Seven Seas潜航日誌

46~49

<その46>

予想外の事態が起こったというだけで、何もできないような人間が、ヴァスアとして成果をあげられるものではない。

直樹は、すぐさま空いている左手で得物のハープーンを掴んでみせた。

「ビーン・ボールてかァ……!?」

頭部に迫り来る光弾を、斜めに構えたハープーンが受け止め、バチーン! 弾き返す。衝撃は、強い……手首は痛み、しびれを覚える。

「直樹!? どうなってンだ!」

直樹の髪から手を離し、代わりにその右手を掴んだ孝明が叫ぶ。

「足ィとられた! 異能力も効かねえ!」

「なんじゃとて!? 金属じゃないのか!?」

「孝明、引っ込んで! 直樹の力も使えないんじゃ、僕しか!」

「そうでもない……!」

広幸は孝明の横に滑り込む。が、

「うわぁぁあああぁ!?」

後方でネリーが悲鳴を上げ、そちらを向けば……いびつな魚の頭が床から生えて、彼女を呑み込まんとしていた。

「ね、ネリー!?」

「な、なんとかっ……する! 直樹をっ! おねがい!」

「ッ……!」

直樹は、ネリーの想い人である。それを目の前で死なせてしまうなど、あってはならないことだ。

「ならさっ!」

孝明も直樹の方を向き、懐から球体を取り出し、穴の向こうへと放り投げた。

それは何もない所で破裂した。中から暗い黄緑色の煙が広がり、迫ってきていたガラクタの人魚たちを迎え入れる。煙の内から、深緑色の布のようなものがいくつも飛び出し、敵の腕や胴体を絡めとっていく。

孝明の瞳の中で、緑の光が燃え上がった―――敵を、後方に、放り投げる! ゴン、ガン、ドンッ! 堅く鈍い音を立て、壁の間で跳ね返りながら遠ざかる。

「あんなのあったのか!」

予想外の隠し玉に、広幸は目を丸くした。

「君は、ネリーを……」

孝明が声を上げる頃には、広幸はもう踏ん張るネリーの下へ向かい、床からの魚のあぎとにバールを叩きつけていた。

頼もしい仲間である。

「恩に着ッぜぇ!」

直樹はというと、孝明が伸べた手を一旦放し、ハープーンを両手でつかむ。

中には金属を仕込んである。これだけは、確実に、異能力で好きにできるものだった……直樹の目が金色に輝くと、それは表面に染み出し、穂先に鋭い刃を作る。

「ドウリャ!」

臆することなく、足を縛る何かに、ハープーンを突きつける。

ゴッ! 破片が、散った。削れている!

「ヘッ、さすがに……」

「直樹! 早く!!」

叫ぶ孝明。その目は、瞳にたたえた異能の光の向こうに、いくつもの赤い光を見ていた。

それらは間もなく、実体を現した―――魚、鳥、渦、武器―――歪んだ形の魔物たちが、大挙して押し寄せてくる!

「ンなろーッ!」

気合、一閃!

ガァーン!! 足の拘束が、砕けた! が、痛みとともに、かすかに血が煙るのも見えた。勢いをつけすぎたか。だが、気にしている場合ではない。

「気張れェ孝明ィ!」

「応ッ!!」

グ、と引っ張られ、穴を抜ける。

視界の隅に、奮闘するネリーと広幸がいた……勢いを借りて、彼らの敵である魚の頭にハープーンを放り投げると、目に突き刺さった。

そこから、ヒビが広がって、

「ダァッ!!」

ネリーの怪力にそのまま粉砕され、魚の頭はぼろぼろと崩れ落ちた。

「あの穴、これで塞いじゃえ!」

「だな!」

穴の向こうには、既に無数の敵が迫ってきている。四人はそこへ、魚の頭だった金属片をグイグイと詰める。

その後に、孝明があの球をもう一発放り投げて隙間を塞ぎ、

「おーし、しあげぇっ!」

ネリーは魔力を右の手に込め、白い光弾を穴に放った。その中には、冷気が封じられている……詰め物のど真ん中で炸裂し、凍らせ、強固なフタを作り出してくれた。

「……ふぅぅ。なんとか、なった、ね?」

孝明が、そう言って息をつく……ようやく辺りに静けさが戻った。

だが、またいつどこから攻撃が来るかわかったものではない。一行はすぐにその場を離れ、奥の通路に入っていった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「孝明……あの球、なんだったの?」

先ほど通ってきたものよりもずっと狭い―――普通の家の廊下ほどの、人がすれ違えるだけの幅しかない通路を進みながら、ネリーは尋ねた。

「あぁ、マジックアイテムだよ。圧縮された海草が入ってるんだ。僕の異能力が役に立たないようなトコに行った時にって、アノーヴァさんが……」

「後いくつあるんだ?」

直樹が尋ねると、孝明は少しうつむき、

「一つだけ、だね。これ以上は、活躍できるかわかんないや……」

「気ィ落とすなよ。何ができてもできなンでも、ここまで来たら、最後まで精一杯やるっきゃねェぞ」

そう言って、直樹は再び前を向くのだった。


しばらくしてまたドアが見えてきたのを、広幸のバールで叩き壊して通過する。

奥は、小さな部屋だった……大きく斜めに傾いていた。そのおかげか、体積の半分くらいが、水没せずにとどまっている。今入ってきたもの以外には、ドアも窓もない。

「行き止まり、か」

「ま、とりあえずさ、水から上がれるんだ。休んでかない?」

家具の上に座り、しばらく身体を乾かしていることくらいはできそうな様子だった。広幸は傾いた状態で安定している本棚に乗り、上半身を水の外へ出す。孝明や直樹、ネリーもそれに続き、各々の場所を確保した。

「他に道ってあったっけ……」

「無かったな。あのリビングからは一本道だったぜ」

直樹以外もわかっていることだった。

「ううん、それじゃあ、あのフタしたとこの向こうにもどんなきゃ、なの?」

「だったら参るなぁ……」

一同は、うつむくしかなかった。ところが、

「……あれっ、直樹」

ふと、ネリーは直樹に声をかけた。その下半身のあたりを見て。

「あン?」

「おしりになんかしいてるよっ。本、みたい……」

「お、ホントだ」

身体をどかしながら、直樹はその本を手に取った。

だいぶ分厚いそれは、幸いにも濡れずに済んでいたようだ。それほど極端に古びてもいない。くる、と両手で回し、表紙の題名を確認する。

「……おい、ちょっと待て。広幸……アッチの言ってた奴って……」

「えっ……?」

四人は表紙に刻まれた文字に、次々と目を向けた。


『日記 ミクシン・ミック』

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

<新世暦1785年 橙の月 15日>

外がえらく騒がしい。投げ込まれた新聞を読んだら合点がいった。

今度のヴァスアがオルタナリアを去ったという……『心の儀』を二度しか行えずに。これで直近の成績は二、三、二、四。オルタナリアの環境は悪化する一方だ。予測不能の天災が続き、魔物はそこかしこでのさばっている!

ヴァスアに頼っていたのでは、我らがオルタナリアは滅びてしまうのは明白だ。それなのに人々は、女神の決めたことであるからと言って、その事実を認めようとしない……彼らは此度のヴァスアを無能だの役立たずだのと罵り、鬱憤晴らしをしている……こんな醜い光景が、女神の望みだというのか?

例え一人でも私は研究を続けよう。このオルタナリアが……神にも、よその世界にもすがることなく、存続してゆくために。


<新世暦1788年 白の月 18日>

『第一段階』は順調にスタートした。

今日、私が考案した地上人向けの海底住宅の建設が始まった。主に資金を提供してくれたのは、魚人族に恋をしたお嬢さんと、その両親だったな。情熱的な金持ち共……今の私にとっては、都合のいい連中だ。

お嬢さんは脚が不自由ということで―――これも海に住もうと考えた理由の一つらしい―――乗り物もついでに造ってくれないかと頼まれた。こういうのはアッチの方が得意なのだが、彼を招いたなら、私の計画はどこかで明るみに出てしまうこととなろう。ノウハウを得るためにも、引き受けてやることにした。

さて、向こうでの準備も始めていかなくては。まずはアカデミーに奪われたものを取り戻さねばなるまい。


<新世暦1788年 白の月 19日>

すべて上手くいった。

物体転送技術に関する研究データ……当時の教官どもがなぜ、これを私から奪おうとしたのか、今となっては想像するしかない。私が世界の壁を越えるつもりなのだと見抜いていたのだろうか? そこまで賢い連中ではないとは思うが……

原本は向こうに置いたままで、複製だけさせてもらった。これならバレることもあるまい。


<新世暦1790年 青の月 14日>

ポシーダの都市の一つ、マールレーナが原因不明の海流によって壊滅したとの報せが入った……先日には休火山であるとされてきたペイザ山が突如噴火し、その前はトヨノの米を虫の魔物が食い荒らしていったばかりだ。これははたして偶然か……? あるいは、世界の破綻が進んでいる証拠なのか。

アカデミー時代……禁忌である世界の壁の研究を行おうとしていた頃には、少し恐れを感じたこともあったが、今なら言える。私は、必要なことをしたのだ。あれが無ければ、今頃は私も無力な人々の一人として、ただ震えあがっているだけだったのかもしれない。

もしもオルタナリアが駄目だというのなら、その外へと進出するしかない。ニンゲンは、何としてでも生きていくべきなのだ。神のためなどではなく、ただ生きたいという思いだけによって。


<新世暦1794年 紫の月 23日>

今日、我が屋敷を爆破した。

大地の下に、そして深海に潜ることができる乗り物……ダイバーポッド。あのお嬢さんに造ってやったものの経験を活かした発明だ。今、私はそのコクピットに座り、合金のドリルが地中に道を切り開いていくのを見ている。予め地下に忍ばせておき、事故を装っての爆発に乗じて発進させることができた。

これをもって、『第一段階』は終了だ。私はこれから海の底の新たな家に向かう。

そう、私だけの研究室に。


<新世暦1794年 黒の月 1日>

情報収集用のオートマタを地上に放った。水中では魚として動き、水面に出たら体内に仕込んだ虫型の子機を吐き出し、情報収集を始める。そして容量いっぱいに情報を記録したら、研究室に帰還する。地上の情報を知る必要があったので造ったものだが、同時に最終目的への一ステップでもある。

資源や食料を調達するためのオートマタも近日中には完成する予定だ。ここで生きていくことすらできなかった……そういう無様なエンディングは避けられたといえよう。全て上手くいっている。


<新世暦1795年 白の月 11日>

世界の壁を越えて異界に向かい、破壊されることなく情報を持ち帰る……思索を重ねたが、単体でそれだけの機能を持ったオートマタを開発することは不可能であろうと感じる。

オートマタたちを束ねる親機―――マザー・オートマタ、マザーと呼ぶことにしよう―――が必要だ。

マザーは子機を異界に送り出すエネルギーを発生させ、その後の探索の指揮も行う。そして、彼らが持ち帰ったデータを集積するのだ。そこからの推論も自動的にできればなお良い。

併せて取り掛かることにしよう。


<新世暦1795年 白の月 24日>

マザーの設計についての考えがまとまった。

予め与えた方向性に従い、生物の脳を模倣した回路を自ら発達させていくシステムにするのだ。こうすれば、限られたスペースで十分な計算能力を得ることができるし、機能の改善も可能だ……かつては思い付いても誰も試せなかったことなのだが、今の私にはアイデアがある。

アッチが聞いたら、自分のオートマタに組み込みたがるかもしれん……やつも今頃どうしているだろうか。

いずれにせよ、明日から早速実装を始める。


<新世暦1795年 黄の月 8日>

オートマタたちが、地上が騒がしくなっていることを教えてくれた。

どうやらまたヴァスアが現れたらしい。それも三人もだ。

複数のヴァスアがやってくるケースは過去にもあったが、いずれも双子や兄弟であった。ところが今回の連中は血の繋がりがないという。これは初めてのことだ。

いずれにせよ、頼るつもりはないが……


<新世暦1795年 緑の月 16日>

私は、マザーが設置された部屋で……足を水に浸しながらこの日記を書いている。

ああ……なんということだ。

今朝の明け方だったか……眠っていた私を、凄まじい揺れが叩き起こした。状況を確認しようとする間もなく、部屋は傾いていき、私は壁に押しつけられた……ベッドの下に潜り込むことができなければ、飛んできた本棚が私を圧し潰していただろう。

何とかドアを開け、マザーの元に向かった。そこで見た、オートマタたちから送られた映像は、この海底研究室そのものがねじ曲がっている様を映していた……

地が割け、奈落の底から光が吹き出し、あらゆる構造物を粉砕していく。この地に蓄積された魔力が暴走しているらしい。オルタナリアの崩壊はここまで進んでいたというのか……

既にこの部屋にも浸水が始まっている。マザーには、試験的に研究室全体の管理機能を持たせている。これで生命維持に関わる機能だけでも復旧できれば……


<新世暦1795年 緑の月 17日>

これが、私の最後の日記となるであろう……

マザーによれば、研究室の復旧は不可能であるらしい。間もなく空気もなくなると報告してきた。

だが……マザーはまだ独立して動けるものではないし、その子機だって完成していない……まだ、私は死ぬわけにはいかないのだ!

最後の手段を使う時が来たようだ。アカデミーで、アッチとオートマタの共同研究をしていた頃……十分に複雑な回路を持ったオートマタであれば、生の肉体に代わって、人の魂の受け皿たれるかもしれぬと考えたことがある。

私は、今のマザーに備わった複雑性が十分なものであると信じ、私自身をそこに接続することを決めた。上手くいけば、私は電気で動く幽霊になれるというわけだ。

無論、不安もある。私の魂は、マザーの中においてありのままに生きていられるだろうか。

マザーの中にあるのはニンゲンの脳ではないのだ……どこまで複雑化しようとも、結局のところそれは機械に過ぎない。

せめて、私の目的……私の夢だけは、捻じ曲がらず……そのままに続いていってほしい。

それだけが、私の願いだ。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「これが、ミクシン……アッチの、知り合いの……」

最後のページから真っ先に顔を上げたのは、直樹だった。

「……あのウニモドキは多分、ミクシンが造ってたオートマタの完成形……いや、成れの果てなんじゃないかな。

テリメインに目を付けて……テリメインのモノをぶんどってはオルタナリアに持ち帰って、逆にオルタナリアのモノはテリメインに移そうとして……」

「オルタナリアはもう滅びやしないんだってことを知らずに、か。だとしたら、ミクシンの心は……もう……」

孝明も、広幸も、うつむいてしまった。

「ねえ……はやく、とめてあげようよ。このままじゃ、みんなも……ミクシンさんもっ……!」

促すネリーではあったが、広幸は、

「そ、それはそうだけど……どうやってこっから先に行けばいいのさ?」

「う、うーん……」

そこへ、ゴッ、ゴゴッ。かすかな振動と、底の方から響くような音があった。

「な、なんか、揺れてる……ケド……! ねえ、ここ一応地面の底だよね…… ッ!?」

ドーッ!! 強い力が、孝明を、はね飛ばした!

「がはッ!?」

「孝明ーッ!」

破片が飛び散り、水がどうどうと流れ込む。

それに押されながらも、孝明を助けようと三人は急いだ……だが、振り向くと、

「な……なにっ、あれ……!?」

太く長い触手が数本、壁に開いた穴から顔をのぞかせていた。

さらに、ドッ、ドオッ! 二つ、三つと、次々に穴が開き、触手が現れる。

「うっ、うわぁあああ!!」

広幸は、異能力を込めてバールを振るった。

だが、手ごたえを感じるより早く、その腕を触手に絡めとられ、身体を引っ張られる。

「広幸ーッ!!」

ネリーは、広幸の腰を掴む。その脚を直樹が……そして彼の肩を孝明が掴んで、四人はひと繋ぎになった。

そのまま、まとめて穴の奥へと引きずり込まれていった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

そこは、ドーム状の広大な空間だった。


中心には、五角形の基部がある。

そこから太いパイプが伸びて、内壁のあちこちに結び付いている。

触手たちの根っこも、ここであるらしかった……そこかしこから生えて、波打つように、うごめいている。

「ひょっとして……これが、マザー、なのか……?」

右腕を締め付けられたままの広幸がつぶやく。


巨大な基部が、赤く光り出した。

<その47>

ドームの中心に鎮座するマザーがひときわ強い光を放ったかと思うと、周囲の全てが一斉に動き出した。

その直径だけでも人の背丈ほどはありそうなパイプたちが脈動を始め、触手たちは軽快に伸びあがり、身をくねらせ、

「わはぁあああッ―――!?」

広幸の腕をつかんでいた一本も、思い切り引き戻った。マザーに、向かって……

「広幸っ! 《アイシクル》!!」

詠唱しつつ、腕を振り上げる。

魔力が集中したネリーの右手は大きく発光したかと思うと、すぐさま氷のつぶてを触手めがけて連射し始めた。

が、グンッ! 向こうも大きく身をしならせ、全てを回避する。捕らえた広幸を振り回し、危うく壁にぶつけそうにしつつ。

「わぁ゛ああ゛あっ!」

「うゃぁあ……!」

魔力を込め直すネリーに、広幸は、

「ネリー! やめてッ……自分で、なんとか、するから!」

広幸は、念じた―――心の中で劫火を燃え上がらせ、己の手を炙る。とても熱いが、苦痛ではない。

現実の手が熱のオーラを帯び、一気に指先へと収束させる。

その狙いを触手に定めようとしたとき、広幸は何かが迫ってくるのを見た。

「させっかァッ!!」

グオーッ! 叫びと共に、ハープーンが水の抵抗をものともせずに飛んでくる。

巨大な矢のようなそれは、広幸の顔面を打とうとしていたもう一本の触手と、彼を捕らえていたものとを、まとめて断ち切ってみせた。

「あ、ありがと、直樹……!」

「そのまま飛べ! 固まってちゃまとめてやられる!」

恐らくマザーは自分たちがどこにいようと的確に攻撃をしてくるのだろうと、今の流れが悟らせた。

なにしろここは、敵の腹のなかであり、中枢なのだ。

「ど、どこを叩けばいい!?」

孝明はアノーヴァから受け取った最後の海草玉を、両手で挟むように殴って破裂させた。すぐにその瞳が緑に輝けば、海草たちは腕に、腰にと巻きついていく。が、さすがにこれでは、マザーに傷を負わせることはできないだろう。

触手たちは、ドームの内壁から次々と迫る……せめてこいつらの相手をすればいいと、孝明は思った。

「わたしに、まかせてっ! ハンマーで殴りゃ、あいつだって!」

「おっし、頼んだ! 手伝うぞ!」

突き出した右手の異能力でハープーンを呼び戻そうとしていた直樹は、泳ぎ出すネリーに追従する。

しかしその時、ズバッ! ネリーの行く手にあった、太めの触手の一本を食い破り、大時計の長針が飛び出した。

「っわ……!」

己の胸を目がけて放たれたそれを、両手で抑え込む。肋骨の隙間に切っ先の冷たさを覚える……あと一瞬、遅れていたら!

「だいじょぶか!?」

言いつつも、直樹は下をくぐり、よりマザーに接近する。

頼んだと言ってはおいても、ネリーの後ろで戦うというのは実際もどかしかった。

「へー、きっ!」

気合一閃、針を引く!

ベリ、ベリベリッ! 触手の裂け目が広がり、その主が姿を現した……大きなレンズを目に、ちぎれた幌を鰭とした魚だ。体表面はクラゲの傘にも似た半透明の膜に覆われ、内側では歯車がそこかしこで回転している。

「時計カジキ!?」

「うゃあぁあ!!」

驚愕するネリーの手を、カジキは猛烈な推進力で突っ飛ばして逃れた。後部から放たれる泡の嵐が、ネリーを包む。

そのまま、カジキは猛進する……

「アッ!?」

後方の孝明は、狙いを自らに切り替えられたものと知った。

すでに四方八方から触手が迫り、孝明の自己防衛意識で動く海草たちはそれらの対処に忙しい。

「南無、三ッ……!!」

まだ、殺されたわけではない。

その認知の中で膨れ上がるのは、時計の針でもなく、魚の角でもなく、槍を構えた悪意である……根元があると捉えたことが、彼の命を救った。

「ならさぁーッ!」

ジャケットの下に帯のようにして忍ばせていた最後の海草が、カジキの前に飛び出した。

―――闘牛士をやっていると、思えばいい!

「こんッ……!」

カジキの角が、海草を突き破った。が、続く本体を、弾力で受け止め、

「のォ!」

強くしならせ、放り投げる!

その先で、ドッ! ドドッ! 何筋かの光の矢が、カジキを貫通した……光をたたえた泡が拡散し、血肉の代わりにぶちまけられた機械部品はすぐに沈みこんでいく。

「直樹! 使えッ!」

瞳に妖しい輝きを宿した広幸は、直径四十センチほどの歯車を二つ掴むと、マザーを狙う戦友めがけて横手投げをした。

そんな広幸の後方からも、機械で再現された魔物たちと、触手の群れとが追いかけてきている。

「恩に着ッぜぇ、死ぬなよ!」

歯車二つを両手にキャッチした直樹は、念じた。魔物の一部であったものでも、そこから外れたならばもう支配の対象だ。

―――お前は、俺の、武器になれ!

シュイィーン! 親指と人差し指との間に一センチほどの隙間を作り、歯車は高速で回転し始めた。

「直樹ぃッ!!」

悲鳴に応えて下を見れば、ウナギやウツボ、海ヘビの首を三十本近くは備えたヒュドラーがネリーを襲っていた。

「ンなろぉ!」

どうせあれも機械仕掛けだろう。よくもまあ、ああも奇怪なものを組み立てる!

直樹は、二つの歯車と己の手の間に、見えざる糸を想像して、

「邪魔すんなぁッ!」

ドッ、ドッ! ヒュドラーの首を目がけ、射出した。

歯車を飛ばし、次々と首を断つ。ヨーヨーのルーピング・トリックの要領だ。漫画で見た八の字のループに憧れて、さんざん練習したものだ!

「ネリー! ぶちかませェ!!」

「応ッ!!」

断ち切られ、浮き上がった蛇の首の合間を抜け、ネリーはハンマーを構えた。

マザーの輝きが視界を満たす。

もう、行く手を阻むものはない。

「だぁぁ、」

小さな身体を限界まで捻り、膂力と精神の全てを込めて、

「りゃぁあああああぁぁぁああッ!!」

ネリーは、その得物を、振るった。


―――ガァアーン!!


力が自分の中を過ぎ去った直後、どこかからみしりと音がした。

マザーを貫き、押しつぶしたのか。


「あ……れ……?」

シャコガイ・ハンマーの、頭が。

かつて、自分の首を食いちぎろうとしたそれが、今では大切な相棒となったそれが、一瞬だけふわりと浮かび、落ちていった。


ハンマーの柄が、へし折られていた。マザーの装甲にはひびの一つもなかった。


「ネリー! 駄目だ……」

呆然とするネリーの下へ、直樹は全力で水をかいて直行する。

伸ばした右手が、彼女の腕に触れた、その時だった。

マザーから抜け出し、下方から忍び寄った細い触手が直樹の足にそっと絡みつくと、先ほど通路でこさえた切り傷に触れた。

「は……!?」

先端を二つに割った触手が、傷口をこじ開け、更にその合間から針を打ち込んできた。

記憶にある痛みだった。これは、たしか、予防接種の……!

「くっ!? のっ、やろ!」

直樹は身体を曲げ、触手につかみかかる。

触れた管は脈動している。ちらと見えた足には、何かが根を張っていた。

しびれが、広がっていく……脚から、腰へ、胸へ、そして、


「な、直樹……」

想い人の顔を見ようと、後ろを向いたネリーは、

「……!」

その想い人は、一瞬のうちにネリーの頭につかみかかった。

「え……?」

「…… ……。」

直樹は、何も言わない。強く、より強く、締めつけてくる。

「い、いた、い、よっ、やめ……」

「…… ……。」

目が白黒するような、厭な刺激が走る。直樹の瞳が光を放し始めている。

「やっ、ゃ、い、いやぁあああああっ!!」

「直樹ィィッ!!」

視界の外から、声が、深緑の物体が乱入する!

海草はぐるりと直樹の身体に巻きつき、その力でネリーから引き離してみせた。

「な……直樹、っ、どう、してっ……」

「落ち着け! アイツに、マザーに何かされたんだ!」

やってきた孝明は打ち震えるネリーを腰から抱いて、離脱を試みる。

「もとに戻さなきゃ!」

そこに、広幸も背中を向けてやってきた。追ってきたガラクタどもを、手のひらから乱れ撃つ光の矢で粉砕しながら。

「……!」

ボッ! 近くでなにか仕事をしていた触手を蹴っ飛ばし、直樹は三人目がけて跳躍した。

引きちぎられた海草が、あとに残る。

「ちきしょう!」

ネリーを脇に放り出し、孝明は残る海草にどこかへ引っ張ってもらった。広幸には自分で何とかしてもらう。とりあえず、揃って相手の軌道から逃れられればそれでよかった。

「あっ、あぁ、な、直樹、っ……!」

動けないネリーに、触手たちは急速に迫る。

「ええいっ!」

光の矢をていねいに放ち、脅威を撃ち抜きながら広幸は彼女の下に接近した。

「直樹、っ、ど、どう、すれば、いいのっ……」

「わかんないけど、生きなきゃ駄目だろ!」

乱暴にネリーの腕をつかんだ広幸は、触手を足掛かりにドームの上側へ昇る。

が、そこへ、円盤が飛来した。

「ひッ!?」

上半身をひねって、かわす。

先ほど直樹にくれてやった歯車が、過ぎ去っていった。異能力までも乗っ取られたらしい。

こうなれば本人も来るに決まっている。広幸は体をひねったままにバールを構え、居合斬りの真似事で迎えうつことを考えた。

「―――カッ!」

予想通り、直樹は目に異能の光を含みつつ接近してくる。

孝明もネリーもどうするかわからない。自分でできる限りのことをする。

攻撃は、前から……

「はッ!」

バールを握らぬ左手に念じ、ドッ! 空中に起きた小爆発が、広幸の身体を押し流した。

彼のいた位置を、ブーメランのように戻ってきた歯車が通過する―――それを見計らって、中心の穴にバールの先端を引っかけた。

身体が、引っ張られる!

「犬死に、上等ーッ!!」

まだ熱の残る左手を、急速に温めなおす。

狙うは、ぐんぐんと迫る、友の、頭である!

あと少しで、触れる!

が、グーッ! 広幸の身体は、そこで急停止させられた。

「あっ……!?」

直樹が、回転する歯車を掴んでいるのが見えた。手の皮が破け、血が吹き出ているというのに。

「バール離せェ!」

「……!」

孝明の声が聞こえた時、直樹の目も、光った。

彼が左手に握った歯車は、小さな弧を描いて飛び、広幸の背を抉った……空気を供給する灰色のマシンを、引き裂いてしまった。

「もごッ……!?」

命綱が、あぶくと消えた。

待ち構えていたかのように触手たちが迫り、首を、胴を締め付ける。獲物を捉えた大蛇のように……

「やめろーッ!!」

刃ならばあった。孝明は懐のトマホークを海草に掴ませ、触手目がけて振るわせる。

けれど、何故かそれが届くよりも先に、彼らは広幸を放り出した。

「広幸ッ!!」

呼びかける。応えない。

「広幸、広幸ッ……!」

飛びついて、揺さぶる。

「広、幸、……」

わかって、しまった。

彼の身体に、もう、力が、残っていない、ことを。

―――ゴゥッ!

横殴りの、しかし重心を捉えてはいない力が、孝明を襲った。

視界が目まぐるしく回転する。

あぶくに、包まれる。

息が、できない……

「あ、ァ……」

目の前が、暗くなっていく。

直樹が、いる。

ネリー、……


直樹は、この場に残る最後の敵となったネリーに迫った。

かつて愛した彼女を、彼は容易く殺し、戦いを終わらせるだろう。

あとは永遠に、出会う全てを己に結びつけ、同化してゆく日々が続くだけだ―――歯車を放り出し、両手を金属の爪に変え、直樹は近づいていく。

「直樹、っ……」

「…… ……」

ネリー・イクタから、もはや戦士としての強さは消え失せていた。

「だめ、だよ……」

「…… ……」

武器を失い、力を失い、

「こんなの、ない、よっ……」

「…… ……」

それでも、心だけは、なくならなかった。

「直樹っ……」

「…… ……」

その、心が、


「だいすき……だよ……」

命を奪わせる前に、

唇を、

触れ合わせた。


「グ…… ……」

熱が、伝わってきた。

舌から喉へ。

肺に染み渡り、腸から血の中へと伝わり、五臓六腑へ。

そして、たましいの座へ。


目に見えぬ歯車による支配に、一瞬だけ、ほころびができた。


「ネ、リー……」

直樹の声だ。

「直樹!?」

「ネリー……!!」

直樹が、呼んでいる。

「直樹ぃっ!!」

迎えなくては。ネリーは、腕を広げた。


―――ドッ!

ネリーは、直樹に、突き飛ばされ――――


白い切っ先が、

直樹の、胸を、

突き破ったのを、

見た。


「ェ―――」

それは、触手ではなく、直樹のハープーンだった。


「……ネ、リ、ィ―――」

瞳の中の灯火が、ゆっくりと、溶けて、消えた。


直樹が、横に流れていく。沈んでいく。

血煙を、のこして。


「……ァ……」

彼の血が、ネリーの鼻に触れたとき、何かがその身の内でほどけた。

「ァっ……ァ……!」

ずっと封じ込めてきたもの。手綱をつけたはずのもの。

「ァア、ギィィ……ィッ……!」

母胎から注ぎ込まれた、呪い。

それが、ネリーの体外に直接力を及ぼすほどに強かったのかどうかは、もはやわからない。

腰蓑から、あぎとを持った石が抜け出た。そして、ネリーの胸元に近づいた。

「フゥッ、フゥゥッ……!」

身体が熱い。四肢が痛む。鰭が震える。

だが、抵抗はしない。

母が育ててくれた優しさが、父が教えてくれた強さが、あの人がくれた愛が、遠のいていく。

だが、もう止まらない。


もう、戻れなくなっても、かまわない―――!


「グゥァアアアアアアァーッ!!」


咆哮が、ドームを、揺らし、そして、







―――それはもはや、あどけない少女では、なかった。


牙を見せる、頭。

刃と化した、鰭。


それは、現実にその形を得た、《餓鮫》であった。

<その48>

―――テリメインの辺境。

熱くも冷たくもなく、光と闇は争うことなく混じりあい、遺跡の類もなければ宇宙を模しているわけでもない、忘らるる海。

そこで、ひっそりと渦が現れて、消えた。


オルタナリアで散々に打ちのめされた彼らが、とりあえず助かったのは、こんな場所に放り出されたおかげかもしれない。


「ン……!」

まぶたを開いたクリエ・リューアは、力の入らない身体に鞭を打って上半身を起こし、周囲を見回した。

あたりは、ぶっきらぼうに凸凹した地面。その先は灰色の空と、うす暗い海。

「クリエ! 起きたんだね……」

声をかけてきた小妖精の後ろには、鬼面の剣士や四つ脚の白竜、「A」をおでこにつけたメガネの老人の姿もある。

「ン、ゥ……みん、な……?」

「おぅ、無事だ。俺らだけは、な……」

鬼面―――ワサビが軽くうつむきながら言う。

「我々はあの渦にやられた。それなら、ここは……」

アノーヴァの声を聴いたクリエは、懐からしばらく使っていなかったスキルストーンを取り出す。

深海の遺跡の保全作業に参加する為に購入した『バイオルミネセンス』の石だ。中心にたたえた光が、クリエの集中力にあわせて波打つ。

それで、確信を得た。

「ここ……テリ、メイン……」


☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆


「ウォォォォォォ……ゥッ!」

ネリー・イクタは尾を振るい、マザーに飛びつかんとした。

が、迎撃にかかった触手群が、四方八方から迫る。右腕に絡み、左足へ……ブチィ、ブチィッ! ほんの一瞬の邪魔もできずに、引きちぎられた。

「ガァーッ!」

霧のような光がそこかしこに現れ、すぐに氷の矢に変じた。

ドドドーッ! 全方位に放たれた矢が、触手を切断していく……


☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆


「……なるほど。ここはもうどこの海かもわかんねェってか。傑作だぜ」

岩の上にどっかりとあぐらをかいたワサビはぼやいた。

その下では、ドクター・アッチがもたれかかっている。

「やけにしおらしいな、ジジイ?」

「……フン」

目など合っていないというのに、アッチはますます首を背ける。

「考える時間くらいくれッチよ」

「考え、る……て、何、を……?」

うつむきがちに呟いたクリエに、アッチはすぐさま唾を飛ばした。

「何って何かッチ! 黙っとろいこのネクラが―――」

「よせ」

言わせ切ってしまった。アノーヴァの視界の隅で、クリエは力なく座り込み、

「……ネリー……。」

光る貝殻を取り出して、ただ見つめているばかりだった。


「……ねぇ、みんな」

しばしの沈黙を破ったのは、シールゥ・ノウィクの小さくも通りのいい声だった。

「ゴーグル、かけてみようと思うんだ。いいかな?」

シールゥのゴーグルは彼女の髪の毛を抑え、その力を封じ込めている。ひとたび毛が立ち上がれば、物質の世界と背中合わせに存在する精神の世界へとその根を伸ばし、そこを行き交う波動をもれなく吸い上げていくことができた。

「ゴー、グル……!? で、も……!」

それは、たんぱく質だけでなく、精神的なものでも構成されている妖精にとっては、致命的な事態になりうる行いだった。例えるなら―――心臓が突然どこかに消えて、タコの入った壺と入れ替わるようなことも起こり得るのだ。

「さっきから、感じるんだ。念が漂ってくるのを……すごく荒々しいけど、助けを求めてるみたいな……放っておけないんだ! なんなのかは、わかんない、けどさ……」

声に力がなくなる。確信は何もない。実行したところで、ただ、何かが変わるだけである。

「別に止めないぜ。やりたきゃ、やりゃあいい」

どっ、と岩から飛び降り、ワサビが言うのに、アノーヴァが首を向ける。

「ワサビ!? 貴様……」

「んだらよ、他に何かできっことあンのか、氷竜様?」

アノーヴァは返事に困った。

「考えてみな。フォーシアズでくたばっててもおかしくなかったんだぜ、俺らは」

「死ぬことと見つけたり、てヤツッチか?」

「はっ、バーカ、それ意味違ェよ」

アッチはワサビの鬼面の口から、少し緩んだ唇を見た。

「……うん。ワサビの言おうとしてることはわかる。でも今のボクの気持ち、それともちょっと違うかな」

「あん?」

「どっちかっていうと……ン。まあ、結果出りゃわかるか。はじめるよ?」

シールゥは頭のゴーグルを掴み、引っ張って、下ろした。

ひと固まりの毛の束が、バネのように立ちあがり、輝き出した。


彼女の目のなかで、仲間たちは半不定形の虹の塊と化していた。

大地と海はモノクロになり、濃淡だけがその形をおぼろげに示す。その中には、色のついた極小の粒が浮いている―――今は無視する。

「どこだ……!?」

音が寄ってくる。匂いも、手触りも、味すらも、次々とぶつかってきた。

五感がこの世ならざる場所へと飛んでいってしまった―――ただの人間が同じ状態におかれたならば、きっとそう思うだけだろう。

だが、シールゥ・ノウィクには、全部がわかっている。全ての刺激に意味がある。それら一つ一つを彼女は感じ取っている。それは、苦痛きわまりないことだった―――大都会を行き交う人々の世間話をひとところに集め、刹那のうちに一つずつ脳に捻じ込まれているようなものだ。

耐えなくてはならない。だが、長くはもたない。

その感受性と記憶をコンパスとし、かすかに受信した思念を追いかける。ノイズを置き去りにして、自我が飛翔する。薄く、たおやかな、翅を、携えて。


「―――! 見つけた! あそこだ、ッ……!!」

ついに、シールゥは、至った。

海面の一点に光の矢を放ち、彼女はぱたりと地面に落ちた。


☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆


機械の部品を適当に組み合わせ、かろうじて人の形にしたものたちが、ドームの床と天井から染み出すようにして現れた。

彼らはいびつでありながらきちんと動く四肢と、脆いが殺傷力のある武器をもって、ネリー・イクタの妨害にかかった。触手群へと放たれた氷の矢に貫かれるも、一、二か所を貫かれた程度ではびくともしない。

数機が同時に、ネリーの下半身へと掴みかかるが、

「グァァァァァッ!!」

咆哮が、凄まじい振動を起こし、彼らをボロボロに崩壊させていく。

が、バラララッ! 大きく露わになったネリーの口内に、三つ、四つと穴が穿たれた。崩れたガラクタ人間たちの奥に、銃を構えた腕があった―――腕、だけである。それは反動を抑えるためだけに、マザーと直結したパイプに根付いていた。

「シャッッ!!」

血の匂いで、鮫は荒れ狂う。

魔力の光は赤く変じ、ネリーを中心に周囲へと放射され、ドームを満たす。

力なく浮かぶ三人の少年の影が、床に映った。だが、ネリーはもはや何の反応も示さない。


☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆


潜水したアノーヴァは、何かを咥えて岩礁の上に戻ってきた。

「そ、そいつぁ、ウニモドキ……!」

アッチの声にアノーヴァはうなずき、それを地面に下ろす。

「フゥ……さっきのは、そこから、だよ……何か、あるはず……」

クリエの手の中で、弱ったシールゥは声を絞り出してみせた。

「何か? そりゃ、俺らをここに運んできたのは、多分こいつなんだろうが……」

「……ンム。じゃあちょいとバラしてみますカネ」

アッチが白衣を広げると、内側に大量の工具がしまってあった。その中からカッターとドライバー、あとはちょっとした部品箱を取り出して手を付ける。

わずかな隙間をこじ開けたかと思うと、もうネジがぽろぽろ箱の中に落ちる。

「ッゥ……!?」

「し、シー……」

「伝わって、くる…… これは……!」

シールゥは、ウニモドキに手を伸ばす。

「ンムー? どしたチビ助? チビ助が焦ってるってコタァ―――」

アッチの手は早まり、半ばいやらしくぐねぐねとマシンを弄んだ。

細いコードを容赦のかけらもなく刺しに刺しまくり、電気を通すと、皆の方に向き直る。

「諸君。コレ。一本ずつ掴んでミタマエ」

束ねたコードを差し出しながら言う。

「おい、それ、バチっていくンじゃ……」

「いーカラいーカラ。おみゃーらの見たいモンが見れるッテンダカラ遠慮はナシヨッ」

一同は、アッチとシールゥの顔に、交互に目をやった。それでとりあえずの決心がついた。

小さなコードの先端を指で、あるいは爪で挟み込む。


体の中で火花が散って、目の前が真っ白に染まり、すぐに青一色へと変わっていった。


☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆


ネリーは今や身体中を傷つけられていたが、その勢いは全く衰える様子がない。

「グォオオォオォオォ……ッ!!」

全身から血が噴き出すたびに、彼女の周囲を浮遊する《餓鮫》のスキルストーンは脈動し、真紅の光を放出した。それがネリーに生命力を与えているらしかった。

マザーの眷属どもは、わかっているのかいないのか、どんどんと数を増やしながら、ありとあらゆる種類の攻撃を試し続ける―――斬撃、打撃、銃撃。水圧の弾丸。毒素の注入。電気ショック。一つたりとも、ネリーの肉体を抉りこそすれ、止めることはできない。

とうとう、ネリーはマザーにとりついた。

「ガゥア―――ッ!!」

元の数倍にも太くなった両腕で、ドッ! ドーンッ!! 鬼気迫る勢いでマザーを殴打すれば、数センチほども凹む。同時に異形のメカ群が動きを乱し、幾度かの衝突音が響く。手ごたえを感じてか、さらなる打撃を放った……

が、ドウッ! 側面からの大質量が、ネリーを弾き飛ばす。見れば、七メートルはあろうかという巨大なイカが形作られていた。それが脚を数本も束ねて振るい、自らの主に迫る敵を打ち払ったのだ。しかし……

「ゴォォォッ!!」

それだけだった。咆哮とともに振るわれ、遠心力で伸びあがった尾が、彼を斜めに両断した。

マザーは負けじと、すぐさま新たな怪物を組み立てる。ネリーはそれを瞬時に叩き潰すが、大本たるマザーに再びダメージを与える隙がない。

永遠にこれが繰り返されるわけはなかった。リソースの差は、圧倒的であるからだ。

マザーが送り出す異形の軍隊を前に、ネリーはこのまま、四肢を引きちぎられ、はらわたをぶちまけ、首を切り落とされるまで戦い続けるのだろう―――あるいはその首さえも凶暴さを宿して動きだし、マザーに噛みつかかろうとでもするのかもしれない。

水中に漂う三人の仲間に、何も施してやることなく。誰にも、顧みられることなく。

「ウォオオオオォッ!!」

血煙を発しながら、もう何度目かもわからない突撃を仕掛ける。

マザーは、何も呼ばなかった。

「ガァァァァッ―――」

両腕を、振るって、


ドッ! ドッ! ドッ!!


「ァ―――」


腕を、脚を、腹を、胸を、口を、目を、

五臓六腑を、大脳を、

マザーの周囲に根付いた数百の触手が、ネリー・イクタをなす全てを、一斉に貫いた。


最後の一本が《餓鮫》を刺し貫き、粉々にした。


それが、決着だった。


振り上げた腕が、沈んでいく。

肉体が、弛緩していく。


もう、ネリーは、動かない。




すべては、終わった。




マザーの発する光の色合いにわずかな変化が生じたことに、気づく者はいなかった。


☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆


……。


…… ……。


…… …… ……。


そこは、どこまでも広がる闇の中であった。


「…… ……」

『ネリー・イクタそのもの』が、力なく漂っていた。

目をつむったまま。胸元に浮かぶ、すっかり弱弱しくなった真紅の光に照らされて。


「……リー……、」

声が、した。

「……ネ、リー……―――、リー……―――ネ……―――」

幾重にも重なる声だった。

小さくも透き通る声、ぶっきらぼうな声、威厳をたたえながらもどこか優しい声、そして……

「ン、ゥ……?」

目を、開く。

黒と赤だけの世界に、わずかながら、他の何かがもたらされている―――白い雲のようなものが、流れていた。一つ、二つ……五つ。

「ネ、リー……い、るの……?」

その、どうにか出したような声が、想起をさせた。

「くっ……ク、クリエ、さん!? みんな……!? どこ!?」

ネリーは、ぐりぐりと首を回した。そこから下も、次第に制御が戻ってくるのを感じる。腕を、脚を、尾を動かして泳ぎ出した。

「まってよっ! どこにいるの!? いかないでっ!!」

流れる影をネリーは必死に追いかけた。

だがいくら泳いでも、それらは近づきも遠ざかりもしない。

「待って……まってっ……」

ついには、ぼやけて、消えていく。

「ま……待ってよ、みんな……いるんでしょ……っ、ねえ……」

力が、抜ける。

胸元の輝きが消えていく。何も見えなくなる。

「……ね……ぇ……。」

そしてふたたび、目を、閉じた。


…… …… ……。


…… ……。


……。




















「―――ン゛ンナローォォイィ! ヴァテトンジャヌェェーイッ!!」

突然、アッチの顔が闇の中に大写しになった。

「へっ!?」

よく見れば、あちこち焦げている。おでこの『A』もチリチリだ。

「ちょ、ちょっと!? 今めっちゃバチバチ言ってたよ!? 骨見えて―――」

はっきり聞こえてくるシールゥの声。

「ゲゲゲゲゲェ、こんんんくらいィイイィどどどぉってコトコトネーヨヨヨョョョ……ゴフッゥゥゥゥゥッ」

黒煙を吐き出してアッチは消えた。

「え? え?? ねえ……」

「ネリー! いるんだね、そこに!?」

シールゥ・ノウィクの声だ。

「う、うんっ!」

「あぁ、よかった……! ボクらも無事だ! 今、テリメインにいる!」

安堵の声に続き、ぼんやりと顔が見えてくる。シールゥ、ワサビ、アノーヴァ、そしてクリエ。

「え、えっと、これ、どういう……?」

いきなりこんなことになっては困惑するしかなかった。

「オゥ、ジジイがやってくれたのさ。なんか八卦の応用みてぇな―――」

「八卦ではない、ハッキングと言っていた。意味は知らんが……」

「ン、そうそう。ウニモドキがオルタナリアとテリメインをつないでるってのはもうわかってるよね? ボクたちはそのウニモドキを一つ拾ったんだけど、そっからネリーを感じたんだ」

「わたしを……!? シールゥ、まさか!?」

何をもって感じたのか、ネリーには察しがついた。

「心配しないで、無事だから。でね、このウニモドキ、もしかしたらネリーの所につながってるんじゃないかって思って……アッチが改造して、ネリーの所に飛べるようにできないかどうか試してくれたんだけど……こうやって話すのが、精一杯みたいだ」

「ネリー……そっち、は……」

すす、と割り込んでくるクリエ。

「な……直樹が……っ」

あの悪夢のような時間が、蘇る。マザーに洗脳された直樹。広幸と孝明をたちまち打ちのめした直樹。これ以上ネリーを傷つけまいと、異能力で呼び寄せたハープーンで自らの胸を貫いた直樹。

「みんな……っ、みんな……死んじゃった……わたしも……何が、なんだか……わかんなく、なって……」

「えっ……!?」

皆の瞳が縮まるのを、ネリーは見た。

「そ、そんな! ウソでしょ!? 広幸も直樹も孝明も、やられちゃうなんて!?」

「ウソじゃ、ない……わたし……もう……」

涙が、こぼれた。

重力のない闇の中で、ふわりと浮かび、玉になって流れる。ネリーの後ろへ。


水が弾ける音が、小さく鳴った。


「……おい?」

誰かが、応えた。


「えっ―――?」

振り向く。


「誰が―――」

そこに、いる。


「なっ……」

確かな姿で、傷一つない身体で、浮かんでいる。


「死んだって―――」

「直樹ぃぃぃぃっ!!」

言い終わる前に、飛びついた。

勢いのまま、二人で一つになって流れていく。

温かな両手が、ネリーを包んだ。


「バカが、ったく! 他の二人だって―――」

「直樹っ、直樹ぃ……!」

これでは、仕方がない。直樹は左手だけネリーから離して、軽く振る。


「話、聞かせてもらったよ」

他の二人―――広幸と孝明が、応えてやってきた。

「ここは多分現実じゃなくて、君の精神の中だ……ウニモドキと、あとはマザーの触手を通して、僕らはここにつながったんだと思う。だとしたら、まだチャンスはあるハズだ」

「ど、どゆこと……?」

直樹から顔を上げ、ネリーは孝明に向き直った。そこへ広幸が、

「ひっぱりあげてもらうのさ、テリメインの方から! つながってるマザーごと、一本釣りってね!」

「う、うゃ…… ……。」

直樹は、ネリーを自分の方に振り向かせた。

「ネリー、やろうぜ。みんな、お前を待ってる。おまえを信じてる」

「わたし、を……」

「そうだ。俺だって、同じだ」

肩を掴み、真っすぐにネリーを見つめる直樹。

「……強くなるんだろ? こんな奴に足止めされちまってたンじゃ、つまんねェぜ?」

「…… ……そう、だよねっ!」


直後、砕かれた赤い光が、形を成しはじめた。

細く、しかし強く、螺旋に結合わされ、長く伸びあがる。

それは、ネリーと直樹を結び、孝明と広幸に、そして遠くで見つめる皆にも届く。


赤い糸の端を持つネリーは、遥か下方に、もう一つの魂を感じ取った。


「……あなたも、くるのっ!」

糸を投げ下ろす。ひとりでに伸びて、闇の中に消える。

張力が伝わってきたのを確かめて、ネリーは動き出す。


「―――ひっぱってーっ!!」

グンッ!

赤い糸が、皆を運ぶ。

はるか彼方へ。ここでない、どこかへ。


糸はやがて光の中へと続き、そして、


☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆


顧みられることのなかったその岩礁に、天を衝く光の柱が現れた。

直後―――ドウッ!! 収束したエネルギーが爆発を引き起こし、何もかもを飛び散らせる。

何人かの人型と、四つ脚の竜と、太いパイプ群に、どこかから剥ぎ取られた無数の金属質、そして巨大な五角形の―――マザー、そのものたる―――物体。

全てが宙を舞い、着水する。


その中のひとつ―――ネリー・イクタの腰蓑が、太陽のように発光した。彼女の思惟に応え、スキルストーンが、一斉に起動をしたのだ。

癒しの力を持つ石《トリプル・ヒール》、そして《ワイルド・ブレス》が、半ば暴走気味に光芒を放射した。

直樹に突き刺さったハープーンがひとりでに抜け、出血もさせずに傷口を塞ぐ。孝明と広幸の肉体も、再び活力を取り戻す。光の洪水に押し流され、全てのダメージはたちまち消えた。


海中で体勢を立て直したネリーたちは、形を変えていくマザーを見た。

持ち込まれた物質を、取り込んでいく。

自らを中核とし、塊に変えた後は、下へ下へとそれを伸ばし―――


「あいつ、何しようって……」

「ンッ……これ、見たことあるっ!」

忘れようはずもない。以前アッチがテリメインに現れ、ウニモドキの一つに乗っ取られてしまった時のこと。

あの時は、ネリーの目の前で瓦礫の塊が変形し、人型となった。再び、それが起ころうとしているのだ。


マザーは見る見るうちに、数百メートルはあろうかという機械巨人を構築した。


「な……なんてデカさだ!?」

バールを抜きつつも、広幸は慄く。

「へっ、おもしれえ……これで最後だ、ビビるンじゃねェぞ、ネリー!」

「うんッ……!」

ただそう交わすだけで、二人の勇気は無限大になる。

ネリーと直樹は、聳え立つ大巨人へと、突貫した。

<その49>

迫りくるネリーと直樹を見た異形の機械巨人は、自分の腹に五十か所も穴を空けた。それらから、ドッ! ドドドッ! 瓦礫の塊を連射し、弾幕を張る。

「ンなろッ!」

直樹は大きく水を蹴ってネリーの前に飛び出すと、ハープーンを構えた。目が、金色に輝く―――異能力が発動をし、ハープーンの先端に作用した。水中だというのに超高速で回転を始め、迫る瓦礫を跳ね返していく。

「直樹っ!」

「ネリー! 行けッ……」

行けるわけがない。防御に集中する直樹の後ろでネリーが戸惑っていると、クリエ・リューアが接近し、

「ハァッ!!」

スキルストーンの光を、ふたつ、見せつけた。

泡が壁となって彼女の身を包んだかと思うと、そのまま膝を抱えて高速回転しながら突進し、弾幕に穴をあけていく―――《109C》、と呼ばれる業であった。《ウィンドガード》と併用することで、自らを突き進む盾としたのだ。

「先に行くぞ!」

「アイツの中身をむき出しにしなきゃ!」

横を見れば、アノーヴァとその背にしがみついた孝明が、クリエの作った通り道から先行する。

ガラクタの巨人は彼らを見下ろし、目を光らせた。

「危ない! よけろッ!」

広幸が叫んだ直後……ギィーンッ! 巨人の目の光は一筋の線へと変じ、海中をまっすぐに貫いた。

「チィーッ!」

アノーヴァは身体を捻り、光芒をかわす。そのまま光は地面を穿ち、着弾点を青白い針の山へと変えた。

「ひゃァあ、凍っちゃった!」

「当たりたくねェな……ッ!」

シールゥはワサビの後頭部にしがみついている。そのワサビは、敵を観察していて、

「そこォ!」

弾幕の裂け目、巨人の首がすぐには向けぬ一点、そこを目がけて、妖刀《シチミ》を振り抜いた―――ズォッ! 真紅の刃が刀身を離れ、幅を広げ、海を裂きながら飛翔した。

ならばと巨人は、膝をつき上げる―――ドォッ!! 刃はそこに命中し、煙のような泡が白く膨れた……その中から、切り落とされた脚部がゆっくりと海底に沈んでいく。だが煙の向こうには、無傷のシルエットが見えていた。

「手足を切り落として参る相手でない……畳みかけるぞ、準備は良いな!?」

「はいっ!」

孝明は、確かに了承した。

だが次の瞬間、アノーヴァが自分を海中に放り出し、挙句長い尾で包んでくれば、どんな顔をすればいいかわからなくなる。

「な、なんじゃとて……!?」

「海草でも拾ってこねば、戦えぬよな!」

「それで僕を尾っぽで投げンのォ!?」

「安心しろ……!」

ブォゥンッ! アノーヴァは斜めにスピンして、孝明少年を下方へと放り出した。そのまま、前方の巨人を見据えて、

「この始祖竜アノーヴァ・ピイヴァルが好いた、宇津見孝明は―――無敵である!!」

一声叫び、そのままあぎとに冷気を蓄えだす。

投げ出された孝明はというと、その意識のなかにいくつもの『緑』が入り込んでくるのを感じていた……それらを、あらん限りの力で、引き寄せる。周辺海域の海草が、藻が、一点を目がけて伸びる―――海床を抜け出し、鳥の様に海中を飛び、孝明の右腕が指す先へと集う。

「かぁッ!!」

ついにブレスを放ったアノーヴァに対し、巨人は目からの閃光で射貫こうとする。

「―――無、敵ィーッ!!」

気合一閃! 孝明の異能力に導かれた海草の塊は巨人の背に向かって伸びあがり、メデューサの蛇のように枝分かれしてその身を締め付けた。

そこへ……ビカァーン!! アノーヴァのあぎとを発した冷気の槍が、巨人の腹を貫き、

「おまけェーッ!」

広幸が、どこかで叫んだ―――凍り付いていく巨人の身体に、赤い異能の光をたたえたバールが突き刺さった。その一点から、巨人の結合力が弱まり、バラバラに崩れていく。もともと、寄せ集めでできた存在であるから、こうなれば脆かった。

残っていた右脚から腹へと崩壊が進み、弾幕が止んだ。

「いまだッ! ネリー!」

「応ッ!」

ネリーと直樹は、機械巨人の頭部―――中枢たるマザーが、収まっている部分を目指して突貫した。

巨人は既に胸から上だけとなり、両肩の動きも海草に妨げられている。

もう、二人を阻むことは、できないはずだった。

「ズオオオオオオオッ―――!!」

ネリーは直樹を追い抜き、突き進む。

ハンマーはもうないが、拳骨で十分だ。このままケリをつけてやる。何も考えることはない。

「―――ッ!?」

それに気づいたのは、後ろの直樹が先だった。

巨人がゆっくりと口を開けている……中に、あの白い光を、湛えながら!

「ネリィーッ!!」

「!?」

直樹は、力の限り、前に出た。

ネリーの肩を掴み、後方へと、振るい、


―――ゴォォォーゥッ!!


直樹よりも早く回避行動をとった皆は、巨人の喉から白い渦が放たれたのを見た。

まるで、横向きの―――クジラがすっぽりと入ってしまうほど大きな竜巻が、荒れ狂っているようだった。


ネリーと直樹は、影も形も見えない。

見えるはずがなかった。


二人とも、半球のような形になった氷の塊の内側にいたのだから。


「……生きてっか……ネリー!?」

「直樹……!!」

ネリーを掴んだ直樹の目は、まばゆい光を発していた。彼の後ろでは、白い筋の入った瓦礫が壁をなしていた。

「危ねェトコだった……今度こそケリつけっぞ、いいな!?」

「うん! いつでもいいよ!」

ネリーは腰蓑から、スキルストーンを一つ取り出して念じた。二人の身体の周りに、泡が起こる。速度を得る石―――《スーパーキャビテーション》が力を発揮し始めたのだ。

「へっ、こりゃあ、いい……!」

直樹の瞳が、再び輝き出していた。


氷の塊が砕け、二つの影が中から飛び出した。

「直樹……! ネリー!」

シールゥは目を見張った。二人は、確かに生きている。

「ソレミロ、だからどうせダイジョーブだって言ったッチよ」

いつの間にかアッチは彼女の隣に浮いていた。

「…… ……!」

クリエは、巨人の頭目がけて直進する二人を見つめていた。

その右手の隙間から、スキルストーンがかすかな光を発している。それはいつかネリーの役に立つかもしれぬと思い、手に入れておいたもの。今に至るまで渡さずにいたもの。

「クリエよ。その石、私たちも使えぬか?」

アノーヴァが……他の皆も、クリエの方に向いていた。

「任せきりってのは退屈なんでな」

「そうそう。やれるだけのこと、やっちゃおうよ!」

「フーン。今回は特別大サービスで協力してやるッチよ! ありがたーく思いナサイナ」

「直樹のこと、放っちゃおけませんよ!」

「ネリーも、ね!」

クリエは、右手を上げた。スキルストーンの光が、なぜだか強まっている。これは簡単には発動しないもののはずなのに。

「……わかっ、た。みん、な……念、じて……!」


シールゥが、

ワサビが、

アノーヴァが、

アッチが、

孝明が、

広幸が、

そして、クリエが、


ふたりの、勝利を、祈った。


《シャングリラ》。

理想郷の名を冠したその石は、蓄えられた念で、奇跡を起こす。


クリエの手から、ついに黄金色の光帯が放たれ、直樹とネリーを打った。

それで、もう十分だった。


『ズァァアアアァアアァアアァァア―――ッ!!!』






二人の拳が、巨人の頭を、貫いた。


瓦礫でできた、大きな大きな粒の雨が、ぼろぼろと海の底へ降り積もる。


誰かが、その中に、風穴の開いたマザーを見た。




最後の戦いは、こうして終わった。


☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆


「……あったよーっ!」

ネリーは灰色の塊を一つ―――それと、へし折れながらもこっちの海までついてきてくれたシャコガイハンマーも―――抱えて、皆の待つ岩礁の上に登ってきた。

「ンッ、見せるッチ!」

ドクター・アッチは置かれた塊に目をやり、続いてハンマーで軽く叩いた。脆くなっているようで、すぐにヒビが入って砕ける。

中には、人の顔があった。

「ミ、ミク、シン……ッ!」

アッチはせかされるように、さらに塊を砕いていく。器用なクリエと孝明も彼を手伝う。

程なくして、その全身が露わになった。白衣を着た紫の髪の男だった。彼は眉間にしわをよせるでも歯を食いしばるでもなく、切なくまぶたを閉じたまま、永遠に停止していた。

「……あァ。確かにこいつは、ミクシンだ、ッチ」

アッチは握っていたハンマーを放り捨て、力なく膝をついた。

「これは……死蝋化……してるの?」

孝明が脇から尋ねた。

「そうらしい、ッチね。よくもまあ、こう、キレイに置いといてくれたモンですワ……」

しばらくミクシンの遺体を見つめてから、アッチは広幸に問いかけた。

「ミクシンは、最後に自分の身体をマザーにくれてやった……そうッチね?」

「うん。日記にはそんなことが書かれてた……」

「そうか、ッチ」

うつむくアッチ。

「アッチ……ごめんね。お友達……たすけられなくって……」

「気にスンナ。こいつはとっくの昔にくたばってたッチよ。マザーに脳ミソ明け渡したって時点で、ネ……」

すっく、とアッチは立ち上がる。ネリーの方を向かないまま、彼は言葉を続けた。

「……馬鹿なヤツだ、ッチ」

頭の『A』が、風でゆらゆらと揺れていた。


しばらくして、水平線の向こうに船が一隻現れた。

「アッ……! ねぇ、あれ! 助けに来てくれたのかな!?」

いち早く気付いたシールゥが騒ぐ。

「いや、野次馬だろ。さんざ派手にドンパチしたからな……まぁ、助け舟になってもらうか」

「じゃ、知らせなきゃ! 僕行ってくる!」

広幸は異能力で宙に浮き、船に向かって飛翔する。

交渉は無事に済んだらしく、しばらくして船は岩礁の方に向かってきた。乗り込んだ一行は事情を話し、協会のサポートが受けられる領域まで送ってもらえることになった。


船が安全なエリアに差し掛かったところで、ネリーは皆に声をかけた。

「ンー……わたし、ここで降りるねっ」

「……? どう、し、て?」

「こっちでいっしょにボウケンしてたみんなに会いにいってこなきゃ。ずーっとおるすにしちゃってたから……」

「あ、そっか。わかったよ、気をつけてね?」

「ンっ! そんじゃ、またね!」

船から飛び降り、跳ねながら水平線の向こうに消えていくネリーを、皆は船の上から見送った。


☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆


日々は飛ぶように過ぎていった。

ネリーはあれから封印の守護者と戦って、星の海《ディーププラネット》へと旅立ち、星雲の女王や恐ろしい魔王ともやりあったという。

他の皆はネリーの棲み処の穴倉でしばらく過ごすことになった。ネリーとクリエだけでは持て余す広さだったが、全員で入れば賑やかなものだった。毎日、朝から皆で海に出たりもした―――あの戦いの最中もオルタナリアでは渦が荒れ狂っていたはずで、となると自分たち以外にもテリメインに飛ばされてきた者がいてもおかしくなかった。実際何人か見つかって、協会に保護を頼むことになった。

そんな中、アッチはマザーの残骸を分解して、毎日なにかの機械を造っていた。


そして、ネリーと大勢の冒険者たちが魔王を打ち倒してから数日後の夜のことだった。

「……ンー、シャシャシャシャシャーァ! 完成ーッチ!!」

スパナを片手に妙な笑い声をあげるアッチ。寝入ろうとしていたところだった皆は叩き起こされ、不満げに―――多少の警戒心も抱きつつ―――アッチの下に向かった。そこで見たのは巨大な丸いマットと、それとプラグで繋がった円柱状のマシンだった。

「な、何これ?」

「ンフフフフゥー! なぁーんとぅ!! オルタナリアに帰れる装置だッチ!! イ゛ゥェェェーイッ!!!」

マシンの前で小躍りするアッチ。

「あ、あんたよォ、そういうモン造るってンなら、初めから言えよな……?」

直樹はすっかり脱力したが、その横でネリーがしおらしくなっているのには、すぐには気づけなかった。

「……そっか。帰んなくちゃ、いけないよね」


日が高く昇り、西に向き始めたころ、皆は穴倉の外に移されたマシンの周りに集まった。ネリーを除いて。

「おまたせーっ。ごあいさつとかぜーんぶ終わったよっ!」

そのネリーが、セルリアンの町の方から駆けてきた。

「よっ、おかえり! こっちも俺らで最後―――」

「うゃ! たっだまーっ!」

迎える直樹に、ネリーは元気よく抱きつく。砂に足をとられて転びそうになったが、なんとかこらえた。

「ったく、イチャつくのはオルタナリア帰ってからでも遅くねェだろ」

「そうッチよ! そろそろ準備も終わるッチ」

アッチはマシンに何かを仕込んでいるようだった。

「なんかヘンなこと考えちゃいないだろーね」

疑わしい目を向けるシールゥに、

「いねーヨ! ったくホント信頼ないッチね……」

オルタナリアでの所業を棚に上げつつ、アッチは返事を続ける。

「爆薬を仕掛けてるッチ。ボクらの転送が終わり次第、このマシンは木っ端みじんになるッチ」

「こことオルタナリアの繋がりはきちんと断つ、ってわけですね」

「そのとーり。ま、今は、ネ……」

「今は、って?」

孝明の問いかけに、少し間をおいてアッチは応えた。

「……ミクシンは馬鹿なヤツだったッチが、ヤツのたくらんでたコト全部が間違いだったとは思っちゃいないッチ。オルタナリアは変わンなくちゃならんし、変わっていける……ボクらを差し置いて、てめーらヴァスアがそれを示しやがったッチね」

その言葉で、孝明も、広幸も直樹も、思い至った。

彼らが冒険の最後に起こした奇跡によって、オルタナリアは地球人にすがることなく存続できる世界になった。だけど、これから先もずっと安泰とは限らない。いつかは、世界の外側をも見つめていかなくてはならなくなるかもしれない。

「ボクもそのうちなんかしねーと、モー悔しくて悔しくて死にきれんとです、ッチ。我が友ミクシンのためにもネ……さ、終わった終わったーッと」

作業を終えたアッチは、機械に繋がったマットの上に飛び乗った。

皆もおおむねわかっていたようで、マットの中に入っていく。アノーヴァが身体を丸めて外周を埋め、その内側に全員が立つ。もちろんミクシンの亡骸も一緒だった。彼はオルタナリアで弔ってやらなくてはならない。

「だれか居なかったりしないッチね? サルベージはしてやらんゾ!?」

「……ン。大、丈夫……」

クリエがはぐれてないのなら間違いないだろう、とアッチは内心思った。

「ンン゛ッ! ンだば、スイッチ・オーン! あポチっとなァ!」

アッチが機械のボタンを押すと、マットが色を帯び始めた。続いて、鈍い音と青白い光とが膨れ上がり、皆を覆っていった。それが、極限に達した時―――ブァーン!! もしも野次馬がいたなら、マットの上の風景が歪み、一点に収縮するのを目撃したかもしれない。

それが済んだ時、もうそこには何もいなかった……ボウッ! 稼働音が止まった直後に、爆薬が下から上へと炸裂し、マシンを細かくばらばらにしていく。

照りつける太陽の下、波が残骸をさらっていった。


☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆


フォーシアズ・アカデミーの健在だった塔の一つに帰還したネリーたちの下に、ゼバ・エブカがやってきた。

「こ、こちらですッ、セレーネ様ネプテス様!」

「あッ……あぁ、ネリー……ッ!」

「よく、よく戻ってきてくれたァッ!!」

ゼバに連れてこられたネリーの母セレーネと父ネプテスは、愛娘を両側から思い切り抱き締めた。

「うゃぁ! かえってきたよっ! いっぱい、ボウケンしてきたよーっ!!」

「……ン。よかった、ね、ネリー……」

思い切り愛されるネリーを、クリエは嬉しそうに、けれどどこか寂し気に見つめる。

ネリーはそれがわかったのかもしれなくて、

「おとーさん、おかーさん。テリメインにいる間、クリエさんがいろいろおせわしてくれたんだよっ」

「まあ、そうなの……」

「お礼をしなくてはね。クリエさん、落ち着いたらマールレーナに来ませんか? おもてなしをしますよ」

「……! あっ……あり、が、と……ござ、ます……っ」

クリエのメガネの端から涙が一つこぼれ、外套の中に消えた。


「各地の被害の方はどうか?」

アノーヴァは用事が済んだゼバに問いかけた。

「どこもひどい有様です……けど、しばらく前に渦が止んでからは、どんどん復興が進んでいます。ネリーちゃんとヴァスアの皆様がウニモドキの発生源を叩きに行ったのを知って……きっと何とかしてくれると信じて、みんな命を投げ出さずに耐えてきたんです。そして、皆さんを迎えるために少しでも街を直しておこうと、頑張っていたんですよ」

そう言って、ゼバは部屋の扉の方へ歩いていき、

「表に出ませんか? 皆さんが戻ってきたとわかれば、もっと元気が出ると思いますから……」


広大なアカデミーの中庭には無数のテントが並び、その周囲では人々が忙しく働いていた。建物の修復にあたっている者も居れば、炊き出しや怪我人の世話をしたり、中にはちょっとした芸で皆を楽しませているような輩もいる。

その中へゼバは出ていって、声を張り上げた。

「皆さーん! ヴァスアと、その仲間たちが……戻ってきましたよーっ!」

その一声で、数十、数百の視線がネリーたちに向けられた。

「お、おぉぉ……!」

「またも我々をお救い下さった……!!」


「うゃーっ! かえってきたよーっ!」

「おう、みんな無事だ……」


前に出たネリーと、広幸と孝明と直樹とを、民衆が一斉に取り囲んだ。そして、

「ヴァスアー! ばんざーいッ!!」

「ネリー・イクタもっ! ばんざーいッ!!」

掴み上げて、胴上げを始めた。

「わ、わわわわ、ちょっとちょっとォ!?」

「わーァ!!」

力の強い獣人や亜人もいる。軽い子供たちは、割と乱暴に、空高く放り上げられてしまう。

「舌ぁ噛むぜ、大人しくぶん投げられとこうや!」

「うゃーあっ!!」

そのまま、四人はしばらく降ろしてもらえなかった。


☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆


復興作業が終わらぬうちに、その日はやってきた。

広幸たちは、自分たちの世界―――地球が、彼らを引き戻そうとしているのを感じた。もうオルタナリアは助けを必要としてはいない。帰る時が来たのだ。


夕暮れの中で、三人は仲間たちの前に立った。

「ごめんね。これ以上、手伝えないのは残念だ……」

「しょうがないさ。ボクらの世界だし、ボクらで何とかするよ」

「うむ。孝明……」

「なんです?」

孝明はアノーヴァに顔を寄せた。

「お前も、精一杯生きてみせろ。あの時、好いたと言ったが、あながち嘘ではなくてな……異能力のない世界でも、どうか、勇者でいておくれ」

「……はい、きっと」

甲殻を溶かしたアノーヴァの頭が、孝明に触れた。毛の感触が心地よかった。


「ねえ、アッチのヤツは来てないの?」

「ま、しゃーねェな。一応犯罪者だしよ」

と言うワサビに、広幸は少しうつむく。確かにその通りなのだが、今回の件の功労者の一人でもあるのだし、あまり悪い扱いをされてほしくない気がした。

「私、も……その……でき、たら、もう、一度……学者……さん、で、頑張、って、くれる、と、いい、な、て……思って、る……」

「……うん。だって、ねえ?」

広幸とクリエは、ちらりと隣の方を見た。


「いっちゃうの、直樹……」

また会えたのに、また別れなくてはならなくなった想い人を、ネリーは悲しそうに見つめていた。

「ま、なンだ……地球には、二度あることは三度ある、て言葉があってな。だからよ……」

「直樹……」

「……元気にしててくれ。きっと、俺らはまたここに来る。今度は、勇者様じゃなくて、普通に遊びに来れるといいなって思う。そんときゃ……マールレーナ、案内してくれねェか。お前ん家も、ちゃんと見てみたいし、さ……」

「うん、いいよっ!」

ようやくネリーが笑顔になってくれて、安心して……それが引き金になったのか、直樹の身体が透け始めた―――孝明と、広幸もだ。

「っと、そろそろか。じゃ、またな、ネリー!」

「じゃあね、直樹! 元気でねっ! ぜったい、また、あおーねっ!!」

「おうッ!」


直樹たちは、オルタナリアから消える最後の一瞬まで、手を振り続けていた。


辺りに静けさが戻り、太陽は地平線へと沈みつつあった。

ネリーは、直樹がいた場所を、いつまでも、いつまでも、見つめていた。