らすおだA記録

21~25

<その21>

今回の冒険の顛末をデューイに報告して白鈴ビルのロビーから出てきたモークに、駆け寄ってくる者があった。

「モークさん!」

ピンクと青とのオーゲリアン二人が、息を切らしながら現れた。

「おや、マーサさんにコリンズさん、こんにちは」

「ハァ、ハァ……こんにちは。それより、また冒険に出て危ない目に遭われたって……」

とても心配そうな目つきをしながらマーサが尋ねてくる。

「ああ、聞いちゃったんですか? や、別に大したことじゃないんですよ。このくらいの危険、もう十回や二十回は……」

笑ってみせるモークだが、マーサの顔からは心配の色が抜けない。

「……ンー。とにかく、大丈夫です。僕はこうして元気でいますからね。それよりどうします? これから」

会う約束こそしていたものの、モークがすぐに白鈴に呼ばれてしまったもので日にちは決めていなかったのである。

「特に何もありませんでしたら、この星で行きつけの店にご案内しますよ。お酒がおいしいとこを知ってますんでね」

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

三人は空飛ぶタクシーに乗り込んだ。

無人化されたタクシーは直方体で、四方の窓のどこからでも町を見下ろせるようになっている―――高所恐怖症でないのなら、床までも透明にするサービスもある。

今はちょうど日が沈もうとしているところで、黄金色の光がつるりとしたビル群を輝かせていた。もっと下に目を向ければ、車列がまったく滞ることなく進んでいたり、そこら中に張り巡らされた無数のケーブル群が見た目からは想像もつかないほどのものを含んだ光をやり取りしているのがわかる。

この都市の中の流れは、決してよどむことがないのだ。エオデムの科学力は人間のいいかげんさやわがままを受け止め、表面的には機械のように完璧に動く街を築き上げてみせたのである。

そんな先進文明の生み出した都会の中にも公園が一つあって、そこにタクシーは着陸した。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「どうです、いい眺めでしょ?」

木を組んで作られたテラスには、色々な星からやってきた人々が集まっていた。モークたち三人はその中でテーブルを一つ占有し、食前酒を味わっているところだ。

このレストランは公園の大きな池と森とを見渡せる位置にあった。昼間に来れば美しい水鳥たちが見られるし、今くらいの時間なら虫たちが良い声で鳴いたり身体を光らせたりして楽しませてくれる。

星の中枢にすら人の手が入ってしまっているエオデムのことなので、これも完全に制御された自然ではある―――鳥のフンやら害虫やら、気分を害するものは意識すらさせずに排除させるシステムが組まれている。とはいえ、そんなことを気にするのは野暮というものだった。

「俺、恥ずかしながら、エオデムってどこまで行っても街か工場しかない星なんだって思ってましたよ」

「フフッ……コリンズさん、実は僕も若い時に、ここで全く同じことを言ったんですよ」

「そうなんですか?」

「ええ。このお店には駆け出しの頃に、先輩の探検家の方に連れてきてもらったんです。僕が、冒険でミスをして、取り返しのつかないことになりかけてしまって……なんとか事なきを得たんですが、やっぱり落ち込んでしまってね。その時に、元気を出してもらおうってんで、ここに連れてきて下さったんですよ」

「そっか、モークさんにもそういう頃があったんですね」

そんな話をしているうちに、ウェイターが料理を運んでくる。

前菜のサラダは堅実な作りで、ほどよい酸味のドレッシングが食欲をそそる。続くスープには、三人にとって見覚えのあるハーブが含まれていた。

「あれ、これテステの葉っぱだ」

「オーゲルのものを使ってくれたのね、なんだかうれしいわ。母さんもよくスープに入れてくれてたわよね」

ずっと前にいなくなってしまった母親のことを、二人は思いやった。

「お母さん……?」

「ああ。俺たちの父さんと母さんは、二十年前の大竜巻で亡くなってしまったんです」

モークも、はっきりと覚えていた……

その日、モークはアカデミーの図書室で本を読みふけり、気がついたら眠ってしまっていたのだが、学生たちのわめく声で目を覚ました。廊下に出てみると、騒いでいるのはほぼ全員がオーゲリアンだとわかった。皆、ニュースを流すモニターにしばし張り付き、何が起きたかを把握し次第、携帯端末を手にとっていた。

モークの実家は、幸いにして竜巻の範囲外にあった。けれどあの場にいた彼らのうち何人が、家族を、あるいは知人を失っていたのだろう。

「俺たち、それからずっと二人で助け合って生きてきたんです。父さんと母さんが死んでからは、辛いことの方が明らかに多かったけど……それでもマーサがいたから俺はがんばれたんだ。モークさんには、いくら感謝してもしたりません」

「いえいえ、そんな、恐縮です。僕だってマーサさんに助けて頂いたんですよ。大事な妹さんに、僕の無茶のせいであんなことをさせてしまって、申し訳ないくらいで……」

「……それだけ、素晴らしかったんですよ。あなたが」

マーサの一言にふとモークは停止した。

「モークさんはすごく忙しいって、わかっています。だけどこれからも……もしよければ、またお会いできたらって、思うんです。いいですか……?」

コリンズは、平静を装っているようだった。あるいは本当にマーサの言葉に納得しているのかもしれないが、知る由もない。

少し間をおいてウェイターが運んできた肉料理の匂いと熱で、モークはとりあえず正気に戻った。

<その22>

海洋惑星サマフル。

かつては学者と資源を求める者たちしか来なかったこの星にも、今となっては人工島がいくつも造られ、人でごった返すリゾート地となっている。

揺らめく海と、抜けるような蒼穹の狭間を、やはり青い色をした機械の鳥が悠然と飛んでいく。その名も高きブルー・バード号、歴史にその名を残す探検家モーク・トレックの宇宙船である。大気圏内でも空飛ぶ乗り物として使えるのは、軽量化と白鈴のエンジンの賜物だった。

いつもはモーク一人と人工知能で飛ばしている船なのだが、今日は同乗者がいた。

「あっ、モークさん、上上!」

「はいさ」

コックピットに座ったモークは、隣にいるマーサに応えてレバーを倒した。

モニターに映る景色がスライドし、水平線の近くを映す……そこにあったのは黄緑色の光の群れだった。鋭く、しかし目には突き刺さらない輝きが二人を楽しませた。

「わあ……トビウオの群れかしら……?」

「ええ、サマフルスタークラスターフィッシュといいます。ここいらの名物ですよ」

「ほんとに素敵だわ。目が眩みそう。こんなに綺麗なものを見せてくれるだなんて……」

あの魚たちは寄生虫を落とすために、でなければ捕食者から逃げるために跳ね回っているのだとか、ホテルに帰れば恐らく薄い衣をまとった唐揚げとして再び二人の前に現れ、今度は舌を楽しませてくれるだろうこととかは、口には出さない。

デートにはロマンが大切だ。相手の感動は、素直に尊重してやるべきなのだ―――冒険ばかり追いかけていたせいでずっと女性には縁がなかったモークだが、それがわからぬほど野暮な男でもない。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

あのエオデムでの夜から宇宙標準時で一周期―――読者の皆様は、この周期というのは概ね一年と同じ意味だと思ってほしい―――が経過した今も、モークとコリンズ・マーサ兄妹の交流は続いている。

モークは不思議と、マーサのために時間を割いてやりたい気にさせられていた。といっても、探検への意欲を失ったわけではない。あの宇宙海賊ベロー・タンタとの戦いに至るまでと同じように、モークはあちこちの星を飛び回っているし、そのために必要な訓練だって欠かしてはいない。ただ、それでも時間が余った時には、彼は美術館や博物館を訪れたり、一人のんびりとどこかの水場で釣り糸を垂れたりしていた。それがマーサと過ごす時間に変わりつつあるということだ。

といっても、コリンズ抜きで泊りがけというのは今回が初めてであった。当初は彼も来る予定だったのだが、急な仕事が入ってしまったのだ。

モークは少なからず緊張していた……そもそも異性と二人きりで出かけること自体が久々であった。これ以前となるとアカデミー時代まで遡る。卒業間際に両思いになりかけた相手がいたのだが、結局一人で探求を続けることを取ったので今のモーク・トレックがある。

まあ、さすがに今晩寝る部屋は別々だ。夜はお互い一人の時間を過ごすとしよう。

遊覧飛行を終えてビーチに向かい、しばらく水泳を楽しんでからホテルに帰ると、入口付近に人だかりができていた。ほのかに、しかし無視できない、何か生物を腐らせたような臭いが漂ってくる。近づいてみると立入禁止のテープが張られている始末だ。

「あの、こりゃ一体……?」

モークとマーサは近くにいたスタッフらしき人間に尋ねてみた。

「お、お客様……もっ、申し訳ございません! ぱ、アデックスカンクコンニャクの缶詰が、持ち込まれてたようで……」

「え、ええぇーッ!?」

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

二人はブルーバード号のコックピットでその後の顛末を知ることができた。

モニターに映るニュース番組は、ホテル・サマフル悪臭騒動の報せを伝えていた。モークたちの他にも宿泊予定だった客は全員放り出されるハメになり、現在も清掃業者たちが四苦八苦しているという……

アデックスカンクコンニャク。砂漠惑星アデックを原産とするこの植物は厳しい環境で昆虫を呼び寄せるべく、おぞましいまでの悪臭を身につけた。今回騒動を起こしたのはそれを漬物にしたもので、さらに凶悪な臭いになっている。そのきつさたるや、肥溜めを嗅ぐほうが百倍はマシだの、都市のど真ん中に二、三キロほど放り込めばもう人が住めなくなるだの、およそ考えうるありとあらゆる罪を犯した極悪人に死後の世界で責め苦を与えるために使われていたものが手違いで現世に持ち出されただのと言われるほどだった。

こんな代物なので持ち出しに関しては厳しく制限されていたはずなのだが、それをどうくぐり抜けたのかはしばらく不明のままだろう。というか『犯人』は見つかってもないし、そもそも悪意を持って行われたことなのかどうかも定かではない。

ただ、ホテル・サマフルの経営は傾くことになるはずだ。それが恐らく一番確かなことだった。

ふと、マーサはポケットに振動を感じ、中からサッと携帯端末を取り出す。

電話をかけてきたのはコリンズだった。

「もしもし、マーサ?」

「あっ、兄さん。その……」

「うん、今ニュース見た。大変だったな。大丈夫かい?」

「ええ。モークさんと、とりあえずブルーバード号に戻ってきたの。今からじゃ他のお宿はとれないし、どうしようかって……」

この頃のブルーバード号には個室がなかった……いや、一応はあったのだが、物置と化してしまっていて人を泊められるような状態ではなかった。

少なくとも当分は家庭をもつことなどないだろうと思っていたアカデミー卒業当時のモークは、経済的な事情もあって最低限の部屋しかない船を選んだのだった。この頃から、彼はいつもコックピットの中で眠っていたのである。

「……ええ、何とかしてみる。それじゃあまたね、兄さん」

電話を終え、マーサは端末をしまう。その向こうには献身的な態度を見せるモークがいた。

「ハハ……心配はご無用ですよ、マーサさん。今からでもお部屋片付けてきます。なんとか寝れるくらいにはしてみせますから……」

と、あくまで笑顔で起き上がり、コックピットを出ていこうとするモークをマーサは引き止める。

「よして下さいよ。ここにはお休みに来たのに、疲れさせてしまうなんて申し訳ないわ」

「け、けどねえ……」

「ブルーバード号のコックピットで寝るなんて、高級ホテルに泊まるよりも滅多にないことだわ。ここでなら、風邪もひかずに、星を見ながら眠れるんでしょ?」

マーサとモークは、互いの眼を見つめ合った。

星だったら、もう、彼女の瞳の中にはたくさん浮かんでいた。

<その23>

モークは慣れた手つきでコックピットに備え付けられた機器を操作した。

既によその星に話題を移していたニュースキャスターとその仕事場とが魔法にかけられたように消え去り、モニターは明るい黒一色となる。そこへ一本光の線が走ったかと思うと、ノイズが覆いつくす……いや、ノイズというほどぶっきらぼうでもない。何千何万という星々の間を駆け抜けているかのように、無数の白い点が一瞬きらめいては消えた。

そんな具合の入力変更シーケンスの後には、ありのままのサマフルの夜空が映った。目に見えるものだけではなく音も素通しになり、寄せては返す波の音がコクピットを包み込む。こちらはさすがに若干くぐもってはいるが、まあ仕方がない。

室内の照明も、床の灯りだけを少し残して、ゆるやかにオンからオフへと遷移していく。

マーサが来客用のきれいな毛布とともに腰掛けたシートをリクライニングしてやり、自らはその下の床に……寝返りも満足にはできなさそうなくらいのスペースに、寝袋を敷いて横になる。

「なんだか悪いわ、私だけこんな……」

「お気になさらず。腰を痛めちゃいますから」

「あらあら、モークさんの腰は痛めてしまってもよいの?」

マーサは奥ゆかしく笑ってみせる。

確かに、ここには自分以外を招き入れることは想定していない。こんな風に過ごすのは探検家になって以来はじめてだった。遭難者を助けたりしたことは数回あったが、その時だってたいていは船、あるいは脱出カプセルごと牽引したものだ。あの宇宙海賊ベロー・タンタの一件の後ならば、なおさらである。

ただ、これからはどうだろう。もしもマーサと今後も付き合いを続けるのなら。あるいは、さらにその先も……

これまではあまり考えずにいたことが、頭の中に次々と浮かんできて、モークは戸惑った。それらから目を背けるかのようにまぶたを閉じてみるけれど、相手は自分の内面にあるものなのだから、どうにもならない。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

目が覚める。

まだあたりは薄暗い。ゆっくり首を起こしてみると、シートに横たわるマーサがいた。彼女は落ち着いた寝顔をしていて、モークは安心をする。椅子で寝るやつなんて、そうでもしないと仕事が終わらないか、そうしてでも夢中でいたい何かがある者のどちらかだ。平穏無事に生きる人に向くことじゃないし、モークとしてはマーサに平穏無事であってほしかった。

思いついたように、モークはカバンを一つ手にした。そのままコックピットの出入り口へ……向かおうとしていったん引き返し、念のために書き置きを一枚、マーサの眠るシートの前に貼っておく。今度こそ部屋を出て通路をくぐり、駐機場に降り立った。

空は少しずつ白み始めていくところのようだった。涼しい風が、頭の羽根を撫でるとも押すともわからぬ力でもてあそび、潮の香りを残してどこかへ去っていく。宿泊するはずだったホテル・サマフルの建物は遠くの水平線の上で、物哀しげに青く染まってたたずんでいる―――どうせ泊まれやしないのだし、騒がしいからと、あの後となりの島の駐機場に移ったのだ。

ふと、コンクリートの平面に申し訳程度につながった小道を見つけ、モークは入りこんでみる。

芝生の間に伸びていく道は下り坂になっていて、そこに立つものにこの星の本来の姿を垣間見せる。もっとも、下半分はまだ暗すぎていまいちよく見えないのだけど。

モークはちょっと早足になって、先を急ぐ。どこかの星から移された花が風に揺れるのも、何かを記録したらしい小さなモニュメントが建っているのも、またの機会にしておいて、転ばぬように駆け下りる。

砂浜の上まで、一気に。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

三脚の脚に砂が入らぬよう袋をかぶせ、浜辺の上に広げて立てる。

カメラのセッティングをする手の動きがどうにも焦り気味になるが、こんなところで落っことしたら間違いなく故障するだろうから、慎重にならねばなるまい。モークは写真だって撮り慣れているから、そうそうくだらないミスなどしないのだけれど、本人としてはやはりただならぬものがあるのだ。

こうしている間にも、水平線の下では、晴れ舞台の準備が終わりつつあるのだから。

準備を終え、モークはついにシャッターボタンに指をかけた。

いよいよ、水面が染まる。海と空とを分かち、しかし全てを平等に照らす暁光が、すぐそこに……


「モークさーんっ!」

「ウンッ!?」

後ろを向くと、マーサが坂道を降りてきているのが見えた。


サマフルの日の出が、モークの大きな身体と、まだシャッターが切られていないカメラとを照らしていた。

☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆

「そうだったの……ごめんなさいね、ベストショットの邪魔をしてしまって」

砂浜の上に下敷きを敷き、その上にモークとマーサはサングラスをつけて腰掛けていた。マーサは二つのコップにカフェオレの粉末とお湯を注いでいる。

「いいんですよ。それより、どうして僕がここにいると?」

「ン……実は、探しにいったってわけではないのよ。ただ、なんとなく……ね」

モークの分のカフェオレを差し出したマーサは、そのまま海の方を眺める。恒星はすでに半円に変わり、輝かしい顔を投げかけている。鳥たちが目覚めたらしく、風に混じって鳴き声が飛んでくる。

静まり返っていた世界が、ゆっくりと騒がしくなっていっていた。

「素敵なものを、嗅ぎつけちゃった。そんなところかもしれない」

「嗅ぎつける、ですか。僕も……まあ、似たようなもんでしょうかね」

気がつけば向き合っていて、互いに微笑みかける。

まだ、海辺は涼しい。

毛布を置いてきてしまったマーサのために、モークは近くにいてやった。

<その24>

サマフルを後にし、マーサをエオデムにある家まで送り届けたモークは駐機場にブルーバード号を停め、少しの休憩をしていた。

今日からはまた、コックピットの席に一人きりである……否、一人、というわけでもなかった。

「こんばんは船長。休暇は楽しめましたか?」

船に搭載された人格搭載式の操舵補助プログラム、モーリスがモークに声をかけた。二人の時間を邪魔しないように、サマフルにいる間は引っ込んでいたのだ。機械だって、やろうと思えば空気を読むくらいはできてしまう時代である。

「ええ、もちろん。次の冒険のことを考えたいところですね」

「おやおや。船長のことですから、もうプランを立てているかと思いましたが。本当に楽しんでこられたようですね」

モークは少々戸惑った。なにせ、モーリスにこんな冗談を言われる程度のことをしてきた自覚はあるのだ。

初日に見た海の風景も、カメラに写しそこねた日の出の一瞬も、今から思い出すとなにか特別なものに思える。モークの中で、情動と記憶とを結びつける脳の器官が強く働いていて、それはほぼ間違いなくマーサがいたからだった。

「白鈴公司の方から、先程メールが届きましたが」

「ふむ、白鈴?」

「はい。表示致します」

と、同時にコンピュータグラフィックの封筒が現れ、中からテキストウィンドウが取り出されるという演出がある。律儀に毎回再生するのは、持ち主が飛ばそうとしないからである。

現れた文面をモークは睨んだ。


Title: 超深宇宙探査計画へのお誘い


親愛なるモーク・トレック様


こんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

以前導入されましたPE-87rに関しましても、調子は出ておりますでしょうか。

さて、先日我が社が発表しました最新型統合航行システム・FARAWAYについてはお聞きになりましたでしょうか。

現在FARAWAYの実証実験も兼ね、これまでにない規模の深宇宙探査を行うプロジェクトが検討されております。

モーク様の経験も是非お借りしたく、この度メールをお送りしました次第です。


お忙しいかと思われますが、お返事をお待ちしております。

どうかよろしくお願い致します。


それは要するに、これまで誰も行ったことがないほど遠くへ行ってみないか、という話だった。

FARAWAYは簡単に言えばエンジンとジャンプ用のソフトウェアとそれらに付随するもろもろを一まとめにしたものなのだが、同時に非常に先進的なものでもあった。

普段は高次元空間を参照することによって極めて効率化された連続ジャンプを行い、回り道にならない程度に近いワームホールを探し当てればそこへ潜り込んで大幅に加速する。この組み合わせによって大幅に航行速度を高めることに成功したのだ。しかも、現世代の宇宙船ならばどんなものだろうが形状を崩すことなく搭載できる。

全ては白鈴がこれまでかき集めてきたヨタビット超級のデータによるものだ、と謳われていた。


モークもFARAWAYの発表を見た時、宇宙探査の歴史は新たな局面を迎えるだろうと考えた。

自分が追いかけているプラエクサの文明にしたって、もしかして数億光年の彼方にまで足を運んでいたかもしれないのだ……


「ふぅむ!」

少し唸ると、モークはキーパッドを引っ張り出し、さっそくメールの返事を書きはじめた。

<その25>

ブルー・バード号は漆黒の海を跳ね飛ぶイルカのように在った。

現れては消え、次にまた出てきた時にはもう遥か彼方にいる。大渦でさえも、彼女にとっては足がかりでしかない。

あてのない、未知への飛行である。


統合航行システムFARAWAYを積み込んだモークの愛機は、いくらかの仲間たちとともに、未踏の深宇宙を目指して軽やかに駆けていた。

そんな中で主であるモークが何をしているかというと、ただコックピットに座り、モニターに映し出されたものを見守っているのだった。

ふと、後方の壁がスライドしてマニピュレーターが顔を出し、モークの手元のテーブルに、主にレトルトと3Dプリンターによる合成でまかなわれた食事を運んでやった。

「あら、もうご飯の時間でしたか。ありがと、モーリス」

「お安い御用ですよ。ここで見ていたかったでしょう?」

「お見通しですか。ま、いただきます」

メニューはサマフル原産の魚介類とナッツ・ミルクで作ったシーフードカレーと、豆類のタンパク質をメインとする材料をプリントして作られたハンバーグ、それからフリーズドライの野菜を戻して仕立てたサラダ。デザートである冷凍の果物を混ぜ込んだアイスクリームは断熱容器に入れられているから、急いで食べる必要はない。

冷ましてはいけないと食べ進めながらも、モークの目はモニターに向いている。

過ぎ去っていく景色を見ながら想像を巡らすのも、冒険の楽しみの一つなのだ。FARAWAYを得たブルー・バード号は途方もなく速く飛ぶようになってしまったけれど、モニターは考えることを許すだけの情報をモークに与えている。

この遠い星々の上でも、もしかして自分が生きている間に、よく知っているような形で人々が生活するようになるかもしれない―――

今回のようなきっかけがなければ百年経ってもたどりつけなかっただろう星に対して、そんなことを考えてしまっていることが、モークはなんだか嬉しい。

自分たちは今、道なき道に、道を切り開いているのだ。


誰かが健やかな夢を持ち、それを追いかけていける限り、人の営みは確かな価値を持つとモークは信じていた。

自分は四十年も夢を追ってきたし、これからもきっと死ぬまで追っていくのだろう。

その中で出会ってきた人々にも、夢を追うと誓ってくれた者たちがいる。

夢やぶれてしまった者も中にはいるが、彼らも別な誰かの夢を支えたり、再び前を向いて歩き出したりしている。

全部、わかっている。

これからも誇りを持って、この道を行くだろう。


―――突如、モニターに映し出された計器の針が、下に振り切れた。