Seven Seas潜航日誌

41~45

<その41>

ドクター・アッチが協力をしろなどと、広幸には初め冗談を言っているようにしか思えなかった。

彼は子供向けの漫画によく出てくるような、馬鹿な小悪党ではあった……けれど、そんな彼にも、信念があったことを、広幸は知っている。

「ヴァスアの力なんて、いらないんじゃなかったのか……」

訝し気な目を広幸は向けるが、アッチは本気であった。

「オルタナリアの危機ッチよ!」

「なんだと!」

アッチは、たった一言で病み上がりの広幸を本気にできたので、してやったりと思えた。

「ホントのことなんだよ」

そう言ってシールゥは、広幸にこれまでのことを話す。

テリメインから自分が、ネリーが、クリエやアッチがこの世界に送られてきたこと、それには奇妙な渦が関わっていたこと、そしてその渦が、オルタナリアを危機に陥れているかもしれないこと……

「オルタナリアは、地球とだけ繋がってるわけじゃなかったのか……!」

「ボクちゃんに言わせりゃ、『繋げた』って線の方がノーコーッチね」

「そうだ。ヴァスアの他に異界の人が来ただなんて話、だれも聞いたことがないのだしね」

「ンム。そして広幸クン。チミの力で、このテリメインからオルタナリアに繋げるっちゅーことも、できるかもしれんのだッチ」

「えっ……?」

嬉しさと使命感が、広幸の中で熱を帯び始めていた。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

この後の数日間でドクター・アッチは材料をかき集め、間に合わせの小型潜水カプセルを作り上げていた。

探索協会はクリエに渦の調査を依頼し、アッチや広幸をそのための力として使うことも許可してくれたのである。探索者のサポートをしきれない事情がこういった形で助けになるのを、彼女は内心ありがたく思った。

あのウニモドキが、オルタナリアのものであると示唆する物証は既にあるのだ……それならば、これ以上テリメインを巻き込みたくはなかった。


「クリエ・リューア! しーっかりボクちゃんを守るッチ! なんせこいつ、半分ガラクタでできてッチからねえ! いくらボクちゃんでも限界ってモンが―――」

海中を進行する、手足のついたカプセルの中で、アッチがわめきたてる。

カプセルの前面はガラス張りであり、懐中電灯に防水の加工をしたものが両脇にあって、海底に光を投げかけていた。

「よしてよ。やたら叫ぶと、魔物を呼ぶよ」

スキルストーンを持たないシールゥと、それから広幸もアッチの隣にいる。クリエだけが外にいて、《ウィンドガード》の石を使い、自分たちを包む防護膜を展開しながら泳いでいた。それは簡単に言ってしまえば巨大なあぶくであるが、魔物の攻撃にも一度は持ちこたえるほどの耐久性があった。

今は、とりあえず直近の渦の目撃報告があった場所を目指している。

「センサーに引っかかったら、僕が出てゆけばいいんだね?」

広幸は、水中で活動するための能力を与えてくれる最低限のスキルストーンを右手に掴んでいた。

「ンム。で、渦に近づくッチ。もしあれが本当にオルタナリアに繋がってるンなら、チミの力が使えるはずだッチ」

「いいのかい、広幸? こんな危険な……」

「やるっきゃないでしょ?」

オルタナリアの冒険を終えても、広幸たちに目覚めた異能力の正体ははっきりとはわからなかった。しかし、その力がオルタナリアという環境と関係しているのは確からしかった。地球でも、そして今のところはこのテリメインでも、広幸はただの子供になっているからだ。

「……ウッ……!?」

クリエは突然振り向くと、アッチのカプセルを叩き、そこから右に百十数度の方向を指さした。

「ンッ、さては!」

アッチは操縦桿を右に倒す。クリエの指さす方へカプセルごと回転し、光を向ける。

透き通った、白い粒が、円錐の形に集って、踊っている。

「渦だ! 直行!」

「耳元でわめくなッチ!」

揺れが激しくなるだろうと思って、シールゥはアッチにしがみついていたのである。

操縦桿を、前へ。エンジンが力を出し、カプセルのお尻についたスクリューが勢いを増す。グオオーン!

「……気を、……つけて……何か……!」

クリエはカプセルの右腕にしがみつき、身を任せるが、その手は外套の中に突っ込んでいた。渦が迫るにつれ、その下で何かが組みあがりつつあるのも見えたのだ。

「ンナロー、工作してやがるッチねェ、生意気なーッ!」

「僕、降りる準備します!」

加速度に揺れるカプセルの中、広幸は狭いエアロックへの扉に手をかける。

外では、渦の根元から、いびつな黒い柱が立ち上りつつあった。柱は突然、そこかしこから棘を生やしたかと思うと、ドッ! 一斉に、クリエたちへ向かって撃ちだした。

「ウヌーッ!!」

カプセルは、脇のスクリューを回してその場から飛びのく。

棘がガラスを叩き割りでもすれば、中の三人を守るのは、最小限の機能しかもたないスキルストーンのみとなる。

「ッ……!」

クリエはスキルストーンを取り出し、強く念じて行使した。ゴーッ! 海底が、鳴動した。振動の力、《アースクエイク》の石の業である。

「いいぞ! あんなのは揺らして倒しちゃえ!」

「……それ、は、駄目……はや、く……!」

柱の方も、揺れに合わせて体をくねらせ、抵抗している。

《アースクエイク》は強い力を持つが、それだけ術者の消耗も激しい。クリエの体力では、この揺れは十数秒ともたない。その間に、次の一手が必要となる。

「オッシャーァ! ドッセーイッ!!」

アッチは操縦桿を力いっぱい押し、ガラスに泡状の唾液をぶちまけた。

カプセルは、全速力で突き進む。シールゥは後ろにすっ飛ばされて押しつけられた。広幸は、既に操縦室にはいなかった。

「くはっ……!」

全身から力が抜け、クリエは《アースクエイク》の石を取り落とす。揺れが、静まる……

「ナセバァ! ナンジャア!! ドゴラ゛ァ゛ァ゛ア゛ア゛ァ゛ア゛ッ!!!」

直後、ガァーン! 加速し切ったカプセルの右腕が、傾きかけたガラクタの柱に突き刺さる。

だが、それっきりであった。寸前に発射された何本もの棘が、カプセルを、貫いていた。ガラスは割れ、パーツは引きちぎられ、ドクター・アッチのこの数日間の成果のすべてが、海中に散失する。

煙のようなあぶくの中で、まだ動くものがあった。

「ダァアーッ!!」

萩原広幸は、魚たちよりも速く、矢のように海中を進んだ。

力が、みなぎってくる。かつて振るった力が、自分を呼んでいる。

倒壊する柱は、最後の力で広幸に棘を発射するが、その全てが直後にひしゃげ、吹き飛んだ。

「応えろ……」

柱の根元が、迫ってくる。いくつもの棘を持った球体がそこにある。

広幸は、手を、のばした。

「応えろッ! オルタナリア―――!!」

閃光が膨れ上がり、その場の全てを呑み込んだ。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「っと、これで片づけは全部かね?」

同じ頃、オルタナリア中央大陸沿岸にある渦に襲われた港町で、直樹は復興の手伝いをしていた。

「ああ、ご苦労さん。あまりお礼もできないのだが、食事でも出そう……」

「いや、もう行くよ。多分広幸と孝明も来てンでな、探さんと。ここにはいないんだろ?」

「船を一人で使おうってのか? 無茶だぜ」

「渦が来ても、他の人を守れる保証がないんでね。なら、無茶でもやるさ。それから、前に見つかったあの金属球は―――」

そうして、街を去ろうとしている直樹の近くで、海から顔を出すものがあった。

「すいません! ヴァスア・瀬田直樹は……!」

人魚の女―――サニア・サミアであった。フォーシアズの海洋警備隊のリーダーをやっていた水棲人、ゼバ・エブカの片腕であり、彼女の部下としてイルカの獣人や、魚の頭を持つ魚人、手なずけられた海竜たちも周りから顔を出している。

「おおっと、俺だが、なんか用かい?」

「よかった……! 直樹様。実は我々と、フォーシアズに行って頂きたいのです。渦の件はもうご存知ですね?」

「おう、まあ……」

「あの渦は、もはやオルタナリア全体にとっての脅威です。フォーシアズのアカデミーが率先して研究を進めていたのですが、この度、対策会議が開かれることとなったのです」

「それに、俺を?」

「はい。既にヴァスアの一人……孝明様が、向かっておられるようです」

大親友の名が出てきて、直樹の顔は明るくなった。

「孝明が! そいつぁ、行かないわけにゃ!」

「ありがとうございます。フォーシアズまでは、我々がお送りしますわ」

直樹は早速動き出そうとして、止めた。心残りがあるのを思い出したのだ。

「っと、待ってくれ。一つ頼まれてくれねーか?」

「何でしょう……?」

直樹は、以前引き上げられて以来、未だに港の近くに放置されたままの『M.M』の球の所までサニアたちを案内し、よく見てもらった。

「渦が来た後に、浮かび上がってきたんだ。何かの一部だったらしくて、どうも気になるンだ」

「金属、ですわね。それもポシーダで建物を作るときに、使うようなものでないわ」

サニアは球の表面をしなやかな手で軽く撫でて、そう言った……ポシーダとは、水棲人をはじめとする海に生きる種族が、海中に作った国のことである。

「人か時間に余裕があればでいい。この辺りの海を、調べちゃもらえないか?」

そんな直樹の目は、金属球表面の『M.M』を見つめている。

「わかりました。一日くらいは余裕がありますから、渦の発生源を中心に調べてみましょう」

「悪いね……ありがとな」

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

光の流れの中を、広幸はどれくらいの間、泳ぎ続けただろうか。

シールゥは、クリエは……それとアッチも、どうなってしまったのか、まだわからない。あの一瞬を耐え抜いたのなら、スキルストーンの力で生き延びられるだろうが、あえなく串刺しにされてしまっていても、不思議ではない。

わからないといえば、いま自分が流れているのが、本当にオルタナリアに続く道なのかさえも、不確かだった。例えばあの時出た力が、単に自分の中のオルタナリアの残滓が為した、一瞬の奇跡に過ぎないのだとしたら……

ふと、真っ白な視界の中で、何かが動いた。あぶくだ。どんどん増えて、大きくなって、広幸の目と耳を覆いつくし、そして……

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「どうだ、何か見つかったか?」

「こちらは、今のところは……」

鎧を着こんだイルカの獣人と、魚人とが話し合っている。

中央大陸近海に残ったサニアの部下たちは、海底を探し回っていた。だが、渦が通った範囲に絞って探しても、わずかな時間と人数でどうにかしようとするには、広すぎるほどだった。

「サニア副隊長も、ヴァスアの勘を信じすぎたんじゃないのか?」

「いくら英雄だって言ってもなあ…… ……ウン?」

「どうし…… ン……これ、は……」

海が、静かに震え出していた。皮膚を伝うくすぐったさは不気味なものとなって、二人に緊張感をもたらす。

「おい、まさか渦じゃないのか!」

「わからん……! おい、あっち……!」

魚人が指さした先で、海水の色が変わり出していた。赤く、青く、黄色く、虹色に……

海中に現れた光は膨れ上がり、その中に、シルエットを映す。

それは、人の形、である。泳いでくる……

「何を見つけたのです!?」

サニア・サミアも光を見てか、この場に現れる。

その間にもシルエットは接近する。光の中から、だんだんと、大きくなる……

「渦じゃない、渦じゃないけど……異常です、副隊長!」

「それはわかるが! ……あれは!?」

影は二つ、三つと続く。

最初の一つが光から遠ざかり、その姿が明瞭になった時、サニアは息をのんだ。

ヴァスア、萩原広幸が、そこにいたのだ。

「―――みんな!」

彼は後ろを向き、ついてきたものを確かめている様子だった。外套に身を包んだ眼鏡の女、それにひっついている小妖精、そして―――フォーシアズでは犯罪者扱いの―――ドクター・アッチ。

「広幸! ボクは無事だよ! 何とかね!」

「私……も、生き、てる……!」

「ヒッデー目にあったッチ! ッタクンチキショィ!」

息も会話も普通にできるらしいのをサニアは不思議に思ったが、光の膜のようなものがうっすらと四人を包んでいて、それが魔力とは異質なものであるらしいのを察し、疑問を引っ込めた。

それよりも、重要なことが今はある。

「萩原、広幸……ですね!?」

「えっ! 僕のこと、知ってるの!? じゃあ、ここはオルタナリアか!」

「はいっ……よくぞ、お戻りくださいました……ヴァスア、広幸!」

安堵と勇気が、サニアの心に漲っていた。

三人のヴァスア、オルタナリアの救い主たちが、再び危機を迎えたこの世界に揃ってくれた。それだけで、この一日は無駄ではなかったはずだ。

「チミら何やってンだッチ、先に陸にネエ……ン?」

アッチは、サニアに共感の一つもしてやらず、しかし再び暗くなりつつある海底に何かを見つけた。

それは、人間の五倍ほどの長さがある、巨大な筒らしき物体だった。

興味を抱いたアッチはそこまで泳ぎ、表面を確認する。固着動物がいびつな模様を作っていたが、かろうじて何もついていない部分がある。

金属のプレートが、そこにあった。刻まれていたのは、イニシャル、『M.M』……

「ン、んがっ……これは!? あ……アンニャロメェ……!」

いつもならふざけた顔をしていることが多いアッチの眉間に、しわが寄る。

「おおい、アッチ! 何やってンだ、陸に……」

広幸が、アッチに声をかけに来た。だが、

「それどこじゃあないッ!」

後ろから見ていたシールゥとクリエには、アッチの剣幕が広幸を物理的に吹っ飛ばしたように見えた。

「今すぐ、この海域を調査するッチ!」

「え、でも、さっきの人魚のヒトが、フォーシアズに来て欲しいって……」

「ンなの後後ッ! ダメならボクだけでもここに残るッチ!」

いつになく、真剣である。広幸は彼の意を汲んでやるしかなかった。

「あ、え、うん……わかった。ちょっと、相談してくる……」

広幸が去っていくのを待たず、ドクター・アッチはプレートに視線を戻す。

「ミクシン・ミック……まさかとは、思っとったが……ッ!」

<その42>

「うゃー……でっかいなあ、アカデミー……」

「あぁ。もう一度見てみたいとは思ってた」

広大なフォーシアズ・カピタル市内を走る列車の中から、ネリーと孝明は行く手にそびえたつものを見つめていた。

オルタナリア最大の教育・研究機関、フォーシアズ・アカデミーである。広い裾野と、際立った高さを持つその建物は、まるで山のようにも見える。それを取り囲むように、七つの塔が立ち並ぶ。

あの中に、一万人近くもの学究の徒たちがいるのだ。今は、権力者たちが世界中から集まってもきている。

「ネリー、緊張するかい?」

ゼバ・エブカが、傍のネリーに声をかけた。フォーシアズの港で置いてけぼりにされた彼ではあったが、氷竜アノーヴァが戻ってきてくれて、ネリーたちに合流できたのだ。

「だいじょーぶ。テリメインで見たことを、話せばいいんだよね?」

「ああ。その後は俺たちに任せてくれ」

オルタナリアとテリメインを繋いでしまった、謎の渦。その対策会議が、数日後、アカデミーのふもとにある大議事堂にて開かれることとなっていた。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「直樹ぃーっ!」

「あン……!?」

死角から飛び込んできた甲高い声に、直樹の反応は遅れた。

「わぁーいっ!!」

懐かしい顔じゃないか―――?

そんなことを思った時には、胸と腹とに衝撃が来て、受け身の姿勢に入っていた。

「直樹ぃっ! 直樹ーっ!!」

想い人を押し倒したネリーは、力の限りにじゃれついてみせた。

「おぅっ、お、落ち着け、っ、降りろ、ネリーぃ」

「は、ハハ……感動の再会、てやつ?」

孝明も流石に、割って入る気にはなれない。興奮したネリーのヒレはしきりに跳ね、尻尾は激しく振り回される。危険なのだ。

「直樹ー!!」

「や、やめろってのぉ! そ、そうだ、飯でも食いに―――」

「いこーっ!!」

直樹の手を引っ張り、ネリーは駆けだす。

「あ、ちょっ……」

声が出た時にはもう、砂埃が巻き上がっているばかりであった。追いつこうにも、孝明は、体育の百メートル走に十何秒もかけなくてはならなかった子である。異能使いになっても、それは変わらない。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「広幸はなんとかアッチを説得して、ここに行くことは認めさせたんだ。あのバカを一人にしておくなんてことはできんからな。そのおかげで、サニアさんは部下をみんな残していかなくちゃならなくなっちまったが……」

長いパンに肉と野菜を挟み、ソースをぶっかけたものをナイフで切り分けつつ、直樹は話をしていた。

あの後ネリーは最初に見つけた飯屋の前でブレーキをかけ、直樹を引きずったまま飛び込んでいったのである。そこは、あからさまに学生向けの、安くて量が多い食堂だった。ネリーはその中でも特に山盛りのどんぶりを、何人前も頼んで、猛烈な勢いでかっ食らっている。直樹と孝明には目もくれない。

「で、今は別行動なの?」

「おう。こっちじゃこっちで調べ物があるんだと」

「ミクシン・ミックの、ね……」

「だな。アッチの、同級生……。もしかしたら、そいつのせいでこんなゴタゴタになっちまってるかもしれねえんだって、言ってたが……」

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

フォーシアズ・カピタルに到着した途端にアッチはアカデミーに駆け込もうとして、周囲の全員に止められた。表向きの彼は、機械の力で世界征服しようなどと企んだ犯罪者なのだから、当然であった。母校のアカデミーからしてみれば恥さらしもいいところだ。

そうしたら今度は『ミクシン・ミック』について追及することがいかに重要であるか懇々と説いてみせる。しまいには土下座までする始末であった。

「正直おかしいよ、アッチのやつ。でも、それ相応のワケがあるんじゃないかと思う。アカデミーに入れてやれなくても、僕らで代わりに調べることくらいはさせてもらえないかな?」

訴えなくてはならないことを聞いてもらえない辛さを、広幸は知っていた。

しまいには、偉大なる救世主ヴァスアの存在もあってかアカデミー側が折れ、監視こそつけられたもののアッチは調べ物をさせてもらえることになった。


書庫へ入る前、アッチはそこを警備していた者たちによって短い杖のようなものを全身にくまなくかざされた。

それは彼が白衣の下に仕込んでいた、被認識阻害装置『いないいないバーカくん』だの、遠隔操作式超小型無音カメラ『ヌスミ鳥くん』だのといった数々のよこしまな発明の存在を甲高い警告音でもって露わにし、排除させてしまった。

おかげでアッチの信頼はますます失われ、せっかくアカデミーから得た許可も取り消されるところだったのだが、ここでも広幸が彼を庇い、自分が目をつけておく代わりに入室させるようにと頼んだ。

「あんまり迷惑かけさせないでよね」

呆れ気味に広幸は言う。

「スマンナ。あーいうの、昔は全部魔法でやってたッチから、誤魔化そうと思えば誤魔化せたッチけどねえ」

「魔法の方が優秀なんじゃないの?」

「機械は結局、ありのままの結果しか出さんッチ。でも魔法は、はじめから見たいもんしか見せんッチよ」

そう言って、アッチは本の森の中へ、早足で飛び込んでいってしまった。

広幸はそのまま、会議が始まるまでの数日間、アッチに付き合わされることになった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

フォーシアズ・アカデミーの大議事堂の中心には、大きなすり鉢のような部屋があった。その中央には、巨大な柱のようなものが建っていて、内側に入るためのドアもついている。外周上には合計十二か所も出入り口が並んであり、そこから次々と人が入ってきて、階段状に並べられた席に座っていく。

ネリー・イクタもここにいた。なんとなく、テリメインで最後に見たあの部屋に似ているなと、彼女は思った。とうとうクリエとシールゥまでもこちらに来てしまったが、今頃向こうはどうなっているのだろうか?

そのシールゥとクリエ、ほかに、孝明、直樹、ゼバ、それから呼び出しがかかった広幸も近くにいた。

「おい、平気か広幸? 災難だったな、今度は」

とても眠そうにしている広幸を、直樹は軽くゆすってやった。

「ふぁ、ああ……ホントだよ、もう。それでアッチったらまだ調べものしてるんだぜ」

「頑張ってンねえ……あ、そろそろ始まるんじゃない?」

下の方の入口から、重々しくも軽やかに思える足音が聞こえてきた―――アノーヴァ・ピイヴァルだ。中央の柱の近くまで来て、『おすわり』の体勢になった。

その後ろから、それなりに年を重ねた赤い髪の女がやってきて、アノーヴァの脇を通り過ぎてから、柱のドアを開けて中に入った。

しばらくして、柱の上の空間に光の粒が集まり、膨れ上がって、ついには柱の直径と同じくらいの広がりを持つ光の球となった。その輝きが薄れ、シャボン玉のように透き通った表面が露わになり、そこには先ほど柱に入っていった女性の顔が映っていたのだった。

「イマーカ・メッグ様だ。率先して渦の対策にあたっておられる方だな」

柱の上の球に映ったそのイマーカの顔が、語り出した。

「静粛に。これより、会議を始めたいと思います」

声は部屋中にくまなく響き渡り、ささやきをかき消していった。

「ご存知の通り、いまオルタナリアは、あの忌むべき渦によって新たな危機に瀕しています。しかし、この場には渦との関連が疑われている異界……テリメインを訪れ、帰還したという者達と、かつてこの世界を未曾有の危機から救いたもうた三人のヴァスアもいるのです」

その両方に当てはまる広幸は、あくびを噛み殺し、背筋を伸ばした。とはいえ、ここに来るまでのことは事前に話してもいる。

スクリーンの球体の表面に、あの渦を生み出すウニモドキが現れた。

「テリメインからの帰還者……ネリー・イクタが持ち帰った破片から、件の渦の発生源である物体と全く同じものがテリメインにも現れたことが判明しています。さらに、オルタナリアで吸い込まれたと思われるものがテリメインで発見されたという報告も受けています。これらから、この物体……ひいてはあの渦が、二つの世界のつなぎ目となっていると考えられます」

スクリーンの映像は次々切り替わる。ウニモドキは縮小され、見た目だけの渦を起こしてみせ、抽象的に表現されたオルタナリアとテリメインとを繋いでみせている。

このことについてより深く、広幸はついさっきまでアッチと調べていたところなのだ……なぜ、そして誰が、あのウニモドキに、そんな機能を持たせたのか。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

ドクター・アッチは論文の束を読み終え、いくつもの紙とペンを使い、確信を得た。

「ミクシン……」

不思議と、激しい感情が起こらないのに、アッチは気づいた。

「魂が燃え尽きる日まで決して立ち止まりはしない、ボクら永遠の夢追い人。樽の中、蔵の中、いいや世界中のリンゴが全部腐ってもなお、ボクらだけは赫奕たる果実であり続けよう。オルタナリアの明日の為に……」

頭をよぎるのは、最後に見た若かりし日のミクシンの顔。

「て、思いックソ酒かっくらってほざいたッチね、卒業パーチーで……」

―――むやみやたらに過去を振り返るのは老いの証だ。

別な時にそう言ったのも同時に思い出し、アッチは抗えぬ嫌悪感に支配された……彼は頭を激しく振って、挙句テーブルに叩きつけ始めた。

激情が、抑えられなかった……溜まったマグマが、火山から噴き上がるように。

「ちょっと、やめろ。大丈夫かオマエ?」

声を掛けられ、挙句抑えつけられて、アッチは自分の状態にようやく気付いた。周りの学者たちの視線も集中したが、そんなのはもうどうでも良かった。

深呼吸し、無言でやってきた係員を押しのけると、アッチはまだまっさらなままだった紙を左手で引き寄せ、ペンを走らせる。書くべきことを書き終えたら、折りたたんで、

「これ、ヴァスアたちに、渡してこいッチ。今度のことには、ケリをつけなくちゃならんッチ。そのための……」

「言わんでいい。渡せばいいんだな、行ってくるよ」

この係員は、別に彼のことを馬鹿にしていただけではなかった。今のドクター・アッチの目は、正視するには、色々なものが渦巻きすぎているような気がしてしまったのだ。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

会議の議題は、渦の発生地点に移っていた。

球のスクリーンにはオルタナリアの世界地図が映り、ゆっくりと回転している。

「ここで、各国から報告された渦の発生地点をまとめてみましょう」

スクリーンに、点がいくつか現れた。最も早い時期に渦の発生が報告された場所だった。

「仮説となりますが、あの渦の発生源は、私たちに気づかれるよりもずっと前から海底に分散していたものと思われます。そしてほぼ同時に起動し、各地で渦を発生させた……」

今度は、少しずつ時を進める。菌が繁殖でもするかのように、点が増えていった。

フォーシアズやセントラス、そして海底国家ポシーダの都市群―――ネリーの故郷マールレーナもだ―――に、点はより集中しているように見える。

「渦は時間を追うごとに、今の我々のように対策を進めている場所を攻撃するようになる傾向があります。先日、フォーシアズの港に渦が乗り上げて竜巻となり、鉄道を伝って、このカピタルを目指そうとしたと思われるケースも報告されました……」

「あのウニモドキ、世の中のことがわかるのかな」

機械のくせに、と孝明。

「案外、どっか海の底で集まって、情報交換でもしてンのかもね……秘密基地とかに……」

言っていて、広幸は思う。アッチの調査の結果次第では本当にそういうことになりかねない。

そこで議事堂のドアの一つが静かに開き、男が入ってきた。彼は辺りを見回すと、広幸の席を見つけ、静かにそこへ歩いていった。

「ヴァスア、広幸。これをアッチがお前に、と」

彼は広幸にささやき、折りたたまれた紙を渡して、すぐにその場を後にした。

開いて、読む。

「……どうやら、そういうことみたいだよ、皆。忙しくなるぞ」

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

その頃、フォーシアズの門にいた兵士は、遠くから馬に乗って誰かが駆けてくるのを見た。

服をずたずたにされた、ただならぬ様子の男だった。

「おい、そこの…… どうした? 魔物でも連れてきてないだろうな?」

「ま、魔物、じゃない……! たっ、助けてくれえ! とにかく、助けて……っ!」

「なんだと……」

ふと、兵士はかすかな、しかし確かな力を持った音が、この場に近づいているのに気づいた。

顔を上げ、この門から出ている道の、その先を見る。

遠い空の下で、何か、大きなものが、うねっている。

「お、おい、ありゃあ……何だ?」

「う、渦……竜巻、だ。いきなり十個も二十個も来て、合体して、馬鹿でかくなって……!!」

「なッ!?」

それは、二人の視界の中で、確実に、動いていた。

フォーシアズ・カピタルに、向かって。

<その43>

情報が入ると会議はすぐに中断された。フォーシアズ・アカデミー……いや、フォーシアズ・カピタル全体が、あっという間に騒々しくなる。

白と青とが鮮やかに映える通りを行くのは、市民ではなく、兵隊や術士たちであった。事態に対処する力を持たない者たちは、一応は安全であろう地下に退避させられている。

「……一時は戦争にもなりかけたのだっけね、オルタナリアはさ」

広幸はその異能力によって、カピタルの上空数十メートルほどのところに浮き、幸いにも落ち着きを保ったまま逃げてくれている人々を見下ろしていた。

上を向く。

カピタルを囲む壁のそのまた向こうで、見る見るうちに拡大していく、大地からの竜巻……

「広幸ーッ!」

「何やってンだ! 行くぞ!?」

友人たちの声は、真下からではない。誰かの住まいであろう建物の天辺に、直樹と孝明がいた。孝明は、直樹に抱きかかえられている。

ネリー・イクタも、四つん這いでその場に飛び込んでくる。

「待っててくれなくて、だいじょーぶだよっ! 早く、あの渦をとめなきゃ!」

「そうだ! 先行くぜ!」

そう言うと、直樹は孝明とともに、身長の十数倍ほども高く跳んでいった。彼の四肢が、青空の中で輝いた……異能力で引き寄せた魔法金属をまとい、直樹はその力を大幅に高めているのだ。

「怖くも恥ずかしくもないんだろうな、きっと」

呟いてから、広幸も彼らを追って飛翔する。その後ろに、ネリーも続いた。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「ミクシン・ミック。ヤツはボクの同輩だったッチ。ヴァスア……地球人がいなければどーにもならんオルタナリアを変えてみせる。入学記念パーチーでボクらは出会い、夢を語らったものだッチ」

ドクター・アッチは、ひょろ長い脚で二足歩行をする機械にクリエ・リューアを乗せ、市街地を駆けていた。門の方に向かって、である。

「逃げる、んじゃ、ない?」

「フン! その気なら、さっさと降りるッチよ! これはねえ、例え何もできんのだとしても、全部見届けるくらいはしとかないと、恥ッつーか後悔モンなのだヨ!」

ぽふぽふと湯気を発するアッチ。

「ついて、く。ネリー、が、心配……」

「ヘェ~、そりゃまたえらい仲良しになったモンだッチねェ? テリメインで一体何があったのやら……あ、惚気話はナシでネッ」

言われなくてもするものか。クリエは苦笑いをした。

「……ンで。ボクとミクシンはアカデミーで機械を学んだッチ。最初の一年で『ジョシュアズ・ノート』に追いつき、二年次には追い越してやったッチ」

ジョシュアズ・ノート。

ヴァスアの一人であったジョシュア・アークライトは、いわゆる神童であった。身体こそ丈夫ではなかったものの、齢十三にして機械に関する深い造詣を持っていた。その一部が、彼が残したノートに記されていたのだ。

オルタナリアに呼び出された彼が最初に降り立ったのが、学術の都フォーシアズであったことは、彼の救世主としての方向性を決定づけた。

ジョシュアはすぐには冒険に出ず、自らの虚弱さを補うための発明をした。はじめに、長い脚で歩く大鳥の身体を模倣することで、歩行機械―――今アッチたちが乗っているものの原型にあたる―――を作った。その次には、巨龍の咆哮を真似て魔物を追い払う装置を、さらには身につけることで鉄砲を扱えるだけの膂力が得られる手甲を開発した。

そんなことばかりしていたので、彼は結局、たった二度の『心の儀』しか行えずにオルタナリアを去ることとなった。ヴァスアとしては、劣等と言わざるを得ない成果である。

一方で科学者としてのジョシュアは、今日の日まで高く評価され続けている。後のヴァスアたちは彼の名に対して何の反応も示さなかったが、恐らくは業績を残すことなく早世してしまったのであろうと捉えられた。

アッチとミクシンが機械の道を歩むことを決めたのも、元を辿ればジョシュアへの憧れからである。

「……けどその後で、ボクとミクシンの道は分かれちまったのだ、ッチ。チョイと当時のボクは驕ってまして、そいつが気に入らんかったよーでね」

驕りなら今でもそうだろう、とクリエは言いかける。言葉を上手く話せないことを、彼女は少しありがたく思った。

「ボクは、オルタナリアを変えるってのは、何だかんだオルタナリアの中だけで終わるもんだと思ってたッチ。けーンどもねー、そこがボクとヤツとのどデカイ差ってモンでしたのヨ」

「オルタ、ナリア、の、外……?」

それは、地球のことだけを言っているわけではないのだと、今のクリエにはわかる。だが、ミクシンはどうやって、そこへ至ろうとしたのか?

世界の壁を壊すような行いをしようとしていたのだとしたら、それはとんでもない罪である。このオルタナリアは、創世の女神ミーミアが、ニンゲン達に託してくれたものなのだから。

もしもネリーたちがこれからミクシンを捕らえ、連れ帰ったとしたら、彼は死罪となろう。

「それ以来ヤツはほっとんど書庫と工房で過ごし―――流石に卒業パーチーには顔出してきたッチが、今にして思えば多分ボクに色々怪しまれないよーにってつもりもあったんだろーなァ―――で、出てったら出てったで今度は商売始めたッチ。だがある時! ミクシン・ミック邸、謎の炎上ッ! 遺体は骨ッコ一つ発見されずゥ!!」

クリエもよく知っている話である。確か、アカデミーに入る前の年のことだったはずだ。

「ンでンで、こっからはここ数日ばかし調べて考えたことになるッチが……ヤツのプロジェクトの一つに、地上人向けの水中住宅ってのがあったッチよ。海ン中のヤツが陸のヤツと結婚したがるみたいな話はもう珍しくもないし、需要は間違いなくあったッチね。しかーし、恐らくヤツが実際造ってたのは、自分専用の秘密ラボ、ッチ。セントラスでボクちゃんチョイと必死になっちゃったデショ?」

「ああ。あの、丸い、の……ラボ、の、一部、とか?」

「ゴ・メイトゥ。あん中でヤツはオートマトン、ひとりでに動くマシンの研究を続けていたッチ……結論言っちまうとあのウニモドキがそれッチよ、きっと」

「渦、は、ミクシン、が……。」

「ンム! あの渦は、オルタナリアとテリメインを、繋いでみせた……ヤツは生きていて、誰も見とらん海の底で、世界の壁をぶち破るメカニズムを作り上げさせやがりましたのだ、ッチよ!!」

眉間にしわを寄せるアッチ。その渦巻き眼鏡が、ギラギラ光る。前方上空に聳える、地上の渦にも負けないほどの迫力があるように思えた。

「あああアアア゛ア゛考えりゃ考えるほどオソロシイ! ヤツはボクが今思いつく全てを実装したに違いねェンだ! ネリーが言うことにゃテリメインの魔物を模倣したりもしたッつーし、そーいやボクのこと乗っ取りもしたし、ええいええいエエーイッ!!」

「……ど、う、どう」

「ボカァオンマサンジャネーッ!!」

蒸気を吹き上げるアッチを宥めつつも、クリエは街の向こうで重々しく揺れる竜巻を見つめていた。

ウニモドキ……ミクシンが開発した、無人探査マシン。それらがテリメインで起こした一連の出来事を、クリエは思い出す。

どんな環境かもわからない別世界で、自己防衛し、得たものを持ち帰る。これまでのことを振り返れば、確かにその目的は果たしていると言える。だが、あのウニモドキたちがそれを超えた暴走をしているのも、明らかだった。

「皮肉、て、やつ、かね」

直後、二足歩行マシンが急加速をして、クリエは軽く舌を噛んだ。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「どうしよう! 根っこを狙っても、大きすぎるから!」

宙にいる広幸が叫ぶ。彼の右手は熱の矢を十数発も吐き出し終え、赤いオーラを漂わせていた。

あの巨大な竜巻が視界をほとんど覆ってしまうほどに、四人は接近をしていた。飛ばされるほどではないが、風は容赦なく殴りつけてくる。

「ああもデカいと、直接ウニモドキを壊すのは無理か! なら上からド真ん中に飛び込むっきゃねェな。広幸、危険だが―――」

「構わない! やってやる!」

広幸は虚空を蹴っ飛ばし、まっすぐに上昇した。

上空に、雲は、ない。

広幸は青空の中で異能の光を振りまき、その位置を知らせてくれるだろう。だがそれは、相手にとっても同じであった。

「アッ!?」

ビカッ! ビカァーン!!

一条の閃光が、竜巻から発せられた。かと思うと、それはたちまち枝分かれし、拡散し、広幸を囲んだ。

「チィーッ!!」

「よせェーッ!」

ゴゥッ! 樹木の槍が地面を突き破り、垂直に伸び上がった。先端は、輝く金属の針に覆われている……二人の思惟に導かれる異能力が、同時に発動をした結果であった。

避雷針となったそれは雷撃を吸い寄せ、広幸の回避を成功させる。

「やるじゃん、ありがと!」

仲間たちを一瞥することもなく、広幸は高速で上昇し続ける。

攻撃に抵抗しつつあの巨大竜巻の上方をとれるのは、自分しかいない。これから先どんな援軍が来ようと、それは変わるまい。そんな物言いができてしまうのが、今の広幸……初めて『心の儀』を完遂し、オルタナリアを真に救ってみせた救世主・ヴァスアなのだった。

だが、さらに上空……巨大竜巻の天辺をも越える高度から、突っ込んでくるものがあった。

「なンだよ、今度は!」

急速に接近してきたそれは、五十メートル四方はある網であった。

「こんなもんは、かわしてさ……!?」

異能力で、水平方向に加速をかける。

だが、網が自発的に変形しだしたのに、広幸は気が回らなかった。

グォーン!!

空中に竜のあぎとが現れ、広幸に喰らいつき、捕らえた。

「やられたァ!?」

そう声が出るのは、まだ命がある証拠である。あの網が竜―――《ジャバウォック》―――に変じて襲いかかってきたのだとも、すぐにわかった。

が、続けて突進してきた獣のような影が、三つ。角を生やした怪物の像……ガーゴイル。その王たちであった。だがその身は石ではなく、スクラップの塊でできている。

「ガラクタのガーゴイル……!?」

それらの内の二体は広幸を搦め捕った網にしがみつき、残る一体は高らかに吼えた。

それが、引き金であった。

竜巻は咆哮に応えるかのように、無数の瓦礫を放り出す。それらは空中で凝集し、組み上がり、何体もの下級ガーゴイルに変じた。彼らもまた、広幸の周りを取り囲み、その身を押しつける。彼を包む網はたちまち、ガーゴイルたちの塊となった。

待機していた最後の一体は、真紅に光り輝く。その煌めき……深い青空の中でも際立つそれを、ネリーは、知っている。

「《カルパッチョ》……!?」

「マズいのか!?」

「サイアク!」

「あンなとこ、狙えねェぞ!?」

地上の彼らが喚く間にも、ガーゴイルキングはその赤いオーラを膨張させ、友軍を引き寄せ、呑み込んでゆく。

「あ……アッ……!!」

圧死の危機から解放された広幸は、さらなる脅威に晒されていることを、わかってしまった。

海を叩き割るほどの力を得たガーゴイルキングの爪は、少年一人、跡形もなく蒸発させてみせるだろう―――嗚呼、南無三!


「やっ、や、やめ……」

ネリーは、空を見上げたまま、歯を震わせていた。

「やめ……てっ…… ……!」

身体が、熱くなる。血が、騒ぐ。

逸る心は、『ネリー・イクタ』の内面を引っかき回して、使えるものを見つけようとする。

あの距離に届く攻撃は、ネリーにだって、ない。

だが……

赤黒く光る、血のような、結晶を、そこに見つけた。

「う、ウ、ゥゥ……ッ……!」

「ネリー!? おい……」

直樹が、ネリーの変調を感じ取って、振り向く。

その瞳も、青白い肌も、紅に染まりつつあった。

「ハァッ、ハァ、ハァァアアアアア゛ア゛ッ……!」

ネリーは、牙を、剥いた。

直樹も、孝明も、同じことを考えた―――これでは、鮫の面構えだ。マズルこそ無いが。

直後、彼女の身体から、真紅のあぎとが抜け出し、空に向かい、伸びた。今や一にして多の存在となり、限りなく強大になった爪を振るわんとしている、ガーゴイルキングの下を目指して、真っすぐに。

赤と赤とが、青い空の中で、衝突をする!

「ウガァ―――ッ!!」

地上からの咆哮に応えるかのように、ネリーの撃ち出したあぎとが開く。

ズオーッ!!

紅のあぎとは、ガーゴイルキングのオーラを、引きちぎり、噛み砕き、呑み込んでいった。その度に、ネリーの身体がより赤く染まり、そのオーラを膨れ上がらせていくように見えた……

「ネリー! おい! 何をやってる……」

孝明は、ネリーの近くに踏み込もうとして、跳ね飛ばされる。

「アウッ!?」

「孝明!? ネリー……コントロールできてんだろうな、それはよ!?」

直樹は孝明を受け止めて、ただ見ていることしかできない。


一方で上空の広幸は、心を圧し潰さんとしていた恐怖が、みるみるうちに削り取られていくのがわかった。

「よくわかんないが、チャンスなのか! ええい!」

広幸は両手から熱の矢を放ち、自分を捕らえていた網を焼き切った。

そのまま、さらに上方へと飛翔する。やっと竜巻のてっぺん、そして『目』にあたる部分が見えてきた。だが、虫のような影も、無数に見える。

「いくぞっ! ダァァーッ!!」

バールを構え、広幸は斜めに急降下をした。

竜巻の内側で泳ぎ回る、金属と瓦礫でできた魚たちが突っ込んでくるが、全て叩き割って猛進する。

地表が、見えてくる……いびつに膨れた塊が、竜巻の中心に、ある。

「ウニモドキじゃないのか……いや!」

叩き壊すべく、さらに加速をかけた瞬間、得体のしれない衝撃が広幸を襲った。

「アッ……!?」

何か大きなものが、一気に駆け抜けたようにも思えた。

竜巻が、裂けている。赤い光が、裂いている。巨大な、輝く牙が……ノコギリのような牙が、竜巻に突き立てられていた!

「広幸……!?」

裂け目の向こうに、孝明は友の姿を見た。

「広幸……! 早く竜巻をやってくれ! ネリーが!!」

「えっ!?」

「ガァァ―――ッ!!」

全身に、しびれが走る。ネリーが吼えたのを聞いたからか。そんな力があったのか。

「広幸ィーッ!! さっさと、戻って……グっ……こーいッ!!」

「直樹!?」

立ち止まっている場合ではない。広幸は、先ほど見つけた塊にさらに接近をする。

思惟が異能力を呼び起こし、構えたバールを、金色にした。

「《イデア・ストライク》ッ―――!!」

バールを、振り下ろす。

ドーッ!!

異形の塊は、内部から閃光を撒き散らしながら分解し、四散した。構成物の中に、ウニモドキがいくつもあるのが見えた。全てスパークを放ち、燃え尽きてしまったが。

「孝明! 直樹ッ! ネリー!!」

広幸は宙を蹴り、薄らいでいく竜巻の壁を突破する。その向こうに、ネリーを抑えつける直樹の姿を見た。


ネリーの脇を抑え込んでいた直樹は、尾で強かに打ち払われ、地面に転がっていた。

「ガゥゥッ……!」

「駄目だ……ネリー! 魔物になっちゃ、駄目だ!!」

もはや声にも反応はなかった。四つん這いのネリーは、倒れたままの直樹に、飛びかかる。

「ガァァーッ!」

直樹の、首筋に、牙が、向かう。

「ネリ―――ッ!!」

痛みが、ネリーを打った。その視界は白く塗り潰される。

流れてくるはずだった血の味に変わって、口の中に注がれたのは、暖かさであった。

直樹は、ネリーの頭を両手で抑えつけ、接吻をしていた。

「ア……。」

ネリーの身体から、力が抜けていく。唇が、悪いものを吸い取っていくかのように。

「馬鹿が……」

彼女が大人しくなったのを確かめてから、直樹は顔を離した。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「なるほど。それだと大方、ウニモドキも合体してパワーアップしたってところか」

「そうだと思う。こうなったら、すぐにアッチが目星をつけてくれたところを目指そうよ。もっとすごい攻撃が来る前にさ」

話し合う広幸と孝明をよそに、ネリーは直樹に抱かれていた。

「直樹……ひくっ、ごめん、ねっ。わたし……直樹の、こと、食べちゃう……とこ、だったっ」

震えながら、涙を流すネリー。その頭を直樹は撫でてやった。

「泣くな。おまえは魔物の血だって乗り越えてみせたんだ。何が起こったかはわからねェが、今度だってきっと……」

「……全然、わかんないわけじゃ、ないのっ。あれ、きっと……スキル、ストーンの……」

「スキルストーン? テリメインのか?」

スキルストーンは、オルタナリアでは効力を発揮しないはずであった。

「うん…… ほら、これ……」

ネリーは腰蓑から、《グリード》のスキルストーンを取り出してみせた。それは、あぎとのような裂け目を持った石であった。

<その44>

鮫のあぎとにも似た裂け目を持つスキルストーン、《グリード》。

先程、それが力を発揮したことを……だからこそ、あの巨大な竜巻を打ち破れたのだということを、ネリーはわかっている。だが、オルタナリアでスキルストーンは機能しないはずだとも、知っている。

「この石、はじめて使った時、ね。石がカラダの中に、入ってくるみたいな、感じが、したの。ホントにそうなっちゃったわけじゃないよ? でもね、石の力を、ひきだしてると、カラダがあっつくなってきて……それで……」

それ以上、ネリーは言葉が続かない。ほんの少し、唸るような声を出した。

「ネリー。とりあえずその石の力は、最後の手段、ってコトにしときな」

「ンゥ……」

「心配すんな。アレを使わンでもいいよう、俺らも頑張る。さ、とっととフォーシアズのみんなに声かけて、カチコミ行こうぜ」

「直樹の言うとおりだ!」

異能力で宙に浮いていた広幸が叫ぶ。

彼の目は、先の巨大竜巻がなぎ払っていった道の、その先を見ていた。もう、遠い彼方にうっすらと渦が踊っている。しかも一つや二つではない。

「やつら、本気でフォーシアズを、僕らを潰す気なんだ。戻ってる時間も惜しい。ちょっと待ってて」

地上に飛び降りた広幸は、そのままかがみこんで、懐から紙とペンとを取り出した。オルタナリアの文字を、素早く書いていく。

「世界の命運は、またも僕らの肩に、か」

その様子を見ていた孝明が、ぽつりとつぶやいた。

「そう、だね……」

「悪かねェ、だろ?」

文を書き終えた広幸は、息でインクを乾かすと、おもむろに紙を折りたたみ始めた。頭と翼と尾を形作り、空気を入れる……広幸は折り紙の鶴を作りあげた。それを手に、再び宙に浮かび上がって、

「さ、フォーシアズへ! みんなによろしく!」

後方の都市をめがけ、押し出すようにして放った。広幸の手は、白銀の光を発していて、空中に投げ出された折り鶴はその光を吸い込むと、ひとりでに羽ばたきだした。フォーシアズの街に向かい、少年たちからのメッセージを、その身に刻んで……

「これで伝わるはずだ。後は僕ら次第だよ」

「ありがと、広幸! それじゃあ……みんな、行こうよ! ミクシンの所に!!」

「おうよ!」

ネリーと、三人のヴァスアは、遠く海を目指して駆け出した。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

飛行できる広幸を先頭に、四つん這いで走るネリーと、靴に金属をまとわせてローラースケートのように変形させた直樹が続く。

「ねーっ、直樹ーっ」

「なンだ!」

「孝明だけじゃなくってさー、わたしもおんぶしてよっ! コレ、終わったらでいいからさー!」

「ハハ……なんか、悪い気するな?」

「気にすんな」

孝明は、今度は直樹の背中におぶさって運ばれていた。

「みんな、あそこ! 竜巻が!」

広幸に促されて前を見ると、目の前の丘の後ろに、うねる円錐が顔を出しているのが見えた。その数、四つ。はじめは前進をしていたが、ふとやめて、一点に集合しようとする……

「クソったれ!」

いち早く、直樹が飛び上がった。

ドウッ! 大地をえぐり、空を舞う広幸よりもさらに上に出る。渦の中心の位置を、確実に想像できるようにしなくてはならなかった。

「孝明!」

「ああ!」

直樹の背中の上で、孝明は精一杯に身を乗り出す。

彼の視界の中にだけ、光芒が走った。前頭前野から発せられたそれは、額を突き破り、雷のように空を駆け下り、地表を穿ち、土の下へと伝わっていく。

直後、ドッ! ドドッ!! 竜巻のまさに中心を、何かが貫いた―――渦巻く風は、根元から上に向かって速やかにかき消える。

陸を見下ろす直樹は、そこに伸びあがった太い木の根を見た。孝明の声なき号令が、木々を動かしてみせていた。だが……

「な、なんじゃとて!?」

消えた四つの竜巻のうち、二つが息を吹き返し、たちまち空に向かって再び立ち上った。

「死んだフリとか、賢しいじゃんかよ! ならさ! ネリー!」

「おぉーっ!!」

二人で一つずつ、左右の竜巻の相手をする。

合体さえされなければ、今の自分たちの力なら直接破壊できるはずだ……広幸は念じた。

「ぶっ飛べッ!」

広幸の目が白く輝くと、空の彼方、雲も何もない場所から一筋の雷が落ち、左の竜巻の中心を打った。

膨れ上がる光芒を横目に、ネリーも動き出す。ハンマーを構え、彼女は丘のてっぺんから跳躍した。

「こんの、やろぉぉぉーッ!」

縦に回転しながら、竜巻を突破し、ウニモドキを叩き潰す。爆風を受けて前方に着地したネリーは、そのまま走っていった。残る仲間達も、それに続く。

もはや、無事を確認し合う時間すら惜しかった。

丘の向こうに、彼らは海を見た……何十もの竜巻が、フォーシアズ湾岸を攻め、あらゆるものを呑み込んでいる。さらにその先の海上は、真っ白に染まっているように見えた。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「じゃあ、ネリーたちはもう戻ってこないつもりってわけか。決着がつくまで」

シールゥ・ノウィクはクリエ・リューアの帽子の上から、彼女が手に取った紙を見つめていた。

「大丈、夫、だよ、ね」

うつむくクリエ。

「大丈夫さ。なんせ直樹がついてるんだ。好きな人が一緒にいるってのは、力だよ」

「……うん」

再び、クリエは顔を上げる。フォーシアズの海に面した側を囲うように、防衛ラインが作られているのが見えた。

ブリーフィングから戻ってきた魔術師たちが所定の位置で待機し、瞑想を始めている。そのずっと前方では、兵士やそうでない者たちまでもが大急ぎで穴を掘っていた。

ウニモドキが作り出す竜巻を突破する力など、ネリーたちのような者ならともかく、普通の人間は持ってはいない。数秒間でも動きを止め、ウニモドキの位置を明確にし、そこへ一斉に攻撃を仕掛けるしかなかった。

幸い、この場所にもエースはいる。

「だいぶ整ってきた、てトコかね」

鬼面の剣士、ワサビ・カラシがどっかりと地面に座って、作業の様子を見つめている。

「私の仲間がフォーシアズの有様に気づいて、あなたをここに連れてきたというのは、我々にとっては幸運でしょう。しかし、メシェーナの人々は……」

その脇に、フォーシアズ沿岸警備隊の長、ゼバもいた。

「気にすンな、居た村ならもうとっくにやられちまってた。俺も穴倉でも探して雪中行軍してっ時だったンだ……あそこの連中だってヤワじゃねェ。どっこい生きてンだろ。きっと、な」

ワサビはおもむろに立ち上がり、

「さ、そろそろ俺も前に出させてもらうぜ。やー、四賢者さんの隣で戦うったァ、腕が鳴るねェ!」

そう言って、大股で前に出ていくのだった。

その先には四賢者の一角、氷竜アノーヴァ・ピイヴァルの姿がある。四つの脚で立ち、遥か地平線を見つめていた。

「よぉ、久しぶりじゃねェか」

「ワサビ・カラシか」

首だけを横に向け、アノーヴァは応えた。

「一人で竜巻とやりあえるのは俺らくらいだ、ってな。へへっ、悪くねェ」

「楽しむつもりか?」

「まァね」

地べたに座り、ワサビは胡坐をかく。

「ヴァスアのガキどもが心配かい、賢者様?」

「強い子達だ。しくじるとは思わん」

「にしちゃあ、難しい顔してるがね」

アノーヴァは、目を伏せていた。

「子供に、それもよその世界の者に、命を懸けさせねば、救えぬ世界。オルタナリアは、女神の意志の下で、そのように在り続けた。彼らは……孝明たちは、もう十分に尽くしてくれたはずなのだ。心の儀を完全に成し遂げ、この世界がヴァスア無しでも存続してゆけるようにしてくれた。もう、戦わなくても、よかったはずなのだ……」

「ふぅん」

ワサビは両手を頭に回し、地面に寝転がった。

「けどよ、やるかやらねえかなんて、好きで決めるモンじゃねぇのか」

「だが、ここに再び来てしまったのが、彼らの意志とは思えん。例えもう、会えなくとも……穏やかに暮らしていて欲しかったのだ。地球に帰ったらしたい事だって、話してくれていた……孝明は、大きくなったら、世界中の草木を調べて回る、学者になりたいと……」

「ハァ、ってかさっきから孝明孝明ってよぉ、惚れてンのかあんた?」

「口を慎め、馬鹿者」

けたけたと、ワサビが笑い出す。

まさに、その時であった。


ドーッ!!

土煙が、辺りを覆った。

人々は、わけもわからず、静止をした。だが、時間までも止まるわけではない。

築いた陣地の、まさにど真ん中に、竜巻が出現していた。


「な……に、アレ……!?」

「た、竜巻……って、そんな! なんで、いきなりさ!?」

うろたえるよりも先に、破壊しなくてはならない。クリエとシールゥは念じ、攻撃の術の準備を始める。

が、ドウッ、ドウッ! そこかしこで、新たな竜巻が出現する。

その中からは、瓦礫やスクラップでできた魔物たちが現れ、竜巻の流れに乗りながら攻撃を仕掛けてくる―――錆びかけた金属でできた鮫が撒き散らされ、人々にのしかかり、食らいつく。表面の色すらも一律でない悪魔が、憤怒の光弾を放つ。カラクリの河童が、生命力を吸いつくしにかかる……

「潜伏していたのか!? 地面の中にでも……!」

「ええい、こん畜生がッ!」

前方にいたワサビとアノーヴァも、すぐさま後退をする。

相手が何をしてこようと、黙ってやられることだけは許容できなかった。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「ガァアアアーゥッ!!」

猛スピードで泳いでいくネリーの咆哮が、強い圧力を伴って渦の根元を直撃し、全てをあぶくに変える。

彼らはフォーシアズ沿岸、もはやその形さえも失いつつある港から海中へと飛び込み、そこで不気味に蠢く無数の渦を見た―――海の中に、白い森ができているようにも見えた。

一行の先頭は、広幸からネリーに代わっている。

「直樹! 本当にコレ、全部潰してくってわけにはいかないのか!」

「駄目なんだよ!」

空気を供給するマシンを背中にまとうために、孝明は直樹の背を離れていた。代わりに、ロープが二人の身体を繋いでいる。

一行はもう、進行の妨げになるものだけを攻撃して先に進むしかなかった。いくらヴァスアの異能力があっても、渦が何百何千と発生し、しかもその一つ一つが数十の魔物を吐き出してくるとあっては、それら全てに対処することは到底不可能だったのだ。敵の真の中枢であろうものを破壊することで、決着をつけるしかない。

「いい加減して、ミクシンの所に行かせろよォ!!」

広幸が、両手を突き出す。異能力により、海水が急速にねじれていく。縦に立ち並ぶ渦たちを、横向きの渦が貫いていった。

「広幸!」

その意図を理解したネリーは、広幸のところまで上昇する。

「わたしに、ついてきてっ……!」

広幸の放った渦の中心は、速度さえあれば安全に抜けることができる。ネリーと三人のヴァスアは、引き絞った弓から放たれる一本の矢のように、突き進んだ。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

進んでいくにつれ、渦の数は一旦減り、再び増えだした。そのことが四人に、重要な場所に近づいている確信をさせた。

「ね、ねえ! みんな、見て、あれっ!」

ネリーは、前方にそびえる海丘を指さした。

全体が、煙のようなあぶくに、覆われている……その中から、無数の小さな光が一行に投げかけられている。星雲越しにきらめく星々を思わせる有様だった。

「全部、敵、だよな……」

ブレーキを掛けた広幸は、身体を立てて前方の光景を見やる。

「だろうな。多分、ここだろ。孝明、ネリー、広幸! 覚悟、できてっか!?」

「できてないなんて、言えるわけないでしょ!?」

裏返りかけた声で、孝明は直樹に応える。

「その意気だ! そんじゃ、突撃だッ!」

白い歯を見せ、直樹は笑ってみせる。

「よっしゃぁっ、だよ! おぉーっ!!」

ネリーから鬨の声を上げて、一行は急速に前進する。

光の根元……渦の生み出したガラクタの魔物たちが、それを迎え撃つ。やはりテリメインの魔物たちが元であるようだが、ここにいるものはこれまで以上に不格好であり、概形すらろくに真似しきれていないようなものも少なくなかった。

こいつらも、作りすぎると質は落ちるものなのかもしれない……頭の片隅でそんな推測をしながら、四人は突破を続ける。

ヴァスアの力もあるとはいえ、水中戦ではやはりネリーが強かった。

シャコガイ・ハンマーはネリーの魔力を伝達し、放出する力も持っているから、開いたアギトからは様々な攻撃魔法が放たれる。ある時は氷の弾丸が撒き散らされ、またある時は咆哮が水ごと魔物たちを吹き飛ばし、それらをも耐える大きな個体は直接噛みついて食い千切っていた。

「進むんだっ! わたしたちは、オルタナリアをっ!!」

が、そこへ……ゴウッ!

「ア……!?」

ネリーは、小さな身体いっぱいに、衝撃をおぼえた。

その時にはもう、全てが遠くへ過ぎ去っていってしまっていた。

「ネリーッ!?」

敵から目をそらしてまで、直樹は叫ぶが、

「な、直樹っ! アレ!」

広幸が見据える先に、巨大な何かがあるのを、見なくてはならなかった。

海丘の手前に、ぼんやりと、それは在った……あぶくを撒き散らして突き上げられた、巨人の拳であった。無論、その全てが、つい最近まで何かの一部であったのだろう、いくつもの破片で構成されている。

「てめェっ! よくも、ネリーをッ!!」

ハープーンを構え、直樹は突貫をした。巨人の拳は、それを迎え入れるかのように、重々しく開く。

「直樹! ちょ、よしてッ」

ロープで結ばれた孝明は引っ張られるしかない。巨大な手のひらが、迫り来る。

「ぶっ飛ばすッ……」

ハープーンの穂先が、金色に輝き出し、その力を振るおうとした瞬間だった。

ズオオッ! 巨人の手はその表面から無数のトゲを生やし、関節から泡を一気に放出すると、大きさに似合わぬ速さで、直樹と孝明を掴みにかかった。

「な、直樹! 駄目だ! 逃げろッ―――」

言いつつも、広幸は攻撃の体勢を取る。だが、あの巨体に効果があるほどの技となると、どれも二人を巻き込みかねなかった。

「ズァアアアアアーッ!」

輝きが、巨大な手のひらの中に、消える。

その、直前に……

青白い光線が上方から放たれ、巨人の拳を、直撃した。

内側にいた直樹と孝明は、迫ってくるトゲがその身を抉る直前で、停止するのを見た。

何故なのか、考える暇はない。

勢いと力を残したハープーンの先端が、巨人の手のひらを突いた。

ガァーン! ガラゴロゴロ……

「どうだッ」

少しの違和感を感じつつも、直樹は孝明を抱え、崩壊する手の中から脱出をする。

そこに、聞き慣れた声が飛び込んできた。

「おぉーいっ、直樹ーっ!」

「ネリー! 無事だったのか!?」

下降してきたネリーの持つシャコガイ・ハンマーからは、青白い光が霧のように漏れ出ていた。

「あのくらいじゃやられないよっ! 直樹こそ、だいじょーぶで、よかったっ!」

「へっ、お互いタフってわけか」

ゴロ、ゴロ……巨人の腕の崩壊は、止まらない。手が形を失っても、そこから手首へ、腕へと、根元の方に向かって白く染まっていき、ばらばらになっていく。

ついに安定を失った腕は、傾き、海底へと倒れていった。

立ち上る煙の中に、一行は黒い穴を見つける。

「ねえ直樹、あそこに飛び込んでみない!? このまま四方八方から攻撃されてたんじゃ、もたないよ!」

「一か八か、か。ま、悪かねェな。行くぞ!」

「よーっし!」

一行は再び、ネリーを先頭にし、穴の中へと下降していった。

<その45>

深く、深く。

ネリー・イクタたちは、巨人の腕の残骸が沈んでいくのを追いかけて、砂にまみれた竪穴を降りていった。

「《リード》……」

後方からの追撃がとりあえずなさそうだとわかると、ネリーは魔力を指先に宿し、矢のような光を発した。

この穴はまだ、ずっと先まで続いているらしい。

「これ、ってさ……」

孝明はトンネルの真ん中に浮かび、あごに手を当てて呟く。

「追っかけてったら、あのでかい腕の根っこにつくよね。で、あんな大それたものなんだから、その、もしかしたら、敵の本体とかに、繋がってるかもしれないかな、って……」

「ここは、喉みたいなものってコトか。ウニモドキの親玉の……」

気味悪いな、と広幸。

しかし、進まざるを得なかった。後ろから、断続的に鈍い音が聞こえてくる。具体的に何なのかを気にしている暇もない。

ネリーたちは、前方だけを照らす光を頼りに、トンネルを降りていく。ほのかな灯りはやがて、辺りの様子が変わろうとしていることを、彼らに伝えた。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

砂と岩でできていたトンネルに、ふと瓦礫が混じりだす。鉄くずや、砕けた壁、あるいは家具か何かだったであろうものが、そこかしこから突き出している。

ネリーたちは切り傷を負わぬよう、進行のスピードを落とさなくてはならなかった。幸い、何かが追いついてくるようなことはない。

「広幸が言ってたこと、アタリかもな。ビビんなよ?」

ネリーのすぐ後ろを行く直樹は、誰にともなく言う。

「怖くなんか、ないよっ……ほら! またなんか見えるよっ!」

声を上げるネリーの視線の先には、赤い光がぼんやりと浮いていた―――かと思うと、消えてしまい―――また、ゆっくり現れる。

「LED……?」

孝明は光を見て、素直な感想を口にする。

「まさか、僕らの世界にまで手ェ伸ばしてンじゃないだろうな、あのウニモドキ」

ドクター・アッチから伝えられた仮説を考えれば、それも決して有り得ない話ではないのだ……広幸は、自分で言っていて背筋が寒くなる思いがした。

幸い、近くに寄ってみると、それはつい何十年か前に地球で発明されたばかりの発光ダイオードではなく、魔法の力によって光る石らしいとわかった。

「これ、紅澪石(こうれいせき)、だよっ」

「それって何なの、ネリー?」

「うゃ……キレイってことしかわかんないや」

「そっか」

ほんの少しの失望を顔の下に隠し、孝明は先を見る。

この石だけではない。他にも、青、緑、黄、紫、白……様々な光が、そこかしこで、儚く、輝いている。単に探検に来ただけだったら、しばらく立ち止まって、見とれていたかもしれない。

だが、今は進む。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

やがてまた、トンネルは姿を変えていく。

今、一行を取り巻いているものは、もはやゴミとガラクタの塊ではなかった……壁は金属質で、ネリーの指先からの光を浴び、しっとりとした光沢を見せる。怪我をさせかねないような突起ももはやない。

しかし、人が造ったものだろう、と言い切るには、まだどこか歪で異質な様子があった。

「これが、ミクシンの基地なのかな?」

壁を触ると、広幸は僅かな凸凹を感じた。

「そうかも……だけど……」

「だから、ビビんじゃねェぞ。周りが金属だってンなら、俺の異能力だ。そうだろ?」

「ン、そうだよねっ」

元気づけられてか、先頭をゆくネリーは少しスピードを上げてみせた。

そうして奥へ進んでいくと、行き止まりになっていた。ぼこぼこと膨れた金属の塊が通路を塞いでいた。

「ちょっと、アレ……」

孝明は、ドアを見つけた。それは、金属塊に半ば呑み込まれた状態でそこにあった。辛うじて輝きを保っていたプレートが顔を出していなければ、さんざ見慣れた木の板と思い、見逃していたかもしれない。

「……リビング。確かに、そう書いてあるよ。このドアを破れば先に進めるんじゃないかな?」

孝明は皆の方を見ながら扉のプレートの文字を指さしてみせた。

「それで向こうになんかありゃ、ここはマジでミクシンの基地、か」

「うゃ。わたしがやるよっ。下がってて!」

「頼むぜ、ネリー!」

あとの三人を後ろに退かせ、狭いスペースでネリーは器用に身を躍らせた。尾を振るって、ドアを目がけて叩きつける……ドウッ! 扉はひしゃげ、半ばから折れた。残った木片も拳骨でへし折り、ネリーはその先を見た。

「お、お部屋だよっ。でも……!」

「でも、なんなの!?」

ネリーの横に広幸が滑り込んで、穴に首を突っ込む。そして、彼は言葉を失った。

確かに、そこにはリビングだとわかる空間が見えた。

けれど、天井も壁も平らではないらしい。それどころか、大小さまざまなこぶがそこかしこから生え、さらにそれらから細い触手のようなものがいくつも伸び、水中で身をくねらせていた……床も似たような有様だった。薄いピンク色のカーペットが、破けるでもなく、ただ周りの何かに侵食されていた。

「な、なんだよこれ! やっぱ中までどうにかなっちゃってンの!?」

悲鳴めいた声を上げる広幸を、

「ちょ、ちょっと待て! 静かに!」

孝明が制する。その右手は片耳を塞ぎ、左手は後方の闇に向いていた。

「な、何か聞こえてくる。近づいてる……!」

「だそうだ、広幸、ネリー! とりあえず入れ!」

「あ、うん! 行くよネリー!」

「お、おーっ!」

促された広幸とネリーは、軽くつっかえながらも穴を抜けた。続けて孝明が通過し、直樹がしんがりとなる。

「おっし、俺も……」

その時、孝明は穴越しに見える直樹の頭の後ろに、ほのかな赤い光を見た。あの紅澪石とやらとは違う。明らかに、能動的に、動いている光である!

「直樹! 早く!」

「わかって……いッ!?」

直樹の足首に、何かが絡みついた。

体勢を、崩しかける。こぶは丸く、滑らかすぎて、掴みどころがない。

「よせェ!」

孝明は、手を伸ばす。直樹の短い髪をひっつかんだ。

「痛えよ!?」

直樹は孝明の手を掴み返すと、足に引っ付いたものを確かめる。

それは、海藻らしかった―――形、だけは。

後ろを見れば、錆色の人魚たちが、双眸を赤く光らせながら、それぞれの得物を手に迫ってくる。さらに後方にも、いくつもの光が見える……

「ッのヤロォ!」

だが、さっきネリーにも言った通り、ここでなら……金属と電磁力を操る、異能力が使える。まずは床をナイフに変形させ、足の自由を取り戻せばいい。

直樹は、いつものように、思惟を外界に放った。

彼の眼の中で、小さな光芒が、己の額からトンネルの外壁を目がけて発射され、接触し、

弾かれた。

「……は?」

驚きに見開いた視界の隅で、青白い弾丸が迫ってくるのが見えた。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

フォーシアズ・カピタル防衛線は瞬く間に瓦解した。

唐突に現れた竜巻は、明らかな殺意を有しているようにすら思えた……呼び寄せたガラクタと魔物を駆使し、逃げ惑う人々と、どうにか後方の火砲で対抗しようとする兵士たちと、必死に詠唱を続ける魔術師たちとを全て同時に攻撃してみせていた。

「ド畜生がァ!」

竜巻一つを目の前に、ゴウッ! ワサビはかがみ込みながら回転し、コマのように刀を振るった。その太刀筋からは真紅の刃が撃ち出され、竜巻の根元を潰し、消し去った。

巻き上げられていたらしい魔術師が一人、彼の手前に落下してくる。全身を強く打たれ、既に息はなかった。

何もかもを鬼の面の下に押し殺し、ワサビは次の竜巻へと駆けていく。

が、直後……ズォーッ! 彼が踏みしめる地面が、沈みだす。

「お、おい……!?」

土が巻き上げられ、視界を覆う。

その中でも、大きなガレキが飛んでくるのが、ワサビには見えた。


「これ以上は……!」

アノーヴァもまた、無数の竜巻を一つでも破壊すべく奮戦していた。

敵を正面に見据え、そのあぎとを開き、強烈な冷気を吐き出す……それは、ただの竜の吐息ではなく、むしろ光線のように見えるものだった。アノーヴァは強大な魔力で大気にまでも働きかけ、道筋を作り出すことで、凄まじい速度と指向性を与えていたのだ。

氷の矢に貫かれたウニモドキが白く染まって砕け散るのを見届けず、次の目標に首を向ける。

だが、その時、左の前脚と後脚とが、意思に従わずに跳ね上がるのを感じた。

「チィーッ!!」

ドーッ! 地中深くに潜伏していた数基のウニモドキが、風圧を彼女の横っ腹に浴びせかける。

右半身の力で横へと転がり、思惟を鋭く尖らせる……背中の甲殻がいくらかはがれて空中に浮かび、現れた竜巻の根を目がけて飛んだ。

ドッ、ドッ! 直撃をして、小さな光の膨らみと煙だけをそこに残す。

さらなる攻撃に備えて起き上がる前に、しかし彼女の意識は別なところに引きつけられた。

竜巻が、生えている。城壁の、下から……

「も、燃えておるのか……カピタルが!?」

そこへ、ドドドドッ! 彼女を取り巻くように、地面に穴が開いた。

ウニモドキたちが、一斉に飛び出してくる……その数、十数個。

「ええいッ!?」

口腔が、白く光り輝いた。

けれどその前に、竜巻たちは急速に接近し合い、融合し、巨大化する。

その中に、オルタナリア四賢者の一角、氷竜アノーヴァ・ピイヴァルは消えた。


「チキショー! これはァ!! ミクシンにしてやられチマッタよォ!」

ドクター・アッチは二足歩行のマシンを走らせていた。隣の席にはクリエがいて、その帽子にシールゥがしがみついている。

アッチが前線に出てきた時には、既にこの有様であった。何もできそうになかった二人を拾い上げ、すぐに竜巻から逃げ出したのだ。

「ぼ、ボクたち……今度こそ、もう駄目なのかな……」

弱音を吐くシールゥの声に、力はない。彼女はいよいよ気力を失いかけていた。

「……生き、なきゃ。ネリーを……迎え、なきゃ……」

「帰ってくる場所を守っとりますってか! ソイツァー健気ッスねェ!」

ドッ! フォーシアズ・カピタルまで後退したマシンは大きく跳躍し、城壁の上に立つ。

目の前にも、すぐ後ろにも、左にも右にも、いくつもの竜巻が迫ってきていた。

「ボクもこのまま死ぬ気はさらさらニィ、が……」

もう何も、できることがない。それはアッチも同じだった。

「……ヴァスア、の、みんな……ネリー、を、信じる……?」

「ま、ムカつくケドネ……」

直後、立っていた城壁が、崩壊した。


叫びは、風の轟きにかき消された。血は、嵐の中で見えなくなっていった。

もはや、抵抗を続ける者はどこにもいない。


フォーシアズ・アカデミーの七つの尖塔が、次々となぎ倒されていく。