「ヴヴーー・ヴ・ヴ! ヴッ、ヴ、ヴヴヴ! ヴヴヴヴ……」
ドクター・アッチの掴んだ二本の触手が、彼の側頭部に根を張っていた。
彼は姿勢を維持したまま、痙攣を続けていた。瓶底メガネの裏からは細かい異物が混じった涙がとめどなく流れ、鼻と口からは濁った汁が垂れている。
(まともじゃないね……)
シールゥ・ノウィクは、腰につけた木のレイピアを取り出した。これでアッチの首筋を一突きしてやれば、彼が今戦っているらしいネリー・イクタの援護ができるかもしれない。
シールゥは家屋に住まう蛾のように、壁を登ってアッチの頭上を目指した。
「あーっ!?」
が、シュルルッ! 突然壁から飛び出してきた細い線にからまれて、動けなくなった。
アッチは声ひとつ出さず、グッと首を上げ、シールゥを睨み付けた。
「と、取って食おうってのッ……!?」
「…… ……ク、ラ、ウ」
「へっ」
シールゥは、急に彼の声が抑揚を失ったことで驚いた。
「…… ……ホショク、シ、ドウ、カ、スル。
カ、ク、チョウ、ス、ル、カク、チョ、カク、カクッ」
「……ゴメンだってのっ!」
シールゥが念じると空中に光の矢が現れ、彼女の側に飛び、線を切り落とす。自由を取り戻した彼女は、そのままアッチから距離を取った。
今の状況に関して、すぐ察しはついた。頭の回転が早くないと、小さな身体では生き抜けないのだ。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
「グ、ギッ……ギィ……ッ!」
ネリー・イクタは縛られた自分に飛来したワイヤーを、その牙で止め、食いちぎった。
けれど、それだけでしのげるものではない。ガレキの怪物は、今度は複数のワイヤーを撃ち出し、確実にネリーを仕留めようとする。
うねりながらも高速に突き進む刃が、ネリーの胸から数メートルの位置に迫った。
「ガァーッ!!」
ネリーは咆哮をあげた。波動の媒体となった海水は、ワイヤー群を押し返すほどの力をもって進んだ。
「グァアアア―――ッ!!」
勢いのままに、自分を縛るものも引きちぎり、ネリーは尾を振るって飛び出した。
何か大きなガレキを引き抜いて怪物の体内に飛び込み、中からぶち壊してやるつもりだった。
飛び交うワイヤーや小さな破片、ガラクタなどをかいくぐり、ネリーは怪物に取りついた。手を突っ込み、適当な塊をつかんで、怪力を発揮する……それが鈍い音と共に、少しばかり引き出されたところで、ネリーの腕はなぜだか、一瞬止まった。
「―――!?」
怪物の身体から見えたのが、住み慣れた港町コルムにあるレストランの煙突だった為だった。
センチメンタリズムを意識的に封印できるほど、大人になれてはいないのがネリー・イクタである。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
その頃クリエ・リューアは水責めにあっていた。
シールゥを見送って待機していたら、突然外が騒がしくなり、水が流れ込んできたのだ。
呼吸用のスキルストーンさえあれば、決して危機ではなかったが、懐を探ってみれば、持ってきたはずのそれがない。ここに連れてこられた時に、取り上げられたか、落としたか……
(……まずい、ね)
生き延びる努力として何をすべきか、思いつく選択は一つしかなかった。クリエは、水が部屋を満たすまでの時間を、覚悟と諦めの備えに費やした。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
シールゥは―――外でネリーがやっているように―――触手の網をきわどくかいくぐっていた。
「アッ!?」
上から飛んできた一本が彼女の羽根を掠め、軌道を崩す。
「冗談じゃないっ!」
床に向かって思い切り加速し、叩きつけられる寸前でレの字のカーブをする。
下からの攻撃に即応できるだけの高度だけ取って、目指すはドクター・アッチの白衣の裾である。
「刺しちゃえよっ、ご主人様を―――!」
触手は追いかけてきていた。自らもレイピアを構えながら、シールゥは吼える。
その直後―――ドォーッ! 床を破り、突き上げてきたものがあった。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
クリエ・リューアは、死神との追いかけっこを始めていた。
完全に水没した部屋の中、彼女は海水が流れ込んできた場所に潜り込む。そこからは不定形のトンネルを、壁だけを手がかりに登って行かねばならなかった。
ここから出られたとして、そこはまず間違いなく海中である。水面まで息がもつとは思えない。
遺書を書けるような紙は、あいにくなかった。ここで命を落としたとして、ネリーにわたしの死を信じさせてくれるのは亡骸そのものしかないのだろうと、クリエはわかっていた。一人にさせてしまうのだとしても、自分のことを諦めさせた上で、そうしたかった。
ほどなくして息がもたなくなり、意識が遠のいてくる……
最後の一瞬、手をかけていたガレキがひとりでに引っ込んでいくのだけがわかった。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
設置式のカマドと一緒に引っ張り出された、葡萄鼠色の塊。
「く、クリエ……さんっ!」
返事はない。
ネリーは腰蓑に手を突っ込んで、空気補充のスキルストーン、≪ワイルドブレス≫を取り出した。目を瞑って念じることで、その力は行使される。
新鮮な空気を送られ、クリエはうっすらと目を開いた。
「し、しっかりっ、クリエさ―――」
ドシュッ! カマドが収まっていた穴から光のきらめきが見えたかと思うと、迫ってきた。出刃包丁から護身用の短刀、兵隊が持つような片手剣まで、いくらかの刃物が発射されたのだ。
「ああもうっ!」
ネリーは尾を振るい、クリエを抱えたままその場から飛びのいた。
「……ほっと、いて、私、は……」
にわかに意識を取り戻したクリエが、弱弱しく声を発する。
「そんなのだめっ! いっしょに帰るよっ!!」
ネリーは続く攻撃からクリエを庇いつつ、少しずつ海面を目指して進んでいく。
「……シー、ルゥが……中、に……多分……水……入っ、て……」
「えっ!?」
その言葉で隙を作ったクリエは、ネリーの腕の中から器用に抜けてみせ、上へ泳いでいった。
「……シールゥも、こっちに……!?」
ネリーは再び怪物に向かっていった。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
アッチの部屋は水没しつつあった……そのアッチは生命の危機にあるというのに、平然と浮いている。すでに死んでしまっているのかもしれない。
吹き上がる水に跳ね飛ばされたシールゥは、どうにか天井に張り付いたが、それは追い詰められることを意味していた。再び上から現れた細い線が、シールゥをとらえるのはたやすいことだった。
「アッチ! プライドないのかっ、あんた!」
「カクチョウ、カク、チョウ、カク、カッ……」
その声はもはや、彼の口から出ているものですらないらしい。
シールゥはかすかな期待を即刻放り捨てた。だからといって、他に何か望みがあるわけでもない……ただひとつ、ネリー・イクタを除いては。
部屋の一角を構成していたガレキの山が崩落し、ついに室内は完全に水で満たされた。
だが、確信を持って、シールゥは泡の嵐に顔を向けた。飛ぶことは得意だが、泳ぐ力は大きさ相応でしかない。
「シールゥーーーッ!!」
期待通りに、彼女は迎えにきた。
ネリーは≪ワイルドブレス≫を再度取り出して念じ、泡をおこしてシールゥを包み込んだ。ちょっとした応用の一つだ。
「……アッチ……。」
無機質な音を発しながら浮かぶアッチを見つめるネリー。
「もうアッチじゃないよ! 危険だ、離れるんだ!」
「……うゃ……!!」
ネリーは腰蓑から、もう一つスキルストーンを取り出した。浄化の術、≪ブレッシングブレス≫である。
「こ、これで……なんとか、なるかなあ!?」
「わかんないって……!」
念じ、スキルストーンの力を引き出すネリー。
霊的な力を持った泡がアッチの体を覆うと、根を張っていた触手たちはたちまち千切れ、分解されていった。
「お人好しだね……」
「なんでこんなコトしたのか、きかなきゃ、だよっ」
「あぁ、なるほど!」
ネリーも知らないうちにちょっと賢くなったらしい。シールゥは感心した。
だが直後、シュッ! ウニのような何かが、触手を彼女らに飛ばしてきた。
「うゃ!」
ネリーは泡に包まれたシールゥ、それからアッチをひっつかんだまま身をひるがえしてかわした。
「あいつが、乗っ取ってたんだ!」
「そーみたいだね……っ!」
言いつつも、ネリーは一旦要救助者たちを引っ張りつつ、ガレキの怪物の体外へと抜け出した。
ドクター・アッチも≪ワイルドブレス≫で泡に包む。ネリーが手を離すと、彼とシールゥは浮上を始めた。
「あいつやっつけて、おっかけるからーっ!」
「おーっ! 負けないでよーっ!」
二人を見送り、ネリーは敵の方を振り向いた。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
怪物は構造をめちゃくちゃにされ、崩れつつあったが、諦めてもいないらしかった。
残ったガレキを組み替え、これまでとは違った形になっていく……そうして現れたのは、ネリーの十倍ほどの身の丈をもつ、いびつな姿の巨人であった。
「……負けないよっ!」
その場で上下逆さに反転し、下に向かって飛び出すネリー。
巨人は両手の指からワイヤーを放ち、それを追いかける。
「そぉれぇ!」
ネリーは海底近くで大回りに、巨人の周囲を泳いでから、その懐に飛び込み、脇を抜け、またぐるりと回った。その動きで、ワイヤーは巨人の腰に腕も巻き込んで絡みついてしまった。
だが、そのくらいの策は想定していたらしい。巨人は自分の体の上下を突然分離させ、ワイヤーから脱した。
「ならさぁっ!」
分離したところに、自らの身体を潜り込ませるネリー。
ならばと巨人は、切断面をガレキでふさぎ、上半身と下半身とでネリーを押し潰そうと迫った。
「ギギギ……ギィィィイイイイッ……!!」
力比べとなった。だとしたら、ネリー・イクタが負けるはずがなかった。負けるわけにはいかなかった。
「ガァアァアアアアアーーーッ!!」
ネリーは障害全てをぶち破る勢いでもって、身体を伸ばした。
ガレキの塊はせり合いに負け、結合を失い、バラバラになる。煙のごとく泡を放ち、海中に散らばっていく。
その中に、あのウニのような物体がある。ネリーは見逃さなかった。
「―――ッ!!」
尾が動く。身が跳ねる。突き進む。
触手を掴み、引きちぎって、あらわになった核にネリーは思い切り拳を叩きつけた。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
夜がきた。ネリーの住処には明かりが灯っていた。
「ここがネリーのお家かー。なんかオルタナリアの時と変わんない気もするけど……いいとこじゃない?」
先手を切り、すい、と洞穴に飛び込んだシールゥが言う。
「うゃー、やっぱこういうのが落ちつくんだよっ」
「……待って、て。今……ご飯、できる……」
三人はあれから無事に帰還した。
アッチの身柄も、あのウニのような物体の残骸と一緒に協会に引き渡された。これから、色々とわかってくることだろう。
「おま、たせ……」
今日の夕食はサラダと焼き魚、それからパンとフルーツの盛り合わせ。いつもより少々豪華である。
「うゃぁーーーっ! いっただっきまーーーすっ!!」
「ちょ、そんながっついちゃって、ネリーはさ!」
夜は更けていく。
あの戦いから、しばらく経った。
クリエ・リューアはあのガレキの化け物を調べるべく―――それは協会から回された仕事でもあった―――、再びアトランドの外れを目指していた。
やつの身体がオルタナリアのもので構成されているらしいのを、クリエはわかっていた。
どこの街が例の渦にやられているのか……できれば、あの化け物の正体も、確かめたい。
これでだめでも、ドクター・アッチが取り調べで何か吐いてくれればいいのだが。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
ガレキの山の前には、既にいくらかの仕事仲間が集まってきていた。
「クリエ・リューアさん、あんたこれと戦ったんだってね?」
その一人が話しかけてくる。
「や……違う。やっつけ、たの…… 私、じゃ……なくて……」
「そっか。いずれにせよ、災難でしたね。しっかしこいつは、バラすの、骨が折れそうだ……」
と、行ってしまった。
ここから見えるだけでも、見覚えのあるものがいくらか転がっている。かつてネリーと出会ったコルムの街の建物の一部だったり、船の先端にくっつけてある像だったり、あとは―――
「クリエ・リューア! 手が空いてるんならどこかに貸してやってくれ!」
「……はいっ」
現場監督の男の太い声で、考えが途切れる。弾かれるようにして動き出すクリエ。
何かの塊を引きずり出そうとしている作業員たちがいたので、その手伝いをする。これもどこかで見たことがある……機械の船に使われるプロペラだ。皆で力を入れて引き抜いたら、勢いあまって何かが一緒に飛び出してきた。
それは、水をはじく紙でできた手帳だった。水棲人―――ネリーの仲間たちが、主に使うものだ……幸いにして、持ち帰ることは許された。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
拠点のほら穴に帰った後、ネリーとシールゥが寝静まったころを見計らい、外に出る。
クリエは砂浜の岩の上にランプと手帳を置き、灯りをつけて読み始めた。
(あの二人が起きたらかなわん。急がねば)
おかしな様子が現れるまで、ページをさっさとすっ飛ばしていく。
『瑠璃の月 十一日
狩人仲間のオラーが変な知らせを持ってきた
出先で、海がめちゃくちゃに引っかきまわされた跡を見て、しかもそのあたり一帯、魚も海草も消えちまったんだと』
(私が来たのの、ン十日前、か)
ページをめくる。
『海の中に、変な渦が現れたという
渦なんか起こりそうもない場所にいきなり現れて、しかものみこまれたモノはみんな消えちまうらしい
ネプテスさんはくわしいコトを調べつつ、陸の街には注意をよびかけろと言った 明日から忙しくなりそうだ
とか書いてたら 俺も渦を調べにいかされることになった』
『渦がビーピル島の方で起こったらしい あそこには確か、ネプテスさんの娘さんがいたはずだ
何事もないといいが』
『渦の被害が出ちまったようだ
フォーシアズから中央大陸にむかってた船が巻きこまれて、なんとか踏みとどまりはしたが、客が一人のまれたらしい かわいそうに』
(私らのことか……)
『きょうは今後のために会議をした
渦の目撃情報がまとめられたが、ニンゲンがいるところを狙って起きてるようにしか思えない』
『セントラスのおえら方が来て、ネプテスさんと話をした あせりを見せているようだ、ムリもない
陸のやつらは俺らを頼りにしているけれど、こっちとしては食い止めるどころか正体すらつかめない』
『ビーピル島で、渦が海の上に伸びて竜巻みたいになって乗りあげるのを見ちまった
蔵がひとつ飲まれてた まだふるえが止まらない
ネリーが行方不明らしいが、ネプテスさんに言えるわけがない』
『魔物がマールレーナにきやがった 渦にあてられたせいなのか?』
『きょう、仲間が渦にやられた』
『一体どうしてこうなっちまった オルタナリアに何があったっていうんだ!
"ヴァスア"が女神さまと一緒にオルタナリアを助けてくれたんじゃなかったのか!』
あとのページは白紙だった。手帳を閉じ、しばし静止するクリエ。そこに声が聞こえてきた。
「クリエ……?」
来たのはシールゥだった。少々都合が悪い。ネリーなら騙しようもあるが、彼女はカンが良い。
「寝れ、ない……だけ……」
「……渦の件?」
騙すも何も、タイミングを考えれば、既にオルタナリアが危機にあることを知っているはずだった。
「そりゃ、ボクも不安だよ。でも、どうやってあそこに戻ればいいかもわかんないんだよ……アッチが、取り調べ受けてンだよね。あいつが何か、知ってないか……」
クリエは言葉が出ない。危機は危機だが、今のところ手の打ちようがない。
「……考えててもどうしようもないし、もう寝るよ。クリエさんも、洞穴に戻ったほうが。ネリーまで起こしちゃったら、悪いし……」
「……ン……。」
いつも通りの星空だった。
「いってきまーすっ!!」
「おー、がんばれーっ」
地上の街の船着き場から、ネリー・イクタはいつものようにテリメインの海に飛び込んでいった。彼女の泳ぎのスピードはすさまじく、すぐに姿が見えなくなってしまう。
クリエとシールゥは、それを見送って……
「……行った、か」
「ン。じゃ、ボクらもボクらで仕事の時間、っと」
見送りを済ませたふたりが向かう先は、海底探索協会の建物である。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
ふたつの新海域の情報が流れ込むせいで、協会はここしばらく慌ただしい日々が続いているようだった。紙の立てる音がいつもよりもうるさいのが、クリエにはわかる。
やってきた職員の男が、挨拶をしてきた。
「ふああ……あ、失礼……こんちは。クリエさんですよね。例の、ドクター……ソッチ……」
「アッチだよ」
「あぁそうだ、アッチだ。取り調べ、はじめますンで。こちらへどうぞ……」
クルリと後ろを向き、目をひとこすりしてから男は歩き出した。後に続いて廊下を歩き、螺旋階段を降りていく。
「……あの、ロザリアネットさん、だっけ? いやしないかな」
「いない」
「なんで……」
「オーラが、無い」
「そっか……」
歩き続けて、一つのドアに至る。そこを開けると小さな部屋と、それから……
「んがっ……! ち、チミたち!?」
テーブルの向こうでイスに腰かけたまま、あんぐり口を開けるドクター・アッチの姿があった。
「やあ、ドクター・アッチ。ネリーもあんたが話をできるようにって、わざわざ生かしてくれたんだから、たっぷり教えてもらうよ?」
「ン、ンーム……ッ……」
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
「まず……あの、ガレキ、の、化け物。おまえの……発明……?」
「そのとーりィ! ……と、言いたいところッチが、違うーッチねぇ、ザンネンながら……」
声のテンションが急激に上がったり下がったりするのが、アッチの話し方の一つである。クリエは、これまで尋問を行っていた職員の苦労を思いやった。
「そもそものコトの起こりはねえ。ボクちゃんの移動式水中研究所・アッチトータスmkVごとワケわからん渦に巻き込まれて、このチリメンだかテリメインだかに来ちまったってもんだッチ」
「私たち、と……同じ……」
「ンム。しかーも、そのままハッチから投げ出されて、その後はどーも、通りすがりの奴に病院に担ぎ込まれたらしいッチねー。でもアッチトータスを誰かにとられたら一大事! ボクちゃんはソッコー脱走して、船と潜水具をパクって海に出たッチ!」
「人のは盗るんだ……」
シールゥは呆れてみせたが、この狂人なら普通にやることでもあった。
「このメガネのヒミツ機能で、場所ならわかるッチからねェ。けど、果たしてアッチトータスの前に出たボクちゃんを待っていたのは、あのウニヤローによる解体ショーだったッチ! クゥーッ」
ウニヤローというのは、あの瓦礫の化け物の中枢にあったもののことである。
「ウニヤローときたらアッチトータスを分解して、身にまとってやろうとしていたみたいだッチ。トーゼン止めた、ッチが……そっからが、ンンン……どうも……よくわからん、ッチ……」
頭を押さえ、項垂れるドクター・アッチ。
「アッチ。あんたさ、アレに身体を乗っ取られてたんだよ。何か、覚えてることがないかなって、期待はしたけど……」
呆れ気味のままで、シールゥはアッチに声をかける。
「フン。悪かったッチね、なーんもなくて……チキショ、あのウニヤローは許せんッチ。このドクター・アッチ様を我が物にしようだなんて、不届き者にもホドってもんがあるッチ!」
「……ネリー、が……アレの……欠片を、拾って、きた……」
クリエのその言葉が、ドクター・アッチに火をつけてしまった。
「ほぉ! そいつぁー重畳! 調べさせるッチ! ゼヒゼヒ!」
「ちょ、ちょっと、それは、上にかけあってみないと……」
職員の男が制止をする。
「クヌヤロ! 組織ってヤツァ! これだからッ!」
「あぁもう!」
イスからぴょんこと飛び跳ねるアッチを、職員は抑え込んでやらなくてはならなかった。
「クヌヤロクヌヤロクヌヤロクヌヤロクヌヤロッ……」
「手に、おえない……一旦……やめに……」
「そ、そうですね……っ」
クリエの促しで、尋問は持ち越しとなった。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
その頃、ネリー・イクタはサンセットオーシャンの遺跡を漂っていた。
「あーーーつーーーいーーー……っ……」
戦闘力を奪われるほどの暑さである。いくら元気なネリーでも、長時間は耐えかねた。
「ひぇぇ……どっか……かくれられる、とこー……」
ネリーは身をくねらせ、沈んでいく。
どこかから放たれる光のエネルギーで水が熱せられているのならば、遺跡の奥の方に行けば少しは涼しいだろう。
柱と柱の間をすり抜け、差し込む光に別れを告げる。捕食者の出現に気付いた小魚たちは、散り散りに逃げていく―――ネリーはそこまで腹ペコでもなかったのだが。
とりあえず、落ち着いて休めそうな場所を探し始める。
長く曲がりくねった通路を抜けると、そこには広間があった。議場か何かだったのだろうか、部屋全体がすり鉢状になっていて、斜面には椅子がいくつも彫られている。
「うゃ、ここだったら、のんびりできそうかなっ……」
広間の下の方に行こうとしたとき、ネリーの頭のヒレがピクリと動いた。異変の察知である。
「…… ……?」
ネリーは流れが起こるのを感じていた。
「ひょっとして……!?」
しんどさを放り捨て、直立の姿勢になる。そのまま尻尾を大きく振るえば、部屋の天井を目がけて、彼女は飛び出した。
直後、水が目に見えて動き出す。引きずり回し、吸い込んでいくように、である。
「……やっぱりッ!」
例の渦である。ネリーは今、渦が起こる瞬間に立ち会おうとしている。ここで原因を突き止められたなら―――
「クァアアッ!!」
渦の根元になる場所が、水棲人の感覚でわかる。
確保したばかりの安全を放り捨て、ネリーは再度、部屋の下方に進行した。下から四列目に並ぶイス、そのうちの一つの後ろを目指す……ゆらめく赤い光が、そこにあった。
腰蓑につけたスキルストーンを掴み、ネリー・イクタは力のままに念じる。
「ダァアーッ!」
ビカーン! スキルストーンが閃光を発した。かと思うと、目的地点からいびつな円錐が立ち上った。まるでつららのように冷たく、手で触れることもできる。
《ブライニクル》に手を加えた、《リバーサルヒート》が行使されていた。瞬間的に熱を奪い去り、凍結させる術である。まさに形になろうとしていた渦を凍らせてしまったのだ。
これで、ゆっくりと調べられる……ネリーは改めて渦の根元を目指した。だが、それは油断であった。
ピシャリ! 固まったはずの渦がひとりでに砕け、力を取りもどした。
「アッ!?」
失敗を察したネリーは、しかし瞬発力においてはいまだ勝っており、すぐに離脱をする。
だが、そうこうしている間にも、渦の力はどんどんと強くなっていく。
「ッ……!!」
もはや逃げざるを得ない。ネリーは、先ほど入ってきた通路を目指し、泳ぎ出した。
だが、バキッ、バキッ! 彫られた椅子が引きはがされて、渦に吸い寄せられる。そのまま蓋になってくれるかと思いきや、むしろ渦の勢いはさらに増していくようだった。
「ギ、ギギ、ギギギッ……!!」
ネリーの身体をもってしても、危ういほどの力だ。
しかも気力を振り絞っていた彼女は、柱に、壁に、屋根に亀裂が走っていたことに気付かなかった。
ガラッ! ガラガラガラッ!! 議場の天井が、つぶれるように崩壊し―――
「!!!」
ドウッ! 落ちてきた瓦礫の一つが、ネリーの身体を直撃する。
「――― ―――」
もう、逆らえない。
未だ衰えない渦に、ネリーは引きずられていく。瓦礫と共に、呑まれていく。
だがそこで、先ほどの赤い光を―――そして、その源のシルエットを目に入れて、ネリーはほんのわずかな時間、意志を取り戻した。
『あ、あれっ……!』
あれは、食い止められなければならない。
その意志を受け止めるスキルストーンを、彼女は持っていた。腰蓑の中で、《サイレン》の石が輝きだしていたのだ。
甲高い音が、しばらく辺りに鳴り響いた……
それが止んだ時、もう議場のどこにも動くものはなかった。ただ、静けさだけが残された。
あたりは、真っ暗闇だった。
謎の渦の源を抑え込んだネリー・イクタは、その中で浮いていた。
彼女は夢の中にいた。深く深く、記憶の中へと潜り込んでゆく夢に……
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
《*** ――― 今回はいわゆる総集編である ――― ***》
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
魔法世界オルタナリア。そこは、ヒトとそうでない者たちが共に暮らす、不思議な世界であった。
この物語の主人公、ネリー・イクタ。ヒレとエラを持ち、水中生活に適応した種族―――水棲人の少女である。
ネリーはオルタナリアの海の片隅、ビーピル島は港町コルムに暮らしていた。だが、そこが故郷というわけではない。
彼女は海底にある水棲人の街マールレーナで、偉大な狩人である父ネプテスと、心優しい母の元に生まれたのだ。
「おとーさんっ。わたしに、おけーこ、つけてくれる、って……ホント?」
「ああ。おまえも、狩人になりたいんだろう。明日から、さっそく始めようじゃないか」
「うゃあ! がんばるぞーっ! つよーく、なるぞーっ!!」
ネリーは父の背中を追いかけて育った。だが、そんなある日―――
「……おとーさん……っ……!!」
「ネリーーーッ!!」
「おとーさぁぁぁぁぁーーーんっっっ……!!」
マールレーナを、動きまわる謎の渦が襲来した。
巻き込まれたネリーは、故郷から遠く離れたコルムの海で目を覚ますのだった。
「……おとーさん……。」
コルムの人々は、独りぼっちになってしまったネリーを暖かく迎えた。ネリーは、そんな彼らに応えるために、最善を尽くした。
現在に至るまで使い続けている得物、シャコガイハンマーもこの頃に手に入れ―――
「ふむ、なかなか面白いものを拾ったじゃないか? これをハンマーにしてみるか。この間大陸から届いた木材を柄にしよう」
「うゃ? いいの?」
「気にすることはないさ。まだ沢山あるしね。それに、君にはいつも漁師の皆が世話になっているから……」
その怪力で漁の邪魔をする魔物たちを追い払い、コルムの民の暮らしを助けていた。
だが、一方でネリーは思っていた。マールレーナに帰りたい。それに、オルタナリアを旅してみたいとも―――まだ知らないことを知るために。父のように、強くなるために……
その願いが叶う切欠となったのが、オルタナリアと隣り合わせの世界、地球から訪れた三人の少年達であった。
地球人は魔力を持たない。だが、彼らの内二人はオルタナリアに来て、魔法とも異なる異能の力に目覚めていた。
空を飛び、熱の矢や風の刃を自在に操る少年、萩原広幸(はぎわら ひろゆき)。
草花を使役し、大地そのものを味方につけて戦う少年、宇津見孝明(うつみ たかあき)。
そして、ただ一人異能を得ていなかった少年、瀬田直樹(せた なおき)。
彼らはオルタナリアの救い手『ヴァスア』となるべく、創世の女神ミーミアの導きで呼び出されたのだった。
しかし、三人を歓迎する間もなく、コルムを海賊たちが襲った……
「どいたどいたぁっ! 俺たちがこの街を……いいやこの島を乗っ取ってやるぞお!!」
海賊の背後には、悪の科学者ドクター・アッチの姿があった。
「フッフフッ……この僕チャン……邪道科学者ドクター・アッチを知らんとは……! とーんだイナカモノ、ッチ!」
アッチは自らの発明した巨大ロボット、ガイアアッチXでネリーたちに襲い掛かる。その力はあまりにも強大であった。だが―――
「てめえこそいい加減にしろよ、クソジジイが……ッ……!」
ドーッ!! 直樹はその拳に鉄と雷をまとい、ガイアアッチXを粉砕した。異能の力に目覚めたのだ。
ネリーはそこに、父のそれに似た強さをみた。直樹と共に歩みたいと、願った。
コルムの人々も、もうネリーの想いに気付いていた。彼女に頼りきりの自分たちを恥じた彼らは、ガイアアッチXとの激戦の裏で、街を守るために立ち上がっていたのだ。アッチに見捨てられた海賊たちもコルムの人々に拾われ、防衛の戦力となった。
ネリーがいなくとも、自分たちはやっていける。だから安心して冒険の旅に出てほしい……
人々の声援を背に、ネリーは少年たちと旅立っていった。
少年たちは、ヴァスアとしてオルタナリアを救うために、三人の少年は世界のどこかにある五つの『神秘』に行き、『心の儀』を行わなくてはならなかった。
実は、オルタナリアは地球人の力なしでは存続できない世界であったのだ……定期的にヴァスアとなる者を地球から呼び出し、心の儀を行ってもらうことで、オルタナリアは安定化する。
だが、前に呼び出された地球人は、旅の中で挫折し、使命を全うせず帰ることになってしまった。ネリーを連れ去ったあの渦も、オルタナリアのバランスが失われつつあったがために起きたものである。
広幸、孝明、そして直樹がしくじれば、今度こそオルタナリアは滅びを迎えてしまうのだ。
『神秘』への旅路は困難の連続であった。過酷な自然や恐ろしい魔物が行く手を阻む。そればかりか、オルタナリアの滅びを促そうとする『ディナイア教団』までもが邪魔をした。
しかし、少年たちは―――ネリーやオルタナリアで出会った仲間たちと共に―――それらを乗り越え、ついに全ての『心の儀』を終えた。
オルタナリアは救われた。けれどそれは、少年たちとネリーの別れをも意味していた。
「……直樹…… また、あえるよね……。」
「ああ、きっと……!」
ネリーは、直樹に憧れる以上に、愛してしまっていた。
三人の少年は、地球に帰っていった。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
それからコルムに帰ったネリーは、平和な日々を過ごしていた。
ところが、彼女はまたも、突然の大渦に呑まれることになる。
「あぁぁぁぁぁああぁああーーーーんっ!!」
流れ着いた先こそが、この物語の舞台である七つの海の世界―――テリメインであった。
新たな冒険を始めるネリー。彼女は穏やかな海・セルリアンから出発し、海中島の海・アトランド、そして太陽の海・サンセットオーシャンへと進んでいく。
見たこともない海、見たこともない魔物、見たことのない遺跡、そして多くの世界から集まってきた人々との出会い……ネリーはテリメインでの冒険を、心の底から楽しんでいた。ところが……
「…… め……ガ…… …… …… ……ネ…… ……。…… …… ……。」
かつてオルタナリアでの冒険で世話になった女性、クリエ・リューア……
「ここがネリーのお家かー。なんかオルタナリアの時と変わんない気もするけど……いいとこじゃない?」
そしてオルタナリア、蛍樹の森から冒険に同行した妖精、シールゥ・ノウィク。
彼女らもまた、ネリーのように謎の渦に巻き込まれ、テリメインに流されてきていたのだ。
しかも、渦はテリメインの海にも何度も出現し、その度にオルタナリアのものをばらまいていく。時には魔物を呼び寄せ、大ごとになりかけたこともあった。
そして、ついには……
「ヴヴーー・ヴ・ヴ! ヴッ、ヴ、ヴヴヴ! ヴヴヴヴ……」
巨大なガレキの怪物と、その中枢であるウニ状の物体にとりつかれ、正気を失ったドクター・アッチが現れた。
「ガァアァアアアアアーーーッ!!」
怪物は、ネリーの馬鹿力の前に屈した。
だが、その身を形作っていたものは、オルタナリアのあちこちの建物の一部であった。
その後、ガレキの怪物の残骸の中から、マールレーナの水棲人の日記を手に入れたクリエは、恐ろしい事実を知る。
『海の中に、変な渦が現れたという
渦なんか起こりそうもない場所にいきなり現れて、しかものみこまれたモノはみんな消えちまうらしい』
『きょうは今後のために会議をした
渦の目撃情報がまとめられたが、ニンゲンがいるところを狙って起きてるようにしか思えない』
『ビーピル島で、渦が海の上に伸びて竜巻みたいになって乗りあげるのを見ちまった
蔵がひとつ飲まれてた まだふるえが止まらない』
『一体どうしてこうなっちまった オルタナリアに何があったっていうんだ!
"ヴァスア"が女神さまと一緒にオルタナリアを助けてくれたんじゃなかったのか!』
オルタナリアは再び危機にある―――クリエは、それをネリーに伏せた。
だが彼女は、予期せぬ形で渦の発生源を突き止めていた。
『あ、あれっ……!』
渦の根元にあった、その物体は―――
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
「ン、ゥ……」
夢が去り、現実が降りてくる。ネリーはまぶたを開いた。
目の前には、ほのかな赤い光があった。手で触れることもできて、何やら尖っている。
ここはどこだろうか。水の中ではあるようだが、先ほどの光以外には何も見えない。それに、サンセットオーシャンとはうって変わって、妙に寒い。
光源を手のひらに乗せて、ネリーはその場から泳ぎ出す。やがて、別な光を見つけることができた。どこかに通じているようだ。
狭いすき間を潜り抜け、水面を目指す。そして……
「―――!」
顔を出したネリーが見たのは、銀色に染まった陸地。オルタナリア北方の小国、メシェーナの地である。
そして、手のひらに包んで持ってきた物体は……
「……これ……ひょっとして……!!」
あのガレキの怪物の中にあった、棘だらけのコア。その破片であった。
ネリー・イクタは冷たさをこらえながら海面を進み、雪国メシェーナ沿岸の街サラハに上陸した。
久しぶりの、故郷オルタナリアの街である。だが、彼女の顔に喜びはなかった。
「……ンゥ。だれも、いないのっ?」
港が凍る時期ではないはずなのに、人気がない。
理由はすぐ想像がついた。渦から逃げて避難をするにしても、雪に閉ざされたこの国だと、楽ではないだろう……
「おおい、ここのやつじゃないのか、お前……」
後ろから、ネリーに声がかかった。尻尾をブンとふるって、彼女はそちらを向く。
「うゃっ! ねえねえ、ひょっとしてーーー」
「おぅ、ネリー・イクタじゃねェか。俺だよ、ワサビだよ……」
ワサビと名乗ったその男は、裾と袖の長い服をまとい、緑色の鬼の面をつけ、帯刀をしていた。オルタナリア東方の国、トヨノの戦士のいでたちの一つである。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
ワサビ・カラシもまた、クリエ・リューアやシールゥ・ノウィクのように、地球から来た少年たちの冒険に巻き込まれた者の一人であった。
仲間達とはぐれ、二人旅をしていたネリーと直樹は、あるときトヨノの国の浜辺に流れ着く。
異境の地に取り残され、それでも旅の目的である『神秘』を探し出そうとする二人であったが、敵であるディナイア教団の魔の手はトヨノにも伸びていた。
トヨノの支部を任された幹部の男、ホァンダウの卑劣な手によって、ネリーは初めて魔物の血を目覚めさせられてしまい、理性を失う。愛していたはずの直樹に攻撃をしかけた挙句、離れ離れになってしまったのだ。
「……ちくしょうッ……ネリー……!」
「……おい、お前……何やってンだァ……?」
残された直樹の窮地を救ったのが、ワサビであった。
教団に、大切にしていた古代の妖刀『シチミ』を奪われていたワサビは直樹と協力体制を結び、教団に反撃を仕掛けたのだった。
だがその途中、暴走するネリーを目撃した彼の中で、一つの考えが生まれる……
(あのサメ娘には、力がある……『シチミ』を取り戻したら……あいつを斬って、血をくれてやれば……刀がよみがえるかもしれねェな……)
『シチミ』の念が心に入り込みつつあったことに、ワサビは気づかずにいた。
二人はやがて、山寺に偽装して造られたディナイア教団のトヨノ支部に辿りつく。そこで待っていたのは、ホァンダウと彼に心を乗っ取られたネリーであった。
ワサビはついに『シチミ』を抜き、ネリーに斬りかかる。明らかな殺意を感じた直樹はそれを止めようとして、ネリーとワサビの両方を相手にしなくてはならなくなったし、そんな状況をホァンダウが見逃すわけもなかった。
孤立し、殺されかける直樹。だがそれでも、彼は屈さない。
「俺は諦めねェ…… ネリーも……俺もッ……まだ、これからなんだ……!」
「……なお、き……!」
何があろうと強くあり続けようとする心は、直樹の異能力を新たなステージに押し上げた……
ドウッ! 放たれた電撃が、ネリーの頭を撃った。
「そう、だよね……! マモノの血になんて、負けないッ……! わたし、強くなるんだァ―――ッ!!」
ネリーの目に、元の明るい光が戻った。
「……へえ……やるじゃ、ねぇか……直樹よォ……俺だって……俺だってなァッ!!」
『シチミ』もまた異能力に反応した。
表面を覆う錆を吹き飛ばし、その刀身は赤い閃光に包まれる。ワサビの仮面も、跳ね飛び……
「…… ……さあ、行くぜェ!!」
その素顔は、異形のものであった。今更隠す必要などありはしない。
再び結束し、新たな力を得た三人はホァンダウを倒し、トヨノから教団を実質的に撤退させることに成功した。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
危うく斬られかけたことについては、もう恨んでいない。
ネリーは特に考えることもなくワサビについていき、その途中で事情を聴く。
「渦のせいで、どこもかしこもしっちゃかめっちゃかだぜ。セントラスから世界中にメッセージがあって、海沿いに住んでる奴らは全員逃げろってことになった……」
「う、うゃ、そうなの? じゃあ、ここも……」
「いや……さすがにこの国じゃ、大移動するも難しいんでな。別に手は打ってある……ところでお前、なんでわざわざこんなところに?」
「あー……えっと。ちょっとね……」
ネリーは、ワサビにこれまでのことを簡単に話す。コルムで謎の渦に巻き込まれたこと、テリメインのこと……
「……なるほどな。水棲人のお前なら、渦を放っておくわけないだろうと思ってたが……その前にお前自身がやられちまってたわけか。じゃあもしかして、こっちの様子も知らねェんだな?」
「う、うん……」
「おう。なら、ついてきな。寒くない所で話してやるさ」
ワサビの後に続いていくと、街外れの小屋についた。
中に入ると、さらに床に戸がついている。引き起こせば階段があったので、降りていく。
「もともと、こういう非常事態のために用意してあったらしい……」
ワサビは懐から取り出したランプに魔力を通して、灯りをつける。階段の行きつく先は、すぐには見えない。
下に降りていくとまたドアがあって、開けた先には人々が待っていた。灯りもそこかしこに揺らめいている。
「おおワサビ殿、おかえりなさい!」
樽のような体つきで、ひげをたっぷりと蓄えた男が出迎える。彼はすぐ、ネリーの方に目をやった。
「おや、そちらの子は……?」
「ネリー・イクタだ、水棲人の。ここに居てもらうかどうかはまだわからんが、ちょいと色々あって、事情をつかめてない。話をしてやらんと駄目だ。少し時間をとってやってもいいよな?」
「ええ、どうぞ。それより、そんな恰好じゃ寒いでしょう。いま、暖かい所まで案内しますから……」
「うゃ、ありがとっ。でも、へいきだよっ!」
ネリーとワサビは、この地下シェルターの奥の部屋に通された。
布団のついた低いテーブルがあり、その中に入ることで暖をとることができた。元々トヨノで造られた暖房器具であり、炭に火を入れて使うものだったが、ここにあるものは魔力で熱を起こす仕組みに改造されているという。
一息ついてから、ワサビが話し始める。
「……あの渦が初めて起きたのは、瑠璃の月らしい」
「瑠璃の……? それ、ちょうどわたしがやられちゃって、テリメインに行ったころだよっ」
「ン。じゃあ一から全部説明して、構わんな」
そこにさっきの男が熱いお茶を持ってくる。ワサビは礼を言ってそれを受け取り、一口飲んでから話を続けた。
「渦は、初めは小さめで数も少なかったんだが、どんどん増えていったらしい。水棲人の連中が、どうにか食い止めようと頑張ってたが、正体すらつかめない。そうしてる内に、渦が海の中どころか、陸にまで乗り上げてくるようになりやがった。それで岸に住んでるやつらは、逃げろって話になったのさ」
「…… ……。」
ネリーの表情が曇る。
「どうした?」
「わたし……こっちのこと、なんにも、わかってなかったよっ。でも、テリメインで……見たの。コルムの街の……」
ネリーは、ガレキの怪物と戦った時の話をする。あのモンスターを構成していたものの中に、コルムの建物の破片もあった……
「ワサビさん……。オルタナリアは、どうなっちゃったの……?」
「……俺も、全部はわからん。ここに居てわかるのは、たまに様子見に来る水棲人から聞けることだけでな。確かなのは……どこもかしこも悪くなる一方、ってことだけだ」
不安がるネリーに気の利いたことを言ってやれない自分を、ワサビは内心、少し悔しがった。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
テリメインの側でも、クリエ・リューアとシールゥ・ノウィクが、引き続きドクター・アッチに尋問をしていた。
「ネリーがいなくなっちゃったンだ。無事かもしれないって、思いたい。オルタナリアがどうなってしまってるのか教えてよ、アッチ……あんたは、ネリーやクリエよりは、後に来たんでしょう?」
今回は、職員がいない。三人だけの会話である。
「チミら、水棲人の日記とか拾ったって聞いたッチ。あそこに書いてあることで、わかるんじゃないッチか? ヤツら、渦が出てきてから、朝も夜もないって感じで動きまわってたッチからねェ」
「……突然、渦、が起こって……水棲人、でも、駄目で……オルタナリア、中、大さわぎ……それで……正しい……?」
「ン。ま、知ったこっちゃないッチけど。なんせ、あの渦だって、もう少しでこのボクが解明して、キカイの力で組み伏せてやれるハズだったッチ! そうすりゃ世間だってボクを―――」
興奮しだすアッチを、シールゥが制止する。
「世界征服のたくらみはいいから……ってか、もう少し、て言ったね。あんたは、あの渦のコトを何かわかったの……?」
「わかったも何も、たぶんあのウニヤローが犯人だッチ!」
「……ウ、ニ?」
「あぁ。あのカケラ……調べてみたんだね」
ドクター・アッチは性格に難がありすぎるが、技術力や知識に関しては確かであった。
クリエとシールゥは、以前の尋問の件を受けて探索協会の職員にかけあい、『ウニヤロー』―――ネリーが戦った、あのガレキの怪物の中枢にあったもの―――の破片をアッチに調べさせることを受け入れさせた。
無論、厳重な監視をつけさせた上で、である。
「昔、ボクも渦を起こして船を襲うマシンを造ろうとしてたことがあったッチ。その時考えてたのと似たような機構が―――」
「そういう企みしてたのかよ!」
シールゥが、アホ毛を半分立たせて割り込む。
「今気にすることじゃないッチ! それで、きゃつには『翠陽石(すいようせき)』が含まれてたッチ」
「翠、陽石……」
翠陽石は、オルタナリアで産出される金属である。
クリエもアカデミーで実物を見たことがあった。光を当てると、緑色の閃光にして撒き散らす特徴をもっていて、機械と魔法の橋渡しをする性質もあるかもしれないという……
「えっと、それさ……結論言っちゃえば、オルタナリアにあんたみたいなろくでなしがもう一人いて、全部そいつのせいかもしれないって話……?」
「ろくでなしとはシッケーなッ! それにまだ結論出すには早すぎるッチよ。ケースが一つしかないッチ」
いち学者として見れば、意外とまともなところもある。
「正直、こいつは放っちゃおけないッチね。これまでの渦ッコの全部が全部、あのウニヤローの仕業なんだとしたらッ……! もっと見つけて持ってくるッチ! バラして今後の参考にッ―――」
「ちょっと。良からぬこと考えてンだったらさ、あのウニを調べられるヒトを、あんたのほかに探したっていいんだよ。テリメインには色んな世界から来てるんだから、機械に強いヒトだってその中にいるはずなんだ」
「グヌヌゥ……!」
アッチは、シールゥに何も言い返せなかった。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
話を聞き終えたネリー・イクタは、サラハの街を出ることを考えていた。そんな彼女に、ワサビが声をかける。
「行っちまうのかよ。一人でか?」
「ワサビさんもつれてきたいけど、カタナがさびちゃうよっ。マールレーナに、いかなきゃ……みんなの力にならなきゃ、だよっ!」
「そいつは、そうだが……」
無策で行っても、また渦にやられるだけかもしれない。だが、それをネリーに言ったところで立ち止まってくれるとは思えなかった。
「それじゃあね、ワサビさん。そっちも気をつけてねっ!」
ネリー・イクタは止める間もなく、サラハの船着き場から海の中に飛び込んで消えた。
「……やれやれ」
彼女を見送ってから、ワサビは天を仰ぐ。
一面、曇っている。なんとなく、空にすら渦が見える気もした。
「確かに、俺が海に潜るわけにはいかねぇからなァ……頼んだぜ、ネリー」
しばらく、ここで待つ。また別な水棲人がやってくるかもしれない。
それに、今の彼の剣は、その気になれば渦だって断ち切れる可能性があった。