Seven Seas潜航日誌

6~10

<その6>

ネリーは魔物をせん滅した。その後の休憩の中で、回想の続きをする。

彼女の運命を変えた出来事、その思い出がそこにあった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

その日コルムを襲ったのは、魔物ではなく海賊だった。

それ自体は、特に気にすべきことでもなかった。世界が荒れているせいか賊に身をやつす者も増えてきていたし、ネリーは人を喰うことは拒んでも、悪人を張り倒すことにためらいはない。

だが、今日来た彼らは妙に強気だったのだ。

「どいたどいたぁっ! 俺たちがこの街を……いいやこの島を乗っ取ってやるぞお!!」

得物をもった海賊たちが乱入してくる。

だがビーピル島は元々の島民だけでなく、中央大陸の人々からもその豊かで穏やかな自然を注目され、大事にされている場所だった。そんな島を乗っ取りなどしたら敵に回す相手は少なくないだろう。それなのに。

「なんじゃとて! 本物の海賊だぜ!」

緑の髪に、ツタが絡んだようなデザインのバンダナを巻いた少年、宇津見孝明が、変わった感嘆の声をあげる。

「バカっぽいけど、どうも勢いがすごい。油断できないよ。なにか、自信の根拠があるとみた。ボクが搦め手をかけて、手の内を探る!」

薄緑の髪に、光る羽根を生やした小人、シールゥ・ノウィクが孝明の肩に乗っている。

「とにかく街の人たちを助けなきゃ! このまま、放っておけないよ!!」

黒っぽい髪の、男どもの中では一番小柄な少年、萩原広幸が、鉄梃を取り出しながら訴える。

「広幸の言うとおりだ。何があろうが、横暴は止めなきゃならねえ! 俺らにはそのための力があるんだ!」

濃い肌色に鶯茶色の髪の毛をした、一番大柄な少年、瀬田直樹が力強く叫ぶ。

「わたしも、がんばるよっ。あんなやつら、すぐに追いだしちゃうんだから!」

ネリー・イクタも、戦意を燃やしている。

五人は、臆することなく突き進んでいった。

その先で、海賊どもが妙に強気だった理由を知った。彼らの戦力の中に、戦闘する機械達があったのだ。機械の中には人の形をしたものもいれば、獣のようなものもいた。不器用に、だが忠実に、略奪活動をこなしている。

叩き壊すこと自体は意外と難しくもなかったが、いかんせん数が多い。

「ネリー! 助けてえ!!」

ネリーと仲良しの男の子が、機械に追い回されていた。

「わ、わゃっ……!!」

だがネリーも、敵の相手で手が離せない。

「俺に任せろ!」

飛び出していったのは直樹だった。勢いよく助走をつけて跳躍し、両足から突っ込んでいき、男の子を追う機械を吹っ飛ばした。

直樹は、広幸や孝明と異なり、未だ異能の力に目覚めてはいなかった。それにも関わらず、彼は強かった。

迫る敵に向かって、手にしたハープーンを振るい、懐に入られれば肘や膝で返り討ちにした。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

避難に成功したコルムの人々は、この大立ち回りを陰から見ていた。男たちが前に立ち、女性や子供は後ろの方にいる。

「ネリー……。」

ネリーのシャコガイ・ハンマーを作った、あのオーバーオールの男がいた。

「このままでいいのか、俺たちは……」

ボロボロになりながら、何とか漁の道具だけは守り抜いた男もいた。

「いいわけないわよ! あの子に全部任せちゃって……! 私たち、情けないわ!」

街のレストランで働く女性がいた。なけなしの武器として、お玉杓子を持っている。

「……彼女の言うとおりだ」

女に同意を示したのは、ヒゲを蓄え、青い鉢巻を巻いた男だった。彼は漁師たちのリーダーで、キャプテンと呼ばれていた。

「前に、ネリーが言っていた。冒険をしてみたい……広い海をどこまでも泳いでみたい、ってな。だけどあいつは、俺たちのためにこの街に留まってくれてるんだ……!」

「キャプテン……。」

「大人のせいで子供が夢を追えないなんてあっちゃならねえ……戦えそうな奴は、ついてこい! コルムは、俺たちの手で守るんだ!」

キャプテンは力強く訴えかけた。

二人に応えるかのように、そこかしこから声が上がる。人々は武器になるものを手に取り、駆けだしていった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

その頃ネリーたちは、船が停泊するドックにいた。

中央大陸からコルムへ来る船は大きいから、こういう場所が必要になる。今のコルムにとって、一番重要な場所だ。

そこに、ひょろひょろとした老人がひとり立っている。

「カ、カ、カフフフフフーッ!」

彼は狂おしく笑っていた。

「アンタ、だれなのっ!」

気が立っているネリーは、あどけない顔で老人を鋭く睨み付ける。

「フッフフッ……この僕チャン……邪道科学者ドクター・アッチを知らんとは……! とーんだイナカモノ、ッチ!」

妙な語尾と抑揚で老人、ドクター・アッチは語る。

「科学者だって? まさか、海賊どもが使ってる機械は、お前が……!」

「いーかーにぃーもぉーっ!!」

広幸の問いに対し、腰を思い切り反らして、高らかに宣言するアッチ。

「僕チャンが作った戦闘機械、どーだったッチ? この性能と量産性の両立! コンビネーション! 完全なジリツ化はまだだから、海賊どもを雇って手伝ってもらうことになったッチが……!」

カツン、カツンとブーツを鳴らし、数歩ほど歩き回りながらまくしたてる。

「……それはそうと! チーミらが来なければ、今頃コルムは降伏してたハズだッチ! まさか地球人が来やがるなんて思ってなかったッチ! アンラッキーだッチ!」

いきなりがにまたになり、震えながら顔を赤くするアッチ。

「ここの人らにとってはラッキーだ。さあ、観念しろ……」

両の手を組み、指を二鳴らしして、アッチに迫る直樹。

「やーーーーーー、なこったーーーっ!!」

そう言って、アッチは懐から何かのスイッチを取り出して、押した。「ポチット!!」のシャウトと共に。

瞬間、街のあちこちで機械たちがけたたましい音を立て、蒸気を噴き出して震えた。

まだ動いているものはもちろん、既に倒れた機械たちも起き上がり、ひと所に集まっていく……アッチの下へ、である。

「カフフフフフゥウウウウヒャヒャハハヒャーーーッ!!」

無茶苦茶な笑い声をあげるドクター・アッチ。その足元に機械が集まり、組体操のようにして彼の体を上空へと運んでいく。

「何をした! 笑ってないで答えろっ!!」

「ギャハハハヒョヒャヒャハヒィーーーーッ!!」

直樹の声にも応えぬまま爆笑するアッチの体を、機械たちが包み込んでいく。形ができる。隙間が埋まる。機械の集合体が、人型を成そうとしている。

そして最後のパーツが嵌った瞬間、音と閃光が放たれ、ネリーたちを威圧した。

「ガーーーーイア・アッチ・エーーーーーックスッ!!」

合体人型ロボ・ガイアアッチXは、甲高い叫び声を増幅してコルムの街中に響かせると、そのまま歩き出し、進路上のすべてを蹂躙していった。

街の人々も、さらには仲間であるはずの海賊たちも。

「これが、これが機械なのか!! これじゃあまるで、俺たちまで……ぐぇえっ!!」

突然の事態に動きを止めていた海賊たちは、ガイアアッチXに蹴り飛ばされ、そこら中に叩きつけられる。

ネリーたちはドックから逃げざるを得なかった。

「どうするのさ!? こんなのっ!」

シールゥが孝明の耳元で叫ぶ。

「何とかするんだよっ!!」

孝明は両手を大地について異能の力を使った。地面からツタを発生させ、ガイアアッチXを縛ろうとしたのだ。だが、すぐに引きちぎられた。

「今度は僕が!」

広幸は両手のひらをガイアアッチXに向け、そこから白熱する矢を放ったが、全て弾かれてしまった。

「ううりゃぁああああああーーーッッッ!!」

ネリーは牙を剥いて駆けだした。

加速度、腕力、気合い。全てをシャコガイ・ハンマーの威力に変え、ガイアアッチXの太い脚に叩きつけようとした。

が、ガイアアッチXは全く動じもせず―――ドウッ! ネリーを蹴り飛ばした。

「ぎゃうっ……!」

「ネリーーーッ!!」

吹き飛ばされたネリーをどうにか受け止めたのは、直樹だった。

「なお……き……。」

「ネリー…… ちぃッ……!」

腕の中のネリーを見つめ、そして迫りくるガイアアッチXに視線を戻す直樹。

「観念するッチ……! 僕チャンはなー、この島にある―――」

さらなる攻撃をしようとガイアアッチXが構える。

だが、バチバチッ! ふと、ネリーは、肌が痺れるような感覚を覚えて、直樹の腕の中から逃げ出した。

直樹の周りで、光が舞っている。空気が震えている。

「てめえこそいい加減にしろよ、クソジジイが……ッ……!」

深くかがみこみ、右の拳を構える直樹。

ガイアアッチXの中から外を見ていたアッチは、身が凍り付いた。自分を見上げる直樹の瞳が、強い戦意と憤怒でもって己を刺し貫いてきたからだ。

直樹の右手にどこからともなく粒のようなものが集まってきて、塊になる。鉄の拳だ。しかも、雷をまといだしている。

「ゼェエエエヤァアアアアアアーーーーーッッッ!!」

脚に力を込めて、気合一閃。直樹は跳ね上がり、アッパーカットを放った。

「あビヴァあアぁアあァァあアあッッッ!?!?」

ドーッ!! 渾身の一撃が、ガイアアッチXの装甲を切り裂いた。

ガイアアッチXの巨体は、傾いだかと思うと、すぐに爆発をした。アッチは吹き飛び、空の彼方に消えた。

こうして直樹は異能の力を得た。そしてその姿を、ネリーは目に焼き付けた。父ネプテスへの憧れと同じものが、そこにある気がした。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「ほんとうにいいの、行っちゃって……? マモノ、ふえてるんでしょ…… わたしがいなくちゃ……」

戦いの翌日、ネリーは少年たちと共にドックにいた。

彼らは、中央大陸に向かう船に乗せてもらうことになったのだ。ついていけば、ネリーも冒険ができる。けれど。

「心配するな。この街は俺たちの手で守っていくよ。大丈夫さ、新しい仲間も増えたんだ……」

そう言うキャプテンの後ろには、アッチが雇っていた海賊たちがいた。

海賊たちは、みな元々は普通の暮らしをしていた者だったらしい。だが、オルタナリアで増えている災害や魔物のために職を失い、賊に身をやつしていたのだ。そこをドクター・アッチに利用されたのだった。

アッチの暴挙に巻き込まれて傷を負った海賊たちは、街の人々に介抱された後、コルムの為に働き罪を償う提案をされた。彼らはそれを受け入れたのだ。

「お、お前らほど、強くはないかもしれないけど……でも……頑張るよ…… この街のために…… だから……」

元海賊のひとりが、ネリーに言う。

「……ありがとう。わたし、行ってくるね。いつか絶対、帰ってくるからねっ!」

ネリーは笑顔を返した。

そして、船が出た。コルムの街が遠ざかっていく。

「みんなぁーーー、げんきでねぇーーーっ!!」

ネリーは海岸から手を振る街の皆に向かって、声の限りに叫んだ。

こうして、ネリーと少年たちの冒険が始まった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

この後、ネリーは直樹たちと共に、オルタナリアのあちこちを巡った。

最初の集落でチャルバーが語った通り、失敗の許されない冒険であったし、多くの困難も待ち受けていた。過酷な自然、魔物との戦い―――さらには、オルタナリアの滅びを願う団体「ディナイア教団」の妨害もあった。

それでも、直樹たちはヴァスアとしての使命を果たし、最後にはオルタナリアを救ってみせた……だがそれは、ネリーとの別れをも意味していた。

今でもネリーは、直樹と再び出会える時を待っている。その時に、強くなった自分を見せたかった。

だからただ、前に進むのだ。いつか再会の日が来るまでは。

<その7>

「ぐらぁああああぁああぁッ!!」

ネリー・イクタは猛然とシャコガイ・ハンマーを振るう。思い出の中の強い少年に、そして今隣にいる二人の仲間に、力をもらうようにして。

ハンマーのあぎとは開けてあった。中に仕込まれたスキルストーンが巨大な泡を吐き出し、魔物たちにぶつかり、破裂をして痛めつける。

ネリーたちはたちまち敵をせん滅した。しかし、次はもっと強い相手が出てくるだろう。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「……ンーゥ……。」

ネリー・イクタは、鏡にその身を映していた。丸みのある頬。緑の瞳。頭の横のヒレ。みんな、なぜだか連動して動く。

いくらかポーズをとってみたりする。鏡に向かって少し斜めに向いて、お尻を突き出す。尻尾に自然と力がこもって、すうっと宙に浮く。

両腕を頭の後ろにやって、身体を傾け、横からの姿を見せる。腰回りが目立って映る。

ネリーのお腹は緩やかに、しかしぽっこりと突き出している。けれど、動かそうが、重力に晒そうが、形を崩すことは無い。

「ンンンンン……。」

四つん這いになって、脚をぴんと立てる。地上で獲物を捕らえる時の構えだ。

「ンンッ……!」

ハンマーを構えてみる。腰にしっかり力を入れ、脚でどっしりとバランスをとって地面を―――

ここはセルリアンの海の、とある島の上に作られた町。ネリーが今立っているのは、町の一角に作られた、鏡でできたオブジェの前。

ネリー・イクタに、容赦なく、道行く人々の視線が突き刺さっていた。彼女はまだ幼かったし、刺さって抉る、なんて類のものでもなかったのだけれど。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「……しょっ、んー、しょっ……!」

ネリー・イクタは、高さだけでも自分の倍はある大きな岩を引っ張っていた。一人で、である。

周りの大人たちは、各々の、恐らくは仕事と思われる動作をこなしながらも、ネリーの事をちらりちらりと見つめている。

「……しょーーーぉおっ……!!」

息を吸って、溜めて、叫んで、進む。その繰り返しで、ネリーは大岩をその場から退けた。現場監督とおぼしき男が、興味深げに目を細める。

「……うりゃあぁあーっ!」

ネリーは休むことなく働き続ける。さっきほどではないが、大きな岩を運んでいく。岩以外のものだって運ぶ。

その日の整地作業は順調に進行したという。陸地の少ない世界なのだから、多少荒れたところでも有効に活用しなくてはならないらしかった。

それで力自慢のネリー・イクタが仕事を得ることになったのだ。腕力の鍛錬も兼ねて。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

もちろん自主トレーニングだって欠かさない。

「はぁああありゃあああっ!!」

ネリー・イクタは、先ほどと同じくらいに大きく見える岩に、今度は向かい合っていた。

気合を吐いて、身体を動かす。駆けだして、踏み込んで、ハンマーを振るい、叩きつける。岩にはヒビが入ったけれど、砕けはしなかった。

「……ンゥ……りゃああああっ!!」

挫けはしない。一発で駄目なら、二発を叩き込むまで。続けて放った一撃で、さらにひび割れは広がる。

そして三発目。鈍い音と共に岩は崩れ落ち、破けた欠片が山を作った。

「……はふぅ」

だが、そこに満足は無かった。一息ついて、回想にふける。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

ネリーが今よりも幼かったころ。ある日、父ネプテスにその力を見せてもらったことがあった。

地上の荒れ地で、彼は槍を手にし、くるくると回して見せる。

ネプテスは槍を構え、踏み込んだ。勢いよく駆けて、岩の前で再び踏み込み、気合一閃。

「……!!」

ネリーは、目の当たりにした。槍の一突きで岩が砕け、その欠片も全てまとめて遠くへ吹っ飛んでいくのを。

「う……うゃ……!」

まだ幼いネリー・イクタは、ふるふると震えて。

「うゃーーーっ! おとーさん、すっごぉーーーいっ!!」

ネプテスは、はしゃぐ愛娘を見つめていた。

その顔と視線が、どのようなものだったかまでは、ネリーはちゃんと覚えてはいなかった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

心を今に戻す。ネリー・イクタは、自分が作った岩石の山を見つめる。よく覚えてはいないが、父が砕いた岩は、これよりも大きかった気がする。

まだ、足りない……

「……おなか、へった……よ……。」

力と、あと食費が足りない。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「いっただっきまーすっ!」

食事処で頼んだ特盛の海鮮丼を前に、満面の笑みを浮かべるネリー・イクタ。

彼女は逃げもしない獲物にだって全力で食らいつく。激しく身体を動かした後なら、なおさらだ。

エビは殻ごと噛み砕き、魚肉と一緒にご飯を大きく頬張る。しょうゆをかけたりするようなことはせず、何も気にすることなく、ダイナミックに食べ進める。

あっという間に丼は空になった。もう数十杯ほどもお代わりできそうだったが、先述の通り食費が足りないので、ここまでである。

「……ンっ。もっと、おしごとするぞっ! きたえるぞーっ!」

満足は出来なくても、気分はすっかり前向きになる。

今日もまた、ネリーは海の底へと出かけていく。いつかは、父や、直樹のようになれると信じて。

<その8>

ネリー・イクタは今日もテリメインの海を行く。

かつては多くの人々が暮らしていたのであろう、水底の遺跡。その先に待ち受けているだろう、新たなる海域。ネリーはもっともっと、前へ進んでいきたかった。

オルタナリアではそこらじゅうにはびこる魔物のせいで、地域間の人の行き来こそ多くはなかったものの、本当に誰もいない未開の地域、というのは意外となかった。けれどこのテリメインは、全く未知の世界だ。先へ進むことをやめない限り、自分たち探索者が見たものは、そのままこの世界で初めての発見になる。遺跡、魔物、固有種……あるいは、バカンスのスポットなども。

そういう意味では、今の方が冒険らしいことをしているともいえる。だから、このままどこまでも進んでいきたかった、のだが。

時には地上でないと得られないモノが恋しくなることもあったのだった。主に食べ物とか。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「いっただっきまーす……」

ネリー・イクタはハンバーガーを食べていた。

ここは、海底探索協会にほど近い地上の街。そこに建つ飲食店の一つだ。スキルストーンには、所持者を記憶しておいた場所へ転送する機能が備わっていた。

これを利用してたまに街に帰り、金を稼ぎ、物資の補充をして、次の冒険に備える。そんな生活サイクルを作ることができた。

「むぐむぐ……。」

ハンバーガーにかぶりつくネリー。ようやく手に入れた、テリメイン水牛のハンバーガーだった。シュナイダー教官が気に入っているのと、同じ店のものかはわからないけど、細かい違いがわかるほどネリーは繊細ではない。

肉汁をしたたらせつつ食べていると、どこかから声が聞こえてきた。

「……ぁぁーん……」

子供の泣く声だった。

そのままハンバーガーを食べ終え、勘定を済ませたネリーは店の外へ出ていった。

「ぼくのおもちゃー…… あぁあーんっ……」

さっきの子がまだ泣いている。男の子だった。

「しょうがないじゃないの、この海はまだ判らないことも多いのだから。母さんだって、あんなことがあるなんて……」

母親らしき女性がなだめている。

「……ねえ……どーしたのっ?」

二人に声をかけるネリー・イクタ。

話を聞くと、この親子は観光者向けの船に乗っていたらしい。探索者たちによる開拓に伴い、そういうサービスも現れ始めていたのだった。

近くの島を行き来するだけの、短い船旅のはずだった。ところがその途中、船が原因不明の海流に巻き込まれてしまったのだ。幸いにも被害といえるほどのものはなく、少し揺れる程度で済んだのだが、その時にこの男の子が遊んでいたケン玉を海に落としてしまったという。

この辺りはすでに開拓され、安全が確保されつつある地域ではあるが、海底のほうにはまだ魔物が潜んでいる可能性もある。ただでさえ、皆忙しいのだ。子供のおもちゃなど、進んで探しに行く者はまず居ないだろう。

「わたし、探してくるよっ!」

ネリー・イクタは海へと駆け出していった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

港で船乗りたちから、海流に関する話を聞く。どうやら、親子の乗っていた船の航路の中間地点のあたりで、件のアクシデントが生じたらしい。

ネリーは勢い良く海に飛び込み、航路を追って泳いでいく。

注意深くあたりを見つめながら、海の底を進んでいくネリー。海で探し物をするのには慣れていた。水棲人は生まれつき、潮の流れを読むことができるのだ。落とした物がどこへ流れていくかもわかる。もっとも、何か超自然的なものが海に働きかけたのだとしたら、その限りではないのだが……ネリーをオルタナリアからこの地へ呼び寄せた、あの異常な渦に対しても、彼女は何もできなかったのだ。

それでも、なにも見つけられずに帰るわけにはいかない。

海流は、船をひっくり返したり、目的地につけなくするほどのものではなかった。ならば、男の子が落としたおもちゃもそう遠くまでは流れていないはずだ。

途中、ナマコガールやダンシングワカメといった下位の魔物が襲ってきたが、それらもハンマーで殴り倒したり、尻尾を振るって岩に叩きつけたりして退治した。

やがてネリーは岩のはざまに、きらりと輝くものを見つけた。

「……! あれかな……!?」

近寄っていく。そこにあったのは、あの男の子の言っていたケン玉。そして瓶底のメガネであった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「よっ、それっ、ほっ……」

「ほゃぁ……」

男の子が巧みにケン玉を操るのを、ネリーは言葉もなく見つめていた。最後に、球がするりと剣先に収まる。

「…… おほーっ! すごーいっ! ぶらぼーっ!!」

ぱちぱちと拍手をするネリー。

あの後、ケン玉とメガネを回収したネリーは、速やかに地上に帰還した。ケン玉を男の子に届けると、お礼に『パフォーマンス』を見せてくれることになったのだ。

一方のメガネは、とりあえずそのまま手元に残してある。落とし物なのだから、海底探索協会に届けるのがベストなのだろう……だが、どうもこのメガネ、見覚えがあるのだ。

「そろそろ行かなくちゃ。わざわざありがとうございますね、探索者さん。」

「またいつでも見せてあげるよ、じゃあね!」

男の子と、その母親が声をかけてきた。

「うっ、うゃ。どーいたましてーっ! またねー!」

ネリーは手を振って、去っていく二人を見送った。

二人が見えなくなると、港の方がにわかに騒がしくなりだした。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

埠頭。船乗りたちが集まり、一点を見ている。

「なにがあったんですかーっ……?」

端っこの方にいる男に尋ねるネリー。

「……ひ、人が……今、揚がったらしくて……。」

困惑した表情で語る男。

その、揚がった人というのがまだ生きているなら、救えるかもしれない……ネリーにはスキルストーンがある。傷ならば治せるし、呼吸を助けてやることだってできる。

彼女は四つん這いになり、草の隙間をすり抜けていくトカゲか何かのように、船乗りたちの合間を進んでいった。

先には確かに人がいて、うつぶせに横たえられていた。網の上に、である。獲った魚に紛れ込んでいたのだろうか。

その人は、暗い紫というか、青というか、どっちとも決めがたいような色をした外套と帽子をまとい、背中にはフライパンをくくりつけている。

姿を見た途端、ネリーは目を見開いた。

助けなくては。ネリーは、腰蓑からスキルストーンを取り出そうとすると、急に地面から手足が離れる感じがした。

「おい、何をやってンだ、チビ助!」

ガタイのいい男がネリーをぶっきらぼうに掴みあげ、ぷにぷにとした腹の上の方に、太い指をめり込ませる。

「う、うぁ、助けなきゃだよっ、このヒト……!」

手足をばたつかせるネリー。すると、腰蓑から回収したメガネが落ちた。

メガネが落ちて、音を立てる。差し込む陽の光で、きらりと輝く。

それが引き金になったのか……揚げられた人は、突然右手を震えさせたかと思うと、前へと伸ばした。

「…… め……ガ……」

か細い声を発しながら、彼女は手を伸ばす。

「…… …… ……ネ…… ……。」

力を振り絞って、前へ……やがて中指の先がメガネに触れる。

それ以上のことはできなかった。

船乗りの腕をすり抜け、ネリーはスキルストーンによる治療を試みようとした。けれどその前に、また船乗りたちに後ろへ引っ張り戻され、揚げられた人は担架で病院へ運ばれていった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

その晩、ネリーは柄でもなく考え込んでいた。

「あのヒト……うん……」

間違いない。自分は、あの人を知っている。あの人が、どこから来たかも知っている。

どうやって来たのかも、恐らくは。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

その頃、街の病院の一室では、瓶底のメガネをかけた女性が、ベッドに寝かされていた。

体を起こすことはかなわない様子で、気だるげに天井だけを見つめている。

「クリエ・リューアさん、気分はどうです?」

ドアが開いて、看護師の女が入ってきて、訪ねてくる。クリエ・リューアと言われ、メガネの女はそっとうなずいた。

看護師が言葉を返す前に、彼女は小さく口を動かす。『カネは』、と言っているように見えた。

「ああ、お金なら安心してください。こういう時の医療費は、協会の方で賄ってもらえることになってますから……」

クリエと呼ばれた女は、それを聞いて、落ち着いたように息をした。

一通り必要な世話を受け、看護師が部屋を出ていくと、すぐに睡魔がクリエを襲った。

まだ重い右腕を動かして、メガネを取り、枕の脇に置く。世界がぼやけて、ろくに何もわからなくなる……このメガネがなくならなかったのは、彼女にとっては不幸中の幸いだった。

だが、水揚げされたあの時。メガネも無く、その上瀕死の状態にあって、なお判別できた青い体の少女……クリエは、彼女をよく知っていた。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

翌日、ネリー・イクタは朝早く仲間たちと合流し、探索に向かっていった。今回からは、少しルートを変える。不測の事態があった場合に備え、探索時間を長めに取っておく必要があった。

あの女性―――クリエのことも、気になるけれど。

「……きょうも、がんばるぞっ!」

元いた場所の事を考えるのは、帰ってからにすることにした。

<その9>

海底探索協会近く、小島の街。その港。

水面からしぶきをあげて、人型のなにかが飛びだし、埠頭に降り立った。

「たっだまーっ!」

ネリー・イクタであった。彼女は四つんばいの姿勢で着地すると、立ちあがり、そのまま元気よく駆けていく。

探索を終えた彼女は、とんぼ返りで街まで戻ってきたのだ。以前に海から打ちあげられ、ここいらでちょっとした騒動を引き起こした女、クリエ・リューアに会うために。

「おぉぉぉーっ!」

気合十分に走っていく。大きな尻尾を揺らしながら。

「おぉーっ!」

街を走る。

「ぉー……」

走る。

「…… ……。」

止まる。

「……あのヒトがはこびこまれた病院て、どこだったっけ……?」

ちゃんと聞いてなかった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「……ありがと、ござい、ました」

クリエ・リューアは自らの脚で立ち、目の前の世話になった相手に深々と頭を下げていた。

「いえいえ。それより、しばらく元いたトコに帰れないってンであれば、仕事が必要でしょ?」

初老の、細い目をした医者が、クリエに言う。

「……ああ」

ここにいる間のことは気にしないでいいと言われたが、出た後のことまでは考えられてなかった。

「よそのヒトだってンなら、協会のお世話になるのが一番でしょうな。とりあえず、あそこで探索者にしてもらえば、飯の種がいただけるでしょ」

クイッ、とメガネを動かす医者。

「あぁ……ま、ムリに最前線まで行かなンでも、遺跡を調べる手伝いだの、生態系の調査だの、あるいは将来リゾート地にできそうなところを探すとか、やることはいくらでもありますわ。お姉さん、見たトコだいぶ学がありそうな感じですし、そういうの得意じゃあ?」

学がある、という評価に、クリエはにわかに頬を赤らめる。

「テリメインの探索をやらんのだとしても、商いなんかはあそこのお許しをいただかなくちゃア、できませんでな。それにスキルストーンも必要でしょ。この街を離れる時なんか、ほら、魔物がね、そこらじゅういるから、自衛の手段がなくちゃなりませんわ……そういうわけですから、いずれにせよ、行ってみたらどうでしょうかねえ?」

「……そう、します。ありが、と」

クリエの声は小さく、あまり流暢でもない。

医師に別れを告げ、病院を離れたクリエ・リューアは協会へ向かって歩き出した。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

小さな竜巻のように街を駆けめぐり、ようやくクリエがかつぎこまれた病院にたどり着いたネリー・イクタは、そこで彼女が既に退院したことと、協会へ行くよう勧められていたことを知った。

すぐさま協会に向かったが、そこでもクリエに会うことはできなかった。非探索者用のスキルストーンを得るために免許が必要で、そのための講習を受けていたのだ。

「うゃー、きょうはダメー、なのかなあ……」

ネリーにとって、オルタナリアから自分以外の誰かがここにやってきたのは、嬉しいことではあった。

どうせすぐには戻れないのだし、ならばいっそこのテリメインをとことん冒険しつくしてやろう―――そんな心構えでいたネリーではあったが、実際、ちょっとさみしくもあったのだ。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

ネリーとクリエが出会ったのは、彼女が直樹たちと冒険に出るまえ、港町コルムの守りについていたころのことだった。

ある日、漁場の近くの島に魔物が湧いた。漁師たちの安全を守るため、ネリーが退治に向かうことになった。

順調に魔物を倒していくネリーだったが、最深部で奇妙な物体を発見し、そこからひときわ巨大な怪物が現れた。だがそれもすぐに、彼女の怪力の前に屈した。一方の物体も砕け散り、ネリーは破片をコルムに持ち帰ることにした。

ここ最近魔物がわき出すことが増えているが、この物体がその原因なのかもしれない。そう考えたコルムの人々は中央大陸から来ていた学者たちに、ネリーが持ち帰った破片を調べてもらえないか相談した。

その調査を担当することになったのが、当時まだ中央大陸のアカデミーに入りたての身であったクリエ・リューアと、その師アリュー・ミーハであった。破片を見たアリューは物体が人工的なものである可能性を示し、さらに詳しく調べるためにより多くのサンプルを手に入れなくてはならないと言う。

ちょうどその頃、街の西側に広がる蛍樹の森でも魔物が活気づいていて、人の住む近くまで出てくることもあるほどになっていた……となれば、また問題の物体があるかもしれない。森へ出かけようとするネリーだったが、そこでアリューはクリエを同行させることを申し出た。フィールドワークの訓練を兼ねて、とのことだった。

知識と観察眼に優れるクリエと、並外れた腕力を持つネリーは、いいコンビになった。ネリーが体を張って魔物に立ち向かい、クリエは薬や糧になる植物を見つけだして彼女を支える。また、クリエ自身も全く戦えないわけではなく、愛用のフライパンを振るって魔物をぶん殴り、静かな森に乾いた音を響かせていた。

クリエはまた、森の奥へと進む途中でネリーにいろいろなことを教えてもくれた。彼女は無口だったが、話しかければちゃんと応えてはくれるのだった。

「ねえねえクリエさん。アカデミーて、ベンキョー、するトコだよね?」

少し体を休めているときに、ネリーはクリエに尋ねた。

「ン。その、前に、勉強……しないと、入れない……」

ネリーの方を向かないままで、クリエは答えた。

「ほぇ。ベンキョーしにいくために、ベンキョーしなくちゃいけないの?」

「試験、っての……ある。受からない、と、入れないし……入って、からも、試験、何度か……」

「うゃぁ。なんだかとっても、大変そうだよっ!」

「大変、だけど……必要、だから……」

「……?」

「学が、ないと……仕事が、もらえない。人に……だまされるし……ケガや、病気を、どう、治せばいいか……魔物が、出たとき、どう、したら、いいか……わかって、ないと……生きて、けない……」

そう言って、クリエはうつむく。

「クリエさんは、生きてけるようになるために、アカデミーに入ったの?」

「うん、そんな、トコ」

「うゃ……わたしもベンキョーしなきゃ、なのかな。生きてくために……」

「まあ……でも、私、くらい、必死に、なる、こと、ない……はず……」

そう言って、クリエはネリーの方を向く。

「どーして?」

「君、強い、から……強ければ、どこで、だって……生きて、ける」

なお、件の物体はドクター・アッチがばらまいた物であったと、後に判明する。当初は自らの手を汚すことなくコルムを乗っ取るつもりだったらしい。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

ネリーは諦めきれなくて、協会の施設でクリエの講習が終わるのを待ち続けた。すっかり陽は落ちて、それでもまだクリエは出てこない。

「……うゅ……。」

休憩用の席の上で、船を漕ぎだすネリー。探索の疲れもあった。

講習を終えたクリエは、今にも席から転げ落ちそうな様子で眠っているネリーを見つけた。

「…… ……ハゥッ!」

クリエが近寄ると、ネリーの体が大きく傾ぐ。

ネリーの身が床に叩きつけられる前に、クリエはどうにかそれを支えることができた。

「…… ……ネリー……。」

しようのないやつめ。

「……んゃ……。クリエ、さん……?」

寝ぼけ眼で返事をする。

「探して、たの、私……?」

「う、うんっ。もう、からだはだいじょうぶ、なの?」

「うん……仕事、見つけ、なきゃ……ここ、で。でも、もう少し……かかる……」

「ンゥ。クリエさん、そのあいだ、いくトコあるの……?」

「ない……野宿、する」

「……だ、だったらさ、わたしがここでのおうちにしてるトコがあるからさ。そこに行こうよ!」

ネリーはクリエの手を引いて、協会の入口から外へ出た。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「うゃ! ここだよーっ!」

ネリーの『家』というのは、島の入り江の小さな洞窟であった。

クリエは辺りを見回す。オルタナリアでのネリーの住まいは、彼女も一度見せてもらったことがあった……今見ているのとほぼ同じような洞穴だった。置いてあるものは、ずっと少ないが。

地面には藁に布をかぶせたものが転がっている。これが布団代わりらしい。

「……やっぱ、ちゃんとしたお宿のほうが……いい……?」

無感情なクリエを見つめるネリー。

「……ううん。ありがと、ネリー」

クリエは口元をゆるめ、返事をした。

どのみち野宿をするしかなかったのだから、良さげな場所を探す手間が省けただけマシというものだ。

「気にいったんだったら、ずーっとここにいていいからねっ。ごはんも獲ってくるよっ。だから、お料理してくれるとうれしーなっ」

「……ン。わかった」

免許を取って、スキルストーンをもらって、働くところが見つかるまでは、ここにお世話になるだろう。

ネリーに迷惑をかけるのも悪いし、早めに何とかしなくては。

そんなことを思いつつ、クリエは藁と布のベッドの上に身を横たえる。

「おやすみ、ネリー」

「おやすみー……」

二人は打ち寄せる波の音を聞きながら、眠りについた。

テリメインの夜は更けていく。

<その10>

陽が落ちるテリメインの海。

そこに水しぶきが上がる。二度、三度。輪が広がる。ひとつ、またひとつ。

それは素早く、どこかに向かって進んでいた。目指すは、海底探索協会近くの、地上の街のある数少ない島。その入り江。

「たっだまーっ!」

海から飛び出したネリー・イクタは、そのまま入り江の砂浜に乗り上げて叫んだ。

「……や、おかえり」

葡萄鼠の色の外套をまとった女、クリエ・リューアが座っていて、ネリーを出迎えた。

「うゃ! おさかなも、とってきたぞっ!」

そう言って背中のシャコガイ・ハンマーを下ろし、先端の殻を開けるネリー。中からは海水があふれだし、魚が何匹か泳いでいるのも見える。まだだいぶ元気なので、この近くで獲ってきたのだろう。

「……ン。わたしも……帰りに……パンと、野菜、買ってきた……」

「おー! それじゃあ、ばんごはんいっしょに作ろっ!」

二人は入り江の奥、住まいにしている洞穴の中へ入っていった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

早速、ネリーが獲ってきた魚の下ごしらえをする。

幸いにも、調理用のナイフはオルタナリアから持ち込むことができた。クリエは迷いのない動きで、魚のエラの横に刃を入れて締め、ウロコも取る。腹を開いて内蔵を抜き取り、かわりにハーブで詰め物をする。塩を振りかけて、下味もつける。

「……火は?」

クリエは洞穴の外の方を向いて言った。そこではネリーが、石を組んで作った焚き場で火を起こしていたところだった。

「オッケーだよっ、いつでもどーぞ!」

「……よし」

ここからは、クリエが他のどんな道具よりも愛用しているフライパンの出番だ。

フライパンに油をひき、焚き場の火にかける。余ったハーブを中に放り込み、香りが立ってきたら上に魚を載せる。

「うゃー、いいにおいっ」

鼻をひくひくさせながらフライパンの中を見つめるネリー。

「……サラダ、作って、くる。焼き、加減、おねがい」

クリエは再び洞穴のなかへと戻っていった。

フライパンにフタをして数分。ネリーは魚の片面にほどよく火が通ったのを確認し、クリエが置いていったへらを使って慎重に裏返す。そしてまた、待つこと数分……

そのまま、晩ごはんの支度はつつがなく終わった。今日のメイン・ディッシュは白身魚の香草焼き。あとはパンと簡単なサラダだ。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「いっただっきまーっ!」

言うが早いか、ネリー・イクタは猛然とがっつきだす。

作った分をすぐさま食いつくし、調理されないままシャコガイ・ハンマーの殻の中を漂っていた残りの魚も一匹残らず丸呑みにして、彼女の食事は終わった。

クリエは特に驚きはしない。ネリーがとてつもない大食いであることなど、よくわかっていた。彼女は自分のペースで、魚の身をつついている。

「ねーね、コウシュウ、どうだった?」

暇になったネリーが、クリエに話しかけてくる。

「……ン、ああ」

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

クリエ・リューアは、海底探索協会で講習を受けていた。遠出や仕事をするにあたっては非探索者向けのスキルストーンがあった方が有利だが、それを持つには免許がいる。そのための講習だった。

先週は、スキルストーン、そして原生生物に関する座学を受けた。今日も半分以上は話を聞くだけで終わったが、スキルストーンを試しに使わせてももらえた。

安全を確保された空間で、クリエは教官から渡されたスキルストーンを強く握りしめ、集中した―――

キャアーッ! 凄まじい叫び声が響き渡った。

耳鳴りに苦しむクリエ。どうやら、渡されたのはシーバンシーの力が込められたスキルストーンだったらしい。

このように、スキルストーンは危険性をはらんでいます。扱いには十分注意し、特に出所がよくわからないようなものには決して触らないように―――と、力が数割ほど失われた声で教官は語る。

うっかり試させるものを間違えただけだ……クリエは、そう思うことにした。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「それで……近いうちに……仮免……」

「ほぇ? カリメン?」

「うん。とり、あえず、スキル、ストーン、もらえるって、コト……そうなれば……お仕事、できる……」

「うゃあ! そっか! ジュンチョーみたいで、よかったよっ!」

耳ヒレを揺らして喜ぶネリー。

「……うん。君、にも、迷惑、かけないで、すむ」

ネリーと違い、クリエの表情はまったく変わらない。

「ンゥ。メーワクだなんて。クリエさん、ごはん作ってくれてるじゃない。それに、いったでしょ。ずーっとここにいてもいいよって……」

「……ネリー。君は、こっち、でも……冒険、したい?」

「うゃ。それは、そうだケド……。」

「……なら、私に、かまうこと、ない。私は、勝手に、やって……君が、オルタナリア、に、帰る時、ついてく……その、ほうが、いい」

「そ、それは、さみしいよっ……」

「私の、為に……したい、コト、できない、のは……よくない……」

「ンゥ……。」

「免許、取れて、仕事、見つけて……住む、ところ、探す。君も……ちゃんと、冒険、する……いい、ね?」

「……。」

「会いたく、なったら、会いにきて。歓迎は……する」

ネリーの表情が露骨に暗くなったのを見て、クリエはフォローしなければならなかった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

次の朝が来た。

「そんじゃ、いてきまーすっ!」

「……いって、らっしゃい」

ネリーはクリエに挨拶を済ませると、その場から消えた。スキルストーンの機能を使って海へ飛び、きのうの続きから探索をするのだ。

「……さて……。」

クリエ・リューアも、海底探索協会へと足を運ぶ。今日の講習では、比較的穏やかなスキルストーンを扱わせてもらえることを祈りつつ……