百合鏡記録

11~20

<その11>

結局魔王軍と戦いに行くことになった。

必殺魔法、と聞いて軽く身構えたし、実際凄まじい威力だった。でも、一緒にいた旅人が盾になってくれたし、術者本人はそのまま自爆した。結局、ヤツもまた単なる間抜けだったということか。

ここから先の道は、二つにわかれている。砦のある村と、寂れた道だ。どっちに行くかも、相変わらずチームの総意に任せている。

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戦いを終え、キャンプを設営する。

トトテティアはまず、ここしばらくやれずにいた魔法の訓練を行った。霧に身を包み、敵から姿を隠す術だ。これだけでも隠密行動に役立つが、風を操る術と組み合わせることで回避の技と化す。自らの身体を霧と同調させることで、水のような虚像を生み出すことができるのだ。剣で斬られれば二つに分かれ、すぐに元に戻る。殴られても平気だ。深く抉りこまれない限り、傷を負うことはない。

とまあ便利な術なのだが、まわりから水分を吸い上げて霧を作りだすので、使用後は空気が乾燥する。おかげで体毛がパサついてしまった。

訓練の後、果物を集めている時にちょうどよさげな泉を見つけたので、水浴びをしていくことにした。

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そこはきれいな泉で、自分の姿も良く映った。豊満な胸と、丸くもっちりとしたお腹が目立つ。その後ろに、ふわりとした大きな尻尾も。

背丈の小ささもあってか、旅先でたまに可愛らしいと言われることもある。純粋な感想だったこともあるが、ナメられていたケースも少なくはなかった……今はそれなりに慣れてきているから、どっちなのかはまあわかる。人付き合いのやり方もわかっておかねばならぬのが旅人だ。

そんなことを考えながら水にまみれ、ついでに喉の渇きも癒して、トトテティアは皆の元へ帰っていくのだった。

<その12>

例の魔族がリベンジを仕掛けてきた。使ってきたのは相変わらずの自爆魔法だったが、出力はある程度落としてあるようだった。

あの手の魔法には二種類ある。一つは、術の一部として自分に痛みを及ぼすもの、あるいは痛みによって力を引き出すもの。もう一つは、単に発生するエネルギーを制御できず、自分まで傷つける可能性があるというようなもの。

後者だったら、工夫次第でいいとこだけ取り出せる。魔術の発展にはそういった試みも少なからず関わっている、と、トトテティアも聞いたことはあった。

あの魔族が、間抜けでないのなら……次に戦うことがあったら、楽にはいかないかもしれない。

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砦の村を前に、キャンプを張る。トトテティアは焚火の灯りを頼りに、回復術の本を読み始めた。

風術士の主な能力は風を操ることだが、その中には風を媒体に一般的な魔法を発動することも含まれている。詠唱と念動で周囲の風の流れを特殊なものにしてやり、そこに魔力を流し込めば、術式の代わりになるのだ。

ページをめくる。前書きを経て、子供でも使えるような基本的な回復魔法の解説から始まる。肩慣らしに、コレの術式を風術士のやり方に置き換えてみることにした。

本を手にしたまま立ちあがり、すぅ、と息を吸う。

「――― ―――。」

トトテティアは、頭の中に組み立てた通りに、息を吸って、吐いた。ほのかに色を得た大気が、彼女を撫で、旅の疲れを少しばかり持ち去っていった。

「よし」

うまくいった。だけど、これはあくまでウォーミング・アップだ。ページをめくる。眠くなるまでは、頑張るのだ。

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翌日、トトテティアは本を抱いたまま、焚火の傍でぶっ倒れていた。夜食にしたと思われる果物の残りをあたりに散らして。

<その13>

特に変わったことのない旅路だった。オバケの仮装をした、謎の一団が戦闘に乱入してきたことを除いては。

トトテティアは、愉快な奴らだったなあ、というくらいには思っていた。

勝利し、生き延びた。それが全てだ。とはいえ、飴を貰えたのは素直にうれしかったが。

それで、次は暴徒鎮圧らしい。ちょうど霧の魔法を覚えた所だ。これで、興奮をしずめてやれればいいのだが。

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キャンプを張り終え一息ついたころ、荷物の中に声を使った術の本を見つけたので、読んでみた。

元々は吟遊詩人や歌手なんかが旅人に同行したりする時に、護身のために覚えるものらしい。けれど、声というのは声帯を使って風を震わせたものなのだから、風術士のカリキュラムにもまたこの術体系は含まれているのだった。

声の術というのは、歌の形をとる。そもそもが歌というのは、もっとも古いまじないの形式の一つであった。ずっと昔から、神や精霊に訴えかけたりする手段として用いられていたのだ。

トトテティアも、ふるさとで何度か歌を歌うことはあった。風の精霊と心を通わせるための歌がいくつか伝わっていて、色々と試してみることを求められた。

そのうちの一つを声に出したとき、彼女は心が風の中に溶けていくのを感じた。もう戻ってこれないかもしれないと、思うくらいに。

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今日のトトテティアは眠ってしまう前に本を閉じ、テントの中へと戻っていったのだった。

明日からは、また忙しくなるだろう。

<その14>

暴動を見にいったら、今度は魔族と共闘することになった。あいつはこの間のやつだっけ。いや、違う気もする。

一つ分かったのは、ここ一連の魔族騒ぎがあのマリシアスとかいう奴の企みによるものだったらしいということ。全く、人騒がせなものである。お礼に大きな盾をもらったが、自分に使いこなせるものではないだろう。

さて、次はどうするか。関所にでも行くのだろうか。

戦いもだいぶ綱渡りになってきているような気がするので、どうにかできたらいいのだが。

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夜、なすべきことが一通り終わった後、トトテティアは一人でキャンプを離れた。

今日は勉強はお休みにして、風と静かに語り合う。さあさあと、葉っぱが静かに鳴る。風の声は、時として小さい。ケモノの耳でなければ、聞き逃していただろうと思う。

さて、自分の命の恩人である精霊が、こんなところをうろついているだろうか。ここは故郷からずっと離れた場所だけど、風は旅をするものだから、可能性はある。

さわさわと、葉っぱが鳴る。それ以上のことは起こらない。トトテティアは立ちあがり、その場を後にした。

あの風は優しかった。こいつらは、むしろ臆病なのだ。

<その15>

わらわらと人が集まっている。兵士に話を聞いたら、魔物の群れのせいでみんな足止めを食っているらしい。それで、自分たちが大立ち回りを演じることになるようだ。どうにかなるものだろうか。

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戦力としての風術士は、主にかく乱や遊撃を行うものだ。風に毒を混ぜて流すーーートトテティアも《ミアズマ》の魔法でやっているーーーなど、妨害も得意である。一方で、守りの上から敵を打ち砕いたりすることは苦手だし、一人で戦うと決して強くはない。

さて、トトテティアは兵隊になるつもりはなかったので、戦いに関する術の勉強は必要最低限にとどめていた。これまではそれでも何とかなってきたのだが、最近の戦いは激化する一方だ。

この大陸に来たはいいが、力量が追いつかず、旅を諦めるものも多いと聞く。彼女自身、そうならない保証はない。

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不安を感じたので、隠し持っていたおやつに手をつける。へそくりで購入したドライフルーツの盛り合わせである。容赦なくぱくぱくと食べていく。こんなことばかりしているから体重が減らないのだろう。トトテティア自身は、別にそこまで気にしてもいないのだが。

<その16>

倒せるだけの敵を倒し、命からがら帰還する。風はよく味方してくれたと思うが、こんなんでやっていけるのだろうか。

夜は少しでも身体を休める。

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テントの布団の中で、トトテティアは今まで自らが使ってきた魔法のことを思い返していた。

≪ヒートウィンド≫

高熱の風を起こし、叩きつける攻撃の魔法。火の属性の素養も求められる。冒険の初期では使っていたが、今は≪ウィンディグレア≫に取って代わられた。

≪ウィンディグレア≫

エネルギーをまとうことで光り輝く風を叩きつける、攻撃の魔法。出力を抑えて範囲を広げ、目くらましに使うこともできる。現在の主力。

≪ジェントルブリーズ≫

癒しの指向性を持たせた魔力を風に乗せて流す、回復の魔法。他属性の回復魔法に比べると、効果を及ぼせる範囲が広めなのがウリ。

≪風霊招来≫

近くにいる風の精霊に働きかけ、術の補助をしてもらう。

≪ミアズマ≫

瘴気をまとった風を起こす、妨害の魔法。敵に吐き気や頭痛、めまいなどを起こさせて集中力を奪う。致命的なものではない。

≪ミストフィールド≫

自らの周辺に霧を起こし、身を隠すための魔法。しかし、出力を高めれば広い範囲を霧で覆いつくすこともできる。

―――。

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気がつけば、トトテティアは眠りにとらわれて、そして朝を迎えていた。

今日もまた、戦いの一日になるだろう。

<その17>

勝利した。トトテティアは、何もできないままやられたが。いずれにせよ、これで関所を通過できる。

自分たちはこの戦果一番の功労者、ときた。感謝の品として渡されたのは、魔女のかぶりもの。悪くない品だ。魔法使いの防具としては申し分ない。ただトトテティアとしては、図々しいながらもう一つお願いしたいことがあった。

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トトテティアはたっぷりと果物が盛られた大きなザルを見て、うっとりと微笑む。それからすぐにがっつき始めて、もう脇目もふらない。

これでキシェタトルともしばらくお別れだし、この先は魔界とつながっているらしいプラインカルドの国である。しっかり食いだめをしておくつもりだった。

ふと、掴んだ木の実の一つがトトテティアの目に映り、手が止まる。それはしぼんだ梨のような形をしていた。

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幼き日のトトテティアは、ふるさとの山に何かが飛んでくるのを目にしたことがある。

きれいな青空に、ぽつぽつと小さな点が映る。はじめは鳥かと思ったが、それにしちゃあまりにものろまだ。気になって追いかけると、だんだん形がはっきりしてくる。瓢箪をひっくり返したようなものが空にいくつも浮いているのだ。

まだ風の術を習得していなかった彼女は今のように宙を舞うことができないので、それ以上追いかけることはかなわなかったが、後であれが「カゼワタリドリの実」と呼ばれるモノであることを聞いた。風の精霊がいる土地で芽生え、空気を吸って膨らみ、宙を漂ってどこかへ種を残しにいくという。

今手元にあるこのしぼんだ実は、多分風の精霊の恩恵を受けられずどこかに落ちてきたものだろう。この状態でも食べるのに問題はないので、迷わず口に放り込む。

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勝利の宴もお開きの時間だ。

報酬のフルーツバスケットを食べつくし、もともとふっくらしていたお腹は今や胸以上に出っ張っていた。眠気を堪えつつトトテティアはどうにか自分のテントまで戻り、ごろりと横になる。

あの関所の先に進んだら、いよいよ魔王との戦いに巻き込まれていくのだろうか……あるいはもうとっくに巻き込まれているのか。

まともに考えることなく、彼女はそのまま睡魔に囚われていった。

<その18>

ヤル気も体力も十分に関所を通過して、今は荒野の中。

荒れ地の風は熱っぽくて刺々しい。石の粒がパチパチ打ち付けてきたりもする。毛皮には良くないのだが、幸いにして今はほぼ全身を覆えるだけの布がある。暑さは、術で風の流れを作り出してどうにかする。風の抜け道にしたのは、ローブの下側。スパッツ越しに涼感を覚え、大きな尻尾がふわふわ高まる。

厳しい環境だからこそ、こういうことに幸せを感じることもできる。トトテティアは、初めてそれを実感した……とはいえ、あんまり長くここに居たくはない。街がそこまで遠くないのは救いだった。

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荒野の夜は寒いので、テントの中でトトテティアは丸まり、自分の尻尾で暖をとる。

この先には荒野を囲んでソリティア、セプトサイド、レヴェルと街があり、北側にはエングァンの城―――魔界に続いてるらしい―――があるという。パーティーの方針はまだ聞いていないが、やはり目指すはエングァン、なのだろうか。

トスナ大陸には、風に巡り合うために来たのだが、ではついでに勇者にもなろうと言われると、ためらいを覚える。それが人助けなのだとしても、である。

今のトトテティアはなるようにするしかなかった。死にさえしなければ、とりあえずそれでいい。

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日はまた昇る。行く先はソリティアの町か。それとも。

<その19>

町まではまだ距離があるらしい。トトテティアは荒野が好きでないから、うんざりしてしまうが、我慢のしどころであった。

仲間の一人に、槍と交換してもらった杖を手に取った。扱いに慣れる意味も込め、軽く風を起こしてみる。髪につけた玉飾り―――風珠(かぜたま)のひとつが、それに沿って浮かび上がった。

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風珠は、風を読むのを助けるための道具の一つである。空気の流れに反応して引っ張られるから、身体のほどほどに敏感なところにつけておけばいい。

こんなものに頼っているようでは三流だと言う者もいるが、トトテティアは頑固者の話は聞かない子だった。一方で、世話になるものなのだから自分で作りたいとも思っていた彼女は、材料を集めに森に出かけた。

珠とつなぎが軽ければ、弱い風にも敏感に反応する。重ければその逆だ。色々対応したいと欲張ったトトテティアは、重さの違う風珠を四つ作り上げ、頭につけて旅立った。おかげで扱いづらい面も出てしまったが、まあなんとかやれている。

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このままソリティアの町にちゃんと着ければよいと思う。

魔界のことについて、何か情報が得られればいいのだが。あと、甘い物も。

<その20>

ソリティア町に辿りつく。

それで、とてもきれいで背も―――たぶんトトテティアよりかはずっと―――高いエルフのお姉様に、脅迫をされた……殺すとまで言われて、そうですか、やれるもんならやってみな、と返せるほどには、彼女は場慣れしてはいなかった。

あの女の実力が未知であることは、不安を強くするだろう。

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ここには店も宿もない。甘いものは、と期待をしてはみたが、どうしようもないだろう。

適当にテントを張って、中に引っ込む。水で戻した干し飯と干し肉、それから秘蔵のドライフルーツが今夜の食事である。特に果物の方は節約していかないといけない。明日からは、また荒野である。

あるいは……トトテティアは、どうもここにレジスタンスがいるらしい、と風の噂に聞いていた。どこに反抗するのかはわからないが、たぶん魔王か何かだろう。行動の指針が立たぬなら、彼らに話をしてみる手もあるかもしれない。

いずれにせよ、皆の総意に従うしかないのだが。

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また朝が来て、風が砂を運んでくる。

川と森のある穏やかな世界に帰れるのは、いつになるだろうか。