Stroll Green日記

7~12

<その7>

どれだけの時が経ったでしょうか。

頬に冷たいものを感じて、シールゥは目を覚まします。

いつの間にか夜になってしまったようです。

身体を起こして辺りを見回すと、まばゆく輝く街灯と、赤い屋根の建物。それから何組かの白いテーブルと椅子。腰掛けている人は一人もいません。


ポツ、ポツ。

しずくがシールゥの身体を強かに打ちました。雨です。


シールゥは建物の軒下、真っ暗な窓のへりに腰掛けました。


「あの時のレストランか、ここ……」

今朝……もしかしたら昨日か一昨日のことかもわかりませんが、シールゥはあのテーブルの上で食事をしていました。

あの後小鳥が慌ててやってきて、追いかけた先で―――

「―――プレシャ……」

シールゥは何があったのかを思い出してきました。

ゴブリンの親玉にプレシャの所へ連れてこられて……あの最後に巻き起こった風が、きっと自分をここまで飛ばしてきたのでしょう。


ザアアア……ッ。

雨はどんどん強くなっていきました。

小さなシールゥは雨の中を飛んではいけません。人間なら大したことない雨でも、彼女にとっては滝に打たれ続けるようなものです。


何もできないシールゥに風は冷たく当たります。

鳥肌をたたせ、体の中を染み渡る、寒さ……シールゥは自分自身の身体を抱え込むようになって、窓のへりに横たわりましたが、そこもまた冷たさに満ちていました。


「……ウゥ……寒い……寒いよ。プレシャ……」

どんどん力が抜けていくようです。

もしか、このまま二度と起き上がれないんじゃないのか―――


「―――プレシャがどうしたって?」

「えっ!?」

どこからか子供のような声がして、シールゥはぐっと体を起こします。

「ね、ねえ、どこの誰なの! ねえっ!」

きょろきょろ見回しますが声の主は見当たりません。

シールゥは立ち上がりました。雨足はますます強まり、遠くで雷も鳴っているようです。こんな中で一体誰が話しかけてきているのでしょう?

「―――大事なものなくしたって、顔してるね」

またどこからか声がしました。

「なんなの……ボクの、ボクらの何がわかるっていうんだ! 出てきもしないで!」

シールゥは立って叫びました。

「―――わかるとも。僕も覚えはあるから。だけど出会いと別れはひとつなぎ。別なものだって探せるさ」

「だ、だからって……!」

「―――そもそもほんとに大事なの。そう思ってるだけじゃない?」

シールゥはそれ以上返事ができませんでした。


「―――キミはプレシャの何を知ってるっていうんだい?」

その声は冷たい風と一緒に、シールゥの胸の中に飛び込んできました。


―――そのとおりだ。ボクはプレシャの何を知ってるわけでもない。

だけど……

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

あの、町に行った日……

レイウッドと別れたシールゥは、知り合いのコーヴァさんのレストランにやってきました。


「こんにちは。浮かない顔してるな、シールゥ」

カウンターにちょこんと座ったシールゥに、コーヴァが声をかけました。

レイウッドに比べてまだ若い彼はがっしりとした体つきをしていて、料理の材料とか酒樽とかを運ぶのに役立てています。けれど今手にしているのはソースなどを入れるための小さなお皿。盛られているのはナッツ入りのクッキーです。

シールゥはコーヴァの手に飛び乗りました。まるで馬のお尻みたいに分厚い手のひらです。

「元気出せよ。レイウッドさんがしくじったことなんて、これまでなかったろう?」

クッキーを手にとったシールゥを、コーヴァは空いている左手の指でゆっくりとひと撫でしました。


けれど、太陽が昇りきり、傾いて、辺りが薄暗くなってきても、レイウッドは帰ってきませんでした。


ぽつ、ぽつと街灯が灯っていく町並みを、シールゥは窓越しに見つめています。

この灯りは魔法の灯りです。町の中に何箇所かある祈りの堂で、魔法使いたちが瞑想をし、力を町の中に行き渡らせて灯りにしているのです……オルタナリアの魔法はひとり歩きをすることができません。力を発揮し続けるためには、心を持ったものが絶えず願い続けなくてはならないのです。

……ですが、その灯りが突然、消えてしまいました。

「ウン? 暗いぞ―――」

お客さんの誰かがそう言った時……

ドゥーンッ! シールゥは揺さぶられ、倒れ込んでしまいました。痛くはありませんでしたが、真っ暗で何もわかりません。

心臓の音が八回、九回と感じられた時、また次の揺れが来ました。

「マモノだッ! マモノがぁ!」

店の外から叫びが聞こえてきました―――それがシールゥを起こし、再び空に飛び上がらせさえしました。

レイウッドが、まさか。

レストランを出たシールゥは、まっすぐあの路地裏を目指します。

しかし、あまりにも辺りは暗くなっていました……空はまだ赤いのに、まるで真夜中のように道が見えません。

「あっちからだ! 逃げろォ!」

そんな暗闇の中を人々が駆けてきます。

「ワァ!」

「いっつ!」

「んがっ、踏むな、ぎゃあっ」

ワア、ワア、ダダダダッ……

勢いに怯えたシールゥは、高く飛び上がろうとしました。

が……駄目でした。なんだか足元の暗闇が、空飛ぶ力を吸い取っているようです。ここにももうマモノがいるのでしょうか。

「どけ、どけ!」

「馬鹿野郎!」

「足引っ張りやがってェ」

「来るなァ、来るなァ」

見えない、大きな恐ろしいものが迫っている―――

そんな感じがしたときには……ドォン! シールゥは強く弾き飛ばされ、なにか柔らかいものの上に落ちました。持ち主は走っているようです。町の外へと……レイウッドのことなど、知らないまま。


シールゥは、とうとうゴーグルに手をかけました。

今こそ、そうすべき時。このままじゃ大切なレイウッドがいなくなってしまう。


ゴーグルが額から離れた瞬間、シールゥの髪の毛の長い束の一本が、光りだしました。

瞬間、見える景色が、聞こえる音が、炎のように燃え上がり―――


シールゥは、その後しばらくのことを覚えていません。

けれど、今に至るまで、レイウッドがどうなったかを知らないのです。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「……ボクは、プレシャのことは知らないさ。会ったばかりだからね。だけど……」

湿った冷たい空気が、そっと喉元を包むようです。

シールゥは力を込めました。心臓の奥から、出る力を。

「ここで諦めたら、ずっと知らないままだ……! それに、もうごめんなんだよ! 別れて、それっきりだなんて!!」

シールゥは、気がつくと、温まっていました。

ふと、降りしきる雨の中に、白く漂うものが現れます。

霧というにはちょっと小さすぎるそれは、ひょろ長いパンの生地みたいな形に変わったかと思うと、上下の端っこからつぼみのようなものが一組ずつ生えてきます。

もやもやとした辺縁は、いつの間にか気流になびく毛に。突き出してくる、短く尖った頭、暗いサファイアの瞳……

シールゥの目の前に、一体のカマイタチが姿を現しました―――首元に、フウガの花を巻きつけています。

<その8>

「いっしょに来て。そんなに知りたいなら、教えてあげる」

フウガの花のカマイタチはそう言って、いきなりシールゥを抱きあげました。

「わっ……!?」

シールゥは、まるでやんわりとした空気が膜になって包みこまれているように感じました。雨粒もこれなら大したことはありません。

ふたりは飛びたち、夜の闇の中を駆け抜けていきました。

はじまりの場所を遠く離れ、川を超えて―――その後は暗すぎてよくわかりませんが―――いつしか、キラキラしたものがそこら中に見えてきました。ほしふる洞窟に入ったようです。

「こっちだよ」

このまままっすぐ進めば出口、というところでカマイタチはくるりと急カーブをしました。

その先は狭い脇道です。あまりにも狭すぎて、人間がまともに入っていけるところではありません……シールゥとカマイタチには全く問題ありませんが。


やがて、ふと外の空気が流れ込んできて、シールゥはとっさに灯りの魔法を使いました。

放たれた光が照らしたのは……雨ごしに煌めく、へし折れた木の板とか、石材とかの山でした。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

シールゥとカマイタチは、そのまま木の板の隙間を縫って飛んでいきます。

暗くて危ないので魔法で灯りをともして進んでいきます。地面よりも更に低く、潜り込んでいくように……ふたりは瓦礫の中に隠れていた石造りの階段を下り、短いトンネルを通り抜けて、開けた部屋に出ました。

中には、右手には本棚が並び、左手の壁には長机、そして正面の壁には本やら薬の瓶やそれを支える棚やらがごちゃごちゃ積み上げられたひときわ大きな机がありました。

どこかレイウッドの地下室に似ている、とシールゥには思えました。

「ここに住んでたの、学者さん?」

きょろきょろしながら問いかけるシールゥに、

「……これを読むんだ。君が知りたいことが書いてある」

カマイタチは白い風から獣の姿に戻っていて、その前脚で正面の机に置かれていた本を指していました。


本のそばに降り立ったシールゥはかがみこみ、両腕で表紙を押し上げ、一気に開きます。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

**月**日

今日、私は妻と娘とともにストロールグリーンに到着した。

娘の病を治せるものは、もはやこの島に生える神秘の花々をおいて他にあるまい。

なんとしても娘を救ってみせる。


**月**日

ここに来てまずひとつよかったと思うのは、娘とともに過ごす時間が増えたことだろうか。

治療のためとはいえ、私は娘に寂しい思いをさせてきてしまった。

この家も雲の海がよく見える場所を選んで建てることができた―――妻も娘もソラニワの雲の海を見るのが大好きだ。


**月**日

家の近くの山道で、植物の魔物を見かけた。

通りすがりの人に聞くとあれはランドラと言い、ストロールグリーンの花の一つであるという。

この島には動物のように生きている花もあるというのか。


**月**日

娘の病状が思わしくなくなってきた。もう数日ほど前から外に出ることもなくなっている。

島にあるほぼ全ての花を手に入れてはみたが、娘を治せる力を持ったものはなかった。

妻は励ましてくれるが、焦りが募るばかりだ……あきらめてなるものか。


**月**日

この島の花は、形なきものも含め、あらゆるものに働きかけてその性質を変化させるという。

だとしたら、例えば生き物の魂のようなものにも、作用しうるのではないか?

そして、形なきものに形を与えることも。あるいは「移し替える」ことも……


検証に移る。


**月**日

倒れた。娘ではなく私がだ。

妻が言うには私は三日ほども寝ずに働き続けていて、止めようにも止められるような様子ではなかったという。

私自身、行った作業とその結果以外のことをほとんど覚えていないくらいだ。


心配そうに見つめてくる娘のひざには、フウガの花をつけたカマイタチが一匹、おとなしくしている。


実験は成功した。

次のステップに進む。花を介して産み出した『生命』に、他者の魂を移し替えるのだ。


**月**日

娘はすでに起き上がることすらままならなくなりつついる。もう時間がない。


あれから、妻にも黙って魔物を捕獲し実験台にしてきたが、今の所成功例はゼロだ。


この島にたむろする魔物の中には人間くらいに賢く、言葉を話せるものもいる。

今日は徒党を組んで襲いかかってきた。私を憎んでいるのだろう。花の力で作った爆弾でまとめて吹き飛ばしたが、こんなことをいつまでも続けてはいられない。

島の人間の中にも、私を不審に思っているらしいものが現れつつある。


……どんなにつらいことがあっても構うものか。

私のかわいい、大切な娘。お前を私より先に死なせなんかしない。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「何、これ……」

シールゥはページの上でへたりこみ、ふるふると震えていました。

「知って、満足したかい?」

シールゥの隣で、カマイタチは目を伏せてうつむいています。

「この日記が書かれたのはもうずっと昔……この島がまだにぎやかだった頃だ。僕は産まれた頃のことはよく覚えていないけど、長く生きてるうちに文字も学んで、この場所を、この日記を見つけてしまったのさ」

「そんなこと聞きたいンじゃない!」

シールゥの声は、裏返っていました。

「こんなの、プレシャは素振りも見せちゃいなかった! この日記だって! 娘娘って、それだけで! プレシャのプの字だっ……て……」

シールゥはのどが上手く動かないことに気づきました。

そればかりか、腕も、脚も自由が効きません。なにか見えないものに縛られているかのように。

「僕にも一つ教えてほしい。君は、プレシャと何をした? あの子は今どこにいる? 僕はずっと探してきたんだ」

睨みつけてくるカマイタチの目の奥で、絶えず青白い風が駆け巡っています。彼のつけたフウガの花も、台風の中にあるかのように踊り狂っていました。

締め上げられたシールゥの身体が、高く掲げられていきます……それでも、彼女は空気を力強く取り込んで、叫びました。

「……大変、なんだよ……プレシャは!」

その一言に、ふと拘束が緩みます。すかさずシールゥは言葉を続けました。

「魔物も花もひとりじめしようっていう悪いゴブリンにさらわれて……プレシャだって奴隷にされてるかもしれないんだ! 今はどこにいるかもわかんないけど、見つけなきゃ!」

カマイタチのフウガの花が、ゆっくりと動きを止めていきます。

シールゥはひざからゆっくりと、どこも痛めることなく地面に降り立ちました。


その時……ズゥッ、ズズーン!

部屋が大きく揺れ、土埃がそこら中に降ってきました。


「地震……!?」

「逃げよう。ここ、古いから!」

シールゥとカマイタチは、すぐさま来た道を引き返し、外へと飛び出していきました。

<その9>

残骸の山から抜け出したふたりは、空に―――星も月も隠れてしまっているはずの空を、見上げました。

「に、虹……!?」

「なんで、なんでっ!?」

光り輝く虹の塔が地面から立ち上っていました。分厚く広がっている雲さえも貫き、ドーナツみたいな穴を開けている……

もちろん、よく見ればそれは虹などではありませんでした。

それは、いくつもの絵の具が黒いキャンパスの上に適当にばらまかれたかのような―――それは、このソラニワに咲く花、ビギナやカレムやコスモといったものが全部つぎはぎに組み合わさって、一つの形をなしているらしいものでした。

「ね、ねえ! ここ、ソラニワ……だよね!?」

シールゥは叫びながらもあたりを見回しました。

ここに入ってくるときに使った、洞窟の裏道……中では来た時と変わらず、結晶たちが星のようにきらめいています。

それで改めて空を見上げると、あの虹色の花の塔はやはりそこにありました……しかし、表面が、ふぞろいに波打っているようです。

何かが、中でうごめいている―――


―――ヒィイイイィィィイイィインッ!!


空気を引き裂くような叫びとともに、それは姿を表しました。

塔の外側がバナナの皮みたいにめくれて、中から濃い紫色の塊が溢れ出たのです。その表面には赤く光る筋が走り、生き物の内臓のようでした。

塊は空中でメコメコと腫れ上がり、震えて、破裂しそうになって……


―――ガアァアァアオォオオオォン!!


それは、怒鳴り声のようなものでした。

轟音が、風圧が、そのどちらともつかないものが、シールゥの周りを駆け抜けたかと思うと……

「かぁッ―――」

何が起きたのか、にわかにはわかりませんでした……目の前は真っ白になり、耳もやくたたずになって、その次に……体の中にあるすべてが悲鳴を上げて、シールゥに訴えかけました。

痛い。まだ生きている。ここから逃げなくては、と。

それでもなお、動くことなどできずにいると、

「……ッ! 駄目だ、逃げろッ!!」

花のカマイタチ―――もちろん彼も地面に転がされていたようです―――が叫びました。

それとともに、すくい上げるような風が巻き起こって二人を運び、洞窟の中へと押し込んでいきました。

そのすぐ後に……ドゥッ! ドドドッ!!

小さな流星のようなものが雨になってさっきまで二人がいたあたりをまんべんなく叩きつけ、土や草がはぜ飛んでいくのが見えました。

「しっかりしろ! 起きろよ!」

花のカマイタチは、今にも息が止まってしまいそうなシールゥを、ふわふわの毛で覆われた身体で抱えています。

シールゥの息はゆっくりと整っていき、

「……ぁ、あり、がと……?」

なんとか、お礼を言うことができました―――それは、ひとつ幸いだったのかもしれません。

次の瞬間にはもう……パキ、ドォッ!! あの地面に落ちたものたちから、やはり濃い紫のミミズのような、根っこのようなものが幾筋も吹き出し、そこら中をのたくりまわりながら拡がっていきました。

洞窟の中にだって入りこみ、もう二人の目の前にまで迫ってきています!

「あぁもう!!」

花のカマイタチは甲高い声を上げると、シールゥを抱いたまま風を駆り、洞穴の奥へと流れていきました。

出口に続く道の方からも、すでにあの紫の何かが入り込んできていました……花のカマイタチは、あの流れ星がそこら中に降り注いだのを見たのです。だとしたら、もうソラニワに安全な場所などないのかもしれません。

カマイタチはありったけの風を後ろから呼び寄せ、自分たちの脚のあたりから突き上げるように吹かせました。

二人は前に向かって急加速します。まるで津波のようにも見える紫の根の群れが、勢いよく迫ってきます。

吹いた風はもう止めようがありません。二人はムササビのように腕を広げ、お腹を反らし、ふんばりました……

やがて、洞穴の外へと飛び出せば、風が散らばって二人は失速します。

「あぁっとぉ!」

シールゥは目をぱちこんと開いてバタバタ羽ばたきました。

幸い、大地を埋め尽くす紫の根の上に落ちるより早く、カマイタチが別な風を呼び寄せてくれました。上昇気流に乗った二人は、ワルツを踊るようにくるくると回ると……パッと手を離してしまいます。カマイタチの方からでした。

「さあ、君はさっさと逃げるんだ!」

と、一声叫んだだけで、カマイタチはあの恐ろしい花の塔へ向かって一直線に飛んでいきます。

放り出されたシールゥが追いかけないわけはありませんでした。

「待ってよ! ボクを置いてくのかい!?」

風の力を使えるのはカマイタチだけではありませんでした。シールゥだって、自然に働きかける魔法は持っていたのです……それと、気合も。必死に羽ばたいて追いすがりました。

「なんでついてくる!? どっかよそへ逃げればいいってだけだ! あんなバケモノだが、もとは島の花なんだろう!」

このソラニワの不思議な花たちは、島の外へ持ち出してしまえば力を失ってしまうのです。

「ほうっとけないよ!」

「君のせいでもないってのにかい!?」

「じゃあ、あれが出てきたのはカマイタチさんのせいなの!?」

シールゥの応えに、カマイタチはみけんにしわを寄せて、

「……教えない!」

バォン! またぐらのあたりで空気をさく裂させ、白い霧のようなものさえも巻き起こしました。その中で、シールゥにはカマイタチが見えなくなってしまいました。

「あぁん、わからず屋ーっ!!」

シールゥはとにかく、あの花の塔の方向へ飛んでいくことにしました。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

空からみた地上は、赤い筋がゆらめく海のようでした。

あの流星のようなものがひっきりなしに降り注ぎ、ソラニワの大地に紫の根っこをはびこらせていたのです。

このあたりはまだ夜には人が来ない場所ですが、魔物たちはあちこちにいて、根から逃げ惑っているようでした。間に合わなければ絡め取られて……闇の中では、その後どうなるかまでは見ることができませんでした。

このままはじまりの場所にまで根が伸びて、島に滞在する人々までもが同じ目にあうのは時間の問題です。

シールゥは光を撒き散らし、流星をかわしながら、ぐんぐん花の塔に近づいていきます。ヒトの十分の一ほどの背たけしかない彼女が、ヒトの何百倍もありそうな花の塔を倒せるとしたら、内側から一番の急所を狙うほかありません。

近づくにつれて流星は減ってきましたが、今度は巨大な花びらや葉っぱが降ってくるようになります。自分の上に影を感じたら、すぐさま逃げなくてはなりません。

特に―――ビュルンッ!! 鋭く回転しながら降ってくるジオグラスの葉は、ザックリと地面につきさされば、枝葉を木ごとぶった切ってまき上げてみせたのです。

「ひゃあ、あんなのかすりでもしたら―――」

思わず冷や汗をたらすシールゥでしたが、その時には本当に恐れなくてはいけないものが上から迫ってきていました。

ふと見上げると、悠々と落っこちてくる、トゲの玉―――巨大なマジャの花です!

「きゃあ!!」

叫んだくらいでいなくなってくれるようなものではありません。

シールゥは背面飛行に入り、すぐさま念じて、目の前の空気を弾丸にして撃ち出します! パァン、パァン!!

止めることなんてできるわけがありませんが、それでも端っこを狙えば少しはずれてくれるはずです。折れそうなくらいに背中を曲げて斜め下へと飛びながら、撃ちまくるしかないのです。

花の塔の輝きに照らされる空が、どんどん隠れていきます。

プレッシャーが、シールゥに覆いかぶさってきました……もしか、あのトゲがもう自分の体をかすめ、次の瞬間には串刺しになっているのではないかと、錯覚をするほどに。


―――が、その時でした。二つの力がシールゥの下へと駆けつけたのです。


一つは、包み込むもの。シールゥの身体を、布のようなものが包んで、翅と風だけでは進みようのなかった方向へとさらっていきました。

もう一つは、切り裂くもの。大きな風の刃が駆け抜けて、今にもシールゥの身体を傷つけてしまいそうだったトゲを根本からへし折っていきました。


抱かれたまま、叩き落されるように、斜め下へ……シールゥは頭に血が上り、めまいを感じるほどです。

そんな中でも彼女は空を見ました。あの巨大なマジャの花が、ほとんど目の前で地面に落ちて……ズゥーン! はげしく土煙を上げ、木をへし折って小さく跳ね、転がっていました。

「怪我はないか!?」

聞き覚えのある声が、すぐそばから聞こえてきました。顔を上げれば、布切れの中に目が見えます。

「ぁ……ご、ゴーストさん!?」

自分とプレシャがゴブリンたちに襲われたとき、かばってくれた人でした。

「ボクは平気だよ! だけど、カマイタチさんもいるんだ! 助けてあげなきゃ……」

シールゥはもうひとつ救いの手が伸びていたのにきちんと気づいていました。

しかし、それを聞いたゴーストは、あまり明るい顔はしませんでした。

「そのカマイタチ、フウガの花をつけていなかったか?」

「うん、そうだけど……」

そう答えると、ゴーストの抱く力が急に弱くなりました。シールゥは慌てて羽ばたき、空中に躍り出ます。

「……プレシャのことを、彼から聞いていないか?」

ゴーストの、どこか沈んだ声です―――急に放り出すなんて、という文句が、シールゥの頭からふしぎと吹き飛んでしまいました。

このゴーストさんは、あのカマイタチさんを知っている。あの日記に書かれていた娘さんがプレシャなんだってことも、もう認めなくちゃいけない。

だけど、じゃあ、このゴーストさんはいったい……?

そこへ……ゴォゥ!!

慌てふためいた風に乗って、花のカマイタチが割り込んできました。

カマイタチさん、無事だったの!? シールゥがそう叫ぶより先に、

「……先生。とうとう会っちゃったね。こんなふうにさ」

そう言って、カマイタチはゴーストを見ました。なんだか、にらみつけるような目つきです。

ゴーストが返事をする前に一瞬目をそらしたのを、シールゥは見逃しませんでした。

「……これは、島全体の危機だ。今はそのことだけ考えよう」

「なんだと……?」

つぶやくように言ったゴーストに、カマイタチはさらに鋭い目を向けましたが、

「私もそうしよう」

その一言に、カマイタチはほんの少しの間考え込んで、

「……ああ、わかったよ」

と、前を向いたのでした。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

花の塔にはそれ以上近づけそうもありませんでしたが、三人は根本近くに洞穴を見つけ、その中に入っていきました。

先導をしているのはゴーストです。その後ろにシールゥ、カマイタチと続いています。

洞穴の中は、シールゥにとってどこか見覚えがありました。ぐちゃぐちゃに荒れ果てていますが、アリの巣のような構造が残っていたのです。

「ここ、あのゴブリンの根城だよ。プレシャとボクを捕まえたやつだ。この奥に花畑があって、プレシャはそこにいた」

ゴーストもカマイタチも、花畑、というところに反応したようでした。

「……なるほどな。先を急ぐぞ」

「そうだね……プレシャ、かわいそうに」


三人は、あの花畑があった場所を目指して飛んでいきました。

<その10>

あの、いくつもの花たちが寄り集まっていた吹き抜けの部屋……そこは今や、巨大な紫の根っこが伸びて、溢れかえらんばかりの有様でした。当然天井も埋めつくされてしまっているのですが、真っ暗にならないのは根っこが妖しく輝いているからでした。

ひと目見たところではどうにもなりそうもありませんでしたが、

「よし、穴を開けてやる。悪いけど、反撃はなんとかしてよ!」

と、言うが早いか、カマイタチは風をまとってコマのように回りはじめます。それから……ズォーッ!! 根っこの一本に突っ込んでいきました。ぐるぐる回る風が刃に変わって、根っこの表面にどんどん深く切り込んでいきます。

案の定、根っこの光がひときわ大きくなって、その場に恐ろしい魔力が満ち満ちていくのをシールゥとゴーストは感じました。空中の何もないようなところから、ジオグラス、レフロス、コプラと、危険な力を持った花が咲いてきます……

「撃ち落とせ!!」

叫んだゴーストはもう両手を広げ、攻撃の力で紫に輝いていました。

シールゥも頭の中で魔法の印を結びながら、くるりと背面飛行を始めます。

「ボクは上をやる! はァッ!!」

ビシューッ! 二本、四本、六本! 光の矢が両手から放たれて花たちを貫き、散らしていきました。

ゴーストは地面近くに咲いた花へと、ボォーッ!! 紫色の炎をぶちまけて、焼き払っていきます。

しかし、花は次から次へと、際限なく現れてきました……

「ンッ!?」

シールゥは突然、姿勢を崩してしまいました。とっさに羽ばたくと、急に勢いがついて、くるくる回ってしまいます。

「ワ、ワァアッ!?」

ぐるぐるぐるぐる回っていると、やんわりとした赤色の花が見えました。コスモの花です。あの花にはたしか、重力を操る力があったはず……

「しっかりしろ!!」

ゴーストが、シールゥの元へ飛ぼうとした時……ブワーッ!! クライトの重い羽箒のような花が降ってきて、行く手をさえぎりました。

さらに、バシュ、バシュッ! 下から放たれた種がゴーストの薄っぺらな身体を貫き、大きくのけぞらせてしまいました。レスプの花の攻撃です!

しかしカマイタチは、二人のピンチには何もせず、根を切り刻み続けていました。

繰り返し振るわれた風の刃が、ついに分厚い表皮を突き破った、その時でした―――


―――パァアアァアー……ンッ!!


「なッ……!?」

裂け目から、白く、にわかに虹色の、輝くもやが吹き出しました。

カマイタチは目を見開き、その中に包まれていくしかありませんでした……力を失い、ゆっくりと落ちていくところだったゴーストも。


空で溺れていたシールゥは、しかしただ一人、何が起こっているのか気づいていました。

「あ、あれ……前に……!?」


シールゥは臆することなく、もやの中に飛び込んでいきました。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

―――風の音。

―――いくつもの香り。

―――花の咲く庭。


―――今度は、全てがはっきりとわかる。


目を開いたシールゥは、庭の先に小屋が一つ建っているのを見つけました。煙突からは煙が吹き出していて、だれか暮らしているようです。

飛んでいって、とりあえず窓辺に立ってみようとすると……

「アレッ!」

足が、へりをすり抜けてしまいました。

その拍子に頭を窓に突っ込んで、中が見えました―――エプロンをした、赤くて長い髪の女の人がなにか煮込んでいるようで、ふんわりとハーブの匂いがしてきます。

ほどなくして、女の人はできあがったスープを器に盛ると、左手のリビングへ歩いていきました。四人がけくらいの丸いテーブルがあって、もう野菜や卵を挟んだサンドイッチだとか、つやつやしたソーセージだとかが並んでいました。

シールゥは思わずよだれを垂らしてしまいましたが、どこにも落ちませんでした。

「ふわーぁ……」

誰かがあくびをしながら、別なところから部屋に入ってきます。

車椅子に乗った、桃色の髪の女の子でした。その後ろからは小さな生き物が宙に浮いてついてきています―――フウガの花をつけたカマイタチです。シールゥが知っている彼に比べると、いくぶん毛並みがふんわりしていますが。

「あら、おはよう、プレシャにカマちゃん」

「おはよう、お母さん。お父さんは?」

「さっき呼んだのだけど……あなたァー?」

女の人―――プレシャのお母さんが来た側のさらに先から足音がして、ぶしょうひげを生やした茶色の髪の男の人が入ってきました。

「はい来ました、来ましたよっ」

「もう、お父さんったら! 食事のときは出てくる約束でしょ! また倒れちゃったりしたら、承知しないんだから!」

「あぁ……悪い悪い」

三人と―――カマイタチもプレシャの隣で、お皿にご飯を盛ってもらって、

「いただきまーす!」

と、食べ始めました。


「最近、だいぶよく食べるようになったわね、プレシャ。カマちゃんがうちに来たころからかしら……」

「うんっ。からだの調子も、前よりは良くなってきたの。カマちゃんと……お父さんの研究のおかげだわ!」

愛娘のかわいい笑顔に、プレシャのお父さんは口元だけゆるめてふふっと微笑みます。

「お母さん、お父さん、食べ終わったらまたカマちゃんと遊びに行ってもいい?」

「あぁ、いいとも。でも、家が見えるところから遠くへは行くんじゃないぞ」

「うーん……しょうがないか。きっと、病気が治ったらもっと色んなところに行けるもんね」

プレシャは食べかけのパンを口に詰め込み、スープで流し込みました。シールゥはそんなプレシャの前に出て、手を振ったり、おおいと声をかけたりしてみましたが、全く気づいてもらえませんでした。

リビングの窓辺の鉢植えの中、マリアルの花が朝日を浴びてきらめいていました。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

ごちそうさまを言ったプレシャは、歯磨きと顔を洗うのだけすませると、さっそくカマイタチと一緒に家の外へ出ていきました。もちろん、シールゥも追いかけています。

「今日もいい天気だね、カマちゃん!」

プレシャがゆっくり車椅子を走らせている間、カマイタチは彼女のまわりを何周もぐるぐる回っています。そのせいなのか、気持ちよい風が起こって、プレシャの髪をなでているようでした。

ですが、しばらくお散歩していると、カマイタチは急に動きを止めました。

「どうしたの、カマちゃん?」

プレシャが声をかけてもカマイタチは振り向きません。どこか、一点を見つめているようです。

シールゥが先にそこへ飛んでいってみると、オコジョ―――ふさふさして、白くて長い身体を持ち、癒やしの術を得意とする魔物です―――が一匹、草むらの中から出てきました。

「魔物だわ。でも、なんだかカマちゃんに似てるかも」

プレシャは車椅子をオコジョの方に向けて、

「ねえ、あなたどうしたの? もしかして、カマちゃんの知り合……」


そこまで言って、プレシャは言葉を止めました。


……どうして?

オコジョが何かをしたようには、シールゥには見えません。


オコジョはプレシャをしばらくじっと見つめると、そのまま草むらの奥に消えていきました。

ですが、プレシャのほうは、オコジョがいなくなってからも見つめ続けています。


ふと、カマイタチがプレシャの膝の上に着地して、心配そうに見上げました。


「……あの子の目、氷みたいだった……。

絵本の……子どもを殺された、氷の魔女の目……」


そう聞いた瞬間、シールゥは唐突に思い出しました。

あの日記。今となっては瓦礫になってしまったこの家の地下にあったもの。あそこに書かれていたことは―――


―――ゴーゥッ!!

風がひときわ強く吹いたかと思うと、東から来た太陽は、猛烈な勢いで走り出しました。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

昼と夜とが十回ばかりパタパタと切り替わったところで、時の流れはやっと落ち着きを取り戻しました。


「お父さんの分からず屋ッ!!」

切り裂くような、叫び……それは心を置き去りにされていたシールゥを我に返して、オレンジに光る窓へと目を向けさせました。

すり抜けて中に入ると、そこには車椅子から立ち上がってにぎり拳を震わせているプレシャ。その反対に、彼女の両親。

「プレシャ、わかってちょうだい……! あなたが死んでしまったら、私も、お父さんも―――」

「だったら魔物を殺してもいいっていうの!?」

「プレシャ! お前が食べたスープの野菜やソーセージだって、元々は生き物だった! それと同じだ!

何かを犠牲にしていない生き物なんて、いやしないんだよ!!」

「じゃあ、なんなのよ!

カマちゃんが……お父さんの研究で、たまたま産まれた生き物なんだって―――わたし、わかっちゃったのよ!?」

そのカマイタチは、ただ、プレシャの胸にギュッとしがみついているだけのようでした。

「わたし……わたし……」

プレシャの震えが―――自壊する寸前の機械のように―――大きくなっていきます。


「こんなことになってまで、わたし―――生きてたくなんかない―――ッ!!」


プツン―――


それは、ほんとうに、空気の震えから生じた音だったのでしょうか?


気がつくと、プレシャが……床に、倒れていました。


それが、最後でした。

見開かれたシールゥの目は、再び、輝くもやに覆い尽くされていったのです……

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

目をつむり、また開くと、そこは薄紫の光が降り注ぐ場所でした。


足元に水っぽさを感じたシールゥは、羽ばたいて浮かび上がると、前を見ました。

ここは、大きなドームのような場所のようです。反対側の壁がうっすらとしていて、かなりの広さがあるようでした。

真ん中には、大きなマリアルの花―――あのバケモノ花に比べればはるかに小さく、ヒトが三人連なったくらいの高さです―――が一本、立っていました。

開いた花の真ん中に、何か、人のシルエットが植わっているようです……


「―――プレシャッ!!」


シールゥは、一直線に、花へと飛んでいきました。

<その11>

花の中のプレシャは目をつむり、せつなくうつむいたまま動きません。

だけど、きっと生きているはずです。

シールゥはそう信じて、精一杯に羽ばたいて飛んでいきます―――


―――が、そこへ、ザァーッ!!

突然、一陣の風が横なぐりに吹いてきました!


「わァ!?」

ふっとばされたシールゥは、しかし、風の中に混じっている白い毛玉をとらえました。

「か、カマちゃ……じゃないや―――」

「……カマちゃん、だと!?」

カマイタチが一瞬ただならぬ様子を見せたのにシールゥが気づいた、その時でした。

ブァン!! またもや、風!

それも今漂っているのの反対側からです。シールゥは勢いを殺され、危うく地面に落っこちそうになってしまいます。

「懐かしい、な……」

ぽつりと、あのゴーストがつぶやいていました。

彼の姿を見たカマイタチは顔をしかめると、空気をさく裂させてプレシャの元へと飛び……

「―――《ホワイトアウト》!!」

ゴーストの叫び、舞い散る花弁!!

凍てつく霧が巻き起こり、カマイタチの行く手をさえぎりました。彼の両前脚は、いつのまにか鋭い鎌に化けていました……

「……プレシャを殺すつもりか!?」

ゴーストの声が、重々しく、あたりに響きました。

「そうだ。僕は、プレシャの願いを叶える。

それで全部終わるんだ。この騒ぎも、プレシャの悲しみも……」

カマイタチは、鎌をゴーストに向けました―――

「ちょっとふたりとも、やめてよッ!!」

シールゥはすぐさま魔法の力を引き出し、風をまとって割り込みました。

「どけッ!!」

が、ザンッ!!

カマイタチが鎌を振るうと、どこへかすったわけでもないのにシールゥを吹き飛ばしてしまいました。

「どくのはお前だ!」

ゴーストの身体から水色の花弁―――広がりの花『レスプ』―――が舞い、飛び散る力に変わっていきます。

「プレシャを殺さねばならんわけがあるものか!」

―――バラララッ!!

「わからず屋ァ!」

放たれた水色の散弾をカマイタチはきわどくすり抜け、ゴーストの首元に鎌をつきつけにかかりました。

が、ギィィン!!

ゴーストの目の前に『シルト』の大きな葉っぱが現れ、鉄の塊のように彼の身を守りもしました。

「わかろうとせんのは君の方だ。

私の研究を見たというなら、この島の花々が、心の力を形にするものなのだと、わからんのか!?

プレシャをここから引き離しさえすれば、この事態は……!」

「おさまりゃしないんだよ……」

カマイタチの鎌が『シルト』の葉っぱにヒビを入れていきます。

「あなたこそ知ってるんじゃないのか、花の力の源を!

この島に埋もれているものが―――『ワードストーン』ていったっけな―――、あれがそうなんだっていうんなら……!

プレシャをどこへ連れて行こうが、罪に苦しむ心が消えるものか!」

ザァン!! 『シルト』の葉っぱはとうとう刃に押し負け、真っ二つになりました。

「何っ!」

しかしその向こうにゴーストはいませんでした。

カマイタチが振り向いた、すぐそこに、赤紫の炎をまとって浮いていたのです。

「《インフェルノ》!!」

ゴゥオオオオ―――ッ!!

炎がカマイタチの身体へ乗り移り、全身にくまなくまとわりついていきます!

「ウアアァーッ!?」

カマイタチは焼けつき、地上へ真っ逆さまに落ちていきます。

「カマイタチさんッ!!」

シールゥはあわてて態勢を立て直し、カマイタチを助けに行きました。

そうするのが、精一杯でした……あれほどまでに花の力を使いこなすゴーストは、やっぱりプレシャのお父さんの成れの果てなのです。カマイタチにしたって、まさかあんなにも仲良しだったプレシャを殺そうだなんて。

「すまない……」

ゴースト……一人の父親が、娘の方を向きました。

「プレシャ! ここから離れるんだ。そして生きるんだ!

私はこんな姿になってしまった。だが、お前さえ、お前が生きていてくれさえすれば……!」

父は、娘に訴えかけました。

かたく目をつむった娘に。

……そこから、一筋の涙を流す、娘に。

「……やめて……」

弱々しい声です。なのに、この場所のどこにいる者にも聞こえました。

「プレシャ……!?」

父は、娘に、近づきました。


「……もう、やめてって……言ってるでしょォ―――ッ!!」


娘の眼から、珠が散った、その時でした。


―――ウゥウ゛ゥウ゛ウウ゛ゥゥァア゛ァァア゛アァアアァォオ゛ォォオ゛オォオ゛ォオォーンッッッ!!


怒号。

悲鳴。

叫喚。


百重に、千重に―――


―――周囲が一瞬にして、赫々(かくかく)と燃えさかり、血の色に染まりました。

身体をからからにしてしまいそうなほどの熱さと、芯まで凍りつかせるような寒さが、まったく同時にあらわれました。

人間が生きたまま焼き尽くされているような臭いが漂ってきました。


―――ワタシノ、カラダヲ、カエセ!!

―――ワタシノ、イノチヲ、カエセ!!

―――ワタシノ、カゾクヲ、カエセ!!


怨嗟の声が、台風のようなうねりになって、四方八方から流れ込んできます。

その根本は……そこら中に生えている、魔物たちの―――まるでむきだしのはらわたのようになった、顔、顔、顔。


シールゥは思い出していました。

いつか、物語の本で読んだことがあったのです―――罪を犯したまま償わなかった者や、恨みに満たされた者たちの魂が引きずり込まれる地獄の世界。それをあらわした、恐ろしい絵。

見てしまったその晩は、ひとりでは眠れなくて―――もうレイウッドがいないことに、泣いていたっけ。


その地獄が、周囲のどこからも押し寄せ、シールゥを、カマイタチを、ゴーストを押しつぶそうとしています。


「ッ……見ろよ、先生……!」

シールゥに脇を抱えられたカマイタチが、いつの間にか目を覚まして言いました。

「『ワードストーン』……言葉を、力に変える石、だったね。

先生が、研究のために殺してきた魔物たちは、いなくなりなんかしちゃいなかったんだ……

待っていたんだ。恨みの言葉を、憎しみを蓄えて、ずっと……!」


―――オノレ、ヨクモ、コンナコトヲ!!

―――オマエノ、ミガッテノ、セイデ!!

―――オレタチガ、ナニヲシタ!!


「私は……私は、ッ……」

ゴーストは震えたまま、迫りくる地獄を見つめるばかりでした。

「これがプレシャの見てきたものなんだ!

先生、あんたがプレシャにこんなものを抱え込ませたンだよ!!」

「プレシャ……私が……」

ゴーストが見据える先には、プレシャがいます。

彼女は、泣き続けていました。赤い赤い涙を、流し続けていました。

「―――何も言うな、耳障りだッ!!」

「ウワッ!?」

カマイタチは抱えているシールゥを突き飛ばし、再び宙に躍り出ました。

両脚を鎌に変えて、空気を引き裂きながら、彼は飛びます。

地獄の中心―――プレシャのもとへ。

「こんな! 地獄は……」

その首を、切り落とすために。

「終わりにしなきゃぁ―――ッ!!」


―――パァアンッ!!


「ァ……!?」

カマイタチは、振るったはずの鎌に手応えを感じませんでした。


プレシャの前に、光る塊がひとつ、立ちはだかっていました。


「……ほんっと、わからず屋だ。ふたりとも……!」

塊―――盾を呼び起こす花の力、《マジックバリア》―――が消えた向こうに、両手とお尻を突き出したシールゥが浮いていました。

「プレシャは……やめてって言ったんだぞ……!!」

「……先生にか?」

鎌を振りかぶりながら、カマイタチは答えました。

「カマイタチさんにもって、なんで思わないのさ!!」

「会ったときとおんなじだな。君はプレシャの何を知って、そんな口を!」

「知らないよ!! なんにも!!」

シールゥはお腹の底から叫びました。

小鳥のように小さな体から出た声が、しかしにわかに、目の前の二人を震わせました。

「だから―――聞かなきゃいけないンじゃないかッ!!」

シールゥは、大きく羽ばたき、弾けるように飛び出しました。

その身体から、輝く花びらを舞い散らせながら。

しかし―――


―――ユルセナイ!!

―――ユルセナイ!!

―――ユルセナイ!!


のたうつ魔物たちの地獄が、もうすぐそこまで迫ってきていました。

シールゥも、ゴーストとカマイタチも、プレシャも―――全てを呑み込み、恨みのままに全てを壊しつくそうとしています。


熱が、臭気が、呪縛が、まさにその小さな身体を捉えようとしても―――


「プレシャァッ―――」

シールゥは、止まりませんでした。


「―――《ストロールグリーン》ッ!!」


カマイタチとゴーストは、最後の一瞬―――

地獄の中に、一輪の花が咲くのを、見たような気がしました。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

―――真っ白な、空。


雲の中でもなく、雪が降ったわけでもなく。

光も影もない、始まりも終わりもない、果てしない、空。


―――ボクはシールゥ。シールゥ・ノウィク。

言葉とともに、小さな妖精が姿を表します。


―――会いたい。もう一度、キミに会いたい。

どこへ向かっているのかさえもわからない中で、妖精は、桃色の髪の女の子を見つけました。


―――キミのことを知りたい。

―――キミの言葉を。

―――キミの願いを。


「……シールゥ……」

プレシャの泣きはらした顔が、シールゥに見えました。

「お父さんに……生きてたくなかったなんて、言っちゃって……

そのあと、そんなに日が経たないころに……魔物たちが、仕返しにきたの」

ふと、真っ白な世界の中に、形あるものが現れました。

夜の帳の中で、何かが大きく煙を吐きながら燃えています……一軒の家が、崩れ落ちていきます。

「お家が壊れて……私は、屋根の下敷きになって……

……その後のことで、いちばんはじめに覚えているのが、シールゥ……あなたの顔なの」

このソラニワの、静かで平和な姿。

木の枝に座って、二人と……小鳥も一緒に、美味しい木の実をかじっていた時のこと。

あざやかに、空の中に映し出されています。

「……自分の一番いやなところを、私も気づかないうちに忘れて、あなたとこうしていたの。

だけど……あの兜をかぶったゴブリンに、お花畑に植えられた時に……全部、思い出した……

お父さんにひどい目にあわされた魔物たちの想いが、土を通して見えてきたの……」

世界が、揺らぎだしました。

「やっぱり……やっぱり私……生きてちゃいけなかったんだって……!!」

プレシャは、泣き出してしまいました。


あの地獄がまた、回りに浮かび上がってきました。

けれど―――あのまま、シールゥたちをとっくに食い荒らしていたはずのそれは、白く染まって、激情を吐き尽くしたあとのように、ぼんやりと止まっていました。


「……プレシャ」

シールゥは、プレシャの身体に手をのべました。

「ボクさ。短い間だったけど、キミと過ごして楽しかったんだよ。

ヨソから来て、知り合いもロクにいなくって……でも、キミといい友達になれるんじゃないかって気がしたんだ。

キミとお庭をちゃんと探検してみたいし、知らないお花を探してみたいっても思う。

……こんなことにはなっちゃったけど、なんとかして、それからさ」

シールゥはプレシャに抱きついて、尖った耳を胸に当てます。

トクン、トクン―――脈打っているのが、聞こえます。

「……いやな思い出を忘れてしまったのだって、生きていくためだったって思うよ」

「違う、違うの!

私は、逃げてただけなの!

私のために、壊されてしまったものから―――」


「―――逃げていた、なんて言わなきゃいけないのは、お前じゃないさ、プレシャ」

白い虚空の中から、ゆらりとゴーストが現れました。

「かわいい子どものためなら、どこまでも残酷にだってなれるものなんだと……

どれだけ罪を重ねても、今さら後戻りなんてできやしないんだと……

そう思って、私は自分を、母さんを……お前を、あざむいていたんだ」


「―――ごめん、プレシャ。

僕も、君を傷つけた。君と話をしようともしなかった……」

カマイタチも、いつの間にかそこにいました。


「お父さん……カマちゃん……?」

プレシャは泣くのをやめていました。


「プレシャ。私はこれから、罪を償いに行くよ。お前が、前を向いて生きていけるようにね」

ゴーストはそう言って、後ろを向きました。

ぼうっとこの場を見つめている、魔物たちの顔のほうを。

「お父さん……」

プレシャは、ゴーストを―――お父さんのことを見つめました。

「……身体が少しよくなってきた時のお前のことを、覚えているよ。

車椅子ができあがって、動き回れるようになったときのこと。この島の家に引っ越して、雲の海を見たときのこと。カマちゃんを家に迎えたときのこと。

お前が見せた笑い顔は、花みたいにすてきで……父さんの、大事な宝物なんだよ。

―――だから、いつかまた、見せてほしいんだ」

ゴーストはゆっくりと漂い、少しずつ、離れていきます。

「償いが終わったら、真っ先にお前に会いに行く。どれだけ時間がかかるかもわからないがね……

……カマちゃん。それまで、プレシャを頼むよ」

「うん。任せといて、先生」

カマイタチは、去りゆくゴーストに、胸を張りました。

「……それじゃあな、プレシャ。

父さんは、ずっとずっと……お前のことを、大切に思っているよ」

―――プレシャのお父さんは、そう言って、真っ白な魂の群れの中へと混ざっていきました。


「たい、せつ……」

プレシャが、ぽつりとつぶやき……


花がひとつ、咲きました。マリアルの花です。

この上なく鮮やかなピンクの色をした、マリアルの花―――


―――花言葉は、『大切』。


二つ、三つ。

四つが八つに。

八つが十六に。

百重に、千重に―――


マリアルの花が、咲き乱れます。


―――桃色の、空。

<その12(最終回)>

朝早くだというのに、人々が慌ただしく家やお店から出てきます。

ソラニワで仕事をするハナコたちも、働くのをやめて、そろいもそろって空を見上げていました。


朝焼けの中、桃色の光が島にふりそそいでいたのです。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

光が舞う空に、小さな影がみっつ。

シールゥ・ノウィクです。その後ろに、プレシャを背にのせたカマイタチが続いています。

「きゃぁー! ねえーッ! 下見なよォー!!」

ふと、シールゥが後ろの二人に甲高くわめきます。

うながされて地上を見やったプレシャは、たちまち言葉を失ってしまいました……


ソラニワの大地が、そこら中くまなく、あらゆる色で染めあげられていたのです。


それは、一言であらわすのならば、極彩のカーペットとでもいうべきものでした。

赤、白、黄色、青、紫、緑……全ての色が、それぞれの居場所を確かにもって調和し、大地を彩っていたのです。


三人は高度を落としていき、何が起きているのかを知りました。

あの桃色の光が陸に落ちるたびに、花―――島に来た人が一番最初に見かけるであろうビギナの花から、謎にみちているせいなのか花図鑑の最後にすえられたランドラの花までの全て―――に変じていたのです。

「このキラキラしたのさ、あの花の怪物が……バーンって一気にくだけちゃったヤツだよね」

と、シールゥがカマイタチとプレシャに声をかけます。

「うん。きっと、プレシャと魔物たちの哀しみから産まれたあの怪物が、生命を島にかえしているんだ」

「……生きてる。新しい生命に変わって、生きてるのね。みんなの、心が……」

カマイタチの背の上で、プレシャは目の中を駆け抜けていくいくつもの花たちを、ひとつひとつ見送っていきます。


現れるのは花だけではありません。

あの怪物の根っこに捕まっていた魔物たちも、何事もなかったかのように起き上がって、ぼんやりあたりを眺めたり、動き出したりしていました。

「……あーッ!! ねえ、あそこ!」

またシールゥが叫びました。今度は何やらただならぬ顔で、どこかを指差して。

その先には、あのシールゥとプレシャを捕まえた兜のゴブリンがいました……体中包帯まみれで、子分たちにタンカで運ばれています。

「ウゲ……!? あ、いや、よぉ、無事だったか、お前ら」

兜のゴブリンは半分包帯で隠れてしまった顔で気さくそうにしました。

「無事もなにも、ボクらがなんとかしたんだよッ! よくもプレシャをひどい目にあわしてくれたね!?」

「あぁ、こいつか、シールゥが言ってた花をひとりじめしようとしてたゴブリンって」

と、カマイタチ。

しかし彼の身体についたフウガの花を見るとゴブリンは目の色を変えて、

「ム! お、お前、花の力のカギか」

「へ?」

「花の力の秘密を研究してた学者が、この島にいたってンだ!

その秘密がわかりゃ、この島を支配できるくらいの力が手に入るってな!

そんで、その秘密のカギが、花の生えた魔物だって……」

まくしたてる兜のゴブリンを前にカマイタチは―――いえ、シールゥとプレシャもぽかんとなりました。

「お父さんのこと、なんだかずいぶん変な噂になっちゃってるみたいね」

「う、うん……」

プレシャとシールゥがささやきあっていると、カマイタチが前に出て、

「……その研究のことなら、知ってるよ。でも、あんまりいいもんじゃないと思うけどね。

あの花の化け物、見たかい? ……あんな風になりたいのか?」

カマイタチの言葉に、兜のゴブリンは何も言い返せませんでした。

「これにこりたら、もう大人しくするんだね。

まあそのケガじゃ大人しくしてるしかないだろうけど」

と、シールゥまでも。

「……ンヌヌ。うるせぇよ。

チキショイ、こうなったら、おれらで花の研究だ」

「でも親分、おいらたちのアジトはめちゃくちゃですよ。今夜からどこで寝ればいいかもわかんないじゃないですか」

子分のゴブリンが泣き言を言います。

「だまらっしゃい!

そういうのは……なんとかしてなあ、なんとかすんだよ、オラッ!!」

ぎゃあぎゃあ騒いでいる兜のゴブリンたちを残して、シールゥたちはまた空高く飛んでいってしまいました。


太陽が高く昇っていくと、花に満たされた島はますますさんさんとしてきました。

シールゥたちがいる高いところまで、いろいろな花の甘い匂いが立ち上ってきて、うっかり羽ばたくのを忘れそうになってしまうほど。

ついさっき、夜の間までは大変なことになっていたなんて、今この島に来た人に言ってもとても信じてもらえないでしょう。


ふと、風が一陣、強く吹いてきました。

「わあっ、と!」

シールゥはカマイタチのお腹に思わずしがみついてしまいます。

「……ちょっと骨ばってない?」

「これからはいいもの食べるさ。もう何もないだろうしね」

冗談をかわしてから下に首を向けると、風の姿をとらえることができました―――花がいっせいに、押されるのに合わせて身をそらしては戻しています。

それとともに、おびただしい数の花びらが撒き散らされてもいます。

「わぁ、河みたい!」

カマイタチの背中でプレシャがはしゃぎました。

「追いかけるー?」

「お願い!」

「ようし!」


三人はそのまま、花の大河の中に紛れ込んでいきました。


ぐるり、と身体を回して、空から陸へ、陸からまた空へと向いてみたり。

四方八方どこを見ても、数え切れないほどの花びらで満たされています。

「きゃぁっ、ははは、目がくらんじゃいそう!!」

プレシャはアクロバット飛行をしているカマイタチにしがみつきながらも、大笑いしています。

「プレシャが笑うの見るの、久しぶりだなぁ!」

「そう?」

「よかったよ、ホント!」

カマイタチも、プレシャに負けないくらいの笑顔です。


ぐるぐるぐるぐる、回りながら花の河を泳いでいきます。

切り替わる、陸、空、陸、空、……空、空、空、空……

「……わわッ!!」

眼下に崖を見たカマイタチは、失速しかけて、慌てて持ち直しました。

「だ、大丈夫?」

シールゥが心配そうに見つめています。

「う、うん。けど、やっぱ島の外には出られないんだな……」

「私たち、花の力で生かされてるから……」

プレシャもカマイタチもシュンとなってしまいました。

花の河も急に力をなくして、雲海の中にはらはらと落ちていきます。


シールゥはふと、その先を見つめました。

この世界は、青い空の中に島々が浮かんでいる場所です。空の下には大地があるはずなのですが、見えません。

けれどシールゥは、空の下からここへやってきたのです。

空の下にある、別世界―――オルタナリアから。


そのオルタナリアの森が、うっすら、ゆらゆらと、青い空のずっと下に見えたのです。


「……ボクの、いた森……」

「ウン?」

Uターンしようとしていたカマイタチとプレシャはシールゥのほうに向き直ります。

「ほら、あれ。ボク、あの空の下の森からきたんだ。見えるでしょ?」

「……えっ、どこ?」

カマイタチはシールゥと同じ方を見て言いました。

「え、ほら……あそ、こ……」

シールゥは指差しをしましたが、その先には何も見えませんでした……

……と思いきや、再び森がかすかに現れました。

「あ、見えたわ。出たり消えたりしているみたい」

プレシャの言う通り、まるで蜃気楼みたいに、オルタナリアの森は揺らめいています。

確かに見えていますが、今にも消えてしまいそうなそれを見つめているうちに、シールゥは少し寂しそうな様子になってきました。

「……帰りたいのかい、シールゥ?」

カマイタチが言うと、シールゥはグッと振り向いて、

「そ、それは……

で、でも、ここに来たのだって、たまたまだったんだよ!?

これで帰っちゃったら、もしかして、もう二度と―――」

「―――大丈夫よ、きっと!」

プレシャはシールゥに向けて笑いかけました。

「わたしがシールゥを、シールゥがわたしを、ずっとずっと大切に思っていればいいの!

そして、会いたいって思うなら、言葉にすればいいのよ!

そうすればきっと、きっとお花の力が、わたしたちを引き寄せてくれるわ!」

「そうだよ。

それに……あの森の中にも、そのまわりにだって、シールゥの大切なものがたくさんあるんだろう?」

カマイタチも穏やかに微笑みかけています。

「……大切、か」

大切。

誰かがそう口にする度に、プレシャの桃色の髪が、やさしくきらめくようでした。

「うん、わかった。

じゃあ、ボク……行くね……」

シールゥは少しうつむきがちに、下の森の方へと向いて、ゆっくり羽ばたき始めます。


ゆっくり、ゆっくりと、シールゥは空の中を落ちていきます……


―――勢いがついてきたところで、シールゥは振り返りました。


「―――またねー、カマイタチさーん、プレシャーッ!!」


小さな体に一杯の力を込め、シールゥは叫びます。

島を背にして、遠ざかっていく、プレシャとカマイタチに。


「またねえ、シールゥ!! また会おうねーっ!!」


プレシャも負けずに大きな声を出します。

空の中に、今にも見えなくなってしまいそうなシールゥに向かって。


「ずっと、大切だよ!

ずっと、ずっとーッ!!」


シールゥの小鳥のような声が、広がる空の中を貫いて、響き渡りました。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

オルタナリアの森に、夜が訪れました。

月の下、これから狩りをしにいく獣たちを見送って、シールゥはねぐらの中に潜り込みます。


綿と布切れの布団の中、シールゥはなかなか寝つけずにいました。


「プレシャはああ言っていたけど……

だったら、プレシャを知る前に……最初にボクがソラニワに来たのは、なんでだったんだろう。

なんで、あの招待状は降ってきたんだろう」

考えても答えは出ません。

けれど、友達を、大切に思えた人をまた失いそうになって―――それでも失わずに済んだとき、なんだか救われた気分になったのは確かでした。

ソラニワに来れたのがただの偶然に過ぎなかったとしても、それだけは……

「プレシャ……」

シールゥは目をつむり、もう大人しくしようと、ひと思いして―――

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

―――おだやかな空の下。

ピンクの花が咲き乱れる花畑を、小さな妖精が息を切らして飛んでいきます。

その先に待つ、同じくらいに小さな女の子。


二人は手をとりあって、空に舞い上がり―――