりと着地する。

鼻は、勝手に南の食堂の方に向くが、それは抑える。食い物をかっさらうなら、魔王と話をつけてからだ。だが、どうすれば玉座に近づけるだろうか?

地図があるわけでもない。全ては、仲間達に委ねる。