四城半日記
11~14
<その11>
積極的にトトテティアを探すことを半ば諦めたからといって、四畳半の部屋に籠ってはいられないのは、ソライロの散歩が必要であるからだ。彼は犬のようなもので、毎日外に出してやらないとストレスを溜める。普段のクアンは旅人だからいいが、住む所を持ってしまうと意識的に歩き回らなくてはならなかった。
そういうわけで、今日も暗いダンジョンの中を散策する。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
知的な生き物は、じっとしているよりは歩き回りながら考え事をする方が、新しいアイデアを閃く可能性が高まるらしい……ある《島》から引っ張り出された学術論文に、そんなことが書かれていたと聞いた。
今考えることといったら、部屋の通信機から流れてきたあのメガネ男の言葉であろうか―――ポイント・スーパーデプス。海洋型のダンジョンだという。クアンはそれをとりあえず、海の広さと構造をそのまま迷宮として仕立て上げたようなもの、とでも思っておくことにした。
とはいえ、湖には幼いころから親しんできても、海となるとなかなか行く機会はなかった……アル=ゼヴィンの海には探索できる《島》も二、三浮いていたけれども、そこに入るのは困難であった。
かつてのヒトと魔族の戦争でわりと最後の方まで健在だったこれらの《島》は要塞化され、強力な対空迎撃システムや結界が築き上げられており、その内のいくらかが今日に至っても休むことなく稼働し続けている。なんでも《島》が海上に堕ちてから、水中の魔力を吸い上げて動かしているという。こんなところに上から堂々と入れるような者はそうはおらず、今のところは主に魚人族などの水棲の魔族が深海から《島》の下側にある孔を通じて潜り込んでいる。これらの《島》のせいで海の環境改善もなかなか進まないので、彼らには期待がかけられてもいるのだが、全ての兵器が停まる日は当分来なさそうだった……
気がつけばアル=ゼヴィンの方に寄っていってしまう心を、このダンジョンに留める。だが、いつかスーパーデプスに行かねばならないとして、できることといったら、入念な準備をするくらいであった。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
これまで世話になってきた情報屋やら占い師やらを、時間が許す限りに訪ねて回り、トトテティアに関する話が入っていないかチェックする。
金はもちろん取られるが、商売で稼いだものを使えばよい。長者番付に加わるつもりは毛頭なかった……クアンは運命の決まる日まであと数週間となったこの時に至るまで、とうとうこの世界の価値観に自分自身を適応させることができなかった。この先も最後までそうだろう。たとえ毎週の商戦が、金稼ぎ以上の目的……ひいては世界の存続に通じているのだとしても。
ある場所で、クアンはこんなことを言われた。
「随分その、緑の獣の子にご執心みたいだね、あんた」
被ったフードに蠢く文様を入れ、懐からは香の匂いを漂わせる女だった。探し物に役立つまじないだというが、クアンにはいささか胡散臭く思える。
「ひょっとしてだけど、好いとんのかい?」
「余計なお世話じゃなくって」
「こうやって二度も聞きにきたってだけじゃないよ。なんとなく、わかるんだ……あたし以外にも、同業者みんなに嗅ぎまわってるってね」
そういうことを術か何かで見抜くのはともかく、何故わざわざ口に出して尋ねるのか……クアンは顔にこそ出さないが、苛立ちを覚えた。
だがそれは、この女の客に対する態度のことだけではなかった。
「よその国から来たあんたには、ピンとこない感覚かもしれないが」
女は懐から壺―――香りの源だった―――を取り出し、テーブルに置いて蓋をする。代わりのものを、傍の棚から探しながらしゃべり続ける。
「ここらじゃあ誰も、なくしちまったものにそこまで必死にはならんのさ。世界が滅びちまうってことについて、概ねみんな諦めちまってるからねえ。あたしのこれも暇つぶしみたいなもので、普段は別な仕事で稼いでるんだよ」
クアンは黙って聞き続ける。
「……それでも、大事な物がないわけじゃないんだ。最近、子供のころの宝物を失くしちまって、どうにか探せないかって聞きに来た客がいた。他にも、なんかとても大切なことを忘れちまって、寂しいから何とかしてほしいって頼み込んできたジジイもいた」
女は棚から壺を取り出したが、テーブルに置くだけで何もしない。
「みんな、何かしら譲れないものが……無きゃ寂しくなっちまうものが、あるんだろう。モノでも、思い出でも……あるいは呪いや不幸ですら、そういうものになりうるのかもしれない。たとえ、近いうちに失われてしまうんだとしても……」
「そういうの、愚かだと思う?」
言ってしまってから、卑怯な尋ね方だ、とクアンは思った。
「愚か、ねえ。むしろ、当たり前のことだって、あたしゃ思うがね。腹が減ったらメシを食うように、疲れたら寝こけちまうように」
「当たり前……」
「そう。でね、もし当たり前のことだとすんなら、素直にならざるを得ないんだよ」
重く、しかし予測できてもいた感触が、クアンの心を押しこくる。
「わかってる」
クアンはうつむく。帽子のつばが、青い瞳を女から隠した。
「……わかって、いるわ」
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
いつからだろうか、トトテティアは不器用ながらもクアンに対して優しくするようになっていた。自分には脂肪があるからいざとなれば絶食しても平気だ、と言って携帯食を多めに持たせてくれたり、慣れない酒を飲まされてしまって居眠りしている時、気がつくとふかふかの尻尾が膝の上に乗っていたりしたこともあった。
クアンからすれば、最初の冒険で救命の為とはいえ全身スライム責めにしたのは勿論、それ以降もけして彼女を大事にはしてこなかったつもりなのに……以前も今も、クアンは素直に、彼女への好意を認めることができなかった。
はじめは、家族ですら自分を裏切ったのに、トトテティアがそれをしない保証はないと思っていた―――程なくして、そんなことはあり得ないとわかったが。トトテティアはいい意味で馬鹿なので、悪党と利用し合う関係になるのは難しいだろう。だけど裏切らないからといって、ずっと一緒にはいられない。お互い危険な稼業についているのだから、なおさらだ。好きだと認めることは、失う痛みがいつか訪れることを受け入れることでもある。
両親のことだって、クアンは嫌いではなかった。たまに会えた時には学び舎で教わった魔法を見せたり、詩の暗誦をしたりして、褒められようとした。そうやっていい顔をされるためだけに勉強をしていたわけでもない―――豊かさを保つために、家族との時間を犠牲にしてでもビジネスと向き合い続けなくてはならない……それは違うのだと、そういうものだと諦めるだけではないのだと、どうにか証明してみせたかった。けれど彼らは結局、自分たちのことしか考えていなくて、あの日とうとう破局を迎えた。
今ならばわかる。父の逮捕の報せを受けた夜、ベッドの中で感じたのは裏切られた悲しみだけではない。ずっと望んでいたものへの道が断たれてしまった。癒えることのない傷を抱えて生きていくことが決まってしまった。
そして、喜びも悲しみも、好意も、何もかもがその痛みと天秤にかけられるようになってしまった。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
ふと、ブルー・トーラスの中からソライロが頭を出し、クアンを見つめてきた。
「……ごめんね、ソライロ」
物憂げな顔の自分を心配したのだろう。クアンはソライロに軽く微笑んで見せ、撫でてやる。
ソライロへの信頼だけは、あの一日を経ても変わることはなかった……トトテティアともこんな風にできたなら、きっとそれでいいはずなのに。
「ちょっと早いけど、そろそろ帰ろうか。明日は勇者のおもてなしの準備をしなくちゃいけないわ」
クアンが動き出せば、ソライロはブルー・トーラスの中に引っ込む。ここから四畳半までの間には屋台の広場があって、惣菜になるようなものも買えるはずだ。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
だが、その日の屋台広場を満たしていたのは、油やタレの匂いではなく、騒然とした空気であった。
多くの人々が、通信機―――クアンの四畳半のテーブルに置いてあるのを何倍も大きくしたような代物で、音声だけでなく映像のやりとりもできる高級品だった―――の周りに集い、その画面を見つめていた。おかげで後から来たクアンは、装飾として置かれていたエンタシスの柱に絡みついて上まで昇り、そこからさらに身を伸ばして、画面を見下ろさなくてはならなかった。蛇の身体は、こういう時には有利である。
巨大通信機のスクリーンに映っていたのは、焼け野原であった。何があってこうなったのかも、まだわからない。画面は地上へと向き、ひどく傷ついた遺体がそこかしこに転がっているのが見えた。そのまま、移動していく。
映され続ける屍の山の中に、クアンはそれを見た。
焦げ付いた緑色の毛玉。白い胸と腹。千切れ飛んだ頭の飾り。
「……テティ……?」
動悸が、クアンを襲った。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
○今週の夢日記
『《夢と羞恥と嫌悪のダンスフロア》 』(建築/カルマ/電気床)
クアン・マイサが見た夢の中にあったもの。
ムーディーに光るダンスフロアの上で踊る。脚が無くとも腰をくねらせ、わけもわからず踊り続ける。フロアの下からは視線が刺さる。どうでもいいと思っていた、他人の目から打撃を受ける。となりのあのコは楽しんでいる。ためらいがなくて、進んで恥をさらす。ダンス・ミュージックが流れ続ける。テンポが速まり、追いつけなくなる……
夢から逃げきり、しかしどんなに逃げたって結局踊ることは止められないと気付く。それなのに。
<その12>
もうなりふり構ってはいられなかった。
あのスクリーンからの映像は間もなく途切れ、この広大な地底世界のどこを映していたのかもはっきりしないまま終わってしまった……それでもかまわない。広場の連中はただただ騒ぎまくるだけで、具体的な場所については何も知らないらしいとわかれば、クアンはすぐにその場を離れた。
情報屋たちの場所に向かうが、人だかりができていることもなく、妙に静かだった。彼らにあの焼け野原の光景のことを尋ねてみても、金を求めることすらせず、何も知らんと返すばかりであった。
そんなことがあったからか、不思議と頭が冷え、以前浮かんだ考えが思い出される―――トトテティアがこちらの世界に来ているとして、自分よりもずっと離れた場所に現れたのではないだろうか?
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
クアンはソライロの遊び場にしていた地下水脈に向かい、岸の近くに白いシートを引いた。
口の広い壺を左の脇に抱え、右の人差し指を浸し、そのまま振るって、青く染まった水滴をシートの上に飛ばす。抑揚のついた呪文を唱えながら、それを繰り返していく。
「リュ、ロウ……ヌル……ラル、レリ、ウィリ……サルァ……」
喉の震えが、川の流れと同調していく。クアンの頬にある紋様は深いインディゴブルーに染まり、形を保ったままでゆらめいていた。
「リル……モル、リァ、チャイ……」
目に映る景色が、青く染まる。シートの上で、撒いた水滴の跡―――作りかけの魔法陣が、水色の輝きを放っているのが見えた。
「レラ―――」
奇妙な歌と化した呪文が続く。クアンの目はもはや水の中にあるかのように曇り、前方の陣しか見えていない。
その陣が完成した瞬間、流れる川の水面が膨れ上がり、クアンに飛びかかった。
ドッ! 脇に置かれていたブルー・トーラスが、強い力で跳ね上がる。中から飛び出したソライロは口を思い切り開きながら、主に襲い掛かる流れを受け止め、呑み込んでいく。クアンは膨れ上がっていくソライロの身体に抱きつき、全てを委ねた。
川は激情を吐きつくし、やがて再び静かになる。ソライロはちょっとした小屋ほどの大きさにまでなっていた。クアンはその背中から降り、顔があるところまで移動する。
「ありがとう……お疲れ様」
スライムの柔軟性は極めて高いが、身体を引き伸ばしすぎると結合力に限界がきて、崩壊してしまう恐れもあった。命を懸けてくれたソライロを、クアンは優しく撫で、それから接吻をした。
口の中に、きれいな水が少しずつ流れてくる。クアンはそれを、ゆっくりと自分の身体にしみ込ませる。ソライロが絞り出した川の真心に、彼女は触れていた。
水との間に一時的に強い縁を作り出す術が、こうして完了した……本来は大規模な魔法を使うために下準備として行うものである。だが、スーパーデプスが少なくとも海に例えられるものなのであれば、どこからでもすっ飛んでいくのにこれが使えるだろうとクアンは考えた。用心棒たちには後から来てもらえばいい。どうせ荷物といったらトラップ類しかない―――クアンの店はもはや実体としての商品は扱っておらず、足止めとサービスを専門としていた。
この世界を脱出する手段が未だに見つかっていない以上、魔王の立場を完全に放棄するべきではないとクアンは考えていた。たとえ、トトテティアがどうなってしまっていても。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
ソライロが呑み込んだ水を川に返し終えるのを待って、四畳半の部屋へと戻る。これからどうなるかはわからないが、どのみちここに居るのは今日で最後になる気がしていた。
クアンが魔王になるに際して連れてこられてきて、『あなたのハーピィ』だと紹介され、それ以来今日までずっと護衛をやってくれていた子―――最近になって、アイオーナという名前だと教えてくれた。割合大人しくて静かなので、用心棒たちの中でもクアンは気に入っていた―――を呼び出して、声をかける。
「どうしたのです、魔王さま」
「用事があって、当分戻れそうにないの。この部屋は、あなたに任せることにする。勇者が来た時のマニュアルも残しておくわ」
自分で言っていて、身勝手なことだと思う。罪悪感も感じないわけではない。
「行ってしまうのですね、そんな気はしていました」
「……えっ?」
泣きつかれたり、罵られたりも覚悟していたクアンは、その素直さに驚かねばならなかった。
「行ってしまうと思っていたのです。帰る場所があるから、ってだけじゃありません……何となく、どこかへ消えてしまいそうな人だって気がしていました」
そんなに儚く見られるようなことをしていただろうか。
「そう。ごめんなさいね、頼りない魔王で」
「いいえ。アイオーナは、魔王さまに感謝しています」
少し考える間をおいてから、アイオーナは言葉を続けた。
「ここは、選べる未来が少ない世界です。わたしのお世話をしてくれた人たちは、与えられた運命の中で生きなさいと言いましたが、くそくらえだって思いました。そう言われて腹に落ちればよし、そうでなければ一生不幸せでいるしかないんです。理不尽なんですよ……これも何となくなんですが、魔王さまはそういう気持ちがわかる人なのかなって、思っていました」
ある意味、彼女は自分と同類だったようだ。自分が鈍かったのか、彼女が鋭かったのか、それはわからない。
「魔王さまと一緒にいた数か月、悪くないと思いました。これから、この世界は滅びるかもしれません。滅びなかったとしても、わたしは転がり落ちていくだけの生き方をするかもしれません。だけどどっちにしても、これから先、この数か月の思い出にすがって、生き続けて、死んでいけるって、そんな気がしたんです」
こんなにアイオーナが饒舌になったのを、クアンは見たことがなかった。しかも彼女は微笑んでいる。ここまでの全てを本気で言っている。
「魔王さま。アイオーナはもう大丈夫です。だから魔王さまも、やりたいことをやってください」
「……ええ。ありがとう」
その翌日の朝早く、クアンはアル=ゼヴィンから持ち込んだ物とほんの少しのお土産を持ち、四畳半の部屋を発った。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
長い旅になるかと思われた。
地下水脈を利用し、遠くの方まで移動した。時々陸に上がっては、あの画面越しに見たカタストロフについて聞いて回ったが、誰も知っている様子はない。あんなことがあってもろくに伝わらないほど、このダンジョンは広いのだろうか……クアンはほとんど休みもとらず、水の流れに乗り続けていた。
だが、何度目かの上陸で、彼女は身体がろくに動かないことに気づいた。
蛇体に力を込めるが、上半身を起こせない。両腕は、心なしかさらに細くなって見える。
ソライロが心配そうにのぞき込んでくる―――彼自身は元気そうだった。水脈を流れていく途中で、餌を見つけて摂っていたらしい―――が、応えてもやれない。
朦朧とする意識の中に、しかし確かな像がひとつあった。テティ―――トトテティア・ミリヴェの姿だった。
丸々と肥って愛くるしいテティ。大きな尻尾で暖めてくれたテティ。さんざ手助けしてやったのにドジばかり踏んでいたテティ。たまに頼もしいところも見せてくれたテティ。
たとえ亡くなっているのだしても、その骸を確かめたい……いや、ほんとうは生きていてほしい。死んでいてほしくない。これ以上、私に失う痛みをくれないで。
ふと、唇に冷たいものが当たるのに気づいた。ソライロがすぐ目の前にいて、咥えた魚を押しつけてきている。
「……ごめんね」
できるかぎりの声で、答えてやる。
「焼かなきゃ、食べれないよ」
その一言が、最後になった。脱力感と眠気に、クアンはもはや抗えなかった。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
身体に再び力が戻ったことに気付き、目を開ける。
そこに広がっていたのは、灰色の空だった。水に浸されていたはずの蛇体も、草か何かの上に転がっているようだ。だが、驚きすぎることはない。
「おおい、蛇の嬢ちゃん。頭はどっちかい」
聞き覚えのある声が近づいてきた……これで、確定である。頭を起こせば案の定、あの夢の世界の小男がいた。
「こっちよ」
「おお、すまんすまん」
やってくる小男を一旦無視し、ぐっと上半身を起こして辺りを見回す。ここはどこかの村らしく、小さな家がいくらか建っていた。空はどこまでも広がり、果てがあるようには思えない。
近くに目をやる。手の中にブルー・トーラスはない。周りにも。
「ねえ、私の輪っか……」
「あのスライムなら、ここには来れないぜ」
クアンの言葉を遮り、小男は言う。
「いないと困るのよ。連れてこなくては」
「困りごとなんてもうない、つったら?」
クアンは、返事すらできなかった。
「ここは夢の国。おれの世界の成れの果て。永遠に変わらない今。天国ってやつの一つの形……」
この小男はどうもあちこち視線を動かす傾向があったが、それがない。クアンをじっと見つめながら、話し続けている。
「嬢ちゃんはもう、ここから出られない。出なくていいのさ」
「ジョークのつもり?」
「本気さ。出口だってない。探したって無駄だぜ」
悪びれる様子もなく、言い放つ。
「すこし、話をしようや」
小男は、そばにあった木箱の上に座る。その間もずっとクアンを見つめ続けていた。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
○今週の世界の果てで見たもの
『《夢の民》 』(護衛/カルマ/サキュバス)
かれらは夢である。ゆえに形はない。
かれらは夢である。ゆえにどこにもいない。
かれらには夢がある。ゆえに終わりはない。
かれらには夢がある。ゆえに動かない。
かれらには夢がある。ゆえに哀しまない。
かれらには夢がある。ゆえに何にも煩わされない。
かれらには夢がない。ゆえに何も始まらない。
かれらには夢がない。ゆえに変わらない。
かれらには夢がない。ゆえにどこにも辿りつかない。
かれらには夢がない。ゆえに周りには誰もいない。
夢に甘んじることができない者は不幸である。
自分のために、苦しみ続けなくてはならないから。
<その13>
「冗談さ、止してよ―――」
静かに不機嫌さを宿したクアンの顔の紋様が、ゆっくりと輝度を増す。
だが小男がグッと両手を握りしめると、彼女は突然呼吸がおぼつかなくなった。
「ウッ……!?」
「話をしようっつったんだ、おれは」
小男は、木箱の上からうずくまるクアンを見下ろしていた。手は少しずつ緩めていく。
「さて、どっから始めようかねえ」
クアンが返事をできるようになるのを待たず、小男は語りだした。
「あの魔法使いの塔で言ったことを覚えてるか。あんなことを言ってくれたのは、嬢ちゃんが初めてだったんだぜ」
滅びた世界で作られた、心を失くす為の術にクアンは理解を示した。その時のことだ。
「おれは、あの魔法使いどもを死ぬほど憎んでる。あいつらのせいでおれの世界は滅びちまったんだから。だが嬢ちゃんがやつらの考えに賛成したのは、不思議とそこまで嫌でもなかった」
そこまで言って、小男はクアンの方を向く。
「気になったんだよ。何が嬢ちゃんをそうさせるのか、な」
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
クアンが去った今、実質的なリーダーとなったハーピィのアイオーナはスーパーデプス内で陣地を形成し、商戦を行っていた。
「どれだけ滅茶苦茶にされても、業の力で持ちこたえます。クアン・マイサにできてたことが私たちにできないはずはない。嘘でもそう思わなきゃなりません、よろし?」
用心棒たちにそう言うアイオーナ自身も、既に生きた心地がしていない。
クアンが設計した城は、あまりにも鋭くかつ脆い……勝つにしろ敗けるにしろ、商戦を可能な限り早く終わらせることに特化しているとも言える。
アイオーナには、なんとなくわかっていた。わたしが仕えてきたのは、とんだ死にたがりの魔王だったのかもしれない。
それでも彼女や用心棒たちの意志が揺らがなかったのは、クアンが全く無責任だったわけではなかったからである。緊急脱出用のカプセルが、並び立つ尖塔のてっぺんにそれぞれ備え付けられていたのだ。その数、合計で数十基ほど。スーパーデプスへの進軍が決まって以来、売り上げの一部までも使って建造したものだった。
だが、他の用心棒たちはともかく、アイオーナは最後の最後までそれを使うつもりはなかった。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
「ずうっと、燻ってた思いがあったのさ」
クアンが無力化されているから、小男も焦る様子はない。
「おれは夢の世界にしかいられない。この迷宮のどこへでも行くことはできたが、魔物も魔王さまも、だれ一人おれと話せもしない。魔法使いどもの気持ちが、少しわかるような気もする……こんなひとりぼっちで、心なんか持ってたって苦しいだけだ。でも今さらあいつらの術を再現することなんてできやしない。できたとして、おれが抜け殻になったらこの夢も壊れてなくなっちまうだろう」
「……それで、私をか?」
呼吸が整ってきたクアンは返事ができた。
「そうさ。この夢を一緒に見てもいい誰か……この永遠を一緒に過ごしてもいい誰かが、おれは欲しかった。嬢ちゃんなら応えてくれる気がした」
「ろくでもない」
突っぱねるクアンに、負けじと小男はグッと顔を近づける。
「だって嬢ちゃん、生きてるの厭なんだろう?」
クアンはすぐには言い返せなかった。
「あの塔で別れてから、おれはひっそり嬢ちゃんを追いかけてきた。嬢ちゃんがどんな魔王をやってたのかも、ここで何を探してたのかも、みんなわかった。夢に引きずり込んで、他のこともみーんなよくわかった。トトテティア・ミリヴェのことは、残念だったな。お悔やみ申し上げるよ」
テティ―――彼女の名が出れば、クアンは動揺をする。
やはり、あの子はもはや……
「……嬢ちゃん。もう、帰ることもないんじゃないか。思い返してみるがいい。アル=ゼヴィンがおまえに何を見せたか。この地底でおまえが何を見つけたか」
クアンは、目の前が暗くなっていくような気がしていた。
この闇は元からずっと、幼き日から現在へ、そして未来に向かって横たわっていた……消えることは決してない。今までどうにかごまかせていただけだ。
「嬢ちゃん。さあ、正直になりなさい」
黙ったままのクアンを、小男は唆す。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
業に満ちた城の制御が上手くいかず、アイオーナたちはいよいよもって危険な状態に陥りつつあった。
「カプセルの準備を。私のは自分でやります、魔王さまへのご奉公が済んだら!」
尖塔のてっぺんからぼんやり青い光が放たれる。起動準備が整ったカプセルは、人が中に入れば射出され、安全な後方へと退避し、決着がつく時を待つ。
クアンと自分のわがままに、他者を巻き込むわけにはいかない。アイオーナは尖塔群からもっとも離れた場所に立ち、リーダーの仕事をこなしていた。
が、ドーッ! 短くも強い揺れが起こった。攻撃を受けたか、波にもまれたか、もはやわからない。
「キャーッ!」
地に足をつけていたアイオーナは、転倒をする。尻から倒れ込み、背中を強かに打ったが、細い脚を折らずに済んだ。
激しい痛みをこらえながら起き上がろうとするが、何かが邪魔をしていた……ひんやりとしたものが、腰の上に乗っている。アイオーナは翼で上半身を起こし、その正体を見た。
「これ……ブルー・トーラスっ!?」
主の手を離れた青い環の中から、ソライロはアイオーナにすがるような目を向けていた。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
「お誘い、どうもありがとう」
クアンの返事を受け、小男は目を細めた。
それがほんの一瞬に留まったのは、彼女が懐から短刀を取り出し、自分の首につきつけたためである。
「嬢ちゃん―――」
小男がまた手に力を込めるのを見て、クアンは先を急いだ。
お察しの通り、もう生きることに執着はない。でも―――本当のところはわからないが―――術の力なんかで私のことを全部わかったつもりになっている輩と……何より、ソライロと引き離しやがった輩と、永遠に二人きりでいるのもまっぴらごめんだった。
なら、いい機会だ。
「ごめんなさい」
発音が終わるのとほぼ同時に、短刀はなめらかにクアンの喉を裂く。小男は見えない手を振るおうとしたが、もう遅かった。
灰色の世界に、青い雨が降った。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
崩れ行く城はもはや身を守るのには役立たなかった。迫り来る全てから、アイオーナはソライロを庇ってやるつもりでいた―――だが実際は逆で、二人に向かって何かが飛んでくる度にソライロが膨らんで跳ね返してくれていた。
そのソライロが震え出し、動きがぎこちなくなってくる。
「もういいよソライロ君。逃げて」
ソライロはふるふると頭を振るい、離れようとしない。
クアンのこともこんな風に守っていたのだろうか。ともすれば、消えていってしまいそうな彼女を……
そこに、ゴォッ! どこかの建築物の残骸が飛んできた。アイオーナの十倍はある。
「いけない……!」
揺れる足場の上でアイオーナは踏ん張り、跳躍をする。だがソライロを抱えていたために羽ばたきが遅れ、回避の見込みはない。
物体が二人を潰しにかかるまでの数秒間、ソライロはひたすら空気を吸い込み、膨れ上がっていた。
アイオーナは目を瞑っているしかなかった。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
目が、開いてしまった。
周りがわかる。あの小男の夢の国が、青の洪水に満たされている。切り裂いた喉から、青があふれ出している。
まだ、わたしの意識は生きているのだ……
おまけに、視界の隅にあの焼け焦げたトトテティアの躰が映った。
『やめてよ、もう。いやだ……』
身体のどこから出ているのかもわからない声が響く。目が涙で潤んでいく。
これが死だというのなら、わたしはどこへ行けばよかったんだ。
『クアン』
懐かしい声がした。涙の向こうから、聞こえてくる。
『クアン』『クアン』
声は次第に重なり合う。
『私……?』
何を求めているのだろう。
『忘れないで。独りぼっちじゃ、ないって―――』
直後、目に映るトトテティアの屍を、光る水が洗い流していった。黒ずんだ毛皮が剥がれ、中から緑色の毛並みが現れる。
綺麗になった彼女は光の粒に変わって、消えていってしまった。
『待って、テティ……!!』
その後のことはわからない。ただ、獣のあぎとの内側らしきものが見えた気がした。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
加速度の暴力から解放されたアイオーナは目を開き、潰れたソライロと、傍に転がっている先ほどの瓦礫を見た。
「ソライロ君ッ……!」
脚は無傷だが、役に立たない。翼で這っていく。
ようやくアイオーナが近づいてもソライロは動かなかった。
「ソライロ君ッ! 死んじゃダメ! ダメだったらっ……!」
声に応えるかのように、ソライロの身体が脈動する。
ドクンッ! 鼓動のたびに、再び膨らんでいくようだ。ドクンッ! アイオーナは、後ろに下がった。
人が入る位の大きさになったところで、ソライロは口を開く―――中から細いものが、糸を引きながら現れる。床を手がかりに、前進する……
大きな蛇のような生き物が、ソライロの口から抜け出してきていた。それも腹ではなく、腕を使って前に進んでいるようだ。
「……魔王、さま……?」
現れたのはクアン・マイサその人であった。
脱出したまま床に伏せ、荒く息をする彼女を、アイオーナは起こしに行った。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
○今週の夢の終わりに
『《わたしは水と共にある》』(建築/カルマ/水路)
わたしは水と共にある。
わたしが痛みを知った時、それを癒す水が流れた。
わたしが怒りに震えた時、それを宥める水が流れた。
わたしが嘆きに沈んだ時、それを温める水が流れた。
わたしが汚れに満ちた時、それを洗う水が流れた。
わたしは水と共にある。
生きていく。いつか、水に還るその日まで。
<その14(最終回)>
濡れ鼠になった身体に、外の空気は冷たかった。
空気を吐き出せば、声も一緒に漏れた。大きく切れ目を入れてしまったはずの喉はいつの間にか回復しており、触る限りでは痕も残っていなかった。夢の世界であったから、なかったことにされたのだろうか……
「魔王さまッ!」
呼ぶ声がするとクアンは応え、現実へと浮上した。
「ありがと、アイオーナ。引き継げるわ」
アイオーナの翼はクアンの脇の下に入っていた。羽毛が腰に触れるのは、心地よかった。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
ブルー・トーラスは、再びクアンの手に戻った。
衰弱していたソライロは、彼女の顔を見るとにわかに元気を取り戻した……さすがに消耗は隠しきれていないが、死んでしまうほどのことはないだろうと思えた。
「どうしてここに?」
クアンを起こし終えたアイオーナは、翼を布で拭きながら質問する。
「行く前に水と縁を結んだの。それが引き寄せてくれたみたい。ソライロから出てくることになるとは思ってなかったけどね……アイオーナ、脱出はやってて?」
「はい、もう何人かは……」
傾いた尖塔群の屋根は破けている。脱出用カプセルを出すのに邪魔になったらしい。
「ですが、ここの誰もが声を聞いているようです。再定義が上手くいけばこの世界を救えるかもしれないって……」
もちろん、あの声はクアンにも聞こえていたのだが、彼女はうつむいてしまう。
「わかってる、でも……ごめんなさい。この世界を創り直せるとして、私は、それを望めない」
「責めませんよ」
アイオーナが優しい声で答えるから、クアンは不意をつかれた気持ちになった。
「魔王さまならそう言うって、わかってましたから」
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
両親が裏社会とパイプを持ったのが金のためだったとわかった時、クアンはまだ幼かったから、悪を憎めばよかった。けれど大人になってくると、世界が単純なものではないと思い知るせいで、その怒りは鈍ってしまう。
この世界で商売人をやることで、富の維持にこだわった父の心境が見えてくるかもしれないという願望がクアンにはあった。
親と同じ過ちを繰り返さない、ただそれだけのことを達成できれば、胸にくすぶる悪夢を打ちのめせるのだとも信じていた……今にして思えば、愚かな発想である。クアンは、父や母と同じ目線に立つことができなかったのだから。
彼らが乗り越えられなかったものに、そもそも立ち向かう機会すらなかった。それで不善を為さなかったところで、期待していたものが得られることはないのだ。
これ以上ここにいても、何の進展もない。ならば帰って父母に会いに行き、全ての清算を図るべきなのか。そこで自分は、臆病になることも、焦りすぎることもせずにいられるのか―――?
答えは、決まらない。
ただ、アル=ゼヴィンに帰還することだけは決めていた。ここに居場所を見つけることは、どれだけ考えてもできそうになかったのだ。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
最後の商戦において為すべきことを為したクアンは、残された脱出用カプセルがいつでも発進できる状態になっているのを確認しにいった。それも済んだ後は、ルジの葉の茶を淹れ、アイオーナとソライロに与えてやった。
「魔王さまは飲まないんですか。凍えちゃいますよ」
「二杯分しか残ってなくて。しんどいけど、何とか持ちこたえるわ」
その時、ふと、あの小男の声がクアンに聞こえてきた。
『おおい、嬢ちゃん。わかるか?』
彼はあの青の洪水の中で溺れたはずなのだが、弱っている様子はない。
『さっきは、すまなかった。そこの鳥の嬢ちゃんの方が、よっぽどあんたをわかってるようだ。おれには、無理だったよ』
『まだ監視してるってのか』
クアンは何もせず、ただ静かな嫌悪を心に浮かべた。
『嬢ちゃんについてきちまった、って方が正しいかな』
アイオーナの前で見えざる何かに向かって話さなくてもいいとわかり、クアンは少しホッとしたが、一方で不快でもあった。
『安心しな、おれはアル=ゼヴィンにまでは行けないから』
『そう、よかった』
間もなく別れるものと決まっていれば、不愉快な輩と話すのもさほど苦ではない。
『伝えとかなきゃならないことがあったんだ。トトテティア・ミリヴェの屍は、おれがこさえたものだ』
『なんですって?』
すぐ目の前に事情を知らぬ他人がいるから、クアンはできる限り表情を変えないよう努めていた。
『あの画面の付いた通信機のあった場所も、おれの夢の中だ。嬢ちゃんには城から離れたところに行ってもらいたかった……』
『よくも、まあ……!』
この時ばかりは、眉をひそめるのをアイオーナにも気付かれてしまった。小さく息を吐き、冷静さを取り戻す。
『じゃああなたは、トトテティアがどこにいるのか知らないの?』
『すまんな。だがよ、あの子がどこかにいたんだとしたら……今頃ここで、魔王たちと一緒に戦ってるはずじゃないのかい?』
『あっ……』
滅びから逃げる術を探すのではなく、立ち向かう。
彼女なら、やりうるだろう。自分のように魔王になることを受け入れていても、そうでなくても。
「アイオーナ、通信機を貸して。トトテティア・ミリヴェがここにいる可能性を確かめる。あなたは目視で探してちょうだい」
「は、はいっ!」
各地の戦況を映してくれる通信機のキー・パネルは十本の指がなければ扱いづらいし、自分の手でどうにかしたい思いももちろんあった。
ボタンを押していくうちに、羽ばたきの音が聞こえる。アイオーナはわざわざ飛び立ってくれるようだった。
A、B、C、D……全ての戦域が、順々に画面に映る。だが、どこにもトトテティアらしき姿は見えない。
『おらんか?』
『よしてよ』
小男が黙っていてくれないのはクアンの気に障った。
『初めっからこっちに来てなかったって線もあるんだぜ』
そうだったら、どんなにいいか。
『努力は尊いが、時間は無限じゃないぜ、嬢ちゃん』
『諦めろって……』
『最後は信じるしかないってこともあるさ。人事を尽くして天命を待つ、てなもんだ』
クアンは、無責任なポジティブ・シンキングが好きではなかった。けれど、それが今の自分を救うかもしれないことは否定しきれなかった。
もはや、できることはほぼないのも事実である。
『正直になりな、嬢ちゃん。応援してるよ』
小男の声はそれきり聞こえなくなったが、クアンはしばらく通信機を弄り続けていた。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
アイオーナが戻ってくるのを、クアンは最後に残った尖塔の前で出迎える。
「魔王さま、トトテティアさんは……!」
「わかってる。まだ残っている人は、ここに集めて」
「はいッ!」
疲れも見せず、アイオーナは崩れ行く城の中へ飛んでいく。
残っていた人員は程なくしてクアンの前に現れた。
「皆……私は今日この時をもって、魔王ではなくなります」
生まれ育ったアル=ゼヴィンの地で、テティにまた会いたい。あの日々に、帰りたい。
でもきっと、そんなことを望むのは、この場において崇高な精神とはならない。クアン・マイサのわがままでしかない。
「これが最後の命令です。すぐにこの塔の上に行って、脱出してください。ありがとうと、言っておくわ。さよなら……」
こうして、城に残る全員にクアンは暇を出した。
意志の勝負の段階に至るまで持ちこたえたことで、自分の使命は果たされたのだと信じて。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
最後のカプセルがアイオーナを乗せて飛び出した直後、城はついに限界を迎え、崩壊した。
クアンはスーパーデプスの海に身を投げ出し、それを見届けてから泳ぎ出していった。
元々蛇は泳ぎが苦手な生き物ではないし、ブルー・トーラスを両手に掴み、本物の浮き輪のようにして使うこともできた―――ソライロは、生きるも死ぬも一緒だと、意思表示してくれていた。
上の方を見れば、全てに決着がつこうとしていた。
皆の商魂が世界を塗り替えていくのがクアンにもわかったが、こんな中だからこそ、抱いた願いを見つめ続けなくてはならなかった。
アル=ゼヴィンへ。テティのもとへ……
ザバーン! 大きな波をかぶって、クアンの視界は水中に移る。
その先に、揺らめく白い光を見つけた。《第二十八の島》で見たのと同じものであるかもしれなかった。
イメージを始める。光をたたえ物を吸い寄せる穴の、内側からの最後の一瞬。湖底の遺跡の通路。緑に囲まれた湖……遡るにつれて、光もまたクアンに近づいてくる。
ブルー・トーラスの浮力を腕で抑え込みながら、クアンはそれを迎え入れた。
『テティ……そこに、いるわよね―――?』
ビカァーン!
海面の近くにまで達した光は波を引き裂き、空からでも鮮明に見ることができた。
クアンとソライロはこの世界に訪れる結末を知らぬまま、どこかへ消えた。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
波間に揺れるカプセルの中で、アイオーナは世界の存続を祈り続けていた。
「行けたのかしら、魔王さま」
カプセルは狭く、周囲が本当に安全になるまで簡単に開けることができない作りになっていた。窓もついていたが、水と空しか見えない。
「魔王さまはトトテティアって人のために一生懸命になってたけど、私だって魔王さまは好きだったんだわ」
彼女は、それを正しく言葉にできなかったことを悔やんだ。
「きっとまた、会えますよね……」
胸の上で組んだ翼をそっと動かし、アイオーナは流れていた涙をぬぐった。
《完》
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○今週のあとがき
『《遥かなる旅路》 』(建築/カルマ/秘密の部屋)
クアン・マイサをこの地へと導いた光。
アル=ゼヴィン《第二十八の島》の中枢に存在したマシンの中から発生しており、生命体にのみ作用する引力を持っていた。
クアン・マイサは、光の先で魔王となった。
トトテティア・ミリヴェは、別な地に行った。
他のトレジャーハンターたちは、どうなったかわからない。
これを見ている貴方が、もしも遠い地でアル=ゼヴィンの名を聞いたならば、恐らくはこの光の仕業だと考えてもよいだろう。
光はまだ、消えてはいない。
遥かなる旅路に、終わりはない。