百合鏡記録
21~30
<その21>
果たして、自分たちは魔王軍を敵に回すことになった。先日のあのエルフの女も、ひょっとして魔王の手の者だったのだろうか。
レジスタンスの噂もまた真実であった。兵隊の目を盗んでかき集めたのであろう、人材と武器。それらが一軒家の中に押し込まれている。自分たちはそれなりに歓迎されているらしい。ただ、何しろヒーローになる気はないもので、トトテティアは少々困惑した。
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後戻りのできない所まで来てしまった。けれど逃げ出したとして、助かる保障はないのも事実だった。
魔王軍の勢力は、ここプラインカルドを中心にどんどん伸びているのだ。キシェタトルに逃げ帰っても……あるいはいっそトスナ大陸を出ていったとしても、魔王の手先はそこまで追ってくるかもしれない。
忘れえぬ幼き日の風を探しに行く。そのための旅の筈だったのに、いつの間にやらこんなことになってしまって、手に負えない。
だけど、ふと思う。あの日、自分を救ってくれた風が、ここにいたとしたら……あの風は、この人たちの命も、救おうとするだろうか。
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そんなことを考えていると、一つ嬉しいことがあった。なんとケーキをもらったのだ。レジスタンスの一人から、クリスマスプレゼントも兼ねて、とよこされた。
こんなにうれしいことはなかったし、同時にトトテティアは彼の苦労をも思いやった。なにしろ店も宿も営業を止められているらしい中で、用意してくれたのだから。
死ぬまで戦ってやるつもりはないが、それまでは頑張ろう。背中を押す最後の決め手は、甘味であった。
<その22>
戦いが始まった。
トトテティアは人々の後ろにくっつく形で進んで行く。頑張ってやると言いはしたが、元々前に出て戦うタイプではないので、こうなる。
かき乱される風の中、彼女は魔王軍が動き出すのを察知した。
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正面から激突はできない。レジスタンスは敵を細い路地に誘い込み、戦力を分散させる。館の守りが薄くなったところで、自分たちが突入する算段だった。ただ練度は敵の方がずっと上で、住民が囮を果たしきれぬ懸念もあった。
そこでトトテティアは、ひとつ術を使おうと、建物の天井に上がろうとした。狭い場所では風もまた不器用になってしまうので、半分は獣としての体力でやらなければならない。
トトテティアは跳躍し、店の日よけの上に飛び乗る。が、ボフッ! 彼女の重みに耐え切れず、それは支えの内側に落ち込んでいった。
「もうッ!」
とっさにトトテティアは風を呼び寄せ、身をひるがえす。力強い気流が突き上げるようにきて、日よけを膨らませ、トトテティアの身体ごと浮上をさせた。
大通りを突き進む魔王軍の兵士たちが眼下に見える。数は十分に多く、邪魔のしがいはあった。早まったレジスタンスがそこに居ないことを願いつつ、トトテティアは≪ミアズマ≫の準備を始める。
ふと彼女は、視界の隅に閃光を見た。心の中で舌打ちをして、魔法の発動を終える。空中に現れた瘴気が敵軍に叩きつけられるのと入れ替わりに、一本の矢が日よけに穴をあけた。
トトテティアは乳と腹とをクッションに使えるほどには豊満ではないため、痛みを伴う落下となったが、それをこらえなくてはならないのが戦場である。
体調不良に陥った敵兵たちを尻目に路地裏に転がり込み、トトテティアは駆け出した。方角をあてにしつつ、館の方に接近するよう動く。
途中、ケーキをくれた彼が、頭から血を流してうずくまっているのが見えた。すれ違いざまに≪ジェントルブリーズ≫をかけ、生死を確かめたい思いがあらわれる前に、その場を離れる。
開けた場所に出れば、よく知った声が聞こえてきた。
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それから館に残った兵を打ちのめし、以前会った女―――アンと再会をした。彼女は味方だというが、フェイクかもしれない。一緒に戦ってくれるなら頼もしいが。
決戦の時が近づいていた。
<その23>
意外なほどあっけなく、敵隊長―――ノイシヴィシェは敗れ去った。あのエルフの女もきちんと味方であったようだ。これにて一件落着、と言いたいところだが、魔王軍からは思いっきりマークされてしまったことだろう。
平穏は遠い。
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勝利の宴が始まる前に、トトテティアはケーキをくれた彼を探しに出かけた。どこかの家に担ぎ込まれてるか、あるいはあのまま放置されたか。くたばられてたりすると、ちょっと素直に酒が飲めない。
真っ先に倒れていた場所に向かったが、そこには血の跡がほんのり残っているだけだった。
名前くらい聞いておくべきだったかもしれない。
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次の目的地はエングァンになるのだろうか。魔界へ殴り込みをかけるとしたら、あそこへ行かねばならないとも聞くが。あるいは手紙をもらったので、それを届けに行くのだろうか。
トトテティアとしては、できれば後者が望ましいが、いつも通りチームの総意に従うまでである。
真面目に考えるべきことを一通り考えたので、勝利を祝いに行く。ノイシヴィシェが保存のきく食品をため込んでいてくれたことを祈りつつ。
<その24>
ソリティアの町を後にし、ふたたび荒野をゆく。
次の行き先は、やはりエングァンになるらしい。まあ、あまりのんびりしていると、魔王軍に狙われるだろうし、さっさと打って出る方がいいのかもしれないが。
ふと、雷がどこか遠くの方で鳴るのが聞こえた。雰囲気を出そうとしてくれている―――などと悠長なことは言っていられない。伏せなくては。
幸い、すぐに止んだが。
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トトテティアは幼いころに一度、雷が山火事を起こすのを見たことがあった。
窓から見ていた空が暗くなる。里から見下ろす森に閃光がぶち当たり、煙が吹き上がる。みるみるうちに火は勢いを増していき、いつもなら遠くの方まで見える空を、黒いものが遮る。
そこに風術士たちが駆けつけ、赤々と燃える森を取り囲むようにして術を唱え始めた。人の住むところに燃え広がらないよう、風に祈りをささげたのだ。
恐ろしい記憶ではあったが、風術士になろうと思ったきっかけの一つでもある。
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さて風術士の魔法には、稲妻を呼び寄せるものも含まれる。雷は雲が起こすものだからだ。
トトテティアも、もちろんそれは学んでいた。里の学び舎の庭に岩の柱があって、彼女の先生はそこに一発ズドンと当ててみせた……狙ったところに命中させるのが難しいので、あまり使わずにいたのだが、今なら味方に落とさないくらいの精度は出せるだろう。
本当に手ごわい相手が現れる前に、練習しておかなくてはならない。トトテティアは術を思い出しながら、戦いに備えた。
<その25>
新たな術、《サンダークラウド》は確かな効果があるようだ。天と地から伸びる二筋の雷は、片方を避けられたとしても、もう片方が当たれば十分な威力を発揮する。これを新たな武器にして、戦えるだろう。
エングァンの城のシルエットは、もう荒野の向こうに見えてきている。
自分たちの運命は、これからどう動いていくのだろうか。
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町を前にしたキャンプで、トトテティアは考える。もしもこの先で、ここまでの旅でできてしまったしがらみを、全部放り捨てることができるのだとしたら……
幼き日に出会った風の精霊を探す。それが本来の目的であったはずだ。けれどもアテがなかったから、こうして他人に付き合い、ついには大きな力を敵に回すに至っている。
ここまで来たことを後悔するつもりはなかったが、全てが済んでしまった後のことが気になってくるのも確かだった。
また一人でどこかへ旅に出るか……あるいは、いったん故郷に帰るのも悪くない。家族にはたまに手紙を送っているのだが、最後に顔を見たのは数年前の話である。ひっそりくたばられてたりしていてはたまらない。
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トトテティアの母は魔法の才こそ乏しかったものの、気立てのよい人であった。彼女をいつでも気遣い、風術士になる夢もまた応援していた。
一方でトトテティアの父は、ある時期から家を空けることが多くなった。風術士の里から少し離れたところにアカデミーがあって、そこの研究に協力していたためである。なんでも、空を飛ぶ機械を作っていたそうだ。風の流れが重要だというので、実験の為に風術士が必要だったらしい。
いくらか試作機はできたらしいが、最終的にどうなったのか分かる前に、トトテティアは家を出てしまった。
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他にも色々と、忘れられない人々が故郷にはいる。何にせよ、生きて帰ってやらなくては。
見下ろしてくるエングァンの影にいったん別れを告げ、トトテティアは寝袋に潜り込んだ。
<その26>
エングァンの門をくぐるのは、意外と難しいことではなかった。
巡回の魔王軍に行く手を阻まれはしたものの、今の自分たちの敵ではない。戦場に追い風が吹きはじめ、それが止むころには相手は斃れていた。とはいえトトテティアも、ここから先はこんなもんでは済まされないだろうと、予感をしていた。
店も何も利用できないのは、少々辛いところではある。
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危機感とか緊張感とは別に、こんなに広い都市をトトテティアは知らなかったので、どうも落ち着かない。何しろ、街の端から端まで行くのに一日では足りないくらいなのだ。少し高いところに登れば、外周の尖塔だってかすんで見える。
魔王軍を敵に回してさえいなければ、気ままにふらついて、買い食いしたり、魔法書を探したり……あるいは風に乗って、空から賑やかな街並みを見下ろしたりもできたのだろうか。
しょせん、言っても始まらない話ではある。願わくば平和が来た後にのんびり街を見て回れればと、トトテティアは思った。
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どこか威圧的ですらあるほどの姿で聳え立つ、プラインカルドの城。あの中には、魔界に続く道があるという。戦いは城の中で終わりを迎えるのか、あるいは……
トトテティアも覚悟は決めたつもりではあるが、帰れないところまで行きたくはなかった。
<その27>
プラインカルドの城に到着した。
敵の戦力は今のところ、十分対応できるレベルで落ち着いている。正面からぶつからず、少数でいるところを狙い、邪魔なやつだけと戦っていけば、大して被害は出ない。
もっともトトテティアも、このまま最後まで通してくれるとは思っていない。ここからは慎重に進んでいく必要があるだろう。
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風術士は、身を隠すのは専門ではない。霧を起こす魔法などはあるが、屋内で使えば自分の居場所をばらすだけである。
どちらかといえば、光を操る光術士の方がこの手の事は得意だった。光をゆがめたり、周りの景色を取り込んで自分に写したりすることで、そこにいないかのように見せることができるのだ。
仕方がないので、できる限り人気がないところを選んで進むことにする。幸い、そちらは得意な方ではあった。トトテティアは風術士として空気の流れを読む力があるし、もともと獣の仲間なので鼻はきく。
いざとなったら跳びあがって、壁や天井に張り付くことだってできる。仲間も退避できなければ意味がないので、やらないが。
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いよいよ城内に突入する。果たしてこれからどうなるかは、まだわからない。
<その28>
魔界の門が近づくにつれて、トトテティアは妙な感覚を覚えるようになってきていた。
魔族、魔界……そういった言葉を聞くたびに、頭のどこかが刺激をされる。それらは痛みのようであり、目を背けるべきでないと思わせる。
無論、以前まではこんなことはなかった……魔界との繋がりなどあった試しはない。このまま仲間達と先へ進み、方法はともかく魔王との縁を切ることが目的だ。そのはずである。
敵がいなくなった隙に、トトテティアは自分の過去を振り返ってみることにした。
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自分の生まれは、トスナ大陸から遠く離れた山の中の里。両親だって、同じところに住んでいる。ある時、風の精霊に命を救われて、そいつと再会をしたくて、風術士になり、旅に出た。
それで、いくらかの冒険を経て、トスナ大陸に辿りついた―――いくらか、とはなんだろうか? うまく思い出せないことに、トトテティアは気づく。
生まれた場所と、この地に来てからのことだけは確かなのに、そこが抜け落ちている。決して短い旅ではなかったはずなのに……
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考えている間に、仲間たちが動き出した。敵との接触が避けられないらしい。
魔界の門を前にして新たな悩みを抱えることになってしまったが、それは自分だけの問題に過ぎない。パーティーにはしっかり貢献しなくてはならない。
トトテティアは風を纏い、迫る悪意に立ち向かった。
<その29>
中庭と小屋とを、視界にとらえた。
敵の多さに息をのむその前に、あの妙な感覚がどんどん強まってくる。
魔界―――魔族の世界への、門……まだ実際に目に入ってもいないそれが、妙な引力をもって、トトテティアをひきつける。
仲間達はもう覚悟を決めているように見える。呼吸を整え、魔力を練り直したら、そのまま突撃することになるだろう。
悩みを抱えていたって、戦場では関係なかった。警備の連中を速やかになぎ倒し、門を探し当てなくては―――
そのとき、トトテティアの頭に、鋭い痛みが走った。
「……ッッ!!」
思わず目をつむる。だが、そこに見たものはまぶたの裏ではなかった。
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大きな凧に身体を結びつけて、空を飛んでいた。
下を見下ろすと、川がひとつ、細い蛇かなにかのように身をくねらせて、視界の中を流れていく。そこに沿って、村ができているのも見える。
羽ばたきの音が聞こえて、横に目をやると、とても大きな体をした鳥が飛んでいた。その背中に、誰か乗っている。
「やー、風術士さんかーい!」
気さくに声を張り上げるそいつは、ヒトではなかった。肌の色からしてかなり違うし、角だって生えている。
「あー、ちょっとねー、飛んでんのッ」
戸惑いながらも、返す。どこへ飛ぼうというのか。世間的には、風術士は空を飛ぶものだけど……
「そうか、グライダーも気持ちいいだろうなァ! いい旅をーッ!」
男の乗る大鳥は身を傾け、離れていった。
何を、普通に話していたのだろう。
それに、わたしはどこを目指して飛んでいたのだろう。
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頭痛はすぐに引いて、再び目を開く。既に動き出していたパーティーに、トトテティアは追従した。
もう、魔界に何かがあるとしか思えない。とりあえず、一刻も早くあの小屋を制圧しなくては。
<その30>
キシェタトルで恩を売った魔族がそれに報いてくれた。おかげで、防衛隊長らしいオドとやらを倒すことができた。
どこかただならぬ気を発する防具を剥ぎ取り、そのまま小屋へと突っ込んだ。敵も迫ってくるが、ある程度は風で吹き飛ばすことができる。
パーティーの誰かが、ドアを開けた。トトテティアは四つん這いになり、鼠でも襲うかのようにして飛び込んだ……
「アウッ!」
ドゥッ! 丸っこい身体はきれいに一回転して、小屋の入口と反対の壁に叩きつけられた。
トトテティアはそのまま、逆さまになった仲間たちが扉を閉め、抑え込むのを見届けた。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
「……馬鹿よ、あいつ……馬鹿だ……。」
トトテティアはうずくまり、息を整えながら呟いた。言うまでもなく、あの魔族のことだ……今頃は、彼の命などとっくに消し飛んでいるかもわからない。あるいはこの場では助かっても、近いうちに処刑でもされてしまうのだろう。
どこか、素直に喜べない結果だった……それは、城に進入してからここまで続いている妙な感覚のせいでもある。
だが、ここは敵地であるから、悲しんでいる時間などなかった。
立ち上がってみると、傍らの枠の向こうに魔界が見えるのに気づく。その向こうに見える風景が―――あるいは、この枠が魔界に通じているという事実そのものが―――トトテティアにだけ、奇妙な引力をはたらかせていた。
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ここであれこれ話し合う時間はない。すぐに魔界の中に飛び込むことになるだろう。
自分は後ろで戦うので、オドから奪った防具をどうするかは話し合う必要があるかもしれない。とりあえず、どんな力を持っているかだけ試してみることにする。呪われているようなことがないよう、トトテティアは祈った。