らすおだA記録
31~36
<その31>
惑星オーゲルの街ウィン・ポリスに、翼を生やした像があった。
身の丈はモークの三、四倍といったところ。台座も含めればさらに高く、相当な迫力があるが、見下ろす視線は決していかついものではなく、むしろ優しい。羽根と爪とを持っているのでオーゲリアンに似て見えなくもないが、それにしてはプロポーションが細すぎる。鳥を無理やり人間のような体格と姿勢にした、という方がしっくりくるだろう。
この星の人々が信じていた神様の像だった。
そんな神様が見下ろす中、空色をしたマントを羽織ったモークと、鮮やかな色彩のドレスをまとったマーサは互いに見つめ合う。
二人を見守り、目を潤ませているのはマーサの兄コリンズ。その後ろには、モークの世話になった探検家や学者たち。
「翼を一つに」
式を取り仕切る者の言葉を受け、モークとマーサは互いの身体を寄せ合う。
モークの右の翼と、マーサの左の翼とを重ね合わせる。傾いた太陽の光は、二人のオーゲリアンを一つにして、磨かれた床に映し出した。
そのまま抱きしめあって、マズルと頭の羽根とを合わせた。
オーゲリアンの二人が共に生きていく誓いであった。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
それからやっと二月ばかり経った頃、同じくウィン・ポリス、東方の大森林を望むバーにて。
「あぁったく、めでてェことが続きすぎて、目が回りそうな気分だよォ」
「アハハ……そりゃ、こんなに飲んじゃったらねェ……」
ちょっとした冗談に、コリンズはモークのジョッキいっぱいに酒を注ぐことで返してやった。
対するモークはというと、少し困ったように笑いながらもグイッと一口飲み下してみせる。
「これで俺も次の周期にゃ叔父ちゃんになってるてワケかぁ、まだ実感わかないぜ」
コリンズは横を向き、遠くを見る。先月と同じきれいな夕陽が森を照らしていた。
「けどよ、こうなると……これから仕事の方はどうするんだい? モークさん」
「ン、まぁ当分は引っ込ましてもらって、子育てきっちりやりましょう。その間は後進の方の手助けとか、史料の整理なんかをやってこうかと。家からそんなに離れないでできますからね」
「そっか……もし必要だったらさ、俺がいんのも忘れないでくれよな。迷惑かけらんないとか思わないでよ」
ほんのり赤くなりつつある頬で、コリンズは穏やかに笑う。
彼だけではない。今日は誰も彼もが笑い、楽しんでいるようだった。もちろん、たまたまそう見えるだけだとはわかっているけれど。あの『壁』が見つかった日以来、モークはこんな気分になれたことはなかったのだ。
夕焼けが景色を彩る時間は終わり、また二人してテーブル越しに向き合う。
「ホントさ、思い返してみたら……いつかマーサが誰かを好きになって、子どもまでできるなんて、考えてみたこともなかったんだよ。街が竜巻に吹っ飛ばされて、それから二人っきりで生きてた頃は……毎日生きてくだけで、精一杯で……」
コリンズはまた酒を煽った。
「自分たちが今より幸せになれることがあるなんて、ホントに想像できなくて……だけど、生き物って、幸せになれなくても生きちまうもんなんだよな。それで生きてきたから今があるんだな、生きてきてよかったって、思えるんだなって……」
もう止められやしまい。今日はどこまでも付き合おうと、モークは思った。手に入れた幸せをもっともっと膨らませたいと願うのは、彼とて同じだった。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
さらに時は流れ、今度のモーク・トレックは慌ただしく出かけていく。最低限必要なものを詰め込んだカバンと、メンテナンスしたてのカメラを手に。
空飛ぶタクシーに乗り込んで、行く先は言うまでもなく、病院。
「も、モークトレックですっ、マーサさんはっ」
モークは手前の階段でずっこけ、清潔なロビーに文字通り転がり込んできた。たまたま頭上に位置していた看護師に問う。
「そんな、そこまで慌てなくても……無事、生まれましたよ。元気な男の子です」
「はぁっ」
バネのように飛び起き、小走りで通路を進む。流石はモーク・トレックなどと誰かが言ったような気がするが、もはやどうでもいいことだ。
妻の待つ部屋のドアを開け、ベッドの上に彼女と、新しい生命を見つける。
彼は薄紫の毛をして、穏やかに目を閉じていた。
<その32>
「おぉ、ムート、がんばれがんばれっ」
興奮するモーク・トレックの視線の先には、翼をばたつかせる幼い息子の姿があった。
トランポリンから飛び立った彼は少しだけ、けれど確かに星の引力に逆らい、敷かれたクッションを越えたところに軟着陸した。
「パパッ! とべた? とべた!?」
「おうおう、飛べてたとも!」
バネみたいに跳ね起きて駆け寄ってくるムートを、モークは太い両腕で迎え入れる。
ムートが勇気ある飛翔を遂げたその先からは、甘酸っぱい香りと、鼻歌の童謡が流れてくる。今やモークの妻となったマーサが、ケチャップをたっぷり混ぜたチキンライスを作っていた。今日のお昼はオムライスだ。
嬉しい悲鳴をしきりに上げていた日々から、数年が経とうとしていた。
あれからモークは雑誌への寄稿を行ったり、新たに見つかった史料について学者たちとディスカッションを行い論文の執筆に協力したりして過ごしていた。二、三度ほど「現場」に立ったこともあったが、ジャンプ技術をもってすればすぐにオーゲルへ帰れるくらいの場所でのことである。
もちろん、宇宙探検家モーク・トレックの本格復帰を待ち望む人が少なくないのはわかっている。探検業界の状況も、客観的に見て上向いているとはいえない。それでもモークは、今は自分自身を大事にしようと思えている。マーサが、ムートが、そうさせる。
つい十年前の自分なら考えてもいなかったようなことだった。人は変わるものだ。
今はただ、この穏やかな日々を守っていきたかった。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
「……繰り返します。今回の竜巻は、観測史上最大のものです。竜巻の進路付近にお住まいの方は物資を準備し、お近くのシェルターへと避難して下さい」
TVキャスターがまっすぐにカメラを見つめて訴えかけていた。画面の端には帯が入り、竜巻の位置やら、避難すべき地域の情報やらを示していた。
次いでメインの画面が切り替わり、シェルターの位置と空き具合を示す……のだが、ほぼほぼ満員であることを示す、真っ赤な丸になっていた。かろうじてオレンジ―――まだわずかに余裕がある―――であったところも、目の前で赤くなる。
竜巻を甘く見るオーゲリアンなどどこにもいないはずだが、行政レベルではさすがにここまでの事態は想定していなかったのかもしれない……あるいはしていても先立つものがなかった。人々は皆そう考える。
それはそれとして、他人より先んじて動けばいいだけのことなのだが、少なくともトレック一家には無理なことだった。
ムートがたちの悪い風邪にかかってしまい、数日前から高い熱を出して寝込んでいたのだ。医者に薬をもらいなんとか病状は落ちつきつつあるものの、外に出ていける状態ではなく、あれよあれよという間に病気の子供を受け入れられるようなシェルターは受け入れを打ち切ってしまった。
日が沈みゆく中、モークはひとり家の補強を続けていた……もはや逃げ道はなく、最大限の備えをするほかなかった。屋根の隙間に板を当て、壁のひび割れやもろくなっていそうな箇所をチェックする。早朝から材木や金属板、保存食を扱う店を駆けずり回り、人でごった返す中どうにか最低限のものをかき集めた。
今日はまだミネラルウォーターと栄養を詰めたチューブ食しか口にしていない。活動を休止してしばらく経った今でもモークは毎日何かしらのトレーニングをして、現役の頃と同じように力強く肥った身体を保っていたのだけれど、それですらこんな一日は苦しいものだった。
「あなた、そろそろ夕ご飯を用意しようかと思うのですが」
下の方から声がする。玄関からマーサが顔を出していた。
「おぉ、お願いします」
疲れを押し込めて、モークは微笑みかけた。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
モークは自室のデスクで、マーサが作ってくれた野菜のお粥を味わっていた。
手元の携帯端末にニュースが映る。
観測史上最大の竜巻。マーサと兄コリンズの家族を奪った、あの竜巻を超えるものが来るのだ。もうまもなく人の住む場所に到達し、被害を出し始めるだろう。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
風があやしく唸り始めた。窓も壁も、震え始めている。
デスクに腰掛けたモークは、目の前のモニターに映る史料の翻訳を進めつつ、手元の携帯端末にちらちら目をやっている。既に被害が出始めている。中継の映像はよく見えない。ただなんとなく、大きなものが吹き飛んでいるのがわかる。
マーサはムートを寝かしつけ、そのまま一緒に眠りについたようだ。それでいいと、モークは思った。
消えない恐怖を抱くあなたがこの事態に無理に向き合う必要はない。あなたはムートだけを守ってくれ。僕はそんなあなたを守ろう。かすり傷一つつかぬように……危険がそこまで迫ったと、感じることすらないように。
そうなると、自分までも眠るわけにはいかない。モークはコーヒーを淹れるために席を立ち、キッチンへと歩き出した。
瞬間、一際強く風が鳴り、モークは家の外に向かって振り向いた。
<その33>
油断がなかったわけではないとは思う。疲れが肉体を鈍らせていたのもあっただろう。
しかしそれでも、モーク・トレックは、この時の全てを、仕方がなかったとは、言えない。
入ってくるはずのない光がモークの目を焼いたかと思うと、すぐに風圧が襲いかかってきた。
「あッ!?」
危険に慣れた身体は、とっさに左へと飛ぶ……
ドウッ! 右側面の、衝撃! 後は、もうわからない。光と光でないものとが尾を引いて横に流れる。まるで、宇宙船がジャンプを始める直前のように。だが、どこへ飛ぶわけでもない―――飛ぶわけには、いかない。
床に叩きつけられ、転げていった先には幸いにもなにか柔らかなものがあった。右手でつかもうとしたが、それははち切れん限りの痛みとともに神経の命令を拒んだ……モークは動揺するでもなく左腕を使い、身体を起こす。
ビィー……
目の前には、車が一台。ライトがつきっぱなしだ。
ビィー……
側面の窓にまでも、びったりと血が付着している。前面に叩きつけられたままぴくりとも動かない運転手は、オーゲリアンの、それも若者らしかった。
ビィー……
かぎなれた匂いがする。この銀河で文明的な暮らしをする者であれば誰もが世話になるエネルギー・セル、そこに封入された、ガスの香りが―――
「モークさん! モークさんっ!」
……マーサ・トレックの、声!
「駄目だァ! 来るな! ムートのところに……」
―――ズゴゴゴォーゥ!!
車が、何かに尻を掴まれて、引きずられていくようだった。
その途上の壁が巻き添えを食い、ミシミシと、剥がれて……
―――ブォオオオォーゥ!!
視界が、暗転した。
ただ一つ見えた車のライトが一気に遠ざかったかと思うと、背中がどこかに打ち付けられる。
「ウゥッ……!」
右腕でどこともわからぬどこかを掴みながら、ライトを……その先にマーサがいるであろうものを注視し、叫ぶ!
「マーサ―――」
―――ゴオオオオーゥ!
ガラガラガラ、ガァーン! 一旦風を受け入れてしまった壁は、あっという間に崩れ落ちていく。
この家の守りは、たった今決壊したのだ……ならば、このモーク・トレックが、マーサとムートにとっての守りになるしかない。この生命を懸けてでも!
「クゥゥ……フゥッ、フゥ……」
屋内を荒れ狂う風の中、もはや歩くことはかなわない。
モークは腹ばいになり、右手で、血管が浮き出るほどに力を込めて、床を掴む。
全力で。
しかし、あまりにもゆっくりと。
だが、間に合わぬかとは、微塵も考えず。
―――ズォオオオーゥッ!!
何度目かの風が、あの車の動きに変化を加えた。
それゆえ、目の前の壁だけを無駄に照らしていたライトが……ほんの一瞬、何かを映した。
必死に壁にしがみつき、胸を荒く上下させている、マーサを……
「……ヌォォォォォーッ!!」
古代の戦士が如き唸りをあげ、モークはその動きを二倍にも、三倍にも速くした。
それは、対岸の彼女にもわかったのかもしれない。
「……さんッ! モーク……ッ!!」
暴虐の嵐をかいくぐり、女性の声が細く届いてくる。マーサ・トレックは未だ健在である!
「マァァ……サァーッ!!」
壁はもう、ないも同然だった。この家の全てが儚く吹き散らされていく。
だが、モーク・トレックだけは、イリジウムの重い塊の如くそこに在り、意志に従って動き続けていた。
―――ゴォォォォーン!!
壁にかろうじて引っかかっていたあの車が、外へと流れ去ろうとした、まさにその時。
モーク・トレックは立ち上がり、マーサを右腕に抱き止め……そのまま、彼女が通ってきた廊下に飛び込み、駆け出した。
「ハッ、ハッ、ハッ……」
もはやしがみつくばかりだったマーサは、しかしモークの右腕が力なく振れているのに気づく。
「モークさん、腕が……!」
「お、思い出ささないで……っ!」
迫りくる圧から逃れるようにモークは走り、寝室のドアを開け放って声を張った。
「ムート! ムートッ!!」
「パパ……!」
ベッドの下から病み上がりの我が子が這い出し、足元に飛びついてくる。
「あぁ、ムート! よしよし……!」
マーサが床に飛び降り、モークの代わりに息子を迎え入れる。
「さあ来て! あと数時間だけでも持ちこたえられれば!」
入口のドアを開け放ち、その先の通路へ二人を通す。
この先には地下倉庫がある。そこに潜ればあるいは。
―――ズォォォォーッ!!
後ろから来た風が、体を突き飛ばした。
「ウァァッ!?」
先導していたモークが壁に叩きつけられ、後ろからマーサとムートがぶち当たる。
バリ、バリ、バリバリッ!!
……通路が、八つ裂きにされていく。目の前で。
力が、抗えぬ自然の力が、迫ってくる。もう逃げようがない。
「……ウワァアアアアアアン! パパァ! ママァ!!」
子の泣く声が、モークとマーサを打った。
「くんッ!」
まだ残っている壁に手をかけ、マーサは一歩、後ろに下がり、かがみ込んだ。
その体がにわかに風を遮り、モークに地下へと続くハッチを開ける余地を与える。
「うぉおおッ!」
左手で、取っ手を引っ張り上げる。取り付けられたつっかえ棒で抑え、中にムートを引き込んだ。
これで、あとは。
「マーサ! 掴まれ!」
互いに、手を、伸べて、
つないだ。
マーサの後ろに、隣に、闇があった。
その中を、白い筋が、いくつも、ほとんど真横と言えるほどの角度で流れていく。
彼女の体が浮かび上がり、ぐるりと廻る。
もう、引きちぎられてしまいそうだ。
あと少し。あと少しだけ、我慢を。
ハッチの開口部の正面にマーサが来る。
このまま、自分の体ごと、中に引き込んで、
ガタ、ッ。
モークの視界が黒く染まり、腕に痛みが走る。
それ以上に、手の先に、
何も感じない。
へし折れたハッチのつっかえ棒が、冷たく触れていた。
<その34>
惑星オーゲル、ウィン・ポリスの空は何事もなかったかのように青く晴れ渡っていた。
降り注ぐ陽光は地上に達し、あちこちにぶつかって散乱する……ちょうどこの一週間後には出発する予定だったらしいツアー旅行の看板。ひっくり返った亀のようになった車。洞穴の結晶にも似たガラスのかけら。いっちょうまえに金属を使った親泣かせなおもちゃ。
モーク・トレックはそんな中を、向こう二日分の水と食べ物が詰まった袋を提げて歩いていた。
分厚い長靴とズボンのせいで、暑さが堪える。だが切り傷をこさえるリスクを取るよりかははるかにましだ。こんな環境にはどんな悪い菌がうごめいているかもわからない。
もはや機能を失った我が家から避難所へと移動し、しばらく経ったが、全てが元どおりになるには程遠かった。
否、元どおりになどなりはしないのだ。決して。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
「あの子らしいよ。ほんとに……ほんとうに、あの子らしいことだ……」
コリンズは、俯き震えるモークを諭すかのように、あるいは自分自身をも落ち着かせたいかのように、静かに口にした。
モーク・トレックが妻マーサの死を知ることになるのは早かった。
吹き飛ばされた彼女は、式を挙げたあの神様の像に引っかかっていたのだった。全身を強く打ち、発見されたときには既に息を引き取っていた。
神を恨むことはない。あの時手をつなぎとめていられなかったのは、他ならぬ自分だ。
マーサの身体を盾にしてハッチを開けなくてはならない状況に追い込まれてしまったのも、きっと、自分のせいだ。
「……二人きりでいた頃さ、あの子はいつだって自分のことは後回しにして、俺を助けようとしてくれたんだ」
仮設の屋根の下で陰っていたムートの目に、モークは静かな光をみる。
「子どものうちから働かされてた頃は、暴力振るわれたときにかばってくれたりさ。まともに職が見つかんなくて、だんだん暮らしもままならなくなってきて、俺が何もかも投げ出しちまいそうになった時、止めてくれたのもあの子だった。なんでそこまでするんだって、時々思っちまったこともあったよ。俺抜きでなら、食べていけなくもないはずだって……」
ムートはしばしうつむき、それからモークをしっかりと見据えた。
「だけど、モークさんと付き合うようになってからようやくわかったんだ。傍で見てて……あの子はすごく生き生きして見えたんだよ。モークさんがしてくれたこと以上に、モークさんの為になにかしたいって……よく言ってた。きっと、大切な相手のために尽くしたり、幸せを守ったりすることが、マーサの喜びなんだって……その時になってわかったんだ。それも昔は俺くらいしかいなかったけど、モークさんと出会って、マーサの喜びは倍に……いや、もっともっと、それ以上になったんだよ……」
ムートのその目から、光が、溢れる。
「マーサ……」
その名を呟いた時、ふと、暖かな風が、二人の頬をなでた。
過ぎ去った風を追いかけるように首を回す。その先には、青い空。
「あの人は、僕と……ムートの命を守ってくれたんだ。ムートは必ずや、幸せをつかめる人に育ててみせます。それが、あの人の……僕らの願い、だったからね」
「……俺の願いにも、させてくれないか。協力するよ、モークさん」
二人は空を見上げたまま言葉を交わした。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
その後の一月ほどは、家の建て直しに費やされた。
街の復興が終わるのにはまだまだ時間がかかりそうだった。よその星からの協力も次々と来てはいるが、その分配は上手くいっているとは言いがたい。今度の竜巻は、現実的な備えを上回って、破壊と混乱をもたらしていた。
モークは引退してからもあれやこれやと本を書いて手に入れたお金を人々の為に使ったけれど、いくら彼が有名人だからといっても個人にできることはたかが知れている。
だが、いくらどうにもならないように見えたって、何もしないというわけにはいかないものだ。
瓦礫の運び出しはもうすぐ終わるが、その途中に見た様子では中の構造もあまり保たれてはいなさそうだ。
しばらくは、どこか別なところに住まいを求めなくてはならないかもしれない。
モークは大きな板を担いできて、当分は誰も通らない道の上にドンと置く。
さすがに疲れも出てきたが、まだまだやるべきことは多い。かがみ込んで、息を整える。
少し先ではムートがコマを回して遊んでいるようだ……あの夜のあと、ムートは不思議なくらいに回復をし、こうして遊び続けている。
ムートはぼんやりと見つめていた。ぐるぐると回るコマを……少しずつ力を奪われて、傾いていく。ふらり、ふらりと……
そこへ、風が吹いた。
風はコマを側面から一撫でして、にわかに勢いをつけなおす。次いで、ムートの頬へ。早く、しかし暖かく、柔らかな風だった。
「ねえー、パパ」
程なくして倒れたコマを手に、ムートは父親に向かって声を発し、
「ママ、まだ飛んでるのかな……?」
空を、見上げた。
「……うん。ママはこの星の風になって、飛んでいるんだよ」
モークもまた、空に目を向ける。
「きっと、また会いに来るさ……」
この日も、見渡す限りの青空だった。
<その35>
その後はあっという間だった、というのも、今から思えばの話である。
モークはあれから探検業を引退することを正式に表明した。多くの人間が、彼が去ってしまうことを惜しんだ。
記念の会を開くようなこともなく、会見が終わった次の日にはすでにモークはムートの父親としての役目に集中し始めていた。早起きをして朝食を作り、ムートがスクールバスで出ていくのを見送る。自分のネームバリューは未だにかなり強力なものがあり、原稿の依頼も来たりはするが、それだけでは足りないのでパートの仕事もこなしている。僅かな時間を見つけて、買い物、洗濯、食事の支度、もうしばらくは家の修復も。家事はもともと不得意ではなかったが、自分ひとりだけ気にしていればいいのと子どもがいるのとではものすごい差がある。
こんな中でもコリンズが陰に陽に力になってくれるのは救いだった。たまの休日にはムートを遊べる場所に連れて行ってくれたりもした。けれど、戻ってきたムートが決まってどこか寂しそうな顔をするので、そのうちモークが代わりに遊びに行き、コリンズがその間家のことをする形になっていった。他にも、かつて世話になったりなられたりした人々が手を貸してくれることもある。白鈴公司で知り合った宇宙船のパイロットたち、いつかの探検でお供になってくれたクースキアンの女性、いつぞやのベロー・タンタの時、消えゆく船とともに死のうとしていた所をマーサに助けられたエトミアンの男―――この人にだけは今に至るまで会ったことなどなかったのだが。
孤立をしていないことは今のモークにとって何よりの救いだった。けれど、そうでなかったとしてもムートのために命を懸けただろう。
あの竜巻の日以来、自分のことだけを考える時間はほぼない。ただ、母を亡くしたムートがこれからどう育っていくのか、それが気がかりだった。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
TVのモニターが、荒れ果てた町の中、しかし確固たる意志を持って立つオーゲリアンたちを映している。
あの最大の竜巻が去って、十年。記憶を風化させぬために、という名目で作られた番組だった。
一人で視聴するつもりだったモークはカフェオレを手にソファへと向かい、すっかり大きくなったムートの背中をそこに見て、もう一杯飲み物を用意しに戻るはめになった。
「父さん。僕さ、将来はコロニーのアカデミーに行こうと思ってンだ。ハイスクールを出たら……て、まだ入ったばっかだけどさ……」
スタッフロールのしっとりとしたBGMを破って、低くなったムートの声がする。
「環境モデリングの勉強がしたいんだよ。オーゲルはだんだん暖かくなってて、竜巻もあれからどんどん強くなってってるだろ……それに、オーゲルだけじゃない。気候のために苦しめられてる人たちは、いろんな星にいる。そんな人たちが一人でも多く助かる方法を一緒に考えたいんだ。父さんを独りで残していくのは……ちょっと、気が引ける、けど……」
ムートはうつむく。番組は終わり、この後の時間にやる料理番組やら生活情報の番組やらの予告が流れ出していた。
「……母さんに似たな、ムート」
横を向く。モニターを見つめたままだったムートは、少し遅れて振り返ってきた。
紫色の毛で覆われた、精悍な、それでいて穏やかな顔つき―――この半年ほど前にあの滝での一件があった。こんな風に見えるようになったのは、その時からだろうか。
「誰かを助けることが幸せで、そのためだったら何でもやってしまう……そういう母さんの心が、お前の中には生きているんだね。それだけで十分さ。父さんのことは、心配いらないよ」
ムートははにかんで、にわかに目を潤ませる。
かすかな震えがモークに伝わってきて、どうにか元気づけなくてはいけないと思って、
「ムート、実を言うとね……お前が独り立ちしたらその時はまた探検家に戻ろうと考えていたんだよ」
―――半分は嘘、である。ほとんどとっさの思いつきだ。今日この時までは思ってもいなかったことなのだ。だが口にしてみると、何だかエネルギーがみなぎってくるような気がする。
「最近プラエクサに関する新しい学説が発表されただろう。論文を読んでたら、やっぱりワクワクが抑えられなくってね……死ぬまで動き回ってなきゃダメな性分みたいだ。ムートが人を助けたいのと同じなんだと思う」
「……ふふっ。もう、父さんたら。僕が今まで迷惑かけたな?」
「そんなことはない、ムートを育てるのだって楽しかったぞ」
「探検と比べて?」
「比べられるもんか!」
そうして親子は久々に、腹の底から笑いあった。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
数年後、雲ひとつないある早朝。
「……とうとう、この日が来たよ、母さん」
春先の冷たい空気の中、モークとムートは翼をかたどった墓石の前にいた。
「僕は今日、オーゲルを旅立つ。だけどいつか必ずここに戻ってくるよ。母さんのように、誰かを助けられる人になって……それじゃあ、またね」
二人してくるりと踵を返した、その時だった。
―――ヒュウゥ……ッ。
暖かな風が、吹いた。心地よく、二人の毛皮を、撫でる。
まるで冷えた身体を抱きしめるように。
「……母さん……?」
風の流れを追って、空に目を走らせる。
その先。
東の山際にやんわりと広がる、ピンク。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
ムートを乗せた真っ白なシャトルが、飛行場から飛び立っていく。
見送ったモークは、まだ家には帰らない。
この後早速、白鈴公司の人間と打ち合わせをしにいくことになっている。復帰に向け、すでに数年前からトレーニングを再開している。日常生活のためのものとなったブルーバード号も再改造を受け、冒険の準備は万端だ。
足取りも軽く、モークは歩き去っていく。
<その36(最終回)>
……これが、モーク・トレックが思い出した全てであった。
開拓の終わりを告げられたモークは、ここ数日ずっと出発点を目指して歩き続け、この日の朝に到着したのだった。
そこは、すでにひとつの街となりつつあった……そこかしこから、なにかのスパイスや、脂やら、果物やらの香りがしてくる。
―――そういえば、食材を得るための開拓だったな。
その意味ではあまり役には立てなかったかもしれないとモークは思う。BUGとかいう敵とも、最後まで無縁であった。
ただ、そんな彼を待つ者も、この街にはいる。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
「おかえりなさいませ、船長」
ブルー・バード号に乗り込んだモークを、制御AIモーリスの声が出迎える。
「やぁ、ただいま……開拓終わっちゃいましたよ、とうとう……」
話しながら、モークはコクピットへ歩いていく。
「そのようですね。この街も失われてしまうのでしょうか?」
「そんなことはないかと……おや。モーリス、街を見ていたので?」
「少々退屈でしたので」
「……すみませんなぁ」
モークは、コクピットの椅子にどっかりと座った。
もうだいぶご無沙汰しているというのに、昨日までもここに座っていたような気にさせられる。
「結局、帰り方はわからずじまいでしたよ。とりあえず、次に身を寄せる星をどうにか見つけなくてはなりませんかねえ……」
ふぅ、とため息をつき、椅子を後ろに傾けるモーク。
「……そのことなのですが、船長。解決はつきましたよ」
「はい?」
「船長がお留守の間、計算と推論を行っておりました。この宇宙に到達した原因は、ジャンプ中の高次元位相空間に不連続な部分が……平たく言うなら、落とし穴に落ちてしまったようなものとお考え頂ければ。再度ジャンプを行ってこの落とし穴を逆にたどれば元の宇宙に帰ることができます」
「ほ……っ、や、やったじゃないですか、モーリス! 流石ですよ!」
内心、モークは少々申し訳なかった。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
その後コーヒーを一杯だけ飲むと、再びモークは船の外に出て、街に入った。
だいぶ疲れているのは否めなかったが、休む暇はない。手に入れた通貨を使い切って船に食糧と物資を補充する。燃料になるという鉱物を買ったら、ブルー・バード号のシステムでエネルギーに変換し蓄積させる。
向こう数ヶ月程度は補給なしでも生きていけるだけの準備をしなくてはならなかった。モークはモーリスを信頼しているつもりではあるが、また変なところに出てしまう可能性も否定はできない。人間だろうと機械だろうと完璧なんてありえない。まして、未知の世界にいるならばなおさらだ。
ふと、ここで行き先を決めるのに使っていた『ダイス』のレプリカも売られていたので、とりあえず買っておいた。コクピットに置いておけば、きっと見る度に、ここでの冒険を思い出せるだろう。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
モーリスにエンジンを温めるよう頼んで、モークは最後の夕食を摂りにいった。
街は燃えるような賑わいだった。
開拓の最後に一儲けしようという腹積もりなのかもしれないし、ずっと人のいない場所で過ごしてきたせいでそう思うのもあるだろう。何にせよ、寂しさが紛れて丁度いい。
流れてくる甘酸っぱい香りに惹かれ、モークは湖を望むレストランに入る。
順番待ちの席でメニューを見せてもらえば、自分の知るようなものも少なくなくて、苦笑いしてしまう。こうなれば、オムライスでも頼むまでだ。
カウンター席で喧騒に包まれていれば、大きなオムライスが届く。
たっぷり盛られたケチャップをひとさじ取って、そのまま端から切り崩す。皮が破ければ湯気が経ち、鶏の脂とトマトの混ざった香りが沸き立つ……実際はトマトによく似たもので、ここで見つかった果実であるらしい。
口にすると、ほんのり甘みが強く、少々オレンジの味に近いようでもあるが、主張は強すぎない。
人々の大騒ぎにまた耳を傾ける。
明日になればまた開拓が続くんじゃないか、と一瞬思わなくもないが、言語野が刺激を解釈してしまえば、皆ここを出たあとのことばかり話しているから、結局寂しくなってしまう。
自分たちが去った後この星はどうなるのだろうかと、モークはふと思う。
どうなったところで、どうもしてやれないのは確かだが。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
モークを乗せたブルー・バード号がゆっくりと地表を離れた。
コクピットで、モークは機体下部カメラの映像をモニターに映す。
初めに見えたのは、未だ灯りの消えぬ出発点。やはり、小さないくつもの照明に照らされた海。天空に浮かぶ城。その先に広がるもの。
程なくして全部が雲の中に消えた。モニターの映像を、前方の物に切り替える。
星の海がある。その全ては、未知。生きている内に、あれらも見て回る日が来るだろうか。
「大気圏突破後、ジャンプを行います。船長、準備を」
「ほい、了解」
モーリスの声に従い、モークはシートに深く身を預ける。
モニターの映像がみるみるうちにオレンジ色に染まり、ブルー・バード号が宇宙を駆ける火の鳥に変わろうとしているのがわかる。
「ジャンプ、スタート!」
周辺の全てが過ぎ去り、船はたちまち百の色が揺らめく超空間に飛び込んだ。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
あの時と同じように船が揺れ、モニターが閃光に覆われ、アラームが喚き立てる。
周囲の全てが非常事態を訴える中、しかしモークは不思議と落ち着いていたし、モーリスも口をつぐんでいる。
ブウウウ……ン。
機械のものでない。重く、だが包み込むような音が、モークに聞こえてきた。
これも聞き覚えがある。確かこの後は。
気配を感じ、モークはシート越しに後ろを振り向いた。
白く輝く人影たちが、遠くに……本当なら入り口ドアのずっと先、キッチンのあたりであろう場所に……立っている。もちろんその間には壁があるのだが、彼らの発する光は何もかもを貫通して目の中に飛び込んでいるらしい。
追いすがる様子はない。手を振って、別れを告げることもない。ただ、のっぺらぼうの顔で、モークを見ている。
彼らは結局何者なのだろう。この空間に住んでいるのか? それとも、あの星か、あの星のあった宇宙にいる?
人影たちが遠ざかり、豆粒のようになって、消える―――
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
それと同時にコクピットが急に暗くなった。
再び前方を向いたモークは、電力が失われたわけではなく、いつもどおりの明るさに戻ったというだけだとすぐにわかる。
「システム回復。星図と周辺宙域を照合中……エオデムとアオイ300の中間領域です」
「おほっ、帰れましたか……!」
モークは微笑み、ぐ、と身を乗り出す。
「して、時間の経過は?」
「ユニバーサルクロックサーバーと通信……最後の照合から、宇宙標準時で40日と13時間31分24秒が経過しております」
「あらら。ではとりあえずデューイさんに連絡を取りましょうか。ご心配をおかけしてしまったと思いますので」
「了解です、船長」
シートについたテーブルに光のラインが走り、記号のついた四角の列として形をなす。次いで一つ一つの四角の真ん中にぷっくりと膨らみができ、ボタンに変わる―――この即席のキーボードをモークは慣れた手付きで操作して文章を打ち込み、白鈴公司のデューイ・マーカスに送った。
「ふぅ。モーリス、ちょいとお茶を―――」
プィン!
「モークさん、ご無事でしたか!」
モニターにさっそくデューイの顔が映っていた……彼も、モークよりかは年下だが、中年も半ばを過ぎたというくらいになっている。シワが目立ってきた顔は、しかし余裕も持っており、くたびれた感じは見受けられない。
モークは慌てて背筋を伸ばした。
「んっふ! ……し、失礼。デューイさん、お久しぶりです」
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
翌日、モークとデューイはあのエオデムの高層ビルで顔を合わせた。
いつかの応接室―――ここもさほど変わってはいない―――でしばらく話をしてから向かった先は、コンピューター群が立ち並ぶ部屋だ―――ビルの列と車道でできたエオデムの街を、ミニチュアにしたかのような場所である。
その中の大通りを抜けると、人間が触れるための端末が十数台ほど用意されている。デューイはその一つを起動させると、モークから受け取った記憶媒体を突き刺した。自動的にコンピュータが中身の解釈を始め、結果を手元のモニターに写し出す。
「……本当に、ヨソの宇宙なのかもしれませんね、あなたの行かれた場所は」
モニターに映る情報をマウスで動かしながらデューイは言う。
「まだ人の手が入っていないところに飛んだだけってのも否定はできませんけれどね」
モークは釘を刺すが、やはりモニターの方しか見ていない。
「わかっています。何とかしてハッキリさせましょう。それがこれからの私達の仕事だ。こんなものが本当にあるとわかれば、きっとみんなが元気になる。そうでしょう?」
元気になる。
宇宙の壁など問題にならないくらいの力になれる。
そんな、新しい何かをもたらせるのなら、こんなに嬉しいことはない。
「……そうですね。今後とも宜しくお願いします、デューイさん」
あの不思議な星の地表、空に浮かぶ城の姿をモニターの中に見つめ、モークはにっこりと微笑んだ。
《了》