Seven Seas潜航日誌

エピローグ

<エピローグ>

ネリーたちがオルタナリアに帰還し、地球の子らと別れを告げてから、しばらく経った。

フォーシアズ・カピタルでは、今も復興作業が続いている。アカデミーはとりあえず再開され、民家の修復も進みつつあるものの、整然とした街並みはまだ元通りにはなっていない。

「んーしょっ、ンーッしょ!」

そんなカピタルの街角に、木材やら石材やらが満載された大きな台車を、たった一人で動かしていく少女がいた。普通なら牛馬を並べて牽かせるものだが、そこは怪力自慢のネリー・イクタである。

「や、ネリー! がんばってンね?」

小妖精が飛んできて、台車の縁にとまった。

「うゃっ! はやく直して、マールレーナにかえんなくっちゃねっ!」

「ネリー、そのことなんだけどさ……戻っていいってよ?」

「へっ?」

きょとん、とするネリーにシールゥは、

「セントラスの方から応援が来るんだって。大きな船がたくさん近づいてるみたいだよ。それに、英雄とはいえいつまでも子供を働かすのもどうなんだって、エライ人たちも話してたし……」

「んゃー、気にしなんでいいのにっ……」

「や、でもさ……お父さんとお母さんの顔、見てきたら?」

「ンーゥ……」

オルタナリアに戻ってきたあの日から少しして、父ネプテスと母セレーネはマールレーナに帰っていった。あの町も今回の一件で少なからず被害を受けていて、二人は必要な人だった。

ネリーはこうしてフォーシアズに残ったのだが、時々やっぱり親が恋しくなる。

「……わかったよ。いってくるね?」

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

オルタナリアの大海原を、ネリーは数日ほども泳ぎ続けていった。

こうしているとテリメイン―――いまは、テラムと呼ばれているが―――での心躍る日々が思い出された。ここは未知の海ではないけれど、そんなことは関係なかった。進む先が、どこまでも広がっている。それだけでいい。

けれど時々、へし折れた木材が流れてくることがあった。

「うゃ、これ……」

長くて、平たい。裏返してみれば、文字の一部のようなものがあった―――恐らくこれは、舟板だったのだろう。

あの渦たちが残した爪痕は、深い。もう何かを奪われることはないけれど、奪われたものは戻ってはこない。

ネリーたちも、精一杯に戦ったつもりではある。それでも、救えなかったものがある。

「……ンゥ……。」

だだっ広い海のど真ん中で、舟板を手にしたままネリーが浮かんでいると、大きな白い船が水平線から現れてきた。

そこにセントラスの旗を見たネリーは、勢いよく泳いでいき、

「ねーねっ、このお船、フォーシアズにいくの?」

水面から顔を出し、デッキで見回りをしていた中年の船員に声をかける。

「やや、ネリー・イクタとは! うむ、その通りだが……」

「それじゃ、コレ、もってってくださいっ。だれかが、探してるとおもうから……」

ネリーが舟板を、文字が見える方を上にして持ち上げると、

「これは……。」

少し、考えるような風にしてから、船員は言葉を続けた。

「ウム、受け取ろう。君も道中気をつけてな!」

「はーいっ! ありがとーねっ!」

応えてすぐ、ネリーは海の中に消えた。後のことはこの人に任せて、故郷を目指す。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

一人旅の末に戻ってきたマールレーナは、どこか静かだった。人がいないわけではないが、いささか少ない気がする。

「うゃ? みんなどーしたんだろ……?」

不思議に思いつつも、とりあえずネリーは自宅を目指す。

大きな貝殻の家は、あの渦にも屈さなかったらしい。近くで見れば所々傷ついてはいるのだが、遠目に見たシルエットはほぼ変わっていない。他の建物は少なからず損害を受けているというのに。

なにしろ元は魔物の持ち家だったのだし、そういうものなのかもしれない。いつかネリーが大人になっても、歳をとっても、その後も……この貝殻は彼女と、その子孫の住まいであり続けてくれそうだった。

そんな貝殻の、下の穴の部分から中に入ると、真っ暗だった。これはさすがにおかしいことだった―――水中の住まいでは、光を放つサンゴの仲間を飼って照明にしているのだが、それらがどこかに持ち去られていた。

まさか、泥棒か……でも、それにしたって、こんなありふれたものを盗る意味はない。

ネリーの言語野が、光をもたらず呪文を描き出した。

が、そこへ―――パン、パ、パパンッ! 破裂、爆発!

「うぇぇ!?!?」

ネリーの目には、闇がいきなり張り裂けたかのように見えた。その向こうにあったのは、あれほど息をひそめていた、人、人、人……

「お帰り、ネリー!」

泡が立ち上る貝殻を手にしたネプテスと……同じようにしているセレーネ、それから忘れ得ぬ街の知人たち。彼らが囲んだ大きなテーブルに、はみ出さんばかりの料理が積まれている。

「もう、もっとちゃんと準備できたのに。お手紙でもくれてたら……」

と、セレーネ。

「え、えっと、これ、どーいう……」

きょとんとするネリーに、ネプテスは、

「覚えてないのか? 今日はお前の誕生日だろ!」

「あ、あーぁ!」

ようやく合点がいった。どこかで帰ろうとしているのを見て、驚かせようと準備していたのだろう。

「で、でも、いいのっ? こんなにいっぱい、食べ物……」

「気にするな、ネリー。街のみんなが用意してくれたんだ。お前を労いたいってね」

そのみんなは、この貝殻の家に集まっている―――元々ここはちょっとした集会所として使えるくらいに広いのだ。

「あ……ありがと……ありがとっ、みんな!!」

もう遠慮はなかった。ネリーは、獲物をたらふく呑んだナマズのようになるまで食べ続けた。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

それからまた、季節がひとつ変わった頃の、ある日。

「皆、帰ったぞーっ!」

「たっだまーっ!!」

馬鹿でかいウツボの化け物を担いだネプテスとネリー、それから狩人たちが街に戻ってきた。

「おかえりなさい! さ、誰か怪我してません?」

出迎えるのはセレーナと、癒し手たちだ。しかし、

「みんな無傷なんですよ。なんせネプテスさんとネリーちゃんがねえ、あーっという間にやっちまったもんで……」

「俺もそんなに手ェ出しちゃいないさ。ネリーの手柄だよ。街の英雄も、そろそろ交替どきかもしれないな?」

「うゃぁ、おとーさん、そんなことない……よっ!」

ネリーはそう言って、ゆっくりと化け物を大地に下ろした。その頭は、片側が丸ごとなくなったかのようにひしゃげている。もちろん、もう動く様子はない。

「これでここらの海も、また平和になるわね……そうそう、ネリー、いい知らせがきたのよ」

「うゃ?」

「今朝ね、地上の方の街に新聞が届いたんだけど……ホラ」

セレーナはあぶくに包まれた新聞紙を取り出し、記事の一つを指し示した。


『号外 フォーシアズ・アカデミー 地球との交信に成功!!』

オルタナリアを滅びの運命から救い、さきの「ウニモドキ」事件でまたも大活躍してみせた、我らが最後のヴァスア、萩原広幸、宇津見孝明、そして瀬田直樹。

彼らもとうとう永遠に地球へと去り、伝説のなかの存在となった……はずだった!

昨日、フォーシアズ・アカデミーのリングス教授のグループが、彼らとのやりとりに成功した、その時までは!


この頃「世界の壁」に関する研究が盛んになっていたが、ついに大きな成果が出た。

ヴァスアの世界と我らのオルタナリアは、新たなつながりを築いてゆけるかもしれない。


「な……直、樹……!?」

どうしようもない高揚感が、ネリーの胸を満たした。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

フォーシアズ・カピタルには暖かな日差しが降り注いでいた。

街もアカデミーも、ほぼ元の姿を取り戻していた。少し違うのは、こんな日にアカデミーの塔の天辺から光が散乱するようになったことだった―――復興作業の中でどうしても建材が足りなくなり、テラムから流れてきたものも使うこととなったのだが、その中に光を浴びて輝く石が沢山あった。それらはシルバームーンの月の石かもしれないし、サンセットオーシャンの太陽の欠片かもしれないし、ディーププラネットの星の残滓かもしれなかったが、いずれにせよオルタナリアにいて判るものではない。

だから、いつの日かきっと、確かめに行くのだ……この光は、探求心を忘れぬ誓いの証として、アカデミーに設置されたものだった。

「しっかしよく許してくれたもんだよねえ。世界の壁を超えるだなんて、昔だったら……」

あまりに巨大なアカデミーの門の前で、シールゥ・ノウィクが浮いていた。

「オルタナリアそのものが変わっておるのだ。法とて、ついてゆかぬわけにはいかん」

今や最も人前に出ている四賢者となったアノーヴァ・ピイヴァル、それからカラシ・ワサビもいる。

「だよなっ、へへ、良い時代に生まれたもんだァ」

「ン…… ……」

ぼうっと後ろを向いていたクリエは、いち早く駆け寄ってくる者に気づいた。

「みんなーっ!!」

ネリー・イクタが、そこに来ていた。

人混みを大きく飛び越え、アカデミーの門の前、三十メートルほどのあたりに着地し、煙を上げてブレーキをかける。

「……久し、ぶり」

「うゃあ! おくれてごめんね、待っててくれてありがとっ」

「へへ……キミが一番楽しみにしてただろうし、ね。それじゃ、行こっか?」

そう言ってシールゥは前に出ようとしたけれど、すぐにネリーに先を越される。


アカデミーの、テリメインから戻ってくるときに使わせてもらった塔を登っていく。一行は途中のフロアで、マシンの狭間をせわしなく駆けめぐる「A」の字を見かけた。

「ヤヤヤ、さっーっそく遠距離恋愛しに来やがったッチね?」

ドクター・アッチが冷やかしてくる。

「ンート、言っときますけどネ、ボクもだいぶお力貸させていただいたんですからネ。そこんとこ、ちゃあああぁんと感謝ッ! したうえで……ラヴラヴするんじゃゾ??」

「うゃあ! らぶらぶしてくるよっ。ありがとね、アッチ!」

ウインクを一つして、ネリーはそばの階段を駆け上がる。アッチはほんのり顔を赤くした。


塔の最上階はやはり機械に囲まれていて、そこには中年の、教授にしてはまだ若い、こげ茶色の髪とヒゲの男が一人いた。リングス教授だ。

「こんにちは皆さん、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」

リングス教授の手と目が、テーブル―――これもまた機械仕掛けの代物らしい―――に置かれたノートと、その横のモニターを示した。

「うん? なにこれ??」

「ノートの方に、挨拶の言葉でも書いてごらん。いま、丁度つながっているところだよ」

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

地球は日本国、東京都の西側にある静かなベッドタウン、翠里町。広幸たちの住むその町にはちょっとした山と林があって、そこは大人に知られたくない話ができる、子供たちの世界になっていた―――もちろん、ちゃんと地主さんはいるのだけれど。

「押さないでェ、押さないでったらさ!」

孝明は必死に声を張っていたが、数十人に達する少年少女たちを食い止めることなど、到底できやしない。クラスメイトだけでなく、他のクラスの連中や下級生たちまでいる始末だ。

「ったく、こんなんなっちゃうから……もう、どっから漏れたのよ、僕の自由帳のコト!」

広幸も、孝明よりは後ろにいるが、もみくちゃにされかけている。

「っ、おい、なんか出てきたぞ!」

大きな岩の上に置かれた自由帳に、直樹は目を向ける。

見る見るうちに、ぶっきらぼうに線が走って、


『ネリーだよ こんにちは!』


「……へへっ!」

直樹は鉛筆を手に取った。


『よう、ネリーか? 直樹だ!』

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「わ、わわ、わーっ! なおきーっ!!」

ネリーはノートの前でぴょんぴょん飛び跳ねる。飛び跳ねながら続きを書く。


『しナ゛VU ⊂キ?』

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「と、止まって、止まって……ぐえッ」

迫りくる子供たちを前に、孝明が陥落した。

「な、直樹! その、ちょっとはみんなに見せてあげてよ!?」

広幸が悲鳴を上げる。恋人同士で楽しませてあげたいとは思うので、もう少しくらいは頑張るのだが。

「へへ、ったく、このバカ……」

直樹はかまわず、鉛筆を走らせる。


『おちついて書きな、読めないぜ』


『ごめんね!』

十秒ほどおいて、返事が現れた。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

『まちはなおったよ、みんなもげんきだよっ』


『へえ、よかったじゃんか』


『わたしも、かりうどさんになったよ!』


『オヤジさんと頑張ってるのか?』


『うんっ! なおきは、どう?』


『まあ、ぼちぼちやってる。もう少ししたら小学校も卒業で、俺らも中学生だ。そんな変わらないって言うヤツもいるけど、定期試験とかあって大変らしいな』


『なおきならきっとだいじょーぶだよっ!』


『ありがヽ』


直樹の顔が自由帳に押し付けられた。


『え、えっ!? なおき!? かおでてるよっ! どーしたのっ!?』


「見てここ! 字が出てるっ!!」

「すっげぇ、ウソじゃなかったんだ!!」

直樹を背中から押し倒した、六年生の男子二人が騒ぎたてた。

「バカ! よせって―――」

言い終わらぬうちに横倒しにされる直樹。

いよいよ止める者がいなくなり、子供たちは自由帳に好き勝手なことを書き始める。


『魔法学校とかあるの? 絵とか階段とか動くやつ』


『空中大陸とか地底王国とかは!?』


『かっこいいドラゴンとかいんの? 見たい!』


『飛空艇とかもあるんだよね?』


『そっちにいるとやっぱステータス画面とか出てくるのかな!?』


☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「う、うゃああ、直樹じゃなくなっちゃったぁっ」

画面に矢継ぎ早に浮かんでは消える、ネリーを知らない奴らの言葉。

「あぁ、いかんな。マシンも熱をもってきてしまってる。そろそろやめにするぞ!」

リングス教授は、画面とノートの脇にあったレバーを上げた。ブォォォー……、ン。機械はたちまち停止した。

「なんか……向こうで知れわたっちゃってるみたいだね、こっちのコト?」

ネリーの脇にそっと飛んでくるシールゥ。

「残念だったな、ゆっくり話せなんでよ」

ワサビも続ける。しかし、

「ううん、いいのっ。直樹と……まだ、おわかれじゃない、って、わかったんだものっ!」

そう言ってネリーは、塔の窓から空を覗き見るのだった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「ったく、切れちまったじゃねーかよオラ!?」

土の上であぐらをかいたまま、直樹は文句を言っていた。

「ンだよ! 直樹ばっかずるいぞ、俺たちだって質問したいのに!」

「そーだそーだ!」

子供たちの方も納得はしていない。

「うん、その……ルール決めてさ、これからはそれでやろうよ。僕ら、言ってみりゃ親善大使みたいなものだろ、地球とオルタナリアの……」

「そうだよ。野蛮な人たちだって思われちゃ、かなわないでしょ」

なだめるようにして、孝明と広幸が言えば、

「だな。ま、そのうちきっと、大人どもの知る所にもなっちまうだろうけど……」

すっく、と直樹は立ち上がり、

「そういうわけだ。オルタナリアは、確かにある。覚えておくんだな」

そう言って、林の切れ目から青い空を見上げる。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

今はまだ分かたれた、二つの世界の空。

その先にふたりは想い人の姿を描く。


「ネリー、待ってるぜ。また、絶対会おうな……」


「直樹、まっててね。いつかきっと、会いにいくからね……」


その願いが叶ったとき、変わっていくのはふたりだけではすまないのだろう。地球も、オルタナリアも、取り返しがつかないほど滅茶苦茶に変転してしまうのかもしれない。

だから、これからじっくりと考えるのだ。二つのものが共に歩んでいくために、必要なことを。

互いの声を、届け合いながら。


彼らの物語は、まだまだ続いていく。


【了】