ゼロ城日記

1~5

<その1>

荒れ果てた『底抜け天井』の中、下からくる光を浴びて静かに佇む大樹があった。

緑もまばらな冷たい世界で、ここだけはほんの少し生命を多めにたたえている。獣はそこらを歩いているし、枝に止まる鳥だっている。

「……寂しい眺めだわ、いつもながら」

鳥の一羽―――ハーピィのアイオーナ・リアーナが、大樹の上から『底抜け天井』の大地を見渡していた。

彼女はこうして毎日、見張りをやっている。すっかり慣れたものだ。

ふと、なにもない空が小さく光るのがアイオーナの目に止まった。

「あら―――」

かと思うと、そこから瞬く間に大地に白い筋が伸びた。

筋は折れて、ねじれて、途中で細かく枝分かれもするが、全ては一瞬のことだった。雷のようでもあるが、それにしては弱々しいし、音もあまりない。

「何かしら……」

アイオーナは羽ばたき、飛び上がる。

「すぐ戻るから、お留守番をお願い!」

眼下の獣たちに声をかけ、アイオーナは消えゆく光帯の根本を目指して勢いをつけた。

空中から『底抜け天井』を見ると、光の筋がそこかしこを駆け巡っているようで、少し元気が出る。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

灰色じみた大地の中に、ぽつんと紫色のアクセントが見える。ちょうど光が落ちたところだ。アイオーナはそこを目がけて飛翔したのだが、途中で紫色のは動き出して、岩陰に隠れてしまう。

何やら生き物であるらしい。アイオーナは陸に降りることはせず、空中をぐるぐる回りながら様子をうかがうことにした。

そこへ……ヒュバッ! 虚をつくように、何かがアイオーナのそばに伸びて迫った。しなやかに曲がり、分岐している何か……紫色をした触手である!

体を捻り、辛うじて回避することはできたが、高度は落とさざるを得ない。

「あ、危ないじゃないですかっ!」

思わず抗議をしながら陸に降り、アイオーナは自らも物陰に身を潜める。だが、いつまで経っても二回目の攻撃は来なかった。

「はっ……な、なあ! そこのお前! いるんだろ!?」

代わりに、あと三年もしたら低くなってしまいそうな声が飛んでくる……アイオーナの言語野はそれを、意味あるものとして解釈することができた。

いけないことなのだろうと心のどこかで思いつつ、アイオーナは陰から身を乗り出す。

そこには、所々から布のようなものが生えた紫の笠をかぶり、紫の服を着て、薄紫の肌をした……紫づくしの少年が立っていた。右手には複雑に枝分かれしたムチらしいものを持っているが、これ以上振るうつもりはないと思えて、アイオーナは近くに寄ってみる。

少年は一歩下がりながらも叫んだ。

「おい、ここどこだよ!? アル=ゼヴィンか!?」

アル=ゼヴィン、なる言葉を耳にしたアイオーナは顔色を変えた。

「あ……アル=ゼヴィン!? 君、アル=ゼヴィンから……なの!?」

アイオーナは少年のところへ駆け寄ってくる。あげくふかふかの翼で肩を捉えられ、薄紫の少年はただ口を丸くするしかなかった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「……はぁ、まさかクアンの姉ちゃんの知り合いが、こんなトコにいようとはねぇ」

薄紫の少年はアイオーナのかぎ爪で掴まれ、はるか下の地面を見つめていた。

「君、怖くない?」

アイオーナは大きく羽ばたき、大樹へ戻るべく飛んでいる。

「こんくらいのスリルは慣れっこさ。姉ちゃんこそ、喋る余裕なんざあンのか?」

「うん。君、軽いから……」

「まァ、肉で出来てるやつよかな。オイラキノコだし……」

そうこうしている間にも、大樹が近づいてくる。二人は大きなウロから中に飛び込んだ。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

大樹の中には、テーブルに椅子、戸棚まで揃った空間もあった。外の炊事場で沸かしたお湯で、茶を淹れる。

「この匂い、ルジの葉かい?」

「似たようなものだって、クアンが言ってたわ」

コップにお茶を注ぎ、代わりに少年の分を出してやる。

「サンキュ。っと、名前言ってなかったな……オイラは死茸族(しだけぞく)のサッコ・ベノ。サッコでいいや」

「フフッ、私はアイオーナ・リアーナよ。よろしくね、サッコ君」

「……初めに言っとくが、ガキ扱いは絶対やめろよな」

それでサッコは冷ましもせずにお茶をググっと飲み、軽くむせてしまう。

「無茶はダメよ」

「げほ、ごほ……ッそ」

落ち着くのを待って、アイオーナもゆっくりとコップに口をつける。

「ふぅ、クソが……ンでよぉアイオーナ。アンタ、何だってこんな寂れたトコで?」

「そうね……どこからお話すればいいかしら。ここで何をやってるかって言えば、魔王なんだけど―――」

「は?」

軽く目を見開くサッコ。

「魔王が、何か?」

「あ、いや。オイラのトコだとのっぴきなんねえもんなんだけどさ、魔王って。ここはヨソの世界だもんな……」

「……そうだったわね。クアンもいつだったか、そんなこと言ってた」

アル=ゼヴィンにおいて、魔王とは結果的に世界の成り立ちを変えてしまった存在であり、唯一無二のものだった。

「ンだな。その、クアンの姉ちゃんとアイオーナって、何やってたの?」

「そうねえ……」

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

アル=ゼヴィン。そこは人類が滅び、異形の魔族だけが生きる世界。堕ちた天空の島々が、そこかしこに突き刺さっている世界。

はるか昔、まだこの『できそこないの世界』で経済が意味をなしていた頃、半人半蛇の魔族クアン・マイサと使い魔のスライムのソライロは、不可思議な現象に巻き込まれてアル=ゼヴィンからこの地にやってきた。

なし崩し的に魔王をやらされることになったクアンの最初の配下になったのがアイオーナ・リアーナであった。物静かで主張の少ないアイオーナは騒ぎを好まないクアンと何かと相性がよく、最後まで城に残してもらえた。

クアン・マイサには魔王の使命を全うする以上に大きな目的があった。アル=ゼヴィンでの相方である狐獣人のトトテティアがこちらに来ていたかもしれず、魔王業の傍らいつも彼女を探していた。クアンとトトテティアは互いに女性同士ではあるが、惹かれ合っていた―――その頃のクアンは、まだ素直に認められていなかったのだけれど。

ところがある日、クアンはトトテティアがこの世界で命を落としていたかもしれないと知り、安否を確かめるべく城をアイオーナに任せて旅立っていった。

その後程なくして訪れた『スーパーデプス』なるダンジョン内の海洋での戦いで、アイオーナとクアンは再会を果たす。脆く作られていた城は荒波の中で崩壊していったが、クアンは脱出用のカプセルを用意してくれていて、アイオーナもその中に入った。全てが終わったあと、カプセルはアイオーナに薬剤を注射し、長い眠りにつかせた。

そしてアイオーナのカプセルは時間をかけ、この大樹のそばに流れ着いたのである。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「なーるほど……そんで、またクアンの姉ちゃんに会えるかもって、魔王やってたわけか」

「うん。でも、わかってしまったのよ。スーパーデプスでの戦いからもう五百年も経ってて、ダンジョンも滅茶苦茶になってしまったって……」

「へ……五百年? ちょい待ち、オイラつい最近クアンとテティの姉ちゃんに会ったばっかしだぞ?」

「えっ?」

うつむくアイオーナは、顔を上げる。

「……や、どういうことかはわかんねえけど、ウン……マジだぞ」

「ううん……その、元気にしてたかしら、魔王さま……というか、クアンさん?」

「ああ。テティの姉ちゃんとラブ過ぎて居心地悪ィが、悪くねえ冒険仲間だと思う。頭いいし落ち着いてるし、余計な世話だがオイラのことも気にかけてるし……オイラたちトレジャーハンターの中じゃ、間違いなく上手くやってる方だ。二人一組でやってるってのを考えても、かなり実績も上げてるし」

聞く限りでは、アイオーナの知るクアンとどこか違っているようにも思える。

魔王であった頃のクアンは、人当たりが悪くならないようにはしつつも、どこか憂いのこもった女だった。生きる意欲が弱っているようでもあって、それが城の脆弱さにも現れているようにも思えたほどだった。だからこそ、どこか放っておけなかった。

あのスーパーデプスでの戦いの後、アル=ゼヴィンに帰還したクアンが何か変わるきっかけを得ていたのだとしたら―――もしかして、トトテティアという人がそれになったのだとしたら―――めでたいことでは、ある。めでたい、けれども。

「どした、アイオーナ? ボーッとしちまって」

「あっ、ああ、別に……」

慌てて、冷めてきたお茶をず、と飲み下す。

「……でさ、悪いけど、とりあえず今夜はこのあたりで野営させてくンねえか? 全く勝手がわかんねえんでさ」

もうとっくにお茶を飲み干してしまったらしいサッコが問うてくる。

「ええ、それは構わないし……この樹の中にいてもいいのよ?」

「あ、それは止そう。根っこ張って弱らせちまうぜ?」

小さなカバンを手にして、サッコは立ち上がる。

「ま、何もなきゃ構わねえでくれていいよ。そんじゃな」

そのまま、彼はアイオーナを残し、部屋を出ていった。

<その2>

「……いったいなんだってンだァ、あいつら?」

大樹の枝に腰掛けたサッコ・ベノが吐き捨てるように言う。

「やれ天球使だ、ゼロのレガリアだって。オイラたちどうすりゃいいんだよ? なあ、アイオーナの姉ちゃん?」

「そうね……」

星空のような地表を見つめていたアイオーナ・リアーナは、傍らのサッコに目を向けた。

「あなた、アル=ゼヴィンに帰りたい?」

「そりゃぁ、もちろんよ。あんま留守にしてっと忘れられちまいそうだしな」

「……そうよね」

アイオーナは、今ここで出せるだけの使命感を、非言語的なものでサッコに伝えてみる。

「一緒に生き延びましょう。いつかきっと、アル=ゼヴィンに戻る道が見つかるわ」

今はまだ、このくらいしか言えない。

サッコがにわかに顔を背け、サンキューな、とつぶやくのをアイオーナは聞き逃さなかった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

大樹の外にある炊事場は、たいまつの光で優しく照らされている。

アイオーナはスライムたちが濾してくれた水で、何種類かの根菜を洗っていた。大樹の近くにあったのをかき集めてきたものだ―――こんな場所で自然が生きているというのはまったく不思議なことだし、そこに陣取れた自分たちは幸運だと思う。

土が落ちきったら研いだ鉄片を翼の先にはめ、ナイフ代わりにして皮を剥く。時間はかかるが、どうせほぼ自分ひとりで消費するものなのだし、やむを得ない。

いささか慎重に翼を動かし根菜を一口大に切ったら、茹でてアクを抜く。魔法を使えば、火をおこすこと自体はたやすい。

「戻ったぜー、姉ちゃん」

と、炊事場に駆け込んでくる少年の声。

彼が抱えたカゴの中には、ひらひらしたキノコが一つかみ程。ついでに手のひらからはみ出る程度の大きさのネズミが一匹入っていたが、既にとどめを刺されているようで、ぴくりとも動かない。

「ありがとサッコ、キノコはそっち置いといて」

「食えるってわかってンだよな?」

「まあね」

かつていた手下の獣がかじっているのを見たことがある。それきり最後に見たときまで健康だったので、毒ではないのだろう。

彼らは、何度かの勇者との攻防の後、夢のように消え失せてしまった。それからサッコを見つけるまでの間、言葉を交わせる仲間はアイオーナにはいなかったのだった。

キノコと根菜を茹でつつ、でんぷん質の果実を薄切りにしていく。もう一つの鍋で焼き上げればとりあえずの食事にはなる。

そんな空間へするりと入り込んでくるものがあった。

「わっと」

サッコが手にしたままのカゴに、蛇が一匹飛び込んでくる。翼を持った蛇だった。

「もう、ケイったら。目ざといわね」

薄切りを中断してアイオーナが笑いかけた。手下たちが消えた後、アイオーナの寂しさを和らげてくれていたのがこの蛇―――ケイだった。その努めを上手く果たせていたのは、ケイの鱗がクアン・マイサと同じ青い色をしていたのと無関係ではない。性格でいえば、彼女とは少々違うようだったけれど。

死にたてのネズミを咥えて、ケイは植物の茎でできた座椅子の上に飛び込み、二人より先に食事を始めた。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「ごめんね。塩も入ってなくって、食べづらいでしょ」

「言うンじゃねえ。塩も胡椒も、どこにあるやらわかりゃしねェだろうが」

素材の味しかしないスープと、焼いただけのでんぷん質を二人で味わう。

サッコが文句をつけるのはアイオーナの方から何か言ったときだけだった。それがわかってくるから、途中からは無言になる。

それでも、最後に一度、アイオーナは口を開いた。

「そのうち私が卵でも産んだら、ごちそうにできるから」

サッコは、無理すんなとだけ答えると、そのまま食事を終える。

ケイはお腹にひとつ膨らみをつくって、おとなしくなっていた。味などどうでもいいのだろう彼女が、今のアイオーナたちには少しうらやましかった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

食器を洗うのをサッコは手伝ってくれていた。

終わったらさっさと暗いところに引っ込んで、根を張ってしまうのだろう。そう思ったアイオーナはすこし声をかけてみることにした。

「ねえ、サッコ」

「あん?」

「クアンやトトテティアと会ったことがあるのよね。あの人たちとどんなことしてたのか、教えてほしいかな、って」

「……あぁ。思い出すと……なんかアレなんだけどさぁ……ま、いいや。話してやる」

洗い終えた皿を風通しがいいところに置くと、そのままサッコは話しだした。

「クアンと居たんなら……オイラたちがトレジャーハンターで、ニンゲンどもが遺した《島》から宝物を引っ張り出して回ってるってことは教わってるよな」

「ええ、まあね」

「でだ、探検に行くときはチーム作るんだが、そこでオイラはクアンとトトテティアの姉ちゃんに声をかけられた……てのが最初の出会いってわけ。二人がなかむつまじィってのは、割と知れた話だったからな……オイラはもう一人連れてったほうがいいって主張したんだが、居合わせた他のハンターはみーんな先約いたり条件合わなかったりで、てんで駄目でよ……三人で出発するハメになったんだな」

サッコはうつむきがちに後頭部を掻く。紫色の微細な粉が、ふんわり地面に降っていった。

「オイラたちが向かったのは第三十一の《島》っていう、まだ調査が始まって間もないところだった。デカい山にぶっ刺さってて、大地との間に魔力の循環を作って周りにへんちくりんな樹海をこさえちまってる《島》だ。そんな所を越えて乗り込んでいくには、キノコと仲良しのオイラが適任だったってわけだ」

「ふうん、サッコって案内役にもなれるのね」

「まーな。菌糸っつーのは地中で繋がってるもんだから、そいつとお話ができれば迷いはしねえ……って姉ちゃんはクアンの姉ちゃんの話が聞きてえんだったな? あの二人の姉ちゃんたちも役に立ってくれたよ……ってか、十二分に頼もしかったっつっていい。クアンの姉ちゃんは蛇ってだけあって狭いとこにまで潜り込んで道見つけるし、迷いかけた時も全然慌てもしねえし、植物のことにはオイラなんかよりもずっと詳しいし……トトテティアの姉ちゃんはとにかく音と臭いに敏感だった。こういうとこには《島》の魔力で気が大きくなっちまったケモノが湧くもんだが、すぐ気づいてくれたから大事に至らねえ。とにかく二人とも、オイラがオイラの役目だけに集中できるように気を回してくれたんだ」

「へえ……すごい冒険者になっているのね、クアンは」

「おう。トトテティアの姉ちゃんと付き合いだしてから、二人セットで有名になりつつあるって感じ。まったく愛の力ってのは偉大だねェ。もっともオイラはそれに困らされたわけだケド……」

サッコはちょっと困ったように、笑って……はいないようだ。

アイオーナは何も言わず、話し続けさせてみる。

「キャンプこさえて飯食ってたら、なーんか会話がぎこちなくって……オイラとしちゃもう二人が仲良しなのは知ってるんだから勝手にそうしててくれりゃいいのに、向こうはどうもオイラも仲間はずれにしちゃ悪いって思ってたみてぇでさ。まあいろいろ尋ねてきてさ……地術士だっつーけどどんな魔法使えるのか、とか、毎日どんな感じで生きてるのか、とか、……それでなんか、ガキみたいに見られてるんじゃねーかっても思えてきて、姉ちゃんたちが悪いわけでもないのにイライラしちまって……」

サッコはうつむきがちになる。思い出したことに怒っているというより、どこか後ろめたくもあるような感じだと、アイオーナには見えた。

「そんな感じで、あくまで冒険の助け合いだけしかしねーぞ、勝手に仲良くしてろって感じでやってた。オイラはオイラでその後もドジったりして、その度に助けてくれたりしたんだけどな。……だから、オイラがヤな奴なだけで、姉ちゃんたちは……悪いやつじゃねえんだ。だから、オイラなんかほっといてくれりゃよかったんだ。オイラなんか……な」

おいらなんか、という度にうつむいた顔が上がる。軽くしかめ面だった。

サッコは強がっている。強がらなくてはいけない子どもである。

だったら、きっと自分もクアンやトトテティアと同じようなことを考えてしまうかなと、アイオーナは思った。

「……もう眠いや。続きはまた今度な。おやすみ」

サッコは陰になっているところに歩いていき、座り込んだ。朝になるまで、そのまま動かなかった。

<その3>

少しくらいは休ませてもらえるものだと思っていたが、そうでもないらしい。

まず、ふと大樹のウロから外を見たアイオーナは、周りの景色がまるごと転換してしまうのを見て、サッコを起こしに行かなくてはならなくなった。

とりあえず周囲を調べ回る中で、ここがどうも戦場の最底辺であるらしいことを聞いた。

それは、moneyを奪いマーケットに還元する魔王の使命を、ろくに果たせていないらしい、ということだった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

大樹も心なしか萎れて見えた。この底抜けの天井の下には太陽のようなものがあって光がさしてくる。

最も下だというのならむしろ光量そのものは多いはずなのだが、それなのに力がないようだった。

「参ったね。オイラ、根っこ張っちまったかしら」

上半身を裸にしたサッコの背中からお尻にかけて、まだちらちらと菌根が残っている。始末をするようなものではないらしくそのまま服を着てしまった。

「……サッコのせいじゃないよ。私が稼げなかったからいけないの」

「は……?」

サッコはなにか言いたそうだったが、アイオーナは隙を与えてくれなかった。

「クアンがやったようにすれば、なんとかなるって思ってたけど、甘ったれだったね。難しいな、魔王って。エヘヘ……」

「エヘヘじゃねーよ馬鹿。あの半鳥族仲間どこいったんだよ」

半鳥族。アル=ゼヴィンではハーピィのことをそう呼ぶらしかった。

「うん、はぐれちゃった……ってか、状況的に、たぶん逃げられたんだと思う。どうせならみんな、魔王に雇われてでも上のブロックでいい暮らしがしたいんだろうしね」

無理のある笑みを向けられて、サッコは眉をピクピク動かす。

「そ、それさ、止めようと思えば止めれたんじゃねーのかよ。アイオーナの姉ちゃんは魔王だろ。あの狭っこいトコの中でだけなら好き放題できンだろ」

「わかってる、わかってるけど……でも、こんなことになってまで、止められるわけないじゃん。自由に飛べないのって、私たちにとってはほんとにつらいんだよ。そんなの、強いれるわけ……」

サッコの顔から、怒りが蒸散していくようだった。

それがほんの一瞬アイオーナに安心をさせる、というのは間違いだった。

「ったく、ホント甘ったれだな姉ちゃん。呆れてものも言えねーわ」

向けられた目線は、あくまで冷たい。

「オイラが他に行くアテないからここにいるんだっての、忘れんなよ。そのケイって蛇もそう思ってんじゃないのか?」

それを聞いて、アイオーナの尖った耳がぴくんと跳ねた。

「ち……っ」

ケイが、自分を見捨てる。

クアンを感じさせるものに見捨てられる。

―――クアン・マイサに、見捨てられる。

「違う!」

意図しないほどに、大きな声が出る。

「ケイが見捨てるなんて、見捨てるなんて……! ケイは、誰がいなくなってもケイだけはずっと私と一緒だったの! この底抜け天井に出てきてから、ずっと……!!」

涙腺が緩むのを感じた。魔王であるからには、抑えねばならない弱さだった。

「じゃあ考えてみろよ。これからどうやって、他の奴らを蹴落として上に戻んのか」

「け、蹴落とす、って……」

「他にどんな表現があるよ。商売なんてしょせんは蹴落とし合いだろうが」

それしかないのか。アイオーナはなんとか返事をしようと、自分の心を絞るようにしてみた。

「何とか、仲良くするんじゃ……駄目かな……」

「馬鹿が」

サッコは背を向け、どこかへ歩き去ってしまった。

ふと下を見ると、ケイが物珍しそうにそこらを這い回っている。今にも羽ばたきだして、どこかに行ってしまいそうな気がして、アイオーナには恐ろしかった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

大樹の中の部屋で、アイオーナは一人椅子に座り、集められた限りの紙に考え事を書き連ねる。

たった二時間のうちに勇者は現れ、相手をし、成績に応じて場所の振り分けがなされることになっている。少しでも早く結論を出して、実行するための準備をしなくてはならない。

「……はぁ」

蹴落とすしかない、とサッコは言った。それは正しい姿勢だと思うけれど、彼女にとってためらいなく実行できるものではない。

どれだけ世界を広くしようと、どれだけルール改正をしようと、生きていけるものと生きていけないものはどこかでどうしても分けられてしまうというのは、抗えない真理だったが、アイオーナは認めたくなかったのだ。

それで、ふと思い立った。これまで見てきた中で、勇者とは和解することもできるとはわかっている。

アイオーナは席を立ち、大樹の外へ出ていった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

大樹の他にも、探せば自然はあるものだった。

首にかけたケイを翼で支えてやりながら、草の中を分け入って進んでいくと、ふとアイオーナは視線と、香りに気づく。

「あの……」

それがなんだかわかっていたかのように、振り向きながら声を発する。その先には、薄緑の肌をして、緑と花とをまとった人型の生き物がいた。

アルラウネの一族だった。

「……こんにちは?」

少し待つ。

返事はない。

「あの、お時間ありまして?」

やはり、答えない。

ほんのりとくる香りは、悪いものではなかった。ただ、それだけで彼女がアイオーナに抱く印象を決めつけられるものでもない。好意を示してくれているのかもしれないし、罠を仕掛けようとしているかもしれない。

魔王なのだから強引に連れ帰ってしもべにしてしまったって構わないのだが、それはやりたくなかった。

「えっと……私、魔王なんです。だけど、なるだけ勇者と和解をしてみたいって思ってます。だから、もしよろしかったら、協力してもらえないかって……」

とりあえず目的だけでも伝えれば、何か反応してくれるかもしれない。

が、そう考えたところに、ヒュッ! 鋭く、緑色の何かが、アイオーナをめがけて飛んできた。

ケイがとっさに首から離れ、その牙で食い止めにかかったようにも見えたが、アイオーナ自身は何もできない。身体にスピンがかかってしまい、回りながら草の中に倒れ込む。

世界が回る。回って回って、あの緑色のが上を通過し、なおもどこかへ延びて……ビシィ! なにかに当たった。

アイオーナはなんとか寝返りを打って、身体を起こす。

その先に、揺らめくものがあった。陽炎のようだが、輪郭がある。シャボン玉のような虹色をしている。緑色の何かは、アルラウネが伸ばしたツタだった。それを何事もなかったかのように受け止めている。

虹の陽炎がゆらめき、ツタを放り返す。その間に、なぜだか色が濃くなってくるような気がした。

「伏せろーッ!」

聞き覚えのある子どもの声。目の前で、陽炎は光りだしてすらきた。

「姉ちゃァんッ―――!」

陽炎の後ろからサッコが駆け寄ってきて、わざと転ぶように地面に倒れた。

直後、バゥッ! 陽炎の放つ光は表面の十数箇所で収束し、それぞれが一直線の光芒となって放たれた。

その一つが、アイオーナの頬をかすめた時、彼女の世界は虹に染まっていった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

薄い虹色の空の中を、アイオーナは翼を動かしもせずに飛んでいた。

ここがどこなのかはわからない。けれど、不思議と疑問には思わない。

ふと、虹色の中に人の顔を見つけた。男とも女ともつかないような、真っ白い顔をしたプリンスだった。

「シンイ……!?」

顔をめがけて、アイオーナは羽ばたく。

彼こそが育ての親だ。行き場をなくした魔族たちを、魔王の良きパートナーとするために育ててきた男だった。

魔王のものになるだけの未来など、アイオーナは好きではなかったし、それはかつてクアンにも言ったことだ。

けど、実際魔王のもとで働いてみて、魔王にすらなってみて、何よりも悩みを抱えてしまった今となっては、この男 にずっと会えなかったことがなぜだか寂しくなってくる。

……面倒を見てくれる人としては、彼は十二分に良かったのだ。

「シンイ……! 私です、アイオーナです!」

声を発しながら羽ばたくが、その顔は全く近づいてこない。

「シンイッ! シンイ―――!」

羽ばたき続ける。

だんだん息が切れてくる。空の虹色がどこまでも薄まって、白く―――

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

目を開く。

複雑に走る枝と、それらに連なる無数の葉っぱが視界を埋めている。

身体を起こしてまわりを見ると、あの大樹の下だった。

「起きたか、姉ちゃん」

サッコがいる。近くに座って、見ててくれていたらしい。

「サッコ、私……どうしてたの?」

「あのヘンなのにやられて気絶してたンだよ。ケイも無事だ。あと……あの、花人族……じゃねえな、アルラウネの姉ちゃんも」

脇を見ると、確かに彼女がいる。もう目覚めてはいるようだが、ぼうっとしていた。

「こいつのいた草場、メチャメチャだよ。虹色のヤツに乗っ取られちまって、入れやしねえ」

サッコは耳打ちで教えてくれた。

「……そう」

あの虹色の陽炎がなんなのかはわからないが、そこまで危険なものだったのだろうか。

敵は勇者だけではないのか。

「おい、姉ちゃん」

ふと気づくと視界から消えていたサッコが、湯気を立てるお椀を一つ持って戻ってくる。

なけなしの野菜が入ったスープらしかった。

「飲んどけ。起き立てでアレだけど、そろそろ勇者が来そうだ」

<その4>

大樹は上のブロックへと移った。

が、それでアイオーナたちが快適になれなかったのは、どこからか現れた天球使により、光の鎖によって締め上げられてしまったからだった。

「大丈夫よ、サッコ。キュアってのを使えばいいんだわ。言われたとおりに……そうすれば、きっとみんな元通りになるわ。元通りにしてあげなくちゃ。私の間違いなんだもの……」

まともに動けなくされた部下たちを見つめ、アイオーナは言う。

「あのさ、姉ちゃん」

サッコはアイオーナを見上げた。

「魔王が変な死に方したんだって言うンだ。天球使以外にもいけ好かねェ奴がいて、そいつのせいかもしれないンだって」

自分で確かめたことではないから、自身をもって言い切ることはできない。ただ、不安が言葉を吐き出させていた。

「オイラは正直姉ちゃんに死なれたら困る。このワケわかんねートコで路頭に迷っちまうなんざたまらんからな。だからさ、その、もう少し……」

はっきり言ってしまえばいいのに、なんとなく言葉が続かない。そうしているうちに返事が来てしまう。

「……少なくとも、サッコは死なないわ」

アイオーナはサッコにさみしげな笑みを向けた。

「魔王は私で、あなたじゃないもの」

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

アイオーナにそっぽを向いてサッコは散歩に出かけた。偵察のためでもあるし、結局アイオーナのそばを決して離れようとしないケイのためにもネズミだのカエルだのをしとめて持ち帰ってやらねばならない。得物の枝分かれしたムチ・オーディアスルーツの根っこがサッコの右手の中にあり、その先端は固く緊張している。

この第三ブロックは、そこら中に魔力の導線が張り巡らされている……それらに近づくと、肌がパチパチと細かく爆ぜるような感じすらした。これがパイプのようなものなのか、あるいはブロック全体が巨大な魔法陣のようなものになっているのかはまだ区別がつかない。

いずれにせよ、サッコは油断ならなかった。アル=ゼヴィンでは大抵の生き物にとって被食者でしかないような動物も、時に強い魔力にあてられて大きく凶暴になってしまうことがあったのだ。

そもそもこんな場所に、動物の類なぞいるものか―――?

そこへ、ふと、小さな影が走り抜けた。空中に……ひらひらと、しかし俊敏であった。赫々たる魔の光のもとで、そのシルエットはコウモリのように見える。

ビューッ! サッコはオーディアスルーツを振るい、直後に持ち手を離そうとした……このムチはマジックアイテムであり、手を通じてサッコの体内で生成される麻痺毒を吸い上げて命中した相手に注ぎ込む力を持っていた。餌にする予定の小動物に毒を使うのは望ましくなかったのだ。

ところが、サッコの脳にあたる菌糸製の神経ネットワークがそのトップ・ダウン的な働きを進めていく中で違和感を算出し、サッコの魂に直談判をしにくる。

コウモリにしては、大きすぎやしないか。脚が長すぎやしないか。もちろんここは異界なのだから少しくらい妙なものがいても不思議じゃなかろう。だがそれにしたっておかしい。けど、おかしいって、何が……?

神経ネットワークは誤差を訴え続け、しかしそこに適当な意味づけがなされない。サッコの身体はいまや意志ではなくただ勢いによって単調に運動を続け、オーディアスルーツの先端はいつまで経ってもコウモリの身体に届かない。

ひとことで言うならば、まるで、夢でも、見ている、ような。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

沼から上がる。

顔についた泥を拭って後ろを振り返ると、沼の表面は薄く虹色をしていた。あたりを見回すが、霧がかかって何も見えやしない。その霧もうっすら虹色だった。なにかを思い出そうとしてみるが、うまくいかない。

が、とりあえず動かないわけにはいかなくて、湿った草の上を歩いていく。

ほどよい冷たさが、気持ちよかった……気づけば裸足になっているし、それどころか服すら消えていた。

やがて、霧の中にぼんやりと、影が見えてきた。大きな丸っこい影と、その上に一本立った細いシルエット……

「お、おっちゃん!?」

サッコ・ベノの心は、一気に覚醒をした。疑いと警戒とを忘れさせられたままで。

草を踏み、泥をはねちらかしながら走る。どんどん、目の前の姿がはっきりしてくる。牛をニ、三頭は呑み込んでしまえそうな巨大なカエルと、その背中には、虫の男が座っている。

サッコにとって、忘れられない人だった。

「おっちゃん! メークのおっちゃん……!」

走る。ただ、走る。

「オイラだよッ! サッコ・ベノだよォッ! おおーいッ……!!」

力の限り叫んだ時、ふいに脚が地面を捉えそこねた―――濡れた草で滑ったのか、サッコは勢いよく地面に叩きつけられた。

だが、痛みなど知ったことか。再び泥まみれになった顔を上げた時……

サッコは、停止しなくては、ならなかった。

「……おっ、ちゃん……?」

虫人メークに、顔が無い。

目と口があるべき場所に、流動する濃い虹色の膜が張られている。その下のカエルも、身体が虹色に変色しつつある。

「お、おい……畜生ッ!」

サッコはここにきて、生きるために必要な恐怖心を取り戻した……この虹色の何かはつい数時間前、アイオーナと自分に襲いかかってきたあの陽炎と同じものだ!

わかった時には、巨大なカエルが大口を開けその長い舌でサッコをその中に招き入れようとしていた。サッコは自らの懐を探るがオーディアスルーツは無い。それどころか、今の自分は裸だ。

「チィーッ!」

すがるように、サッコは念じた―――湿地のそこかしこで何かが蠢いたかと思うと、一斉にしずくを撒き散らして伸び上がった。

地面に潜むキノコやカビの菌糸たちが、サッコに命じられるまま、針と糸の群れのようになって虹色のカエルと虫人に飛びかかる。が……

その時、風が吹いた。気流ではない。目に見えぬ圧力、プレッシャーとでもいうべきものが、同じ働きをしたらしい……さりとて暴力的なものではない。むしろ包み込み、空しくさせるようなものだ。菌糸たちは次々と勢いを失い、しおれ、分解されていった。

「アッ、ア……!」

万策尽きた。あと残されているのは麻痺毒くらいのものだ。それも、こいつらが生き物なのかどうかわからない以上、効き目などないかもしれない。

カエルの舌が、迫ってくる……こいつに食べられたら、死ぬのだろうか? それとも、どうなる?

それを知るより早く、サッコの身体はなにかに持ち上げられ、空中に運ばれた。

「は……!?」

柔らかいものが当たっている。見ると、女の胸らしい。

見上げると、まともな顔が一つあった。

「なんかわかんないけど、もう安心するんよ。あんなのからは逃げるに限るって」

その女性は落ち着かせるようにサッコに言った。

彼女は翼を持っていて、それで飛んでいるようだ。しばらく高度が上がり、雲の中に入ると、サッコの視界は真っ白になった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

再びサッコが目を開けると、あの魔力線がそこら中を駆け巡っている天井が見えた。

服や靴の感触もきちんとあるし、身体を起こしてみればオーディアスルーツも手の中にある。

「おはよう」

先ほどまで担いでくれていた女性が目の前にいる。人型の姿で、コウモリの翼が生えている。

「夢魔族、か……」

「ウン?」

ピンと来ない様子に、サッコはこれ以上言葉を続けるのをやめた。こちらでは別な呼び名があるはずだ。

「オイラは、サッコ。サッコ・ベノ。アイオーナ・リアーナって魔王を聞いたことがあるかどうかも知らねーが、そいつのお手伝いみたいなもんだ」

「ふーん。なんか、珍しいモンスターだね?」

「ヨソに行ったらよく言われるさ……で、アンタは?」

「あ、あぁ、ごめん。ウチはサキュバスのエッショ・ベーベ。なかなか雇われなんでヒマしてます」

「ふうん。じゃあオイラたちンとこ来るか? もう時間ねえだろうからさっさと戻らないと……」

「え、マジ? 行きます行きます。願わくば長いお付き合いに」

すんなり決まってしまった。誘っておいてなんだが、あまりいろいろ考えているタイプには思えない。それでもアイオーナにはいい知らせにはなるはずだ。

だから、帰り道で伝えるべきことは伝えておかないといけなかった。

「さっきさ、オイラ……アンタをムチで打っちまったかもしれねえ。悪いな」

「へ、そうなの?」

きょとんとするエッショ。

「え、ああ、多分……コウモリに化けたりできるんだろ、アンタ?」

「まあ、それはそうだけども……うん、全然わかんなかった。だから気にしようがないよ」

「お、おう?」

サッコとエッショは、赤々と照らされる大樹に向かい、並んで歩いていった。

<その5>

数時間の攻防を終えて、ブロックは移り変わっていない。

決して悪いことではないとは、アイオーナにもサッコにも、新たに加わったエッショ・ベーベにも思えた……強い魔力がそこかしこを駆け巡っているらしいのは、特にアル=ゼヴィンの魔族であるサッコにとっては心地よいものではなかったが、環境が次々変わるのもそれはそれでストレスになるものだ。

ただキュアを唱えた先から摘発を喰らったことだけが問題だった。いっそ違法性などゼロにしてしまおうか、ということで話はまとまる。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「ここいらでも何人か死んでるそうっすね」

とりあえずの戦いの準備を終え、三人はテーブルを囲んでいた。アイオーナがクアン・マイサに教わったという茶が、物騒な会話のおともになっていた。

「変異の力だか、影だかってやつか」

ず、と茶を飲み干すサッコ。甘いものではないが、それでためらいがちに飲むのは自分がガキだと認めるようなものだと思っているので、彼はしないのである。

「……心配しているの?」

と、アイオーナ。サッコとエッショの眼が、磁石を置かれたコンパスのように彼女の方に動いた。

「アンタが死んだら全部ぶち壊しなんだぜ。エッショの姉ちゃんも、まだ名前聞いてねえけどあのアルラウネも……もちろんオイラも」

「え、サッコてここの魔物なの」

唐突に尋ねてきたエッショに、サッコは軽く肩をすくめる。

「ちげえよ……オイラはな、アル=ゼヴィンっていう別な世界から来た魔族なんだ。けど、魔王がくたばったら行くアテがねェのはオイラも同じだ」

「あ、ああ、アテがないってのは必ずしもそうじゃなくって、たとえばあたしの場合なんかまた適当に誰かからシボりとれば―――」

ますますサッコはあきれかえった。顔に手まで当てなくてはならなかった。

「お、お前、馬鹿かよォ……」

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

ほとんど魔王の代行といっていいくらいに働いたサッコは、もうできることがないので自分の笠から生えた共生カビ―――しっとりとした布によく似ていて、柔らかくしかし強かなものだ―――を蛇のように動かして、本物の蛇であるケイをおちょくっている。

その時、アイオーナとエッショは大樹の枝に腰掛けて勇者が現れるのを待っていた。

「ああしてるとかわいいっすよね、サッコくん」

下の方を見下ろしながらエッショが言う。

「そうだけど……あの子いやがるのよ、子ども扱いされるの」

「ふうん。でも、あんだけ働き者で優秀なんだから……あたしなんかと違って……それでまだ子どもなら、なんていうか、伸びしろがすごくあっていいんじゃないかなーって思えやしませんかね」

「伸びしろ……か。素敵な考え方だと思うわ」

「サッコくんには馬鹿って言われちゃったケドね、あたし」

アイオーナはそんなこと、とフォローをするが、

「……馬鹿なのは事実っすよ。このご時世、みーんな疑り深くなっちゃってるから、あたしらサキュバスもルックスだけじゃ商売できないっす。なんとかして相手を騙さなきゃいけないわけっすよ。なのにあたしってば、正直ってーか、思ったこと、そのまんま頭に出ちゃうってーか……って感じのそういうことをよく人から言われて、しかもぜんぜん直んない、らしい」

淡々と、他人事のようですらある感じにエッショは言う。

「ううん、それでも、あなたのいうこのご時世の中でここまで生きてこれたのなら、それだけのことはあるってコトなんじゃないのかな」

「そうっすかね。運が良かっただけかも」

そのまま二人して地面を見下ろしていると、サッコと遊ぶのに飽きたらしいケイがすっ飛んでくる。軽く驚いて落っこちそうになるエッショをアイオーナは翼で支えてあげつつ、首の周りにケイを受け入れた。

「ああもう、やんちゃっすねェ」

「私をいつも見守ってくれてるの。大事な人にも似ててさ」

「大事な人?」

「仕えてた魔王様。五百年前のね」

エッショは、ただならぬ、と軽く目を見開いた。

「サッコが言うには別な世界で今も生きているみたい。こことは時間の流れが違ってて、若いままなんだって」

アイオーナは腕でケイを撫でる。少し難しいが、羽で触れたのでは鱗の滑らかさがよくわからない。

ケイは逃げるでも抵抗するでもなく、ほどよい力でそれを受け止めているようだった。

「……じゃあ、死ねないっすよね、魔王様」

エッショは微笑みかけてみた。

「こんなあたしだけど、カラダ張ってちゃんとお守りしますから。よろしくっす」

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「全員もう担当のトコまで運んである。オイラと……この木に生えてるキノコどもに感謝しな」

「うん。後は私がキュアを使えば、始められるわね」

「おう、頼んだぜ」

サッコはアイオーナをその場に残し、見張り台に相当する区画へ去っていった。

エッショも今頃は敵の到着に備え、準備体操でもやっているだろう。

ただ、アイオーナはいつもにもまして不安を感じていた。

今回は、何かが、おかしい。

だが、悩んでいる場合でもない。アイオーナは天光天摩のレガリアに念を注ぎ、その輝きの足しにする。

裏切れない信頼を、クアン・マイサ一人の存在に支えられた生きる意志を、込める。


いくつもの『篝火』が、彼女らの領域に接近していた。