アカデミック漫談~数式で考える幸せ論~
平成17年3月12日(土)午前10時半~12時
秋田市南部公民館
南部公民館主催 市民文化講演会
秋田地域振興局福祉環境部企画福祉課長 米谷裕夫
ただいま紹介にあづかりました米谷と申します。
人の話というのは、おもしろくなければ誰も聞いてくれませんので、今日はあの綾小路公麿を意識して話したいと思います。
まあ、綾小路公麿は、無理としても、少なくとも、道路工事助麿あたりまでは目指したいと思いますので、お笑いにおつきあいください。
私、福祉事務所や児童相談所など福祉関係の職場を20年も渡り歩いてきましたので、障害者や母子家庭、生活保護世帯など援護を要する人々とのお付き合いが多いんです。
だから、優しく丁寧な対応が身にしみついているんですよ。
今日の講演のレジメみてください。
重要なことや、是非メモしておいた方がいいことなどは、ちゃんとみんな書いてあるんです。
だから、皆さんは、腕組みしてうなずいたり首をふったりしていればいいのです。
メモを取る必要がないんです。どうしても、メモしたい人は、アンダーラインを引いたり、
気にいったところに○をつけるとかすればいいだけです。
思いやりがすごいでしょう。
家に帰って家族から「今日の講演はどうでしたか」と聞かれたとするでしょう。
そしたら、このレジメみれば、すぐに記憶がよみがえってきますから、
すらすらと話せるんです。
それに項目に番号を振っていますから、その番号をみると時計代わりなんです。
全部で70項目で今は50番目だから、あと7分の2かということで時間感覚がわかりますね。
さらにだめ押しの思いやり
講演が終わった後で、私に聴きたいことがあれば、電話番号とFAX番号、更にはパソコンのメールアドレスまでレジメに書いてありますから、すぐに連絡できるのです。アフターサービス付きの講演ですよ。サービス期間は私の寿命が尽きるまで。
というよりも私がアルツハイマーか痴呆性老人になるまでかな。
皆さん、こんな、心優しい講師これまでいましたか、多分いないでしょうね。
それから、講演が終わっても、このレジメ捨てない方がいいと思います。
私、レジメにこだわるんですよ、
なぜかというと、講演は90分で終われば、はいそれまでよ、です。
でも、レジメは保管しようと言う意思があれば、永遠に残るのです。
1000年後の人類がこのレジメを拾ったとしたらですね。
思わず自分のパソコンに入力したくなるような内容にしたんです。
入力した後で、米谷裕夫っていったい何者なんだ、インターネットで調べてみようと言って
検索すれば、2005年3月12日、秋田市南部公民館主催の市民文化講演会で道路工事助麿とか言って、落語家みたいな講演をした人物、というような情報が得られるでしょうか。
仏教に「同席対面五百生」(どうせきたいめんごひゃくしょう)という言葉があります。
今、ここで、同じ席で私と皆さんがこうして対面することは、すでに五百世代も前から決まっていたことなんだということです。
一世代を二十五年としますと、12,500年前となりますね。
12,500年前から、このような場面は運命づけられていた、というんですね。
そんなことあるわけないよ、と皆さんお思いでしょうね。
今日この講演会に来るか来ないかは、全くの自分の意思で決めたんで、たまたま来ただけだよ。
との思いもあると思いますが、お釈迦様は、個人の自由意思さえもちゃんと見抜いているということでしょうか。
前置きはこれくらいにして、それでは、始めます。
今日は「数式で考える幸せ論」という演題にしました。
なぜかというと、ただ、こんな幸せがありますよ、あんな幸せもありますよ、言っても、いろんな有名な先人が幸せについて、いっぱいしゃべったり、書いたりしていますから、それの2番煎じになりますので、少し自分のオリジナリテイを出したいということで、こんな演題を考えました。
最初の数式いきます。
H= F / D H :幸福 Happiness
第一数式 F :財産 Fortune
D :欲望 Desire
幸福とは、分子の財産を大きくすることではなくて、分母の欲望を小さくすることによっていくらでも幸せになることができる、という数式です。
財産や、物やお金が少なくても、欲望を小さく抑えれば、その結果、心の幸せは大きくなります。逆に、財産をいっぱい持っていたとしても、それ以上に欲望が多ければ、幸せを実感できませんよ、
という意味ですね。
これについて、しばらく話してみたいと思います。
「少欲知足」ということを禅宗の開祖である道元は言っていました。
欲は少なく、足るを知る。という意味です。
小さな欲望を満たせば、それで充分幸せですということです。
朝、目がさめた、ああ手が動く、太陽がまぶしい、生きていた。今日も一日生かしてもらえる。とても幸せです。
朝食を取り、職場に通勤して自分の机に向かった。ああ、私にはかけがえのない職場があり、こうして働かしてもらえる、なんて自分は幸せなんだろう。
仕事が終わり、自宅に帰る、そうすると妻が手作り料理をつくって、ビールなんか冷やして待っていてくれる、妻と会話しながらビールを飲む、最高にしあわせだなあと思う。
こんな幸せがいつまでも続いてほしいなあ、と思うのですが、それはできないことです。
皆さん、出産予定日ってありますよね。
この世に誕生する予定日(出産予定日)があるとしたら、この世を去る予定日があってもいいのではないかと私は思うんです。名付けて去世予定日
どうやって、だれが決めるか。
毎年厚生労働省が発表する日本人の平均余命表から、この歳だとあと何年生きられるかというのがわかりますから、それを元に、自分で計算して、自分で決めればいいのです。
こうやって、自分のを計算したら、2030年11月17日午前11時17分が私の去世予定日となったのです。
でも、これはあくまでも平均ですから、その前に事故とか急病とかでお呼ばれがくるかもしれませんし、達者に暮らして、それ以上に長生きするかもしれませんよ。
それは、それとして、でも明確に区切りの日、この世とおさらばする日があるということがわかればですね。
一日一日がいとおしくなります。無駄な一日を過ごしたくない、充実した一日としたい
という意識が強烈になりますよ。
「一日生きるとは、確実に一日命を削る」ということですからね。
SP1= SP0ー1Lad Lad :一日生きる live a day
第2の数式 SP0 :今日の寿命 today's span of life
SP1 :明日の寿命 tomorrow's span of life
今日の寿命から一日引いたものが明日の寿命になる。
寿命は一日ごとに縮まっていく、ということを明確にするためにこの数式を考えました。
時は金なりという諺がありますが、私に言わせればそんなもんじゃないです。
「時は命なり」ですよ。
誤解を恐れずに端的に言うならば、「人生とは時間である」とも言えると思います。
仮に、去世予定日がきてもお呼ばれがなかったとしますね。
そうすると、どういう心境になるでしょうか。
予定日が過ぎても生かしてもらえる、嬉しい嬉しいと言って感謝感激で一日一日を暮らしていくことでしょう。
だから、去世予定日の前も後も生きている喜び、感謝の心が湧いてくるのです。自然に、、、
よく、末期ガンの患者で余命あと3ヶ月などと医者から言われる人を、私たちは同情のまなざしで見ますけども、私に言わせれば、末期ガンの患者と自分とどこが違うのか、一緒じゃないかと思うんですよ。
違いは、その日を宣告されたか、されないかの違いだけでしょう。
私は、自分でその日を宣告したから、ガン患者と一緒ですよ。ちょっと期間が長いですけどね。
だから、このように夫婦で会話しながら楽しい夕食することができるのは、あと何回かな。
と私は考えてしまうのです。
それは無限ではなくて、数えることができる回数なんですね。
ちなみに私の夕食の回数は、あとわずか 9,382回(平成17年3月12日現在)しかできないのです。
そう思うと、妻への感謝の気持ちと、このひとときは二度と帰ってこない、機嫌良く楽しく過ごそうという気持ちが自然にわいてきます。
ついでに言いますとですね。
仮にその日、職場とか人間関係とかで嫌なことがあったとします。でもね、私は玄関を開けた瞬間に、妻との楽しい夕食モードに心のスイッチを切り替えるのです。
嫌なことがあればあるほど、食卓では明るく陽気にふるまいます。
「ああ、今日のビールはとってもおいしいね。仕事をした後のビールは最高だよ」
「今日はお刺身なの、嬉しいな。お刺身大好きなんだ」
「この漬け物おいしいね、どこで買ったの」
こうしていると、妻が楽しそうに受けこたえてくれますし、自分も愉快になりますから、
職場での嫌なことを忘れてしまうのです。
精神衛生に非常にいいですよ。
それとは、反対に職場であった嫌なことを家庭にまで、持ち込むとどうなるか、
苦虫をかみつぶした顔でビール飲みながら、職場の愚痴などをねちねちと妻にしゃべったら、妻だって、職場で大変なことがあったのね、嫌な思いをしたのね、どうやってなぐさめようかしら、とか思ったりして、その夕食がとても暗くなりますよね。
妻との夕食の回数には、限りがある、私の頭には常にそのような意識がありますから、たとえ、一回といえどもそのような暗い不機嫌な夕食は嫌です。
もったいないのです。楽しいひとときを壊してしまうようなことは絶対にしたくない。
だから、私の夕食はいつもにこにこ最高に上機嫌でたべるようにしています。
一日が終わり、布団に入って眠ろうとする。とても暖かいふとんにくるまれてぐっすり眠れる。ああ、極楽、極楽、、、
このようにですね。小さなことに幸せを感じて、充分満足すれば、日常生活のなかに幸せの種は、ごろごろ、ころがっています。
ある新聞の読者の投書欄に載った記事を一つ紹介します。
題名は「たくさんのお皿毎晩洗える幸せ」となっていまして、50代の主婦のものでした。
夕食に使う食器の枚数は3食の中で最も多い。
流しに積み重ねられた食器を前に、つい、ため息がでてしまうが、いつまでも、そのままにしておくわけにもいかず、気を取り直して洗う。
けれど、今夜の洗い物をしている時の気分は、今までとは違って、心が躍っていた。
気に入った短歌に、出会えたからだ。
それは「スポンジで たくさんのマル 描きつつ 皿を洗って 終える一日」
という作品でした。
いったい、今までどれだけの「マル」を私は描いてきたのだろう。
こんなにたくさんのマルを描けることは幸せだ、ということに気づかず、生きてきたように思う。一人でいたら、確かに洗う皿の数は少ないと思う。
この歌から、「ことばの力」をプレゼントしてもらった。
食器洗いが嫌だなと感じたときには、この歌を思い浮かべようと、
心の宝箱にしまい込んだ。という記事でした。
皿を洗うことだって、心を込めて洗えば、この人のように幸せと思えるんですね。
「幸せって何だろう」と考えるとき、私は、いつも、森鴎外の名作「高瀬舟」を思い出してしまうんです。
ちょっと、さわりのところのあらすじを述べてみます。
京都奉行所の同心に庄兵衛という男がいた。
彼は高瀬舟に乗って罪人を島に護送するのが役目であった。
ある年の桜の季節、ひとりの罪人が乗った。
名を喜助といった。 弟殺しの罪であった。
とかく罪人は役人に媚びて哀しみにみちた神妙な態度をとるものだが、
この喜助はそれとは違っていた。
悪びれた様子も見せず、むしろ喜んでいるふうであった。
庄兵衛にはそれが不思議に見えた。
そこで夜もふけたころ庄兵衛は聞いてみた。
「喜助、おまえはなにを考えているんだ。どうも島へ流されるのを喜んでいるようだが」
「ほかの人は悲しいことでしょうが、それは、この世で楽をした人のことで、
私のように、どこへ行っても、除け者にされた身には、一定のところで暮らせるなど、
ありがたいことなのです。」
喜助は懐から200文入りの袋を取り出した。
(今の貨幣価値でいえば 一文は40円くらいです。
ですから、200文は8000円くらいですね)
それは流刑にされる罪人に奉行所から与えられたものだった。
「お恥ずかしい話ですが、私は今日まで200文というお金を、こうして懐へ入れたことがありません。そのうえ島へ着けば、食べ物と仕事をくださるというじゃありませんか。
悲しいどころか、本当にうれしいのです。」
それを聞いて庄兵衛は心の中で自問自答した。なるほど、道理である。
俺などは定期的に扶持米(ふちまい)をもらって、生活は安定しているはずだが、
7人の家族を抱えて、借金生活に追われている。
しかも不平不満の毎日だ。
だが、その俺より下等な人間だと思っていた喜助は、島流しになることを悲しむどころか、
喜んでいる。これはどうしたことなのか。
俺が独り身であったとしても、いまの喜助のように心穏やかに考えられるだろうか。
庄兵衛は、あらためて喜助の顔をのぞいた。
そこには、月明かりに照らされた顔があり、頭のうしろから、後光がさしているように見えた。
この小説で私が感じるのは、喜助と庄兵衛との幸福感に対する違いです。
喜助は島流しにされる罪人、庄兵衛は特権階級の武士です。
身分も財産の有無も雲泥の差です。
ところが、だんだんと会話を重ねていくうちに、庄兵衛は不満ばかり並べている自分の日常に気づき、喜助の顔から後光がさすのを感じるのであります。
この差は何か、
これがまさしく、道元が言っていた少欲知足、欲は少なく足を知る、ということではないでしょうか。
幕末の越前藩に橘曙覧(たちばな あけみ)という歌人がいました。
この歌人に「独楽吟(どくらくぎん)52首」という短歌の連作があります。
すべて「楽しみは、、、」に始まって「、、、、とき」で結んであります。
日常生活の中から楽しいことうれしいことを探し出して歌にしたものですが、題材のすべてが「なんでもないこと」であることに驚かされるのです。
そのうちのいくつかを紹介します。
楽しみは妻子睦まじくうちつどい、頭ならべてものを食うとき
楽しみは朝起き出でて昨日まで、なかりし花の咲ける見るとき
楽しみは昼寝目ざむる枕べに、ことことと湯の煮えてあるとき
楽しみは珍しき書人に借り、はじめの一枚ひろげたるとき
このように日常生活の中にささやかな楽しみをみつけ、幸せそうに短歌をつくった彼の生活は誠に質素で貧しかったそうです。
元治元年(1864年)、この住まいを訪れた藩主松平春嶽(しゅんがく)はその貧しさに驚き「おのれは富貴の身にして、なにひとつ足らざることなけれど、心は寒く貧しくして、うしろめたく顔の赤らむ心地せり」と家老に感想を述べたとのことであります。
夜になるとスイッチを押すと蛍光灯がつく、テレビが見れる、これだってうれしいことではないでしょうか。
皆さん平成13年12月30日の暴風雪と停電、記憶にありますか。
私は男鹿市船越の実家に母と私と妻の3人でいました。
お昼の12時半に強風のため、停電しました。そのうち復旧するでしょうと、のんびりかまえていましたが、その日は寒かったですね。
まずストーブが使えません。寒くなってきたので、暖をとろうとして、ストーブを探しましたね。そしたら、押入の中にほこりをかぶった古い灯油ストーブがありましたので、早速灯油をいれて燃やしました。
私のうちは、それでも電気を使わない古い型の灯油ストーブがあったからまだいい方です。
そのストーブがない家庭は、ホームセンターとか町の電気店とかに買いに行ったそうですよ。ところが男鹿市とか天王町の店はもう売り切れてなくて、秋田市まで買いに行った人が大勢います。
こういうふうなことがあるから、昔の型の電気を使わないシンプルなストーブは絶対必要だなとそのときつくづく思いました。
それから、直径5センチもあるような太くて長いろうそくも必要ですね。10時間も明かりがともりますからね。
よく、非常時に備えて、懐中電灯なんか壁にかけていると思いますが、いざとなると全然使い物にならないです。
電池が切れていたとか、電池の液がもれていたとかですね。
そのストーブを3人で囲み、電気がくるのを待ちました。ところがなかなかこない、そのうち、夕食の時間となりましたので、ガスでお湯を沸かし、乾麺をゆでてろうそく2本ともして3人でよりそうようにして食べました。
電気がないし暗いし寒いから、何もできないですね。3人で戦争中の空襲のときの防空壕の中ってこんなものだったかしらなどと話をしました。
そして午後7時半、電気がぱっとつきました。その時の感激、3人で思わず、拍手して抱き合いましたよ。
普段は、電気なんか空気か水みたいに思っていましたが、このときほど、電気のありがたみが分かったときはありませんでした。
私は、こういう日常の些細なこと、ありふれたことにも幸せだなあとつくづく思うんですが、たいていの人は、
「生きている」 そんなこと当たり前でしょう。
「ビール」 スーパーからいくらでも買えるでしょう。
「マイカー」 日本では、一家に一台あるに決まっているでしょう。
「照明、テレビ」そんなの電気があるから当然でしょう。
全てがこうなんです。いま現在の状態は当たり前、当たり前だから、感謝のこころが涌かないのですね。
でも、こうしたことがあたりまえでしょうか。私にはあたりまえとは思えないのですよ。
今の「私の命」これは、私の父母、そしてそのまた父母と過去連綿と続いた命の鎖のおかげですね。
「ビール」だってこれが私の口に入るまでに、どれくらいの人の手を経ているでしょうか。
大麦を作る人、ホップをつくる人、そしてそれらを工場まで運ぶ人、工場でビールをつくる人、つくったビールを地域の店に運ぶ人、何十万もの人々のおかげで今日の夕食の冷たいビールが飲めるんです。
「電気」も火力、原子力、水力と様々な形態がありますが、私達のうちまで届くまでには、多くの人々の協力のおかげだと思うのです。
人間は感謝の心を持つと、物事に対してとても謙虚になります。
自分はいま大自然の目に見えない力で生かされている。ありがたいことです。
もったいないことです。
私達現代人は幸せへの感性がかなり鈍っているのではないかと、思うのです。
それは、感謝の心を忘れてしまったからです。
私は平成6年、山本福祉事務所に在職していたときに、関西地方にある施設で 目がみえない、耳が聞こえない、話すことができない、という三つの障害をもった女性と面会しました。コミュニケーションの手段はお互いの手の平にカタカナで文字を書いて意思疎通を図るというものでした。彼女のふるさとは山本郡でしたので、出身町のことを説明すると懐かしそうに
にこっと笑みを浮かべます。手のひらを通じての会話、それが彼女にとって、とても楽しいもののようでした。
彼女との会話を通じてもっとも印象に残っている言葉
それは「神様に生かされていて、私は本当に幸せです」と言ったことです。
三つの障害をもった女性にそういう言葉を言われて、私は当時、とてもショックを受けました。
私は、五体満足で、何不自由なく生活しているのに、ちっとも幸福感はありませんでした。
それどころか、日常生活での思い通りにならない不平不満でもんもんとしていました。
彼女のひとことで、深く、深く、自分の生き方を反省いたしました。
江戸時代、京都町奉行の与力であった神沢杜口(かんざわ とこう)という人が70歳になったとき、「翁草(おきなぐさ)」という随筆集を書いております。
自分自身の人生観や人間観を素直に語ったものでして、そのなかで彼は次のように述べております。
「知足は不足の中にあり、満足の人は、なおその上を貪るゆえに知足を知らず」
「足るを知る」という生き方は、満足を求める生き方の中にはない。
「満足」を求めることは、際限なくその上をむさぼるから、どこまでいっても限度がない。
不足のなかに満足を見いだすことが知足だというようなことを述べております。
貝原益軒も「楽訓」のなかで
足る事をしれば貧賤にしても楽しむ、足る事をしらざれば富貴をきわむれども、あきたらず して楽しまず」と言っていますね。
このように不足である方が「知足」の楽しみに生きることができる。
これは、ままならない人生に対して、肯定的、楽天的に生きるということですね。
今の時代に、私は神沢杜口が脚光をあびてもおかしくないのではないかと思っています。
というのは、今の時代、国、地方、民間会社とも、予算は毎年カットカット、残業代カット、人員削減、給与は少なくなる一方です。
このすべてが不足時代にいかに創意工夫をこらして、生きていくかというのは、まさしく
不足の中に知足を見いだすしかないのではないかと自分では思っています。
ちょっと余談になりますが、
太平洋戦争のとき、日本がしだいに敗戦濃厚になってきて、配給物資が底をつきかけて、段々少なくなって国民から不平不満が出たとき、政府がこんな標語を掲げましたよ。
「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」
政府も苦しいのだから、国民も足らぬ足らぬと文句を言わないで、工夫して生活しなさいと言うことなんでしょうね。
作家の内田百聞(うちだ ひゃっけん)の小説のなかに次のようなシーンがありましたね。
「米の配給が途絶えがちになり、今日のお粥は、ご飯がほとんどなく、お湯だけのお粥だった。
たまたま裏庭に雀が2羽きたので、妻がそれを捕まえて、夕食時に食べようとした。
でもね、雀を殺して空腹をしのいでどうなるのか、と思って、空に逃がしてやった」
戦争中は、みんな、このような乏しい食料事情のなかで、一日一日を必死に生きてきたんですね。
第一の数式と似ていますが、次のような数式もできますね。
S= PC / D S :満足 Satisfaction
第3の数式 PC :現状 Present condition
D :欲望 Desire
幸福の代わりに満足をもってきて、財産の代わりに現状をもってきました。
現状がままならないとしたら、欲望を小さくすることで満足が得られるという式ですね。
19世紀スイスの哲学者アミエルという人が「幸福の本当の名前は満足である」というようなことを言っているのですよ。
それで、この式をつくってみました。
今日は漫談ですので、ここいらで話題をがらりと変えましょう。
この顔、いい男でしょう。
県職員にしておくのはもったいない顔じゃないですか。
ここで拍手があると盛りあがるんですけどね。
(拍手あり) どうもありがとうございます。
ヨン様よりはちょっと劣るかもしれないけれど、
サン様とかニイ様くらいはあるでしょう。
マジメなはなし、自分では、楽天的に考えて、映画俳優になってもおかしくない顔だな。とおもっているんですよ。
ところで皆さん、男の俳優といえば、誰がかっこいいですか。
たぶん、神田正樹さんあたりが人気があるんでしょうね。
私も若い頃は、ルックスには自信があって、結構ハンサムだったんですよ。
皆さん、「粟津ごうさん」という俳優を知っていますか。個性派俳優ということで、ちょくちょくテレビにも出ていましたけどね。
惜しいことに、先年、亡くなりましたね。
その俳優の粟津ごうさんは私の母校である船越中学校の3年先輩でした。
うぬぼれかもしれないけど、粟津ごうさんよりは私の方がちょっとハンサムでしょう。
どこで歯車が狂ったのか、県職員になってしまいましたが、まだ、俳優の夢は捨てていないです。
オーデションがあれば、応募しようと虎視眈々とねらっています。
もう、名前まで考えているんですよ。
あの神田正樹には負けたくない。そんな思いから、
あの人が「かんだ」なら、私は「あんだ」としようと思いました。
カ行よりア行が先ですからね。
あの人が「まさき」なら、私は「まさか」とします。
「まさき」のきよりは、「まさか」のかが先ですからね。
さあ、これで名前が完成です。
続けて読んでみるとですね。
「あんだ まさか」 いい名前でしょう。
でもね、これを秋田弁でなまるとおもしろいんですよ。
「あんだ、まさが、俳優でねべな」の「あんだまさか」です。
退職すれば、この芸名「あんだまさか」で神田正樹と競演します。
でもね、私、この年で俳優はじめても、頭が固くて、なかなかセリフを覚えれないと思うんです。そこで私、夜も寝ないで、昼寝して考えました。
セリフ少ない役柄ないか、ありました。
認知症老人の役がいいなと思いました。
これから、高齢化社会がどんどん進めば、痴呆性老人が増えてくる。
そうなれば、映画にも登場する確率が多いに違いない、と思ったんですよ。
認知症老人の役は、「あんだまさか」の右にでるものはいない、というところまで芸を高めようかな、と考えています。
でもね、セリフ少ないと言っても、やはりセリフはある程度覚えなければいけないわけですよ。
そこで、もう今から暗記の練習しているんです。
皆さん、落語に出てくる寿限無という長い名前、ご存じでしょう。
あの長い名前を昨日の夜、暗記しましたので、試しに言ってみますね。
「寿限無寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助」
ああ、よかった。覚えていましたね。これで俳優になれそうですね。
この寿限無という長い名前ですけど、すべて意味があるんです。
まず「寿限無」は寿(ことぶき、歳)限り無し、つまり死ぬ時がないということ
「五劫のすりきれ」ですが、一劫というのは、三千年に一度、天人が天下(あまくだ)って、下界の巌を天人が羽織っている柔らかい衣でなでるのだが、その巌をなでつくしてすりきれてなくなってしまうのが、一劫ですよ。それが五劫というのだから、何億年何十億年ですよ。
「海砂利水魚」は海の砂利も水に住む魚も取り尽くすことができない。
「水行末、雲来末、風来末」は水の行く末、雲の行く末、風の行く末、いずれも果てしがない。
「食う寝るところに住むところ」は人間は衣食住のうち、一つがかけても生きてはいけない。
「やぶらこうじのぶらこうじ」は、やぶこうじという木があって、まことに丈夫で春は若葉を生じ、夏は花咲き、秋は実を結び、冬は赤き色をそえて霜をしのぐというめでたい木なんです。
「パイポパイポ~」は昔、中国の唐にパイポという国があって、シューリンガンという王様とグーリンダイというおきさきさまの間に生まれたのが、ポンポコピーとポンポコナーという二人のお姫様で、このふたりが大変長生きした。
「長久命の長助」は、天長地久という文字で、読んでも書いてもめでたい結構な字で、それをとって長久命、長く助けるという意味で長助もいい。
こういう風にちゃんと立派な意味があるんです。この意味をしっかり理解していれば、暗記もわりと楽ですよ。
皆さん、歳、取ったからといって、考えることをやめたり、記憶することを避けたりしていると、ますます脳が働かなくなったり、さびついたりしてしまいますから、なるべく使った方がいいですよ。
脳について、私こんな計算するんですよ。
1日に5時間 毎日、本を読むことにしてですね
1分間に500文字読む
1年間365日
5歳から85歳まで80年間 休まずに読書するとして(こんなことは不可能ですが、仮にできたとして)
一生で読む文字数は 43億8千万文字
500文字×60分×5時間×365日×80年=4、380、000、000文字
1文字は2バイト 8.76GB(ギガバイト)
第4の数式
一生かかって、読み続けても時間的な制約から、文字情報としては、およそ8.8ギガバイト程度の情報しか頭には入らないということです。
皆さんが家庭でもっているパソコンのハードデスクの容量はどれくらいでしょうか、
今でしたら、100ギガバイト前後はあるのではないでしょうか。
そうすれば、自分の頭に入る文字情報は一生読書し続けても、容量は8.8ギガバイト、
およそ家庭用パソコンの11分の1程度だということですね。
人間の脳の容量は約100兆ビットといわれております。
8ビット=1バイト
100兆ビット÷8=12.5兆バイト=12,500,000,000,000バイト
=12,500GB
脳の容量は12,500ギガバイト 一生の読書容量は約8.8ギガバイト
12,500÷8.8=1,420倍
第5の数式
脳の容量はこれほどもあるのに、それを殆ど使わないで、余したまんま、人間はあの世に行っているということですね。
20世紀最大の頭脳と云われたあのアインシュタインですら、せいぜい脳の全容量の5パーセントくらいしか使っていなかったという脳生理学者もおります。
人間が一生かかって処理できる文字情報量がせいぜい8.8ギガバイトしかないとしたら、
いかに自分に役立つ情報にすばやくアクセスできるか、という情報選択能力がこれからの社会では、重要になってくるのではないか。
インターネットはまさしく情報の洪水です。
世界中の国立国会図書館を手にいれたようなものです。
何かを知りたいという欲求、知的好奇心がなければ、全くの宝の持ち腐れです。
夢は、松坂慶子さんと競演することですね。
私が認知症老人で、松坂慶子が長男の妻とかいう役で、私を介護するというシーンなんか最高ですね。
でもね、天下の美女、松坂慶子におむつ交換されたら、私の下半身はどうなるでしょうね。
私が認知症老人の役で、4,5年後、テレビにあらわれるかもしれませんよ。
お楽しみにしてください。
今日、私の講演を聴いた皆さんは強制的にあんだまさか後援会の会員にさせていただきます。
年会費無料、会則はただ一つ、私がテレビに出たら、友人知人5人に「あんだまさかは神田正樹よりも演技がうまい」と言えばいいのです。ちなみに後援会長は、村上館長にお願いしますのでよろしく、、、
本論にもどります。
ここまでは、ありふれた物事のなかにも幸せはいくらでも見いだせるし、心の持ち方で幸せになれる、ということを説明してきましたが、
もっと、「積極的な幸せは何か」と考えるときに、私は、自分が動いて、他人を幸せにすることが、自分の幸せ、喜びにつながるということをボランテア活動をしている人々とのふれあいや自分の体験を通じて感じているのです。
私、各町村で開催するボランテア研修会に講師としてよく出席するのですが、ボランテア活動を続けている皆さんは、本当にいきいきとしていますね。
施設で高齢者のお世話をすると、高齢者が笑顔で「ありがとうございます」とこたえてくれる。
「これが最大の報酬です、これ以上の報酬はないです。」というようなことを言うのですよ。
他人の幸福、喜びが自分の幸せ喜びになっているんです。
これは、何もボランテア活動だけに当てはまるものではないと思います。
日常の生活をおくるにあたっても、いかに他人を幸せにしたか、喜びを与えたかが、自分の幸せにつながると私は常々思っています。
夫婦で長年暮らしているとき、妻を幸せにすることが自分の幸せとなりますし、こどもたちが幸せな人生をおくることができれば、嬉しくなりますよね。
妻からのバレンタインデーのお返しのホワイトデイには、春物のサマーセーターをプレゼントしようかと考えています。春物のサマーセーターって言い方おかしいですかね。
自分が行動することによって、自分を取り巻く人々が幸せになれば、それだけ自分の幸せが大きくなる。こんなことが言えるのではないでしょうか。
一人でおいしいご馳走をいっぱい食べたところであまり幸せ感は沸かないですね。
ところが、家族とか親戚一同が集まって、自分以外の人々が「おいしいおいしい」と言って幸せそうに食べたら、自分も嬉しくなりますね。
そこで次のような数式を考えました。
それはですね、アインシュタインの有名なエネルギーと質量の関係式
これをヒントにしまして、
E = m C2 E エネルギー
m 質量
C 光速
H = b O2 H 人生の幸せ総量 Happiness
第6の数式 b 行動量 behaviour
O 他人の幸せ総量 Others` happiness
つまり、自分の幸せの大きさというのは、他人をいかに幸せにしたか、自分の行動量と
他人の幸せ総量の2乗できいてくると思うのです。
年老いて、余命幾ばくもない体となり、ベッドに横たわったとき、「もっと金を稼いで財産を残せば良かった」と思う人はいないと思うのです。
その時、考えることは、「自分は、生まれてからこの歳になるまで、いったい何をしてきたのだろうか、私の人生において、自分と関わった人々に幸せや喜びをいくらかでも与えたのだろうか」多分、私だったら、そんなことを考えると思うのです。
そのとき、ベッドの脇で、妻が「あなたは、家族をはじめ、回りの人々にいっぱい幸せや、喜びをあたえたのよ」と言ってくれれば、「自分の人生には意味があった」と実感できますし、この世を去るに当たって何の後悔も憂いもないですね。
アインシュタインというと、誰もが思い出すことは、相対性理論を完成させた人ということですね。
で、彼は相対性とは何かと聞かれてこんなことを言っております。
熱いストーブに一分間手をのせてみてください。
まるで、一時間のように感じられるでしょう。
ところが、かわいい女の子と一緒に一時間座っていても、一分間くらいにしか、感じません。 それが相対性というものです。比喩がうまいですね。
こんなことも言っていました。
「私は一日に100回は自分に言い聞かせます。
私たちの精神的ならびに物質的生活は、他者の労働のうえに成り立っているということを」
20世紀最大の頭脳と言われたアインシュタインがとても謙虚で人間味あふれる言葉を残していますね。
ここで、自分の生い立ちにちょっと触れたいと思います。
私には、いまだに心に残っている保育所のころの思い出があります。
私は男鹿市で生まれまして、5歳で船越保育所に入りました。
人見知りする、引っ込みじあんの子どもでしたので、母親はとても心配していました。
私の家は保育所の玄関から150メートルくらいの近くにあるんです。
保育所に行っても、集団に入れず、いやになって途中で帰ってくるのではないかと思っていたようです。
でも、その保育所には串本先生という女性の所長がいました。
串本先生はどういう訳か、私をみると、よく声をかけてくれるのです。
もしかしたら、保育所のなかで、私が一番坊ちゃんらしくて可愛いかったからかな。
これはないな。
「おはよう、保育所楽しいでしょう」とか「今日は何して遊んだの」とかそんな他愛のないものだったようです。
でも私にしてみれば、それがうれしくてうれしくて仕方がなかったのです。
だって、この保育所で一番えらい先生が私に話しかけてくれるわけですから。
帰るときにまた、先生に話しかけてもらいたくてわざと所長室の付近を通って窓越しに先生を見ていたときもありました。
先生は、私の姿に気づくと席を立ってきて、「あら、ひろおちゃんどうしたの、明日も来てね、先生、待ってるわ、さよなら」
その声を聴くと、一目散に走り出して家に帰りました。
先生はいつも紺色のスーツをきて、銀縁のメガネをかけて、にこにこと笑みをたやさない人でした。私56歳になったのですが、今でもその顔と姿をはっきりとおぼえています。
ついでに言いますが、担任の先生の顔も名前も全然覚えていません。
でも、今、冷静に思うとですね。
串本先生は、私だけをえこひいきして声がけをしたんじゃないでしょうね。
多分、ちょっとひ弱そうな子どもには、誰にでも声をかけていたんじゃないかと思います。
だって先生のように立派な人がえこひいきするとも思えませんからね。
ということはですよ。 先生が船越保育所に在任している年数を私はわかりませんが、
先生の行為を心に刻んでいる人が大勢いるということですね。
私は、串本先生に恩返しは、できないのです。もうこの世には、たぶんいないでしょうから、、、
でも先生の他人を思う心、優しさは、しっかりと受け継ぎました。
だから、私としては、その優しさを今度は、誰かにすればいいのですね。
串本先生への恩返しという意味になるのかな。いま、こんなボランテアをしているんです。
私、毎年秋になると仕事として、管内の保育所監査のため、保育所を訪問しておりまして、
所長さん方と話し合っているのですが、その中で、危機管理とか、不審者対策とかの話が必ず出るのです。
今、全国で子どもが被害にあう事件がいっぱい報道されていますね。
たまに職員会議で話し合うことはあるようですが、いざ、自分の保育所がそのような状態になったら、パニックになるでしょうね、などと所長は話します。
そこで、私、考えたのです。不審者が入ってくれば、すぐに警察に電話したとしても、
警察官が保育所にかけつけるまで、最低10分から15分はかかります。
その間は、所長とか、主任保育士が不審者に立ち向かわねばならないのです。
他の保育士たちは、こどもたちを避難させるために無我夢中でしょうからね。
その10分、15分の間、腕力の弱い女性の強力な助っ人として、刺股があればいいと思ったんですよ。
私、木工が趣味ですので、試作品をつくって、一番近くの昭和町立中央保育園に持っていったらですね。所長さんから、すごく喜ばれたのですよ。
長さが2メートルありますから、不審者が刃物をもっていても、届かないのです。
それに、木でつくってありますから、軽いです。約1キログラムですから、腕力の弱い女性でも楽に持てるのです。
インターネットで刺股を調べて見ましたが、高いですよ。
3万円から4万円はしますね。今、どこの市町村も財政難でしょう。
欲しいといっても、なかなか買ってもらえないのです。
昭和町にはもう二つ保育園があったので、次の日曜日にまたつくって持っていきました。
こうやって、ボランテアで、管内の保育所すべてに贈呈しようかと考えています。
所長さんたちが、とても喜んでくれるので、それが嬉しいし、最大の報酬ですね。
趣味の木工で棚とか、本箱とか、椅子など自分のものばかりつくっても、喜びはたかが知れています。そんな喜びは、小さいですね。
でも、他人が喜ぶようなものを作れば、自分のものをつくっているより、はるかに喜びはおおきいですね。
今、趣味の木工の話をしましたが、私、もう一つ3年前、あるきっかけから花が大好きになりました。
平成14年4月1日、私は秋田市にあります児童相談所から昭和町の秋田中央健康福祉センターに異動となりました。
4月8日、管内での会議後、懇親会となりましたので、車を置いて秋田市に帰宅し、翌朝は、列車に乗り大久保駅におりました。
駅には、タクシーは待機していなかったので職場までは2.5キロくらいあるのですが、やむなく、歩くことにしました。
道路端には春の日を浴びて土筆がいっぱい咲いていました。
初めは土筆しか目に入らなかったのですが、歩くにつれ、土筆のとなりに小さな紫色の花があるのに気がつきました。
その花が目にとまったので、その花を探すようにして歩いているとですね、土筆のそばにはいたるところにその花が咲いていました。
そして、ある土手に来たら私は思わず立ち尽くしてしまいました。
土手一面、広さで8畳もあるでしょうか、その花で覆われていました。
あまりにも見事に咲き乱れていたので、その中の1本に話しかけました
「あなたの清楚な姿に感動しました。是非、私の机の上で一緒の時間を過ごしましょう」
すると、その1本の花は、風にたなびきながら頷いてくれましたので、摘んで職場に持ち帰り、 女性職員からコップを借りて水を入れ、その1本の花をさしました。
土手に咲いていた野の花でしたが、机の上において眺めていると、とても風情があり、花屋さんの花に負けないくらいの存在感がありました。
たまたま、書類を持ってきたある課長が机の上の花を見て、「これは姫踊子草ですね」と、さりげなく言いました。
翌日も懇親会付きの会議があったので、車を置いて帰りました。
また明日は列車通勤になりますが、全然苦にならないどころか、翌日が待ち遠しくてしかたがありませんでした。あの道端の土手で咲いている姫踊子草にまた会えると思ったからです。
翌朝、大久保駅からゆっくりと土手の姫踊子草を眺めながら歩きましたが、
道端の土手には、心ないドライバーが捨てたであろう空き缶やビニール袋、ゴミなどが散乱していました。でも私は姫踊子草だけを見つめようとして歩いていたので、そういうゴミはあまり気になりませんでした。
私にとってこの土手は、姫踊子草が咲き乱れる素晴らしい土手なのです。
4月13日土曜日の朝、私は手形住吉町にある県職員公舎付近を散歩しました。
私はがく然としました。
なんと、そこにも姫踊子草がいっぱい咲いているのです。私はこの公舎に住んで12年にもなります。
こんなに近くに姫踊子草がいっぱい咲いているのに、これまで全く気がつかないでいた。
「姫踊子草に申し訳ない」という気持ちでいっぱいになりました。
私の実家には、母が一人暮らしをしているので、毎月2、3回夫婦で訪れます。
4月27日(土)実家に行きました。そこで、私はあ然としました。
なんと、実家の玄関前にも姫踊子草が咲いているのです。
平成14年4月の人事異動で昭和町にこなかったら、そして飲んだ次の日、職場まで歩いて行かなかったら、私は一生「姫踊子草」の存在すら知らずにあの世に行っていたことでしょう。
このことがあってから、私は野の花を求めて毎朝、自宅付近を散歩するようになりました。 姫踊子草が咲いているのはわかる。しかし、それ以外の花もきっと見つかるはずだ。
そう思って道端を見つめながら歩いていると、次々といろんな草花が見えてきます。
十二単、白詰め草、菜の花、タンポポ、鈴蘭、春紫苑、マーガレット、名前のわからない花、、、 名前の分からない花を見つけると、その名前が知りたいので、その花を3分間凝視し脳細胞に焼き付けます。そして週末に図書館に行き、花図鑑でその花を探します。
名前が分からないので、花図鑑全部のページを見なくてはなりませんが、そうして苦労して名前を知ると、その花は完全に「心の庭に咲く花」となります。
心の庭にいっぱい花を咲かせたくて、目を皿のようにして道端を見つめながら、毎朝散歩していました。
私が姫踊子草を発見した土手と私との関係を人間関係に置き換えてみてはどうでしょうか。夫婦、嫁姑、親と子、上司と部下、同僚同士などです。
この人には必ず長所、美点、良いところがあるはずだ、そうかたく思って接すると必ずそれが見えてきます。
反対に欠点、短所、良くないところ、それだけを見つめようとすれば必ずそれが目につくものです。
私が歩いた大久保駅から職場までの道端の土手を思い出して欲しいのですが、
空き缶、ビニール袋、ゴミなど、ばかりに目を取られていたら、なんて汚い土手だとなります。
しかし、野の花を発見することに喜びを感じていたら、姫踊子草、土筆、野の花が咲き乱れるなんて素晴らしい土手なんだというふうになるはずです。
同じ土手です。
見る人の、心のもちようによって土手はどうにでもなります。
人間関係も同じような気がします。
今から20年も前になるでしょうか、日曜洋画劇場の解説者として有名な映画評論家の淀川長治(よどがわ ながはる)さんをご存じですか。
番組の最後にかならず「さよなら、さよなら、さよなら」というので有名でしたね。
彼は次のように言っています。
「私はいまだかつて嫌いな人に会ったことがない」
人間関係の原則は「嫌がるから嫌われる、好きになるから好かれる」です。
ある時、彼は旅先の旅館で一人のんびりと風呂に入っていたら、入れ墨をしたやーさんが入って来たそうです。一瞬嫌だなと思ったが、そこをぐっとこらえて
「あなたのデザインは素晴らしいですね」と言ったそうです。
そしたら、さすがのやーさんもにっこり笑って「体が暖まるいい湯だね」と答えたそうです。
いずれ、一度しかない人生を楽しいものにするには、自分の回りに好きな人をいっぱいつくることではないかと私は思っております。
姫踊り子草との出会いから、花が好きになり、野の花を摘んでは、花瓶にさして楽しんでいたのですが、あるとき、妻から「花瓶にさすだけなら誰でもできるでしょう、フラワーアレンジメントを習ったら」と言われたのです。
そしたら、たまたま、遊学舎でフラワーアレンジメント教室があるというので、すぐに申し込みました。
20人募集ということで行ってみたら、男性は私一人、あとはみんな女性でした。
そしたら、40代くらいの女性の講師がですね、「私のフラワーアレンジメント教室に男性がきてくれて嬉しい」ということで、他の19人の女性は適当にしておいて、私に、いろいろと手取、足取りではないですが、教えてくれるのです。
この色はこのポイントではなく、後ろに持って行ったらとか、グリーンでオアシスを見えなくなるようにさしていってとか、フォーカルポイントには、一番見栄えのする花をもってきてね、基本どおりでは、つまらないから、ちょっと変化させてみて、など
さらには、アレンジの基本スタイル、トライアンギュラー、ホリゾンタル、バーテイカル、パラレル、クレセント、エルシェイプなど
3時間の教室で基本をしっかりとマスターしました。
そうしてできあがった作品をもって自宅に帰ったら、妻がびっくりしたんです。
「これ本当に裕夫さんがいけたの」
ちょっと注釈、私たち夫婦は昨年銀婚を迎えましたが、新婚以来ずーっとお互いに名前にさんをつけて呼び合っているんですよ。
このこと、夫婦関係をしゃべりはじめたら1時間かかりますので、今日はやめます。
私の夫婦関係論、21世紀の夫婦のあり方など、おもしろいですよ。
機会がありましたら、是非呼んでください。
「そうだよ、先生にセンスがいいと誉められたよ」とか言っておきました。本当はほとんど先生のアドバイスどおりやっていたんですが、、、
今、フラワーアレンジメント教室で腕を磨いています。
私の先生は澁谷とし子先生といって、とても教え方がうまくて、テレビにもでるような有名な先生なんですよ。
目標は、腕を磨いて、毎年11月にアトリオン地下で開催される秋田県花の祭典に自分の作品を出品することです。
(演台の)この花、私が朝いけてきたのです。
主催者が準備したのではないですよ。
有名な講師が講演する場合は、脇に素敵な花などを置いたりしますよね。
でも、私は、まったくの無名ですので、誰も、花を飾ってくれないのです。
しようがないから、自分でいけてもってくるのです。
それで、この花、せっかく12、500年前に予約してくださって、私の話を聞いてくれたお礼に会場の誰かにプレゼントしますから、お楽しみにしてください。
確率100分の一ですから、宝くじ当たる確率よりは高いですよ。
これまで、「ささやかな幸せ」、「他人の幸せ」について話してきましたが、
もう一つ、「今、現在生きている」
このことだけでも「充分幸せなこと」ではないか、と私は思うのです。
ところで、お笑いの所ジョージさん、よくテレビに出ますからごぞんじですよね。
彼の言葉をインターネットで見たんですが、彼は次のようなことを話しているんです。
「高校のとき、何もやることねえなあ、つまんねえなあ、って家でごろごろしていた時代があったんですよ。何でこんなにつまんねえんだよ、と自問自答したら、おまえがつまんねえからだと返ってきた。そのとおりだと思ったね。何もしないで待っていても何もないわけ。とりあえず何でもいいから、動かなきゃいけないて。
たとえば、その結果ひどい目に遭ったとするじゃない。でもそれも私にいわせれば幸せなんですよ。だって、生まれてきたことが幸せなんだから、何かが起こるということは全部幸せなの。
生まれてこなければ、経験できないでしょう。
もし、試験に落ちても、病気になっても、私はみんな幸せだと考えればいいと思うんですよ。
その人にしかできない経験でしょ。」
こんなことを話しているんです。
私、彼のこの話を聞いて、お笑いやったり、ふざけたりの彼の映像からのイメージとは別のまなざし、尊敬のまなざしでみるようになりました。
ところで、「皆さん、幸せですか。」
幸せですか、と聞かれて、「はい、とっても幸せです。」と胸をはって答えれる人は、あまりいないのではないでしょうか。
「人生は楽しむためにある」、56年も生きてきて、最近、こう思うようになりました。
一度しかない人生、楽しまなかったら、何のために生まれてきたのか、わかりません。
日常生活していれば、嫌なこと、おもしろくないこと、嫌な人との出会いなど様々ありますよ。
でもね、それらをひっくるめて楽しむんです。
仏教では、愛別離苦、怨憎会苦といって、愛する人と別れること、嫌な人と会うことを苦だといっていますが、確かにつらいことだから、苦かも知れませんが、
私は、すべて、人生という舞台で主人公の自分を引き立ててくれるなくてはならない脇役だと思っているんです。
映画でいい人ばっかりだったら、映画は成り立ちませんし、美人ばっかりでもつまらないですよね。
松島菜々子さんもいるし、泉ピン子さんもいるから、映画がおもしろいんですよ。
こんなこと言ったら、泉ピン子さんに叱られるかな。
いい人、良くない人が適当にばらまかれているから、映画っておもしろいと思いますが、
自分の人生も、そのように思えば、悩むこともないのではないでしょうか。
悩みについて、私の考えを言わせてもらえばですね。
同じことでも、ある人は悩み、ある人は全然意に介さないということがありますね。
この差は何か、と考えるときに私は、その人間の腹の大きさ、人間としての器の大きさではないかと思うのです。
一言でいえば、腹の大きい人は腹を立てない、腹の小さい人はささいなことでも腹を立てる
のではないでしょうか。
例えば、他人に「米谷は馬鹿な男だ」と言われたとしますね。
「言いたい奴には言わせておけばいいでしょう、人の口に戸を立てることはできないからね」と思えば腹も立たないですね。
それを「私を馬鹿な男と言っている、悔しい、何で俺が馬鹿なのや、ようし、みておれ、そのうちあいつのことを、とことん悪く言ってやるからな」こういうふうになると、心が乱れ争いのもとになりますね。
腹を大きくして、最初から意に介さなければ、どうってことはないのですよ。
そこで、こんな数式をつくりました。
T=N/MC T 悩み Trouble
N 嫌な事 Nastiness
MC 腹の大きさ Mental Capacity
腹を大きくする訓練をすれば、この世から悩みはなくなります。
腹を大きくする訓練方法はですね。
ものごとにこだわらない
くよくよしない
他人の評価を気にしない
なるようになるさ、なるようにしかならない
損得計算をしない
こんなことを意識してやれれば、腹はどんどん大きくなりますよ。
だいたい、短い一生でやることがいっぱいあれば、悩んでいるヒマなどないはずですね。
だいぶ、前のテレビで、タレントの古館伊知郎さんがおもしろいことをいっていました。
「人生なんて、臨終までのひまつぶしさ」だって。
たしかに、彼のいうとおりかもしれませんね。
なにもないと、ひまでひまでしようがないから、神様が、いろんな人に巡り会わせたり、悩みを適当に与えてくださっているのではないでしょうか。
このように、人生を達観したら、いままでとは、違った生き方がみえてくるのではないでしょうか。
私、子どもの頃、チャンバラが好きで、織田信長とか、上杉謙信、武田信玄などにあこがれていました。
彼らは、みんな50歳前後で死んでいるんですね。
織田信長
「人間50年、下天のうちに比ぶれば、夢幻のごとくなり、ひとたび、生をうけ滅せぬもののあるべきや」
上杉謙信
「人生49年、一睡の夢」
武田信玄
「俺の死を3年隠せ」 天下統一の野望途中
だから、幼心(おさなごころ)に、人間は50までしか、生きられないんだと思っていました。
今、私は56歳です。6年も得した気分です。
50歳過ぎたら、いつ、お呼ばれがきても、おかしくない、文句は言えない、と思って毎日
生活しています。
だから、神社とかで、お参りするときは、いつも
「これまで、生かしていただきまして、ありがとうございます。」とだけお祈りします。
お願いは絶対に言わないことにしています。
ついでに言いますが、正月3が日の初詣でいろいろと願いごとをするようですが、
子どもが大学に合格しますようにとかは、もっとも一般的な願い事ですよね。
でもね、よく考えて欲しいのですよ。
自分の子どもが大学に合格するということは、確実によその子ども一人が落ちるということになりますね。
神様は、万人に平等であるはずです。
ある子どもを合格させて、ある子どもを落とすなどということを神様はするだろうか、
私は、しないと思うのです。
私は、神社でお参りするときは、感謝の念をしっかりと神様に伝えたいといつも思っています。
自分という人間が、大自然といいますか、目に見えぬ意思の力で、この世に生を受け、そしてこの歳まで、生かしてもらった、生かされている、それを誰に感謝すればいいのでしょうか。
神様がいると思われる、神社がもっともふさわしいと思っています。
50歳すぎて、生かしてもらっている、これだけで充分です。
だから、一日一日を大切に生きています。
こんな自分が、生かされている、ありがたいことです、もったいないことです。
二度と帰ってくることのない一日一日をかみしめるように生きています。
かみしめるように生きるとは、どういうことかというとですね。
その瞬間、瞬間を楽しむということです。
その日、その日を楽しむ、楽しいものにするためには、楽しみをさがせばいいと思うんです。
仕事、家事、各種作業など、どんなことの中にも、楽しいと思う要素があります。
それを自分で探せばいいんですよ。
たとえば、私の仕事、8時半~5時半まで、部下から決裁書類が、次から次とあがってきます。
たまっている書類、やっとかたづけたと思ったら、また、次の書類が来る。
うんざりすることがありますが、ここで、遊び心を発揮するんです。
今は、手書きの書類はないです。全部ワープロですから、文書がきれいなんですね。
だから、つい、見落としがちなんですが、結構、まちがい、ワープロの変換ミスがあるんです。
この前、なかなか、意味がわからないので、悩んだものにこんなのがありました。
奈津子(奈津子、奈良県の奈と津波の津と子ですね)と道路の路といった、単語があったんですよ。よく読んでみたら、夏頃のまちがいでした。
痴呆性老人と書くべきところを 地方性老人、ある地方の老人となりますね。
夢中 と書くべきところを 霧中、霧の中、、、
主席主査と書くのが、酒席主査、
私の職名 企画福祉課長なんですが、その企画を規格、高規格道路などという時につかう規格と変換した人もいました。
昔の母子寮、今の母子生活支援施設を 母子生活私怨施設
請求するを 性急する。
指導員 を 始動員 協議会を 競技会
楽しみを増やすには、それで、ああ、おもしろかったで終わらないで、記録するんですよ。
「変換ミス傑作集」こんな題名で早速、自分のパソコンにファイルをつくりました。
そうするとですね。
この傑作集をおもしろくするためには、変換ミスの単語がいっぱいないとおもしろくないですね。
ですから、書類があがってくるのが楽しくなるんです。
どんな変換ミスを発見できるか、そんな意識で書類をじっくりと見ると、辛い仕事が楽しみに変わりますね。
こんな楽しみ方もあります。
私、福祉事務所勤務が20年以上にもなりました。
福祉事務所って、会議、研修、打合せ、検討会、などと、会合が多いんです。
話が、長くて、一度、話すと停まらない人がいますね。会議とかで、、、
同じ話の繰り返しでうんざりするのですが、そんなときの楽しみ方です。
話のくぎりに使う言葉を、メモするんですよ。
でも、あの、それから、そんなわけで、えーと、まあ、じつは、というわけで、それで、
だから、なので、、、、このような接続詞をえんえんと使い続けるから、終わらないのですよ。
「私は、この件については、このような理由から、こうすべきだと思いますが、いかがでしょうか。」ときちんと自分の考えをまとめることができないから、口からでまかせで、思いつくことをただしゃべっているだけなんですよ。
回りの人が、その話にうんざりしたような顔でつきあっている、これはもう、時間泥棒ですよ。私に言わせれば、、、、
それから、話の長い人って、同じことを何回もくりかえして話すんですよ。
同じ内容のことをですね。
ですから、正の字を書いていくんですよ。
ああ、また、同じことを言った。
そうやって、この人、同じことを何回言えば、気が済むのかな。
とからかい気味に、正の字を書いていくんですよ。
そうすると、くだらない発言にたいしても、けっこう退屈しないし、楽しいですよ。
プロ野球の新球団を設立した楽天の三木谷社長の企業経営のコンセプトを調べてみたのですが、5つありました。
(1)常に改善、常に前進
(2)Professionalismの徹底
(3)仮説→実行→検証→仕組化
(4)顧客満足の最大化
(5)スピード!!スピード!!スピード!!
スピードの次にエクスクラメーションマーク、感嘆符が二つあるんです。
いかにスピードを重要視しているかが、わかります。
ちなみに楽天の会議は、一人の発言時間が30秒だそうです。
自分の考えを30秒以内でまとめれないような人は、楽天ではいらないよ、ということでしょうか。
そして、会議は、どんな重要な会議でも30分以内と決まっているそうです。
佐賀鍋島藩の藩士山本常朝(やまもとじょうちょう)が葉隠のなかで
「七息思案」ということを言っております。
鍋島藩の武士は、常日頃から修行をおこたることなく、何かことが起こり、決断をしなければならない状態になったときは、
7つ息を吸う間に決断を下せ、という教えです。
このことばなどは、優柔不断な人には是非聞かせてやりたいですね。
幸せを考えるとき、私はいつも、思うんですが、他人と比較していたら、いつまでたっても、幸せを感じることは難しいのではないかと思うんです。
幸せは、自分の心が決めることなんですが、どうしても、我々は、他人との比較のなかで、幸せを確認してしまうという、悲しいサガがあるのではないでしょうか。
中国に「此上不足(ピサンプツ) 此下有余(ピシャヨウエイ)」という格言があります。
上と比較すれば足りないが、下と比較すると余るほどある。
私の生活、私の住まい、知事と比較したら、そりゃ、みすぼらしいですよ。
ところで、皆さん、私、どんな家にすんでいると思っていますか。
福祉環境部の課長だから、さぞや、豪華な家に住んでいるとお思いでしょうが、とんでもないです。
私は、建坪16坪(52㎡)のアパート形式の職員公舎4階に住んでいます。
部屋は4畳半二つと6畳一つそれに簡単なキッチンがついています。
夫婦が4畳半で寝起きしました。4畳半といっても、タンスとか机もありますから、実際は3畳です。
敷き布団はかろうじて重なりませんが、掛け布団は重なります。
娘二人は、4畳半の部屋を二人でつかい、高校卒まで過ごしました。
勉強机二つおいて、布団をしいて寝るんです。
居間の6畳は、テレビ、テーブル、椅子、サイドボード、洋服ダンス、ロッカー、アイロン台などがありまして、私が寝そべってテレビみるスペースはないです。
でも、慣れてしまって、狭いとも何とも思わないですね。
狭いから、家族4人がそれぞれ、他の家族が今どこで何をしているのか、すべてわかりますね。
負け惜しみかも知れませんが、大きい家に住んでいて、それぞれが自分の部屋をもち、テレビ、ビデオ、パソコン持っていて、食事すれば、あとは、それぞれの部屋で過ごす。
部屋のドアを閉めると、完全に他の家族と遮断される、誰が何をしているのか、誰もわからない、、、、というような家庭よりは、家族の絆が強くて、私の家がいいと自分は思っています。
よく、10年も引きこもりしている子どもがテレビで放映されますが、私の家は、小さくてせまくて、ひきこもりようがないです。
このような小さな住まいでも、知事公舎と比較しないで、ホームレスの段ボール小屋と比較すれば、広くて快適そのものです。家族四人住んでもおつりがきますね。
こういうふうに考えるのが、プサンプツ、ピシャヨウエイなんです。
「隣の庭のバラは赤い」といいますが、どうしても、他人は、よく見えるものなんですよ。
「隣の家に蔵が建つと、うちは腹が立つ」などと昔の人は言いました。
こんなことをいうフランス作家もいました。
「自分が幸福で満ち足りているだけでは、人間は満足しない。
近くに不幸な人がいないといけない。」
以前、一億総中流という言葉がはやりましたよね。
殆どの人が、中流の生活をしていれば、誰もが、幸せとは思わないんですね。
それが、当たり前だから。
東南アジアの国で、50㏄のバイクを手に入れて、幸せそうに、暮らしている人をテレビで見たことがあります。その地域では、自転車さえ、もてないほど貧しい人々が暮らしていた。
その社会のなかで、バイクを持つことができた。これって、最高の幸せですよね。
他人との比較をやめたとき、心が楽になります。
私の好きな短歌に
石川啄木の
「友がみな 我より偉く 見ゆる日よ 花を買い来て 妻と親しむ」というのがあります。
啄木の挫折した、心が見事に表現されていますね。
友達が偉くなると、自分がみすぼらしくなって、いらいらするのですが、そんなとき、花を買って、妻と見つめていたら、小さな幸せに浸ることができた、、、
今、他人のことを話題にしましたが、他人って、なかなか、自分の思い通りに動いてくれないし、そんなことでいらいらすることって、日常生活のなかで多いんじゃないかと思います。
他人を変えようと思っても、なかなか変わらないですね。
「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられます」
変えられないことにエネルギーを浪費するよりも、変えられることにエネルギーを集中した方がいいのではないかと私は思います。 自分を変えることは、自分の意思でできますから、わりと簡単です。 で、自分が変わると相手も変わることがよくあるんですよ。
私、本が好きで良く図書館を利用するのですが、CDも借りて音楽を聴いているんです。
本は2週間、CDは1週間で返さなければいけないことになっているんですが、
どうしても、1週間ごとにいくのがめんどうくさいので、本と一緒に返すことが多いのです。
いつも、遅れて返すのですから、かならず、係の女性に注意されます。
「期限が過ぎています。期限内に返してください、次からは期限をまもってください。」
と必ず言われるのですよ。
こっちが悪いから、文句は言えないのですが、注意されるとあまりいい気分ではないですね。
そこで先日は、やり方を変えました。
先にこちらが、お詫びしたのです。
CDを返す前に「すみません、期限に間に合わなくて申し訳ありません。」と謝ったんです。
そしたら、係の女性「少しくらいなら、いいですよ。けっこう遅れる人多いんですよ」と笑顔で答えてくれました。
いつもは、きつい言葉で注意されるのに、こちらが、低姿勢で接したら、相手が笑顔で答えてくれました。
アクションを起こす前に、相手の心を開かせる一言、それからアクションを起こすことの大切さを学びました。
「人間の心は、パラシュートと同じです、開いてくれなければ役に立たない」ですね。
私たちは、対人関係で、困ったことがあると、「相手が悪い、相手が変わってくれればいいのになあ」と思うことがよくありますが、
まず、自分が変われば、自分の行動や、態度を変えれば、その反動で相手が変わるということを、図書館での、ささやかな出来事から、発見しました。
夏目漱石は、草枕のなかで、「人の世をつくっているのは、神でもなければ、鬼でもない、むこう3軒、両隣にちらほら、すんでいるただの人間である」というようなことを言っています。
自分の人生を楽しく、快適なものにするには、この「向こう三軒両隣にすむ人々」といかに良好な人間関係を築くかにかかっていると思います。
私ごとになりますが、昨年10月に弟が住んでおります静岡県に旅行しました。
新居の関所跡を訪問したら、守衛さんに、「すぐそばに旅籠紀伊国屋があるので、そちらも是非見学してください」と言われたので、夫婦、弟の3人で歩いていきました。
観光ボランテアが私たちについてくれて、江戸時代の参勤交代の状況、東海道53次の宿の実態などを丁寧に説明してくれましたので、江戸時代の宿の格付けが分かりました。
大名が泊まるのが「本陣」
家来が泊まるのが「脇本陣」
一般の人が泊まるのが「旅籠」 (はたご)
旅籠にも泊まれない人が泊まるのが「木賃宿」 (きちんやど)
これは、燃料の薪代だけを支払って、自炊して大部屋に雑魚寝するところです。
それにも泊まれない人は「茶屋」に泊まったそうです。
茶屋はお茶とかだんごを飲食するところだったのですが、旅人の要望に応じてお上に内緒で泊めたそうです。
畳の部屋を歩いていたら、床の間にある掛け軸に目がとまりました。いい言葉が並んでいたんですよ。
山あれば山を観る
雨の日は雨を聴く
春夏秋冬
あしたもよろし
ゆうべもよろし 種田山頭火
この句に見とれてしまいました。
自分なりにこの句を解釈してみるとですね
旅をしていたら、山があったので、しばしたたずみ、その山をじっくりと見つめた。
雨が降ったので、立ち止まり、雨の音に耳を傾けた。
春も夏も秋も冬も、それぞれに個性を発揮していて素晴らしい季節だ。
明日、どこを旅しているか、知らないがきっと楽しい一日となることであろう。
夕べ、野原のなかに見つけた掘っ立て小屋で夜露をしのいだが、月のきれいな夜であったなあ。
行く雲、流れる水、行雲流水(こううんりゅうすい)のような、そして、なにものにもとらわれない自然な生き方ではないでしょうか。
この世に存在するものすべてを受け入れ、すべてを肯定する。
あれは嫌、これも嫌、この人は嫌、あの人も嫌、、、、
我々は、こうやって一日一日を過ごし、そして命を削ってはいないでしょうか。
山頭火の俳句は、575にとらわれない自由律の句です。
多くの人を感動させるような俳句をいっぱい残しています。
私の好きなのを紹介しますと
からす鳴いて わたしも一人
分け入っても 分け入っても 青い山
酔うて こおろぎと 寝ていたよ
銭がない ものがない 歯がない ひとり
明日は 明日のことにして 寝ましょうよ
さて、どちらへ行こう 風が吹く
たどりきて いまだ山麓
山頭火は、生きている喜び、生の肯定、自然のなかの人間など
索漠たる世の中で、心が洗われるような多くの俳句を残しております。
あの将棋の升田幸三九段が将棋界の最高位である名人になったとき、本を出版しておりますが、その中で、山頭火の「たどりきて 未だ山麓」という言葉を引用しております。
自分は、確かに名人になったけど、将棋という大きな山のふもとにたどり着いたにすぎない、頂上はまだまだ先にあるよ、という謙虚な姿勢が印象的でした。
名人といえば
あの落語の名人、三遊亭円生(えんしょう)が言っていた言葉
「生きている間は勉強です、うそではございません、一日でもうまくなって死にたい」
これなどは、本当に、人生どのように生きるべきかの手本のような言葉ですね。
皆さんの回りには、自分より優秀な人間が大勢いると思いますが、そんなことは気にする必要は全然ないです。
でもですね。去年の自分よりも今年の自分が優れていない、進歩していない、ということだったら、これはもう恥としなければいけないと私は思います。
三遊亭円生じゃないけれど、やはり、人間、死ぬまで、自分を磨いていくという姿勢が大事だと思うんです。
生涯学習とはまさしく、去年の自分より今年の自分が賢くなっているということです。
南部公民館は、社会教育や生涯学習がとても盛んだと聞いておりますが、やはり、地域をあげての取り組みが学習意欲を盛り上げて行くのではないでしょうか。
弟宅を訪問しての旅籠紀伊国屋の話をしましたが、弟の嫁さんはじめて男鹿市にある私の家にきたときに
母が「うちのがっこだ。たべでけれ」と言ったら嫁さん「はあ、がっこう食べるのですか、小学校とかのことですか」
と言うのですよ。
そこで、私が解説してやりましたよ。
秋田では、漬け物のことを神世の昔から「がっこ」というの。
秋田の人と結婚するなら、秋田弁の日常用語くらい、ちゃんと覚えておかなければだめだや。
ついでにおしえるどもな
秋田では、「いっぱい、たくさん」ということを「じっぱり」というの
「おかね」は「じぇんこ」
「居眠り」は「ねぷかけ」
「かえる」は「びっき」というの。
「ご飯のしたく」は「ままじゃめ」
「一食分」は「ふとがだげ」
「恥ずかしい」は「しょし」
「びっくりして腰がぬけた」というのは「どでんして、だんこぬげだ」
「意地が悪い」は「しょっぽねわり」
「早く」は「ちゃっちゃど」
「そうです」 は 「んだんだ」
「嫌だ」 は 「んたんた」
にごるがにごらねがで意味が反対になるからな。
私は、米谷家の長男として、弟の嫁さんを教育する義務があると思って、
その晩は、秋田弁をじっくり教えました。
次の朝、さっそく嫁さんが秋田弁つかいましたよ。
「お兄様、田んぼで、びっきがじっぱり鳴いていますわ」
「お兄様、よべな、ビール飲み過ぎちゃって、おしっこ、じっぱり出ましたわ」
「お兄様、朝、雷じっぱり鳴ったので、どでんして おだんこ抜けてしまいましたわ」
最初に「じっぱり」と言う秋田弁を教えたものだから、なんでも、「じっぱり」つければいいど思っているんだもの。
だから、私も誉めてやりましたよ。
「おめ、秋田弁じっぱりうまくなった」
そしたら、「あら、しょしいわ」
秋田弁と標準語がミックスしていて、すごく違和感があったのですが、上品な感じがしたんです。
秋田弁って、素朴でいいのですが、ちょっと言葉に乱暴な響きがあるのですよ。
それを嫁さんが前後に標準語をまじえてしゃべるものだから、乱暴な響きが消えてすごく上品な秋田弁に聞こえましてね。
で、私の脳細胞がぴぴっとひらめきました。
待てよ。こんな優雅な秋田弁があってもいいのではないかと思ったんです。
名付けて「ハイブリッド秋田弁」
ハイブリッドというのは、混合する、とか、二つのものを一緒につかうとか言う意味です。
例えばハイブリッドカープリウスのようにガソリンと電気の両方を使って走る車ですね。
このハイブリッド秋田弁を使ってみますよ。
とっても、いいんですよ。
おえさ、じぇんこ けれ 私に お金ください。
私に じぇんこ ください。
かが、いなぐて とじぇねなあ 妻が いないので 寂しいなあ
妻がいなくて とじぇないですね。
おらぁ はらっつえくて あどくえね 私はおなかいっぱいで もう食べられない。
私は、はらっつえくて もう食べられないです。
この がっこ はやしてけれ この漬け物を 切ってください
この がっこ 刻んでください。
ちゃっちゃど け 早く 食べなさい。
ちゃっちゃど 食べてくださいね。
へば じんぎしねで ごっつぉなるし そうすれば遠慮しないで ご馳走になります。
そうすれば、じんぎしないで いただきますわ。
おどげでねであ こうしてはいられない、冗談じゃない
おどげでないですわ
なも んでね いいえ そうじゃないんです。
なも んでないんです。
ハイブリッド秋田弁、おもしろいでしょう。 皆さん、これを普及させませんか。
まず、テレビ局のアナウンサーが使ってほしいですね。
「みなさん、ままじゃめはおすみですか、まだの方は、今日の料理番組みましょうね」
「振り込み詐欺に注意しましょう、じぇんこはすぐに送らないでください」
最近、私、秋田弁に親しみを持っていて、意識して使うようにしているのです。
秋田弁を保存しようとして、本にして図書館に置いたり、CDにして後世に残すことをしておりますが、やはり、日常で使うことによって、秋田弁は引き継がれていくと思うのです。
祖母と祖父が使っていた秋田弁をパソコンに入れて、秋田弁事典を今、作成中です。
いろいろ本論からはずれたり、あっちこっちに寄り道したりして、漫談風にお話しましたが、おもしろかったでしょうか。
今日の講演を整理しますと
一つ目が「小さな幸せは、いたるところに転がっている」
二つ目が「他人の幸せこそが自分の幸せとなる」
三つ目が「生きていることじたいが幸せである」
このようになろうかと思います。
今日、私がお話したなかから、「これはいいことだな」と思うことが一つでもありましたら、
明日と言わず、今日からでも是非実行していただきたいのです。
ピーナッツを1個、2個、3個と食べて、4個めに手を出さない程度の勇気があれば、誰にでも実行できるのではないでしょうか。
「今日という日は、皆さんの残りの人生の記念すべき第一日です」
わたしとの出会いという記念すべき今日の日から始めてほしいと思います。
最後に室生犀星のことばで終わりたいと思います。
「人は決して幸せを避けてとおることはできない。花を見ないで道をとおることができないように、、、」
人生は幸せに充ち満ちている、それなのに自分の不幸を嘆くのはわざと目隠しをして、花を見ないで道を歩くようなものですね。
皆さんのこれからの人生の幸せを切に願いながら、終わります。
長時間にわたりご静聴ありがとうございました。
アカデミック漫談~数式で考える幸せ論
日 時 平成17年3月12日(土)午前10時10分~11時45分
場 所 秋田市南部公民館
主 催 南部公民館 市民文化講演会
講 師 秋田地域振興局福祉環境部企画福祉課長 米谷裕夫
1 綾小路公麿 → ○○工事○麿
2 思いやりに満ちたレジメ(千年後の人類が感動する?)
3 同席対面五百生
4 H= F / D H :幸福 Happiness
F :財産 Fortune
D :欲望 Desire
5 少欲知足 禅宗の開祖 道元
6 出産予定日 → 去世予定日 講師の去世予定日は 2030年11月17日
7 SP1= SP0ー1Lad Lad :一日生きる live a day
SP0 :今日の寿命 today's span of life
SP1 :明日の寿命 tomorrow's span of life
時は金なり → 時は命なり 人生とは時間である。
8 最高に楽しい夕食の回数は、あとわずか9,382回(平成17年3月12日現在)
9 職場や人間関係での嫌なことは絶対に夕食には持ち込まない、逆に陽気に振る舞う。
10 スポンジで たくさんのマル 描きつつ 皿を洗って 終える一日
11 森鴎外の名作 高瀬舟
「私は今日まで200文というお金を、こうして懐へ入れたことがありません。
そのうえ島へ着けば、食べ物と仕事をくださるというじゃありませんか。
悲しいどころか、本当にうれしいのです。」 島流しされる罪人 喜助
12 幕末の越前藩 橘曙覧(たちばな あけみ)の「独楽吟(どくらくぎん)52首」
楽しみは 妻子睦まじくうちつどい、頭ならべてものを食うとき
楽しみは 朝起き出でて昨日まで、なかりし花の咲ける見るとき
楽しみは 昼寝目ざむる枕べに、ことことと湯の煮えてあるとき
楽しみは 珍しき書人に借り、はじめの一枚ひろげたるとき
13 平成13年12月30日の暴風雪と大停電
電気を使わない灯油ストーブと太く長いろうそくは絶対の必需品
14 大麦を作る人、ホップをつくる人、そしてそれらを工場まで運ぶ人、工場でビールをつ くる人、つくったビールを地域の店に運ぶ人、何十万もの人々のおかげで今日の夕食の 冷たいビールが飲める
15 現代人は幸せへの感性が鈍っている
16 「神様に生かされていて、私は本当に幸せです」 三つの障害を持った女性の言葉
17 「知足は不足の中にあり、満足の人は、なおその上を貪るゆえに知足を知らず」
神沢杜口(かんざわとこう)の随筆集「翁草」
18 「足る事をしれば貧賤にしても楽しむ、足る事をしらざれば富貴をきわむれども、あき たらずして楽しまず」 貝原益軒 の「楽訓」
19 「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」 戦時下の標語
20 「米の配給が途絶えがちになり、今日のお粥は、ご飯がほとんどなく、お湯だけの
お粥だった。たまたま裏庭に雀が2羽きたので、妻がそれを捕まえて、夕食時に
食べようとした。でもね、雀を殺して空腹をしのいでどうなるのか、と思って、
空に逃がしてやった」 作家 内田百聞
21 S= PC / D S :満足 Satisfaction
PC :現状 Present condition
D :欲望 Desire
22 「幸福の本当の名前は満足である」 19世紀 スイスの哲学者 アミエル
23 認知症老人の名優 あんだまさか
24 「寿限無寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、食う寝ると ころに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポパイポ、パイポのシューリン ガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナー の長久命の長助」
「寿限無」は寿(ことぶき、歳)限り無し、つまり死ぬ時がない
「五劫のすりきれ」の一劫は、三千年に一度、天人があまくだって、下界の巌を天人が 羽織っている柔らかい衣でなでてその巌をなでつくしてすりきれてしまうのが、一劫 それの5倍というのだから、何億年何十億年のこと
「海砂利水魚」は海の砂利も水に住む魚も取り尽くすことができない。
「水行末、雲来末、風来末」は水の行く末、雲の行く末、風の行く末、果てしがない。
「食う寝るところに住むところ」は人間は衣食住のうち、一つがかけても生きてはいけ ない。
「やぶらこうじのぶらこうじ」は、やぶこうじという木があって、まことに丈夫で春は 若葉を生じ、夏は花咲き、秋は実を結び、冬は赤き色をそえて霜をしのぐというめで たい木
「パイポパイポ~」は昔、中国の唐にパイポという国があって、シューリンガンという 王様とグーリンダイというおきさきさまの間に生まれたのが、ポンポコピーとポンポ コナーという二人のお姫様で、このふたりが大変長生きした。
「長久命の長助」は、天長地久という文字で、読んでも書いてもめでたい結構な字で、 それをとって長久命、長く助けるという意味で長助
25 1分間に500文字、1日に5時間、1年間365日 毎日本を読む
5歳から85歳まで80年間 休まずに読書
一生で読む文字数は 43億8千万文字
500文字×60分×5時間×365日×80年=4、380、000、000文字
1文字は2バイト 8.76GB(ギガバイト)
26 人間の脳の容量は約100兆ビット 8ビット=1バイト
100兆ビット÷8=12.5兆バイト=12,500,000,000,000バイト
=12,500GB
脳の容量は12,500ギガバイト 一生の読書容量は約8.8ギガバイト
12,500÷8.8=1,420倍
27 夢は松坂慶子と競演
28 全員あんだまさか後援会会員
29 アインシュタインのエネルギーと質量の関係式
E = m C2 E エネルギー
m 質量
C 光速
H = b O2 H 人生の幸せ総量 Happiness
b 行動量 behaviour
O 他人の幸せ総量 Others` happiness
30 余命幾ばくもなくベッドに横たわったとき、「もっと金を稼いで財産を残せば良かった」 と思う人はいない
考えることは、「自分は、生まれてからこの歳になるまで、いったい何をしてきたのか、 自分と関わった人々に幸せや喜びをいくらかでも与えたのだろうか」
30 31 アインシュタインの相対性理論の説明
熱いストーブに一分間手をのせてみてください。まるで、一時間のように感じられる
でしょう。ところが、かわいい女の子と一緒に一時間座っていても、一分間くらいに
しか、感じません。 それが相対性というものです。
32 「私は一日に100回は自分に言い聞かせます。
私たちの精神的ならびに物質的生活は、他者の労働のうえに成り立っている
ということを」 アインシュタイン
33 男鹿市立船越保育所長 串本先生の思い出
優しく声をかけてくれた笑顔を56歳の今でも忘れることができない
34 串本所長への恩返しは刺股つくりボランテア
35 平成14年4月、大久保駅から職場までの道端で「姫踊子草」との出会い
36 道端に花を見るか、ゴミをみるか、心の持ちようで土手はどうにでもなる。
土手から学ぶ人間関係
37 「私はいまだかつて、嫌いな人に会ったことがない」 映画評論家 淀川長治
人生を楽しくするためには、自分の回りに好きな人をいっぱいつくること
38 野の花からフラワーアレンジメントへ
39 「高校のとき、何もやることねえなあ、つまんねえなあ、って家でごろごろしていた時 代があったんですよ。何でこんなにつまんねえんだよ、と自問自答したら、おまえが つまんねえからだと返ってきた。そのとおりだと思ったね。
何もしないで待っていても何もないわけ。とりあえず何でもいいから、動かなきゃい けないて。たとえば、その結果ひどい目に遭ったとするじゃない。でもそれも私にいわせれば幸せなんですよ。だって生まれてきたことが幸せなんだから、何かが起こるということは全部幸せなの。生まれてこなければ、経験できないでしょう。
もし、試験に落ちても、病気になっても、私はみんな幸せだと考えればいいと思うん ですよ。その人にしかできない経験でしょ。」 テレビタレント 所ジョージ
40 人生は自分が主人公の映画のようなもの
良い人ばかりでは映画は成り立たない、適当に良い人と良くない人がいて、楽しいこと と辛いことがばらまかれているから映画はおもしろい。
41 T=N/MC T 悩み Trouble
N 嫌な事 Nastiness
MC 腹の大きさ Mental Capacity
腹を大きくすれば、この世から悩みはなくなる。
42 「人生なんて、臨終までのひまつぶしさ」 古館伊知郎
43 「人間50年、下天のうちに比ぶれば、夢幻のごとくなり、ひとたび、生をうけ滅せぬ もののあるべきや」 織田信長
「人生49年、一睡の夢」 上杉謙信
「俺の死を3年隠せ」天下統一の野望途中 武田信玄
44 56歳は、6年得した気分
45 「これまで生かしていただきまして、ありがとうございます。」 神社での参拝
46 自分の子どもが大学に合格するということは確実によその子ども一人が落ちること
47 ワープロ変換ミス傑作集 奈津子路 →夏頃 主席主査 →酒席主査 夢中 →霧中
48 会議での長話は時間泥棒
49 プロ野球新球団を設立した楽天の会議は、発言時間一人30秒、会議は30分以内
経営コンセプト スピード!! スピード!! スピード!!
50 「七息思案」 葉隠 佐賀鍋島藩の藩士山本常朝
51 「此上不足(ピサンプツ) 此下有余(ピシャヨウエイ)」 中国の格言
上と比較すれば足りないが、下と比較すれば余るほどある
52 建坪16坪(52㎡)の大邸宅
53 「隣の家に蔵が建つと、うちは腹が立つ」
54 「自分が幸福で満ち足りているだけでは、人間は満足しない。
近くに不幸な人がいないといけない。」 ジュール・ルナール
55 友がみな 我より偉く 見ゆる日よ 花を買い来て 妻と親しむ 石川啄木
56 過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる
57 図書館でのCD返却から学ぶ → 自分が変われば他人が変わる
58 人間の心はパラシュートと同じ、開いてくれなければ役に立たない A・F・オズボーン
59 人の世をつくっているのは、神でもなければ、鬼でもない、むこう3軒、両隣にちら
ほら、住んでいるただの人間である 夏目漱石 「草枕」
60 江戸時代の宿の格付
本陣 →大名 脇本陣 →家来 旅籠 →一般の人 木賃宿 →その下 茶屋
61 山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く
春夏秋冬 あしたもよろし ゆうべもよろし 種田山頭火
62 からす鳴いて わたしも一人
分け入っても 分け入っても 青い山
酔うて こおろぎと 寝ていたよ
銭がない ものがない 歯がない ひとり
明日は 明日のことにして 寝ましょうよ
さて、どちらへ行こう 風が吹く
たどりきて いまだ山麓
62 将棋の升田幸三九段が将棋界の最高位である名人になったとき出版した本
たどりきて 未だ山麓
63 「生きている間は勉強です、うそではございません、一日でもうまくなって死にたい」
落語の名人、三遊亭円生
64 生涯学習とは、去年の自分より今年の自分が賢くなっているということ
65 弟の嫁さんは島根県出身 講師が正調秋田弁を教える
66 お兄様、田んぼで、○○○が○○○○鳴いていますわ
お兄様、○○○、ビール飲み過ぎちゃって、○○○○、○○○○出ましたわ
67 ハイブリッド秋田弁の誕生
正調 おらぁ はらっつえくて あどくえね
ハイブリッド 私は はらっつえくて もう食べられないです
正調 ちゃっちゃど け
ハイブリッド ちゃっちゃど 食べてくださいね。
正調 なも んでね
ハイブリッド なも んでないんです
正調 へば じんぎしねで ごっつぉなるし
ハイブリッド そうすれば じんぎしないで いただきますわ
68 まとめ 「小さな幸せはいたるところに転がっている」
「他人の幸せこそが自分の幸せとなる」
「生きていること自体が幸せである」
69 今日という日は、残りの人生の記念すべき第一日
70 人は決して幸せを避けてとおることはできない。
花を見ないで道をとおることができないように、、、
室生犀星