らすおだA記録

26~30

<その26>

モーリスが自己診断プログラムを起動すると同時に、モークの手がモニター下のキーパッドへと伸びた。

計器の針が突然ゼロを指してしまったとしたら、たいていはセンサーが壊れたからだが、本当に測るべきものが失われたということもありえなくはない。

そして、この針たちが示していたのは、物質分布やらダークマター密度やらといった、向かう先の空間の中身を表すデータだった。

「船長、計器の異常は確認されませんでした」

モーリスはあまりにも早く結果を出す。そのせいで、モークは震えがきた。

「で、では……!」

ありえない。

目の前の宇宙は、確かに光を返してきているというのに。


深呼吸をする。

幸いにしてジャンプの準備は行われていないから、あそこにつっこんでいくことはない。FARAWAYはきちんとモーリスの制御下にある。

今すぐ、自分自身がどうにかなってしまうわけじゃない。それなら……

「船長、ブレイブ・ワン号からメッセージが来ております。どうやらこちらと同様の状態に陥っているようです。アイス・デュオ号からは、コンフィデント・ジェネラル号からの通信がロストしたとの連絡があります」

もはや自分の思考がまとまるより、モーリスの行動の方が早かった。

「……ブルーバード号、健在です。その旨返信して下さい。お願いします」

それだけを言って、モークは椅子に深くもたれかかった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

ロストした船が戻ってくることはなかった。

FARAWAYを搭載した船はそれぞれ別なルートで進み、互いにそれなりに離れた距離にいたわけだが、生き残ったものたちは皆モークと同じ景色を見ていた。


「えっと、偽の真空と真の真空というのはご存知かと思います」

バーチャル・ミーティング―――仮想空間に入りこんでの集会である。多人数で会話する場合はメッセージを送りあうよりこの方がやりやすいのだ―――の会場の中で、クースキアンの女性が語る。

「我々の知る宇宙空間の真空のエネルギーよりももっとエネルギーが低い状態があって、ある一点がなにかの拍子にそっちに移ってしまったとすると、ポテンシャル差がものすごいエネルギーを生み出し、回りの真空を強引に低エネルギーに移してしまうのですね。そうなれば我々の知る構造は崩壊しますからね」

「要するに、あれが本当に何もないところなんだとして、我々が生きとるのはおかしいと。逆に言うなら、あれはあの状態で、なぜだか安定しとるのだと……よもや、あれは宇宙の果てなのか?」

初老のアイス・デュオ船長が応える。

「宇宙の果てだって……!? ば、馬鹿言わないでくださいよ! あの先からも光が届いてるじゃないですか! あれは壁なんかじゃない、向こうからの光がねじ曲げられて……!」

声を張るサージァリアンの若者。

「落ち着いてくだされ。その可能性は確かに否定できんが、今の我々の装備で確証を得るまで調べるというのは難しかろう……」

「……そうですね。今は消えてしまった船について、できる限りの捜索を行いましょう。その後はエオデムにいったん帰るべきでしょう」

そう提案するのが、今のモークには精一杯だった。

「……もっと早くわからなかったのか。こんなのって、ない……何のために、夢なんか見てきたんだ……僕は……」

あの若者がうなだれている。

モークはその姿を、当分忘れることができなさそうだった。

<その27>

モークはまた、マーサと二人で出かけていた。


谷間の舗装された道をゆく。見上げれば、赤々とした空から馬鹿でかい一つ目お化けが覗き込んできている……ガス状惑星だ。

やがて行きつく突き当りの崖には、ポッカリと穴が空いている。入り口には金属製の枠と注意書きの看板が設けられ、その奥にも点々と電気の灯火が列をなしている。

もっといえば、つい八百メートルほど前にあった建物で、二人して入場料を払ってきたところだった。


「よくご存知でしたね。ここが、僕が冒険家なって、初めて来たところだっての」

かつては未知への入り口だったものから目をそらし、モークは傍らのマーサを見つめる。

「本を読んだんです。ここで確か、プラエクサの人たちが使ってた……家事用のマニピュレーターを見つけたんでしょう?」

マーサの目は好奇心を覗かせながらも、いつもどおりの奥ゆかしさを保っていた。

「ええ。今となっては、懐かしい話です」

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

あれから、モークたちが帰還した後で追加の調査がなされた。

同じくFARAWAYを搭載した船が様々な方向へと飛び、そしてモーク達と同じ発見をして戻ってきた。


我々の生きる宇宙は、『無』の中に浮かぶ巨大な球体の中にある……そういう結論が出るまでに、さほど時間はかからなかった。その向こう側に見えた光は、球体の内側のどこかにあったものが反射して見えたのだろう。

あの時、壁の向こう側を目指してジャンプしてしまった船がどうなったかもわからなかった。消滅してしまったのかもしれないし、そうではないのかもしれない。戻ってこない以上、なにもわからない。


ただ一つ確からしかったのは、これ以上遠くには行けないということだった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

地下空間は全体として網目のような作りで、通路が交差する部分は直径にしておよそ十メートルほどの丸い部屋になっていた。後付の照明でぼんやりとオレンジ色に照らされたフレームがそこかしこに通って、支えになっている。

「これ、いくらかは元々ここにあったんですよ」

モークは柱の一本を指差し、マーサに教える。

「プラエクサのことだし、もしかしてなんかとんでもない未知の金属でも使われてんじゃないかってみんな期待したものですが、調べてみたら僕らが知ってるのと大差なくってガッカリしてたのを覚えてます」

「あらあら」

モークはゆっくりとそこらを歩いては、目を細め、傍らのマーサに思い出やうんちくを語った。

ここは恐らく倉庫であったと思われること。圧縮空間の技術により、プラエクサの人々は収納には決して広くないこのスペースに大量の品物を詰め込み、望むものを簡単に取り出すこともできたらしいこと。自分が見つけたあのマニピュレーターは、圧縮状態が中途半端に解消されてしまった状態で放置されていたらしく、超現実主義の絵画みたいに歪んでいたこと。

モークは、あくまで穏やかで紳士的で、けれど饒舌だった。


あの探査の件についてはマーサも既に知っていた。計画を実行した白鈴としても嘘はつくわけにはいかなかったのだ。宇宙に果てがあるという事実を、人々は等しく受け入れなくてはならなかった。

そのきっかけになったのがよりによって最も偉大な探検家の一人たるモーク・トレックだったと分かった時、マーサは久しぶりに食事が喉を通らなくなる経験をした。部外者の自分ですらこの有様なのだから、モーク自身のショックはどれほどのものかと心配していた……が、そのモークはデートの場所にここを選んできたのだ。

まばらで、それでもいくらかは来ている他の観光客たちの中には、モークにどこか複雑そうな目線を向ける者もいた。むろん彼のせいなどでは決してなくて、貧乏くじを引かされただけなんだと、ほとんどの人はわかっている。けれど程度の差こそあれ、マーサと似たような思いをした者は決して少なくはなかった。


順路の終わりにはひときわ開けた場所があった。これまでに見てきた丸い部屋の、およそ三倍くらいは広いところだ。

「着きましたね。ここは、どうも制御の機械があったんじゃないかって言われてまして」

と、モークが言うのより先にマーサの目は遠くに向いていた。その機械とやらを再現した模型が部屋の壁際を埋めていたのだ。それらは一見して、洞窟の湿気を吸って生きているコケのようにも見えた。が、つるりとした半透明の表面と、その裏で再現される冷たい輝きが、人工物であると思わせた。

部屋の真ん中、床が窪んだところに設置されていたベンチの一つに二人して腰掛ける。

奇妙な機械は壁だけでなく、天井にまでも伸びていた。ここは照明を最低限にしてあって、通ってきた通路よりもだいぶ暗い。そんな空間で、プラエクサの機械のレプリカたちはまるで銀河のように在った。

マーサには、それらから何かが見えない糸を延べてきて、心を釣り上げてくるように感じられた―――いたたまれなくなりつつあった。

「モークさん」

喉を動かすのに、必要以上に勇気がいる気がする。それでもやらずにはいられない。

「今日は、ありがとう……だけど、どうしてここに?」

モークはマーサの方を向き、少し間をおいた。

<その28>

しばらく付き合ってみて、モークの目は常に穏やかだとわかった。

あの恐ろしい宇宙海賊ベロー・タンタとやりあっている時ですら、彼は殺意なんてものは発揮しきれていなかったとわかった。それでいて、いつでもどこか遠くを見つめている。そんな目なのだ。

だから、その目に悲しみだとか戸惑いだとかを見たのだとしたら、それは自分の中のものが鏡写しになっているに過ぎないのかもしれない。

それでもマーサには、モークの取った間が苦しかった。


「……僕は、あなたがもしかして苦しんでいるのではないかと思ったのです」

「えっ?」

マーサは思わず目を見開いた。

「お兄さんから聞きました。件のニュースがあって以来、マーサさんの様子がなんだかおかしいと。それはもしかして、僕のために悩んでしまっているんじゃないかって」

モークとしてもやや気恥ずかしかったらしく、視線が微妙にずれる。が、マーサの緊張はというとそれ以上だった。

けれど、返事をしないなんてわけにはいかない。

「……あのニュースを見た時」

マーサは、ゆっくり、模索するかのように話した。

「何ていうか……なんて、残酷なんだろうって。もし、神様っていうのがいるんだとしたら。よりによって、この世で一番冒険を愛してるような人に、あんなものを発見させるだなんて……気が気じゃなかったんです。今回のことで、モークさんがどうにかなってしまうんじゃないかって」

そこまで言ってマーサは目を伏せた。

「……気を使ってくれていたんですね。ありがとう」

モークの声に顔を上げる。あの優しい目がそこにある。

「僕のことなら、大丈夫です。心配はいりません」

そう、そっと答えて、

「発見は発見だと思っています。それがどんなに恐ろしく冷たいものだったとしてもね。例えば、これ以上遠くには行けないというのなら、そこまでの道のりにあって、まだ見つかっていないものを探していけばいい。それに僕らは、あの壁のことでさえ、まだきちんとはわかっていないのかもしれない……そんな風に前を見ていられるように、ここに来たんです。僕が初めて探検家として事を成した、この場所に」

雲に隠れ、なおも輝きを放つ太陽を、マーサはその目の中に見てとった。

この人は未だに輝いている。どうにか、輝き続けようとしている。

<その29>

少しずつ世の中が色あせていくなか、モーク・トレックはマーサに示したとおりに前を向き続けていた。


ここしばらくは知人の学者たちと協力し、プラエクサの史料の分析を進めてもいた。自分たちでさえ見つけられたあの『壁』を偉大なプラエクサの人々が気づかなかったとは考えにくいが、これまで見てきた中にはそんな記述はなかった。

もしや、プラエクサの文明が滅びた後に現れたものなのだろうか……あの文明の終焉は数千万年前から、数億年前にもさかのぼるとも言われている。自分たち生物からすればあまりにも永い時間ではあるが、さりとて宇宙の成り立ちを変えてしまうほどでもない。

それでも何か前兆くらいは掴んでいたはずだ。あんなものがある日突然現れたとは、どうしても思えない。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

プラエクサ文明の末期には、極めて大規模な研究プロジェクトが行われていたらしいことがわかっている。彼らは何やら究極の生命体について考えていたようだ。それはあらゆる環境に適応して自らを自在に変化させ、一方で現実を捻じ曲げることで障害を取り除くともいう。

そんなとてつもないことを可能にするのは、プラエクサたちが見つけたという『ノウアスフィア』なるものを用いた考え方だった。

この宇宙は絶えず自意識を持った知性体たちによって、見たり触れたりといった形で『観測』されている。そしてあらゆる『存在』は『観測』に依拠している。一方で『観測』を行った側も、その結果によって内面に影響を受ける。変化した内面は異なる『観測』の結果をもたらし、『存在』を変化させてしまうかもしれない―――それが、プラエクサ人が最終的に導き出した宇宙の捉え方であった。

標高一万メートルの山がすぐそこにあったとして、もしもそれを見ることも触ることも決してあり得ないのだとしたら『存在』などしていないのだ―――とはならないのは、あらゆる知性体の『観測』が絶えず干渉しあうことによって、『存在』にも一定の形がある程度保障されているからである。そんな無数の『観測』が揺らめき混じり合う大海こそがノウアスフィアであった。

他の干渉を許さぬほどの強力な『観測』が行える知性体がいたとしたら、それは自らの思うがままに『存在』を捻じ曲げることができるだろう。すなわち、現実の改変である。

プラエクサ人は自分たちの力を強めてノウアスフィアの中で自由自在に泳ぎ回ろうともしたし、それは叶わないから自分たちと異なる生命体を作り出してそいつにやってもらおうと考えるグループもいたらしい。研究の顛末については未だに不明である。


モーク達の文明は、彼らの試みを実証することすらまだできていなかった。ここまでのことだって自分たちが解釈したものに過ぎない。プラエクサ人たちは想像もつかないほど高い次元で物事を考えていたのかもしれない。

だが、もしも彼らが本当に宇宙の原理を見出していたのだとしたら?

自分たちの知識ではまだ説明できないあの壁は、何か大きな力によって生み出されているものなのではないか……

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

モークは星から星へと休む間もなく駆け巡り、プラエクサの痕跡を探していた。

ずっと探検を続けてきたが、彼らより賢く、強く、巨大な存在を、モークは知らない。彼らの遺したものが鍵であるはずだ。


そのこだわりが、疲れさえも忘れさせて、身体を動かし続けた。

<その30>

その日、マーサは上司に無理を言って有給を取った。

モーク・トレックが病院に担ぎ込まれたと、兄コリンズから電話がかかってきたからである。いてもたってもいられなくなったマーサは街角でタクシーを呼び、飛び乗った。

空飛ぶ車が角張ったジャングルをすり抜け、白銀の城塞のような病院に滑り込んでいく。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「モークさん……!」

ただならぬ気持ちをできる限り抑え、マーサは病室に足を踏み入れた。

「あら……マーサさん。こんにちは?」

「こ、こんにちは、って」

マーサはぽかんとしたモークに詰め寄ると、さっそく目をうるませてしまった。

モークはベッドの上でふっくらとした上半身を起こして本を読んでおり、布団はのけてあった。右脚がしっかりと固定されているが、ほかは目立った怪我はなく、率直に言って元気そうですらあった―――それでも、マーサはこれ以上冷静でいられそうになかった。

「何があったの。冒険に行った先で、何が……!」

一歩、二歩とマーサはモークに詰め寄っている。ついにはふんわりとした桃色の毛皮がベッドに触れて、モークの肌をくすぐった。

「ごめんなさい。心配をかけてしまいましたね。ちょっとここんとこ休みなしで冒険してたせいでしょうか、宇宙船の整備をしてたらうっかり足場から落っこちて、脚を折ってしまいまして」

「そ、そうだったの……」

冒険で負った傷ですらなかった。マーサはどんな顔をすればいいかわからなくなる。心配しているのは事実だ。軽蔑などするはずもない。それでも。

ほんの十秒にも満たない沈黙の後、モークはふうと息を吐く。

「ちょっと、焦りすぎてしまったんでしょうかね。僕としたことが……」

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

マーサから皿を受け取る。きれいに整ったくし形切りのフルーツが並んでいる。

「今朝、この近くのアグリスフィアで採れたばかりのオーゲル林檎よ」

アグリスフィアとは、完全に制御された自然環境を内包した球状の農園である。都会のど真ん中にでも設置でき、新鮮な野菜や果物を提供してくれる。

「忘れがたい味ですね。僕がまだ子供のころ、うちの庭に木がありましてね。こうやってそのまま食べたり、ジャムやパイなんかにもしたりで、事欠きませんでしたよ」

「あら、それはそれは」

口に食べ物を詰めたまま、マーサが微笑むのを見つめる。そうすれば、自分の中の後ろめたさがちょっぴり引っ込むような気がするのだ―――気がするだけだ。逃れられるものではない……今回は自分のミスで彼女を心配させ、悲しませてしまったのだ。

甘酸っぱい林檎をじっくりと味わっていると、ふと、どこからか風に乗ってニュースの音声が聞こえてきた。

『―――探検業界は……これからどうなっちゃうんでしょうね……』

『そりゃ、あの壁までも、まだまだわからんことがたくさんあるのは、わかりますが―――』

フォークを持ったモークの手が止まる。

「……モークさん?」

マーサが案ずるように声をかけてくる。

「はぁ。良くないな。また、何か探しに行きたいって……」

「もう、モークさんったら……!」

包帯を巻かれた右脚にマーサは目を向けた。

実のところ、エオデムの医療技術ならばこの程度の怪我はすぐに治る。だがそうしたら、モークはまたすぐに次の冒険に出かけていってしまうのだろうか。

「今回の事故だって、休まなかったからだってわかっているんでしょう。だったら……」

「タハハ、すいません……ハハ……」

笑いがこぼれて、すっと霧散していくようだった。

「……探しに行きたい、て、言いましたけど」

続けてぽつりと漏れた言葉にマーサの目が動いた。

「でも、したい、じゃなくて……しなくちゃ、なんですよね。今の僕にとっては……わかっちゃいるんです。わかります……ですが……壁の件に、負けないつもりで。あなたをあそこに誘いすらしたのに、いざ冒険に戻ればこのざまだなんて。情けない、ですよね……」

マーサの知らないモークの姿がそこにあった。

どうすればいいかしばらく考えてから、マーサは口を開いた。

「……あんなことがわかって、ショックを受けない人なんて、きっといないわ。どんなに勇敢で強かったとしても」

自分も、兄コリンズも、そうなのだ。そして目の前のモーク・トレックも。

「宇宙に壁があるとわかったとたんに、心の中にまで壁ができてしまったような気がするんです。どうやらみんなそうらしい、僕自身も含めてね……それが、怖くて……」

「だったら、これからゆっくり崩していけばいい」

うつむき、つぶやくように言うモークに、マーサはやさしく腕を伸ばし、触れた。

「もしよかったら、私にそのお手伝いをさせてくれないかしら」

顔を近づけ、そっとささやきかける。

「私がそばにいるわ、モークさん」