百合鏡記録

41~50

<その41>

何が来ようがやることは変わらなかった。

仲間達の後ろから、屋内に雷を呼んで、敵をなぎ倒し、頃合いを見て突破する。

命の危機を迎えるようなことはないけれど、今回はいつもより少し時間がかかったような気がする。もっと、緊張感と集中力を持たなくては。

魔族に対して容赦しないのは、意識的にそうしている面もあった。

相手を傷つける度に、どうしようもない感情がこみ上げてくる……けれどそれに身を委ねてしまっては、皆を死なせかねない。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

半透明の壁とパネルを挟んで、次の敵と相対する。

何かの兵器を使うつもりらしいが、知ったことか。

もう、止まらない。

止まれや、しない。

全ての清算は、魔王の首根っこを引っ掴めた時に……あるいはわたしの命が尽きた時に、なされればいい。


トトテティア・ミリヴェの両手に、緑と白の閃光が奔っていた。

<その42>

壁を隔てて、パネルをひっくり返し合う戦いだった。

数では劣っていても、勢いでいえばこちらの方がずっと上であった―――敵の側に向けられたパネルは、エネルギーを蓄え終えると同時に閃光を放ち、一瞬にして勝負を決めた。

これで、頼もしい拠点が得られたのだ……

ここまでに受けた傷の手当てを済ませ、少し体を休める。

疲れもあったのかもしれない。トトテティアは目を瞑り、すこしだけ意識を薄めた……

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

冷たいものが腹の中に入り、胸までも満たしているような気がした。身体を動かそうとするのが、ままならない。

自分を見下ろす目があった。

青い髪に、青い瞳に、青い服を着て、青い紋を頬に刻んだ女だ。人間かとも思ったが、耳が長すぎる。

これまでの夢とは違い、疑問よりも先に懐かしさが来ていた。五感、体性感覚で感じ取るすべてが、強く、複雑な感情をまとって、記憶を刺激する。

青い女は自分に何かをしてくれているらしい。この人が誰だかわかりさえすれば、全ての迷いが晴れるであろうとすら思えた。


けれど、しっかり寝ていられるような状況ではないのも事実ではある。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

椅子から転げ落ちてトトテティアは目を覚ました。

そろそろ、次の方針を決める時間である。

<その43>

この城に目印らしい目印というものはないらしい。

自分たちは魔王の下へ近づけているのか、それとも単にぐるぐる回っているだけなのかが明確でないのは、トトテティアにとって良いことではなかった。

真実を悟るのが、先か。その前に、魔王を斃してしまうのか。

何の手がかりもなく廊下を彷徨って、番兵たちと殴り合っている限り、どちらにも辿りつけはしないだろうと彼女はわかっていた。


思えばこの城も、どれだけの広さがあるのだろう。

外から見たら、何となくではあるが、プラインカルドの城くらいはあるような気がした。

あの城も結局全部を見て回ることはできなかった……この戦いが終われば、中庭から先がどうなっているのか知る機会もあるだろうか?


一人で悩みつつも、行く先自体は仲間任せにしてしまっていることが、トトテティアには可笑しく思えた。

本当に、進んでいるのか、わからない。

だが、自力で道を見いだせない以上は、文句も言い辛い。


死角や物陰に、注意を払う。

どうせまた、どこかから敵が飛び出してくるのだろう。

ほら……!

<その44>

あまり物事を深く考えることがなくなってきた。

意識してそうしている、というのは言うまでもないが。


ホールに戻ってきた、ということは、また食堂が近づいてきたことでもある。

獣の優れた鼻が、敏感に匂いを感じ取り、神経を興奮させる……最後に馬鹿食いしたのもずいぶん前のことだし、今肉の塊でも出されたら理性が飛びかねない。

罠でも仕掛けられていたら、ひとたまりもないだろう。

あるいは引っかかって捕まってる間に、他のパーティーが来て魔王を斃してしまったりするのだとしたら、いっそその方がいいのかもしれない。

どんなに自分に言い聞かせても、理由などわからなくても、とにかく魔族の王と戦うのは、気が進まない。誰かが代わりにやってくれるなら、その方が良い。


そんなことを考えているうちに、また番兵たちが飛び出してきた。

<その45>

いよいよ食堂らしき場所に入ってしまった。

案の定襲ってきた敵を蹴散らし、いったん静かになったところで、トトテティアは改めて辺りを見回す。

カウンター、何が書いてあるのかわからないがとにかくメニューらしき札、几帳面に並べられたテーブル……そんな光景があるだけで、ぽっこりと出っ張った白い腹が、催促を始めてしまう。

魔王の側としても今は非常事態なのだから食糧は大切にしていることだろう。このまま進軍して食堂を占拠してしまえば有利になるし、トトテティアとしても食欲を満たせる……

自己中心的になりすぎる前に、トトテティアは目を瞑り、頭を振るった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

が、閉じた瞼の向こうに、ぼんやりと見えたのも、食堂の光景だった。

ただし、先ほどまで居た所と違い、人で溢れかえっているようだ。角らしきものの生えた緑肌の男、獣人、亜人……全員、人外の者達ではある、らしいのだが。

その中で、トトテティアはそわそわと尻尾を揺らしていた。

向かいの席に座っていたのは、青っぽい女だ。髪も、目も、服も青い。帽子だけは黒かった。

彼女はヒトの見た目をしていたが、尾があるらしい。それもまた、青い色をしている。

相手の口が、動いたように見えた。

何をやっているの、大人げない。そう言っているようだと、わかる。

実際、そうだろう。空腹に駆られた今のトトテティアは、首も尻尾も、身体そのものも、あっちこっちに揺れている。

けれど、あと少し待てば料理が来るのはわかっている。

ここは冒険者向けの大衆食堂であり、提供するメニューはどれもこれも安くて、俗っぽくて、量が多い―――それがトトテティアにとってはこの上なくありがたいことだった。

体格のいいウェイターが、普通の人間なら両腕でも持て余すであろう巨大なプレートを持ち、ここの基準で五、六人前程度の料理を乗せて、トトテティアの席へ歩いてくる……

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

というところで、トトテティアの目は開いてしまった。

そこにあるのはただ、閑散とした魔王城の食堂の光景である。

夢の中ですら満腹になれなかったことを、彼女は悔やむ。

このまま食糧庫を叩きに行くのかどうかはわからない。

<その46>

飛び込んだ倉庫の中にめぼしいものはなかった。

残されている物が物なので、そもそもあまり重要な場所ではなかったのかもしれない……あの戦車など、一体どれだけ放置されていたのか。

こんなところだが、敵はいた。隠れ場所にしていたのだろうか。


先に進めば兵の訓練場があるようだが、そこも大したものはあるまい。

このような状況だから、新兵もみな駆り出されて、武器など持ち出してしまっていることだろう。


なんとなく、さっさと魔王との決着をつけに行け、と促されているような気もする。

そして、トトテティアはそれを望んでいない。


とりあえず調べるだけ調べて、また食堂の奥に踏み込むチャンスがあれば嬉しい。

なんて思いつつ、トトテティアは仲間たちの後を追うのだった。

<その47>

室内だというのに木がそこかしこに植えられていた訓練室の中は、トトテティアにとって割と心地よい環境だった。

彼女は森が好きだったのだ―――風に乗って宙を駆け、木々の間をするりと抜けていくのは楽しいものだった。元々は風術士の修行の一環でやらされたことだったが、気づけば遊びとしてもやるようになっていた。

よりスリルを味わうために、スピードを高める。それに伴って、細かなコントロールも向上する……獣人であるトトテティアの神経は元からかなり鋭敏であったが、さらに研ぎ澄まされた。ついでに、風が毛並みを強かに、しかし しなやかに整えてもくれた。

故郷の森の中で、速さに明け暮れた日々があったからこそ、今の自分がある。それだから、この屋内の森にも、彼女は親しみを感じた。

けれど、やっぱりいつまでもいられるわけでもない。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

北側には図書室があるらしい。

魔族の文字で書かれた文章を読むことはかなわないだろうが、翻訳に使えるような本もあるかもしれない。こっちの言葉で喋る魔族も居たのだし、無いことはないだろう。

願わくば、何か身を守るための強力な術でも見つかればいい、と思う。


そして、ずっと感じ続けている、自分と魔族に関する違和感に、ケリをつけてくれるようなものも。

<その48>

魔族語でない背表紙をもった本を見つけて、トトテティアは手に取っていく。

外のどこかで見た本が、大半だった―――山菜図鑑やら、魚料理のレシピ集だの、冒険が終わって帰る前には絶対読んでおこうと決めていたものもいくらかあった。もしもこのまま、最後まで魔族の敵としてあらねばならないのなら、いっそくすねていってしまおうかとも思った。

けれど、魔族の言葉と、トスナ大陸の一般的な言語の橋渡しをしてくれるような本は見当たらない。


ここでの魔王が一体どんな存在なのか、知りたかった。

占いの本を見つけて、もはや灰になってしまったネティーブラで見てもらうはずだった過去をはっきりさせたくもあった。

あと、さっきの食堂で、どのようなメニューが提供されていたのかも……


どのみち、ゆっくり本など読んではいられないだろうというのはわかっているけれど、それでも知りたいことは尽きない。

けれど、色々知ってしまったうえで、魔族と戦えるかどうかというのも、わからなかった。


本の森の向こうに、廊下が見えた。

どうやら城の真ん中を突っ切って反対側に出るようだ。

<その49>

休む間もなく城の中を走り続けるのが楽ではないのは、ふっくらと丸っこくて重たい身体のせいではない。

むしろスタミナはあるほうだと思うし、風術士の力によって大気が身体の動きを補ってくれるのもある。


こう、あてもなくぐるぐると彷徨っていては、誰だって疲れるし、厭にもなるだろう。


そういえば今頃トスナ大陸はどうなっているのだろう。

本拠地が攻められているのだし、いい加減向こうから増援が来たりしてもおかしくないものだが。

情報を伝達する手段がないのだろうか。


グダグダと戦いが長引くのは、絶えず命を懸け続けなくてはならないのと同じくらいにはしんどいものである。

<その50>

やっとの思いで城の案内図を見つけた。

読もうとしたところで敵が襲い掛かってきたわけだが、もうそんなのはどうでもいい。

ようやく、進展があった。たったそれだけのことで、どうしようもなく力が湧いてくる……トトテティアはいつも以上に元気よく風を放ち、雷で魔族の兵たちを打ちのめしてみせた。

ついでに仲間達が何かの術にかけられてか、しばらく真夏のビーチを幻視していたらしいが、それだって全部終わった後に酒でも飲み交わしながらゆっくり聞けばいいことである。


今はさっさと魔王の所に向かいたい。

どうせ最上階の一番立派そうな部屋を目指せば、そこにいるだろう。

そういうものである。


考えていて、トトテティアは予想以上に自分が疲れていることに気づくのだった。