Seven Seas潜航日誌

26~30

<その26>

結局渦には出会えぬまま、クリエ・リューアは陸に戻る。

探索協会に報告を済ませ、そのまま入り江の洞窟を目指す。帰りが遅くなって、ネリーも心配しているはずだ。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「ただいま……ごめん、遅くなっ……」

「…… ……。」

ネリー・イクタは獣のように丸まって、寝息を立てていた。どうやら自分を待っていたが、眠くなってしまったようだ。

「……ごめん、ね」

ネリーの傍らには、少々大き目の魚の骨がある。食事だけはちゃんと済ませたらしい。

自分の外套をネリーにかけてやり、クリエは荷物を床に置いて座り込む。

「……うゅぅ……ぅー……。」

目覚める様子はなかった。

疲れているのも無理もない。どうも、巨大なドラゴンと激しい戦いを繰り広げてきたそうだし。話をするのは明日になってからだ。

「……おやすみ……。」

クリエも体を横たえ、しばし物思いにふける。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

一人で村を出たクリエは、周りの森の中でさっそく死にかけた。

纏っていた襤褸切れを襲ってくる魔物に放り投げ、目をふさぐのに使ってしまったおかげで、夜の寒さを防げなくなった。食べ物に関しても、何が毒で何が糧になるのか、ろくにわからない。

大きな樹に力なくもたれかかり、クリエは思った。どうして、自分は生きようとしているのだろう、と。

外の世界に出て、学びたいからか。だが、もはや何も対価にできるものを持っていない自分に、わざわざ勉強させてやるような物好きなんて、いるのだろうか。

もう、自分には何もないはずだった。特別、生きたいわけでもなく。特別、死ぬのが怖いわけでも無く。

それでも、クリエは生き延びてしまった。自分と同じく村から抜け出してきたらしい男の亡骸を見つけ、持ち物をすべて剥ぎ取って。川を下り、森を抜けて。

そうして、クリエは生まれて初めて、故郷以外の町を訪れた。

あれやこれやと話す人々。色々なモノを売る店。たまに道に落ちている新聞。目にするもの、耳にするもの全てが、クリエに新たな知識を積み重ねていった。

ここでクリエは、中央大陸のアカデミーの話を聞く。後に入学することになる場所であった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

―――気がつけば朝。

「クリエさんっ! おはよーっ!!」

元気のよい声が耳を貫くから、クリエも起き上がる。

「かえってきてくれたんだねっ、よかったよっ!」

「……うん。ただいま。ごめん、ね、ネリー。今日は……一緒に、いる、から……」

「うゃあ! やったーっ!!」

自分でもよくわからないのだが、少し焦りすぎてしまっていたのかもしれない。

今は、ネリーの傍にいてやろうと、クリエは思った。

<その27>

ジュエルドラゴンとの闘いから数日ほど経ったころ、ネリーもクリエも訪れていない、とある海域に渦が発生した。

「ァァァァァァァァァ」

どうやら、哀れにも巻き込まれた者がいるようだ。毛やら服やらをちぎられながら引き回されている。

「アアアアアアアァァァァァァァ」

彼は叫びをあげるが、渦が聞き入れるわけもなかった。

「ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ヒ゛ハ゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛」

それでも、わめき続ける以外にいったい何ができただろう。

「…… ……ヒハ……。」

やがて渦は静まり、消えた。振り回されていた輩―――メガネをかけた老人がその場に残る。

「……ン?」

通りすがりの探索者が、それを目の当たりにした。

「なんだ……溺れちまったのか、こいつ。放っておくわけにもいかんか……」

生きていたなら儲けものだし、死んでたら死んでたで色々と手続きがあるのだ。

探索者は渦の被害者を回収し、そのまま浮上していった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

一方ネリー・イクタの住処、入り江の洞窟にて。

「ンー…… ……」

早朝から雑誌をずーっと―――いまは朝食の最中だというのに―――読んでいるクリエ・リューア。

「うゃ、クリエさんどうしたのっ。ごはん、さめちゃうよっ」

いつも通りの勢いで食事を平らげたネリーが言う。

「……きみと……遊びに、いこうか、って、思って。どこが、いいか……って……」

「うゃ! クリエさんとおでかけ?」

「……うん。最近……ずーっと、ひとりに……しちゃった、から……たまには……」

「わぁーいっ! ねね、それじゃ、いっしょにどこ行くか決めよーよっ!」

「……ン」

クリエは、雑誌をネリーにも見せてやった。

開いていたページには一面に穏やかな海とくるりと曲がった砂浜が描かれており、その上にあれこれと文字が書かれていた。曰く、『セルリアンの海は、平和の海』。『美しい砂浜と、優しい海があなたを迎えます。カップルで、ご家族で、ぜひどうぞ』……

実際は混雑してて平和もクソもないのだろう、とクリエは思う。オルタナリアでも、発展の進んだ中央大陸の方のリゾート地はそうだったのだ。

ページをめくると、レッドバロンやストームレインといった名前も出てくる。当初は未知であったこれらの海域すら、既に観光の場となりつつあるようだ。それなりのリスクは付きまとうとはいえ。

「……ストームレイン。行ってみる……?」

ネリーがいるのだし、クリエ自身も冒険に馴れていないわけではない……多少危険があったとて何とかなるだろう。少なくとも、人だらけのところに行くよりはマシだ。

「うゃ……えっと……」

少し考え込むネリー。

「アトランド、きてみない?」

「……オッケ」

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

アトランドの海中島、その一つにネリーとクリエはいた。

「うゃー、こっちこっちーっ」

人間のそれをはるかに上回るスピードで、すいすいと泳いでいくネリー。

「…… ン……」

それでも、クリエがネリーにどうにかついていけるのは、背中に装備した推進用スキルストーンのおかげだった。細かい泡を猛烈に吐き出し、クリエの体を前に進めている。

二人が向かう先は、ひときわ目立つ塔。ネリーが探索をしている時、いつも遠くから見ていたのだという。

「それー! いっそげーっ!」

「……ネリー、塔は……逃げない、から……」

廃墟の出入口から出入口へ、窓から窓へ。隠れ家を見つけた小魚たちを驚かせたり、たくましく伸びた海藻を振り払ったり。

目的の塔が近づいてきたら一気に上昇し、そのままてっぺんに降り立つ。二人で縁に腰かけ、アトランドの遺跡を見下ろした。

「うわぁぁ……!」

陽光は下の方までは届かず、海底の水は真っ黒に見える。そこにぽつりぽつりと、様々な色の柔らかな明かりが灯っていた。弱弱しい光たちは、しかし確かに、建物の輪郭を露わにしている。

かつてはここも、生きた街だったのだ。どんな名前だったのか、どんな人々が住んでいたのか―――それは、ここからではわからない。

でも、今の二人は考古学者じゃないから、それで十分だった。この美しさと、楽しく勝手な想像があれば、よかった。

「……そろそろ、お弁当、食べよっか」

丸い貝殻でできた容器を取り出すクリエ。先日市場で買ってきたこれはスキルストーンの技術を応用して作られたらしく、水中でも食事ができる優れものだという。

中身はテリワカメの混ぜご飯と野菜の煮物、それからテリメインイワシの唐揚げだった。

「……きみには、足りないかも、だけど」

ネリーなら、同じものを百人前くらい作っても軽く平らげてしまうだろう。

「うゃ、だいじょーぶ。おなか空いたらエモノさがしてくるから……」

「ン……そりゃ、頼もしい……」

さっさと食べ終えてしまい、それでも待っていてくれるネリー。

「ねーね、クリエさんっ。次は、どこいく?」

「……そう、だね……ウウン……」

別にどこだっていい、とクリエは思っていた。今はただこの平和な時間が尊い。

思えばここでネリーに出会った時は、迷惑をかけないよう別なところに住むとすら言っていたのだ。それがいろいろあって一緒に居続け、気がつけばこんな風に遊びに出かけたりもしている。

今の自分にとって、ネリー・イクタとはなんなのだろう―――?

「……うん。あっちの建物に……」

ネリーを待たせてしまっていたことに気付き、クリエは適当に目立つ建物を指さして言った。

二人きりのバカンスは、つつがなく続いていく。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

その夜、地上の街にて。

「……あん? 患者がいないィ!?」

初老の細い目の医師―――かつて、遭難したクリエを診た者だ―――は、その眼を普段はあり得ないほどに開いていた。

「は、はい……今朝運び込まれてきた方です! 確か、アッチ・ソチコッチってお名前の……!」

「……ンンン。と、とにかく、警察だ。警察に連絡するんだ! 部屋も調べておこう!」

結局、その日のうちにアッチ・ソチコッチが発見されることはなかった。

それどころか、もう一つ事件が起こった。港に泊められていた、個人所有の船が一隻、何者かに盗まれたのだった。

翌朝いつものように仕事に出たクリエ・リューアは、協会で新聞を見せてもらい、一連の事件を知った。

「……アッチ……ドクター、アッチ、か……悪さ、しなきゃ、いいが……悪さ、するん、だろうな」

新聞を閉じ、クリエは仕事場に向かうのだった。

<その28>

かつてない強大さを誇ったジュエルドラゴンは、はたして倒された。探索者の総力が、それだけ膨れあがっているということなのかもしれなかった。

ネリーも戦いはしたので、あの少女と白い竜と話をしておいた。偉そうだったが、ドラゴンなんて程度の差こそあれ、みんなそんなものだとは知っていた。

喋れるものも喋れないものも。あるいは、人間にこき使われるようなものですら。

白い竜、と聞いて、ネリーは以前のむかし話の続きを思いだす。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

滅びてしまったとされているオルタナリアの古きドラゴンの血筋だが、一応細々と続いてはいた。

とはいえ、オルタナリアには乱世もあったが、現在は概ねみんなで助けあう世界となっているので、力のありすぎるもの達は肩身が狭い。

悠々自適としていてもらえばよいと傍から見れば言えるのだが、彼らにだって相応の欲が備わっているので、生きづらくなるのだ。

そんな古竜の末裔の一体に、かつての冒険でネリーは出会った。名をアノゥヴァという。

四つ脚の雌竜で、人間の大人の倍ほどの背丈があり、暴力に耐えるための甲殻と、寒さに耐えるための毛皮を持っていた。あのジュエルドラゴンの関係者と同じく、体色は白かった。

彼女は『オルタナリア四賢者』の一角でもあった。

雪と氷に覆われた北方の国メシェーナ、その奥地に隠れ棲みながら、世事に疎くはならなかったのは、四賢者専用のネットワークがあるからだ。極めて高度な魔法技術により連絡を取り合う手段を、彼らはもっていた。

そのアノゥヴァと初めに出会ったのは、地球人の少年の一人である宇津見孝明で、その場にネリーは居合わせていない。ある事情から何組かに分かれて行動している間の出来事だった。

あとでアノゥヴァと会う機会ができたネリーは、彼女が強いので、純粋に憧れた。偉そうなところもあったが、厭な感じという訳でもないのだった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

さて、そんなむかし話よりも、今のネリーには重要なことがあった。新たな海への道が開けたのだ。

太陽の海、サンセットオーシャンへの道である。

「お日さまの海、かー。どんなトコなんだろうなあ。まぶしいのかな? あっついのかな?? ……いってみれば、わかるよねっ! たのしみー、だよっ!」

長いこと旅をしたアトランドとも、今日でひとまずお別れである。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

ネリーが新たな旅に期待を膨らます一方、クリエ・リューアは生活費を稼ぐことに集中していた。ネリーが立ち去ろうとしているアトランドが、今日からクリエの仕事場になるのだ。

水中に浮かべる標識を抱え、クリエは眠る街の間をすり抜けていく。

以前ネリーと出かけて以来、クリエはこの海域が気に入っていた。知的好奇心が生きるモチベーションに繋がっている彼女にとって、アトランドという環境は悪い所ではない。時間が空いた時に―――あるいは、仕事の一環として―――建物の中をのぞいたりすると、どうにも心がおどってしまう。ここでいったい、どんな暮らしがなされていたのだろう……?

過去の都市に想いを馳せるのは後にして、クリエは先に進んでいく。

建物が多いせいで、標識の置き場に困る場所でもある。なるべく、周りからよく見えるポイントを探して設置しなくてはならない。

いろいろ考えながら、全ての標識を浮かべ終えたとき、クリエは水が震えるのを感じた。

すわ、またあの渦か。いや違う。これは―――

「―――ひゃぁぁぁ、ひゃひゃひゃひゃひゃァァァーーーッッ!!」

大きな何かがクリエに迫っていた。内側からは奇怪な―――一応人間の―――声がしている。

「ッ―――!!」

クリエはどうにか逃れようと、力いっぱい水を蹴った。

<その29>

テリメインに朝が来る。

「……うゃあぁ。おっはよーっ!」

ネリー・イクタは棲み処のほら穴で目覚め、同居人に向かって挨拶をする。けれど、彼女はそこにはいなかった。

「うゃ…… クリエ、さん……?」

昨日探索を終えてここに戻ってきた時に彼女の姿は無く、その後帰ってくることもなかった。それでも、寝ている間には戻るだろうと考えていたのだ。

「……ンゥ……!」

心配になったネリーは外へ飛び出し、探索者協会へ向かう。仕事を斡旋しているあそこなら、クリエの行き先も知っているかもしれない。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

ジュエルドラゴンは大人しくなったが、アトランドの海は相変わらず騒がしい。まだこの一帯にいる探索者も多いし、今後は観光ツアーなども組まれてくるだろうから、当然といえば当然である。

けれどその中で、一つ噂が立っていたのだ。ドラゴンとも違う大きな何かが、この辺りを泳ぎ回っているらしい。しかもそれと前後して、アトランドを訪れた者が失踪しているという。

ネリーは、協会でその話を耳にした。

「う、うゃ……! ひょっとして、クリエさんも!?」

「ああ、だけど……」

ネリーに詰めよられ、ちょっと引く職員。

「こうしちゃいられないよっ! ショクインさん、ありがとっ! いってくるねっ!!」

すぐさま協会の建物を飛び出し、海の中に消えて行くネリー。

「……行っちまった。あの怪物、昼の内は出ないらしいんだがなあ。狙う相手も選んでるっぽいっつーし……」

頭をポリポリ掻きながら、職員はそれを見送るが……

「おおい! 手が空いてる奴、ちょっと来てくれ!」

彼の同僚が声をかけてきた。

「なんだ?」

「情報が来た! アトランドで例の渦が出て……」

「おいおい、またアレかよ?」

「アレだけじゃないんだ、今回は!」

「……へっ?」

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

今やすっかり見慣れた遺跡の間を、縫うように進むネリー。そこらに隠れていた小魚たちが散り散りになっていくが、気にも留めない。

相手があのドラゴンと比べられるくらいに大きいのだとしたら、それだけ水を引っかき回して泳ぐはずだ。水棲人の、流れを読むセンスにひっかかるくらいに。

ネリーの頭の横にある一対のヒレは、ひきつけるような流れを捉えていた。

「……ンゥ。クリエさんと、カンケーあるといいけど……!」

そこまではわからないので、行ってみるしかなかった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

探されているクリエ・リューアは、どこだかわからない場所で、鈍い痛みを身体じゅうに感じていた。

頭が重い。痛みを逆に頼りにして意識を保ち、目を開く。

すると、そこは真四角でない部屋の中だった。壁は焦げ茶色で、ランプが一つフックでかけてある。ネリーと住んでいる洞穴に戻されたかと思ったが、どうも違う。

視界がはっきりしてくると、壁は岩でなく、ガラクタや鉄板を組み合わせたものでできているとわかる。

辺りを見まわすが、どこにも出口らしきものはない。こうして生きていられる以上、空気はどこからか入ってきているのだろうけど。

「ウッ……!?」

ふと、部屋がぐらりと揺れた。重々しく音が響く。クリエは特に抵抗もできず、見えない力で壁まで転がされて、押し付けられる。

ここはいったい、なんなのだ。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「あ、あれは……っ!」

流れを追いかけて行ったネリー・イクタは、アトランドの外れ、遺跡もまばらになってきた地帯に出る。

そこで目の当たりにしたのは、巨大な怪物ではなく、例の渦であった。

対処の仕方はもうわかっている。建物の陰に隠れ、何が出てきてもいいようにするのだ。

渦の中心は、絶えず光と泡を発している。それは突然に、パッと大きくなったかと思うと、すぐ元の大きさに戻る。その際に、何か―――オルタナリアにあったもの―――を吐き出すのだ。ネリー自身、もう何度か見てきた光景だ。

けれど、飛び出したガラクタが、すり鉢に落とした玉のように渦をぐるぐる滑り落ちて、海底に消えて行くのを見た。沈んでいくにしては、いささか速すぎる……一方で、哀れな魚や海獣が出てきたら、いったんはガラクタと同じように引きずり込まれるのだが、その後猛烈な勢いで外に放り出されるのだ。

「…… なんか、いる……!?」

ネリーはまだ渦が止まないうちに、建物の陰から飛び出した。

尻尾を力いっぱい振るって勢いを付け、渦を振り切るように突き進む。目指すは、下。

「りゃッ―――!」

真っすぐは行かず、渦の周りからルートを探して降りていく。相手は吸い込む物を選んでいるし、正体がわからないのに突っ込むのは危険だ。

「このちょうしっ……!」

海底の傾斜に張り付くようにして、ネリーはどんどん深く潜る。

すぐ上を、大きな鉄板やら、木でできたテーブルやらがすっ飛んでいく。ぶつかれば、いくら丈夫なネリーでも無事では済まないだろう。

やがてネリーは、流されていたガラクタが海底で山になっているのを目の当たりにした。彼女からすれば、奇妙な光景だった。オルタナリアでは不法投棄は深刻でなかったから。

直後、ガラクタの山の中から何かが発射された。金属の柱だった。真っすぐ、ネリーを目がけて飛んでくる。

「っ!?」

ネリーの頭が追い付くよりも早く、それは来た。

「ごぶぇっ―――」

ドウッ! 柱はネリーの腹に命中し、その身を二つに曲げさせ、勢いのまま地面に叩きつける。

ネリーが意識を失うと、ガラクタの山は一瞬震え、地面に吸い込まれるように崩れ落ちて、うずもれてしまった。渦もやがて静まっていき、消えていく。

その最後の一瞬に送り出された小さなものに、気づく者はいなかった。

<その30>

「…… ……ふぅ……」

どこだかわからない、廃材でできた部屋。凸凹の強い壁にもたれかかり、ランプを見つめるクリエ・リューア。

彼女は窮地にあって、しかし平静を保っていたが、それは懐に抱えた水筒一本と、自身の気質のためであった。

元々、住んでいた村が駄目になった時に死んでいただろうと思っている身である。そんな心持ちであるから、命がなくなることがさほど怖くもないのだった。

ネリー・イクタのことは心残りといえるが、彼女は自分無しでも生きていくだろう。

「…… ……?」

ふと、がらくたの山の向こうから漏れ出てくる音が鼓膜を打ち、気を引いた。人らしきものの声が、聞こえてくるのだ。

いかに自分の生命を軽んじていても、何もしようとしないわけではないのが、クリエという女である。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

金床の角が、分厚い本を支えてできた隙間があった。

そこに、ヒトの手のひらほどの大きさの、羽根のついた小人の少女が横たわっていた。

「……ぅー…… ……。」

小人は目を開き、顔を上げる。

そこに光はないが、小人も生き物なので、自分の体の状態をわかるくらいのことはできた。痛みはあるが、手足も羽根も、ちぎれていないのを確かめて、とりあえずは安堵をする。

「どこさ、ここ…… ……」

頭をぶつけてもいいよう、静かに動く。

まずは身体を起こし、膝と右腕で支える。空いたほうの左腕は適当に動かして、鉄の滑らかな冷たさが、そこにあるとわかる。

今置かれている空間を把握しきるのに、さほど手間はかからなかった。

「……あぁ、まいったなあ!」

小人が声を出すのは、誰かに聞こえてくれればいいと思ってしまうからだが、それが徒労にならなかったのは、トタン板と歯車数枚ずつを隔てた先にクリエ・リューアがいたためである。

「……シー、ルゥ……、シールゥ、ノウィク……っ?」

いつものような出にくい声で、クリエはその名を呼んだ。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

魔力より生まれ出た命を、オルタナリアでは妖精や妖怪と呼んでいた。

オルタナリアは、世界そのものが魔力に満ちている。オルタナリアの生命体には、霊的臓器という物理的な形をもたない内臓があって、それが魔力を生み出すが、身体からあふれた分は外に漏れだして、世界の中に染みわたっていくのだ。そうした魔力は大規模な魔法を使うために消費されることもあるが、勝手になんらかの現象を起こしたり、あるいは生命体として形を為したりもするのだった。

そうして生まれた妖精の一人であるシールゥ・ノウィクは、ビーピル島、港町コルムのすぐ近くにある蛍樹の森に暮らしていた。

遊び相手になるようなニンゲンも滅多に来ない退屈な環境だったが、ある時地球から三人の少年がやってきたので、彼らと旅立つことになった。その後コルムでネリーも加わり、五人旅となる。

一方のクリエ・リューアは中央大陸のセントラス・カピタル近くで、この旅する子供たちに出会い、少しの手助けをして、そのまま運命の巻き添えを食わされることになった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「そういうあんたって、クリエ・リューア!」

声を返す相手がいることが、二人を元気づけていた。

「ン……。君……も、ひょっと、して……渦に……?」

「クリエさんもか、やっぱし!

もう、ひどいんだ……海に近づかなければいいんだって思ってたら、渦が空まで出て、竜巻になったんだよ。ボクはそれに巻き込まれて、気がついたら……」

クリエは見えるはずもないのに、うつむいてみせた。

もはや想像を超えて事態が悪化している……とはいえ、ここで悩んでいても、何にもならない。

「……とりあえず、ここ、から……出なきゃ。わたし、の……方は……ドア……とか、何にも、なくって……」

「こっちなんか、ガラクタの中さ。何とかそっちに行ってみるんで、離れてて!」

はねっ返りで怪我をしないよう、シールゥは気持ち悪さを抑えて金床に背を押し付け、右手の人差し指から光る弾丸を発射した。一発でトタンに穴が開き、二発目でクリエ側にいくらかの破片が噴出する。

この場所の構造を想像していたクリエは、下手をすれば崩落が起こるんじゃないかと、静かに震えた。そうはならなかったが。

「……っと、こんにちは」

「……ン。こんに、ちは」

穴から這い出てきた小妖精に、クリエは両手で器を作って、優しくすくい上げてやった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

一方、射出された金属にやられ、失神していたネリー・イクタが目を覚ましていた。

「……ンゥ…… ……?」

あのガレキの山が、きれいさっぱり消えて、後には穴が残っている。

あれが生きていて、渦から出るものを吸い込んでいたと思うのは尤もらしい。クリエを行方不明にしたのもそうなのか、と言われれば確信はなかったが、どのみち放っておけるものではなかった。

やつは地面に潜っていったらしい。

「……あきらめない、ぞっ……!」

ネリーは尾を曲げて水を強く押し、グオッと勢いよく前進して、穴の中へと飛び込む。

作られたトンネルの中にはガレキが残っていて、時に行く手をふさぐが、自慢の馬鹿力で強引にどかして進んでいく。そんなネリーは、さながら生けるドリルというべきありさまであった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「仕事中にとは、災難だったね」

シールゥはクリエのこれまで―――オルタナリアで渦にのまれ、テリメインに来てからの暮らし、そしてこの場所に来るまで―――を聞いていた。

「……ン。だから……たぶん、ここは……ぶつかって、きた、奴に…… 連れて、こられた、場所……じゃ、ないなら……腹の中、て、とこ、か……?」

腹の中だったとしても、相手は無機物であるから消化の心配はない。

「どっちにしたってロクでもないよ。出なくっちゃ。どっか、スキマを見つけて……」

「……それ、なら……海の、中に、出るのは……止した方が……君……まだ、スキル、ストーン……ない、し……行くんなら、君が、いた方で、探して、みて」

「オッケ。そこのランプで、後ろから照らしてちょうだい」

クリエは言われるがまま、壁にひっかかっていたランプをシールゥのいた穴の近くまで持っていく。

中の金床は黄色い光を映し、その傍らの本のタイトルも見える。オルタナリアの言語があった。

空間を構成しているガラクタの大きさはまばらで、シールゥの体躯ならば、潜り込んでいけそうに見えた。その先に何があるという保証はないが。

「行ってくるね」

危険であっても、とる道は一つしかなかった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

ネリー・イクタもトンネルを潜り抜けている最中である。

「あいつ、どこまでいったのかなあ……」

自分の体力に全く問題はないのだが、もしクリエを連れ帰ることになったとすると、あまり遠くまで行かれていては事だった。未知の海域の魔物は強いから、彼女を守り抜いて戦えるかどうかはわからない。

幸いにして、その後すぐにトンネルは上に向き、そのまま開けたところに出ることができた。

「……ここは……」

目につくランドマークはない。極端な水温ではないから、レッドバロンやサンセットオーシャン、シルバームーンではないのだろう。

ここからは、流れを追いかける。ネリーの感覚は、この辺りの水が引っかき回されたのをわかっていた。

やがて、遠くにいびつな形の山を見つけたネリーは、思い切り地面の近くに寄って泳ぎ続ける。また、先手を打たれるのを避けるためだ。

「…… ……!!」

静かに移動する山にある程度接近をしたところで、ネリーは大きく身体を曲げ、ドッと押し出した。その勢いと、腕っぷしと気合とを、全て合成した力でもって、ハンマーを叩きつける。

ガァーン! ネリーの一撃で、木板の集合体のようなものがバラバラになって飛散する。

だけどこれだって、ガレキの化け物がまとっているもののほんの一部に過ぎない。こいつには中心部が存在するはずだ。

ドドドッ! 怪物はものを撃ち出して反撃した。大きな釘や金属柱、さらには剣など、当たれば致命打になりかねないものも混じっている。

「うゃあっ!」

ネリーは身体をひねり、素早く地面近くに沈み込んで攻撃をかわす。

ドームの形をした怪物は、その表面と垂直な方向にしか得物を発射できないようで、一番下に来てしまえば、あとは左右に避けることを考えればよかった。

しばらく守りに徹し、怪物のスキを見出してからネリーは接近する。

「かんじゃえっ、ハンマーっ!!」

ネリーがぐ、と柄を掴むと、ハンマーに使われているシャコガイのあぎとが開いた。それで、近くに見えた大きな石柱に噛みつく。

「りゃぁああああああっッッ!!」

ネリーは膂力の限りを尽くして、石柱を引き抜いた。空いた穴の中に、海水が流れ込んでいく。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

シールゥはようやくトンネルを抜けた所だった。なにしろ道がないのだから、ネリー以上の苦難である。

そこで彼女が見たのは、興奮した様子で何かを動かしている老人一人と、自分たちがいたのよりはるかに整った部屋だった。

(あ、あれ……ドクター・アッチじゃん!?)

かつていた世界で、あの老人は敵だった。シールゥはトンネルの出口脇に身をひそめる。

「ぐぅぬぬぬぬぅ! おのれネリー・イクタ!! こっちに来てまでボクちゃんを邪魔する気かッ!」

鼻や耳の穴から煙でも吹き出しそうな勢いで、何かの機械をいじくり回すアッチ。

(ネリーが助けにきてるの? それで、ここまでのって全部アッチの仕業?)

ネリー・イクタが強いことはシールゥはよく知っていたから、それは朗報といえた。

アッチの傍らには、棘を触手に置き換え、それらをぐねぐね動かしているウニのようなものがあった。大きさは、彼の二倍ほどだ。

ビィーッ! ウニもどきが、生理的に危機感を感じさせるような電子音を発した。

「ろ、漏水してるッチかッ! ここじゃあ補充もできんッチのに……! ええいこうなったら!!」

アッチはウニの触手を数本つかむと、自分の頭に押し当てて、叫びだした。

「ヒョァア゛―――!! ヒョッ、ヒョァアアアアア゛ァ゛ア゛―――!!」

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

ガレキの怪物が一度、脈動したかと思うと、唐突にネリー目がけてワイヤーを撃ち出した。

「アッ!?」

飛びのくが、避けきれない。右脚にワイヤーはクルリと絡みつき、そこに電流が流れた。

「ぎぁぁぁぁああぁああぁああぁああッ!?」

悶え苦しむネリー。

そこにもう一本のワイヤーが、鋭い刃を携え、高速で迫っていた。