百合鏡(5期)記録

1~10

<その1>

警備兵がひとり、四脚の赤い獣に声をかけて歩き去っていく。

獣にさえもこの先の見通しを教えてくれるほど優しい男だったのか、獣ですらも頼らなくてはいけないほど人手が足りなかったのかは、わからない。

動いているものに片っ端から声をかけているのを見ると、実はものすごく暇なのではないかとも思う。

いずれにせよ、そんなのはどうでもよかった。

ここがどこなのかも、どうでもいい気がした。


獣はもっとじめじめした暗い場所で眠っていたはずだったのだが、潮の匂いに起こされて、気づけば太陽に晒されていた。

周りを二本の足で歩く者たちは、爪も牙も鋭くはない。肌の色の幅もずいぶんと狭いらしい。

ヒト、というやつらしかった。はるか昔に滅びてしまったはずの種族だ。

だけど、それが周りに大勢いるのも、どうでもいい気がした。


この獣にとってはもう何もかもがどうでもよかったのだ。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

が、ふと、ぶち猫が一匹、目の前を駆け抜けていく。

でっぷりとした魚を咥えている。決して軽くはなさそうなのによくもまあ、と言いたくなるほどに猫は俊敏だった。

獣は、その立つ地面に意志を押し付け、その反動で一気に駆け出す。

猫の脚よりもなお速く、進行方向に回り込み、殺生はせずにひと吠えしてやる。ウォー……ゥッ!

ぶち猫はあっさりと魚を取り落とし、どこかに逃げていった。と、後ろから男がひとり駆け寄ってくる。

「ハァ、ハァ……ったく、あの、ドロボー猫めが……」

男は日焼けして、肩紐のあるツナギを着ている。獣が持っている常識と照らし合わせると、漁師らしい。

魚をあきらめ、目を背けようとした獣に漁師は声をかけてくる。

「なあ、おまえ、ただの動物とちゃうんやろ」

というのも、獣は緑の帽子をかぶっていた。首輪だってつけているし、後ろ脚にはちょっとした鞄も巻き付けてある。

「持ってき、猫にかじられたモンなんか、どうせ売り物にゃできませんわ」

ため息を一つついて、漁師の男は仕事に戻っていく。

前々から痩せてしぼみがちだった腹に魚を詰め込んだ獣は、とりあえずどこかに行ってみようと思うくらいには、どうでもよくなくなっていた。

<その2>

特に深いことなど考えてなさそうな様子で襲ってきた小悪魔を、獣は咥えた剣で引き裂いた。

戦いが終わったところで小悪魔にかじりつく。とどめを刺してしまったからには、自らの血肉にするのが獣の流儀だった。

幸い、相手は決して大きくも重たくもない。風にもてあそばれるようにひらひら空を飛んでいたくらいだから、当然か。

まずは右脚からだ。つま先から甲にかけてを、バリ、ボリッ! 強靭な顎で骨すらも砕いて、まるごと呑み込んでしまう。

そのまま、胴体の半分に移る。小悪魔の体は痩せていて、お世辞にも食べごたえがあるとは言えないが、贅沢など言うはずもない。はらわたを速やかに食いちぎり、喉の奥に流し込む。味などはいらない。

休むことなく左半分を平らげ、頭蓋骨までも噛み砕き、中身ごと飲み下す。血の跡を残し、敵だったものは獣の体に収まった。

食事は終わり、すらりと凹んでいた獣の腹はすっかり丸く張り出してしまっていた。獣は心地よい重みと張りを感じつつ、今度は水を飲みに歩いていく。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

変な喋り方をする男を連れて行くことになった。彼はスミスマスター……要は鍛冶屋の見習いということらしい。

落とし物を使って修行するなんて話は聞いたことはないが、それでも手伝ってやるのに悪い気はしない。

ものを作る職業だとわかった途端に、獣は応援してみたくなったのである。


獣は仲間たちに、少し足を止めてでも男の武器探しに関わってやろう、と、たどたどしい言葉でどうにか提案した。

<その3>

あの鍛冶屋見習いはちょっと間の抜けた人だったのかもしれない。

考えてみれば、そんないちいち形の残った武器など拾えるわけがないのだ。使えそうなものは、少しは知恵のある魔物だとか、金のないならず者だとかが自分の物にしていってしまうし、使えそうでなくとも金属クズとして売りに行ける。

それは、分かっている。分かっているのだが、獣は見捨てられない。

腰を直角にまで曲げて雑草の中を探しまわる鍛冶屋見習いの近くで、獣は敵意を少しでも拾い上げようと努力していた。

途中、もはや何のものかもわからぬ骨を見つけると、獣は土ごと口で拾い上げてみる。そのまま地面を見つめ、目を瞑り、紫の炎を舌の上に起こして焼き尽くす。

慣れた動作であるらしい。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

ゴブリンどもが後ろに飛び跳ね、小石を包んだスリングを振り回す。更に後方では小悪魔が魔力を練っている。

囮として放り出された哀れなビーストが、あっという間に引き裂かれた身体から血を滴らせつつ、しかし鍛冶屋見習いに死に物狂いで飛びかかり、手傷を負わせてみせる。

それが、獣を刺激した。

鍛冶屋見習いの前に飛び込み、丁度ゴブリンたちが投げ放った小石をその身に浴びる。

痩せた身体に響く痛みはこらえ、獣は跳躍をする。ドウッ! 見据える先は一点、ビーストの喉笛だ。

意識を一点集中せよと決めた直後には、現実の状況がそこに追いついている……牙を、剥いた!

ズシャーッ!

手応えを、もとい歯ごたえを感じたら、駆けてきた勢いのままに相手の身体を振り回し、更に食い込ませる。もう命はないはずだ。

赤い血にまみれた獣の顔が、なおも投石を続けるゴブリンたちを後ずさりさせる。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

鍛冶屋見習いは念願かなって、まだ形を留めた武器を見つけ、使えるようにしてくれた。

去っていく背中はどこか誇らしげだ。獣には、そう見えた。


石で打たれて傷ついた毛皮を、獣は自分の舌で手当する。

後脚にある、歯車のような模様が血で汚れてしまっているのに気づくと、特に念入りに舐めはじめた。

<その4>

そこらへんの有象無象を打ちのめしながら進む。

もっと北へ進めば、いよいよ街につくようだ。

一応仲間たちに、立ち寄るようには伝えておくが、どうなるだろう。自分一人で行き先は決められない。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

水場を見つけた獣は毛皮を綺麗にする。

模様のあるところは特に念入りにこすっていた。何せ、ここしばらく戦いばかりだった。血を浴びたり、切られたり噛まれたりして、獣は汚れてしまっていた。

水面に映る自分の姿を見ると、いくらか肉付きがよくなっているようにも見える。毎日のように何かしら凶暴な生き物が襲いかかってきて、死骸になったところで腹に限界まで詰め込んでいるのだし、そのくらいはなっていてくれないと困る。この大陸にくる寸前まではむしろやつれすぎていたくらいなのだから。

獣にとって肥ることはそんなに悪いことでもなかった。相手にぶち当たる力は強くなるし、少し目方が増えたくらいで動きが鈍るような鍛え方はしていない。

それに、こんな体つきなら、あまり心配もされないだろう。


獣は四本の脚をなんとか使って毛繕いを続ける。

慣れているはずだが、なんだか捗らない。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

キャンプの朝、目覚めた獣は瞳に涙がたまっているのを感じる。

軽く首を振ってから起き上がる。今はただ、旅を続けるばかりである。

<その5>

ハイメの宿場町についた。

宿への記帳も終わり、散策に出ていた獣は、気がつくと市場に来ていた。


あたりは旅人で賑わっており、人間観察には困らない。今の時期はどうにも人が増えているらしい。あのキュースターとかいう港町で目覚めたのと同時に、多くの人々が旅を始めたのだろうか。

金ならば一応持ってはいるもののそれ以上に物価が高く、武器の一つも買えそうにない。できれば、剣を斧に持ち替えたい気はあるが。

どうせならあの鍛冶見習いの男にまた会えやしないかと、鉱物を扱う店の方に足を運んでみた。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

銅、というものは獣もよく知っているのだが、アルメナというのは初めて聞く。

途中で聞いた武具の謳い文句から考える限りでは、比較的軽くて強靭な金属であるようだ。風金とも言われるそれの煌めきを、獣は時間をかけて見つめた。


風金、ときたか。これで、例えば風のように、空を舞うこともできるのだろうか……


「そこの、邪魔だって」

後ろから来た客に獣はどかされてしまう。獣は、背丈でいえば子どもほどだが、意外と縦と横との幅があったのだ。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

夜、獣は宿の床の上に身体を横たえ、目をつむる。

また気がつけばあれやこれや頼まれてしまった。やれ手紙を届けてくれだの、やれ術印の奪還を手伝えだの、である。

他の同行者たちはともかく、獣としては特に構わないのだが。どうせ、この異郷で何をやろうかは、まったくあてがないのだし、何かしら目的があるのは悪いことではない。


昨日は敵に負ける夢など見てしまった。そうならないことを祈りながら、獣は眠りに落ちていった。

<その6>

サイシスとやらの術印探しを手伝うことになった獣は、草原の中に分け入った。

せめて匂いでも分かれば探しようはあるのだが……と、文句を言っても始まらない。

それでも水の音が聞こえてくれば、気が緩んでしまう。ここしばらくはどうも暑くてかなわないのだ。

サイシスが川を調べている間に、しばらく喉を潤しておく。ふと聞こえた声によれば、術印はリトルメの方に流れたらしい。

流れだけでわかるとなると、何か跡を残すものなのだろうか。悪いものでないといいのだが。

自然環境の汚染は重罪であると、獣は心に刻んでいた。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

リトルメを目指す途中、どこからともなく飛来した『熱』が、獣の頬をわずかに焼いた。

それは、唐突極まる攻撃であった。矢の一、ニ本くらいならば相手が見えずとも回避をするのが、獣の運動性である。


湿気こそあれど、こんなところでむやみやたらに火など放たれては火災になりかねない。

撃ったのは誰だ……判断する前に、巨大なハチが一匹躍り出て、鋭い針を構えてきた。邪魔者、である。

獣は脚につけた剣を抜いて咥えると、地面を蹴った。ドウッ!

重力を破壊力の足しとすべく、あるいは狙いを空中に向けるため、あえて高々と跳んだ獣は、コマのように回りながら落ち、刃の重みを化物ハチの背中目がけて叩きつける。

態勢を崩したところへ、ドッ! 仲間のひとりがだめ押しをかける!

獣は、力なく落ちていくハチに合わせて着地をし、勢いのままに刃を押し当てて真っ二つにした。

残骸と体液をふるって見た先には、火をまとって舞い踊るものがいた。その数、三体。

一匹に狙いを絞り、獣は刃を水平して駆け出す。

もう敵は見えている。ならばあの炎の矢を放たれたとしても、致命傷にさせはしない。

が……キィーン!

来たのは、冷気であった!

高熱を予期していた獣の体はふるえあがり、脚の動きが鈍る。

身体上半分の勢いに負けてつんのめりそうになりつつも、しかし獣は跳躍をする!

先ほどと違い、高くは跳べなかった。速度だけを頼りに刃を火の魔物にぶち当て、予想通りとどめとはならない。

しかし、獣には仲間たちの追撃があった。


かくして、草原もサイシスも健在のまま残った。

<その7>

獣たちは引き続きリトルメへと歩を進める。

今のところは、順調だ。サイシスも傷一つ受けてはいない。

が、ふと、獣は違和感を覚えた。

人がいるところなら、何かしらそれを示すような匂いがするはずなのだ。けれどリトルメのある北方からは、そんなものは漂ってこない。

……確か、サイシスが探している術印は、盗まれたなどと言っていなかったか。

獣はそのことを訴えかけようとするが、首輪がうまく人語を発してくれなくて、もどかしがった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

キャンプを張り、皆が寝静まった頃に獣は剣を咥えて外に立っていた。


見張り、というのもあった。

けれど獣はただ立っているだけではなく、虚空に向かって、己の首ごと刃を鋭く振るっていた。

左から右に、右から左に。縦に、斜めにも。


ここにくる前はずっと、毎晩やっていたはずのことだったのだが、いつの間にか忘れてしまっていた。

自分でも気づかないくらいに混乱していたのかもしれない。


こんな日々の積み重ねにも、かつては確固たる目的があったのだけれど、今は安心を得るためのものになっている。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

朝陽が獣のまぶたに差した。


恐らく今日中にはリトルメにたどり着くだろう。

そこで何があるかはわからない。けれど、何があっても屈しはしない。


まだまだ死ぬのは惜しいと、獣には思えてきていた。

<その8>

案の定、リトルメで盗人たちに絡まれた。

敵は五人。乱戦には慣れている獣ではあるが、飛び道具を持たないとなれば、不利になる。

だが、やるしかあるまい。

獣は大地を蹴った。まず狙うは、先頭に立つ戦士だ!

ジグザグに駆け抜け、激突する直前で飛び上がり、ドウッ! 下から上へ、胸元目がけて刃を叩きつけてやる。

が……獣は鋭い痛みを右後ろ脚に感じ、崩れ落ちるように地面に打たれた。

にわかに揺らぐ視界の中には、構えた手を戻そうとする敵の姿がある。暗器を使われた!

痛み以上に、なにか嫌な感じがする。血が止まらない。毒でも塗られていたのかもしれない。

そうとわかれば、なおさらへばってなどいられない……が、ダメ押しに、ボウッ! さらに後方から火の矢が飛来し、獣を吹き飛ばした。

熱と痛みの中、獣は、被っていた帽子がくるくると宙を舞うのだけが、わかった……

あれだけは、失うわけにはいかない。

力を振り絞ろうとした獣を、後押しするものがあった。

温かな力がどこからか放たれ、獣の体に流れ込む……自分たちの中に、治癒の術を使えるものはいなかったはずだ。となると、サイシスか。

獣は迷うことなく跳躍し、空中で帽子を咥える。そのまま重力に任せ、あの戦士に百キロを超える体重をぶつけにかかる。

攻めることしか考えていなかったらしい戦士は、かわせるわけもなく倒された。

まずは、一人。

後ろからはあいかわらず火の玉が次々と飛来するが、獣は気にすることもなく目の前の敵に飛びかかっていく。これは時間との勝負でもあった……血を流しきって動けなくなる前に、けりをつけなくてはならない。

前に出てきた敵の頭も、それをわかっていただろう。が、後ろの魔法使いどもはそうでもなかったようで、魔力を発散させる攻撃をした。

範囲を広めれば、その分目標の一つ一つに与える損害は減ってしまうものである。

自分たちの誰か一人を本気で殺しにかかったならば、彼らが勝っていただろう。

そうならなかった幸運に心のどこかで感謝しながら、獣は野盗のリーダーへまっすぐに飛び込み、打ちのめしていた。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

去っていくサイシスを見送った獣は、へたりこむように地面に横たわった。

なんとか勝利したとはいえ、傷はかなり深い。ここには宿もないが、少しでも体を休めなくてはならない。


……そう思っていたところに女性が一人来て、獣に頼み事をしていったのである。

<その9>

またも死ぬような思いをするはめになった。


女性の護衛をなし崩し的に引き受け、森の中を進んでいったところ、地面に何かを描く者に出会った。

相手は、魔王軍、と口にした。


獣の動きが、ほんの一瞬、止まった。


彼女が我に返ったときには、巨大な蜂と獰猛な狼とが殺到してきていた。

獣は刺され、引き裂かれ、戦えなくなるほどに出血して倒れた。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

その後のことを、獣はよく覚えていない。

仲間たちも倒されていくのがわかり、獣は最後の力で、女性に向かって逃げろと吠えた。それが精一杯だった。

彼女は引き下がるどころか、なにやらカラクリを繰り出して、カラクリは矢面に立ってすべての攻撃を耐え抜き、敵を殲滅していた。

あの、魔王軍と言った者も含めて。

それから別れたばかりのサイシスがまた現れ、女性を姫様と呼び、当の彼女はあだ名が姫なのだとわけのわからないごまかしをして、二人して逃げるように北方に行ってしまった。

引き止められようはずもなかった。

血に塗れた獣は、それでもいつもなら何としてでも立ち上がろうとするはずなのに、今日はなぜだか力が入らなかった。


獣はこの大陸のことを何も知らなかったけれど、人の声に耳を傾けなかったわけでもない。

この地は今、魔王の侵略を受けていて、自分たちはそれを食い止めることを期待されている。

何となくは、わかっていた。そして、わかっていなくてはならないことだった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

獣が元いた地―――アル=ゼヴィンにおいて、魔王とは彼女たちにとっての英雄だった。

魔王がアル=ゼヴィンの人類を一掃してくれていなければ、獣もこの世に生を受けることはなかったはずだった。


獣は、あるよその世界の、魔族……に準ずる生き物、亜魔族であった。

<その10>

獣はあまり物事を深く考えないようにして、歩き続けた。

それで気がつけば、大きな街にいた。


リバーシ国の首都、テネルメントである。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

市場を巡り、宿についた獣は力なく藁の上に横たわった。


これから、どうすればいいのだろう。

ここは異郷だ。違う世界だ。獣のいた世界にはもはやいない人間たちがいるのだから。

元いた所に帰る方法を探す、というのは一つ目標にはなりうる。


ただ、獣には帰ってやりたいことがなかった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

獣はひとりだけで生きていたわけではない。彼女は使い魔であり、主人がいた。

そいつはほっそりとした体つきの小鬼の男だった。見かけこそ地味だが手先がとても繊細で、物事を筋道立てて考えるのも上手かったので、機械の取り扱いに長けていた。

彼は工業の発達した国に工房を構え、夢を追いかけていた……かつて人をのせて空を飛んでいたという『機械の鳥』を現代に蘇らせる、という夢を。


獣が小鬼の男の使い魔になったのは、この国の淀んだ河のそばでひっそりと生きていた彼女が、捨てられた機械部品を綺麗に思ってねぐらにかき集めていたからだった。

まだ見習いの技師だった小鬼の男は、次の日までに師に届けなくてはならない大事な部品をうっかりと落としてしまい、夜を徹して探し続けていた。

空も白み始めたころ、力尽きてへたりこんだ彼のもとに獣が現れた。口元に、目当ての部品をくわえていた。傷一つつけず、少し唾液をつけた以外は全くもってきれいなままで。

獣は前脚で器用に子鬼の男の手を引っ張って、そこに部品を落としていった。


獣と小鬼の男はそれ以来、時々街の片隅で会うようになった。

男は獣に食べ物を持っていってやるようになり、そのおかげでぼろぼろだった獣の体はいくらか肉付きがよくなった。

獣も男がどこに住んでいるのかを覚え、こっそりと機械の組み立て場に忍び込んできたりもするようになった。重いものを運ぶのを手伝ったりもした。男が壮大過ぎる夢を笑われてしまったときには慰めもした。


いつからか、獣と男はいつでも一緒にいた。

それならばいっそ、と、獣は男の使い魔になることを決めたのだった。