ハプニングとは思いがけない出来事、突発的な事件という
意味だ。2006年真面目なお堅い秋田県職員で冗談も
言わなかった私がある日突然お笑いの世界に足を踏み込んだ。
一生懸命笑いを研究して地域の人々に笑いを提供してきた。
講演回数は全国で1,000回を超えた。
これだけ講演するといろいろなことが起こる。
それをこのページ・ハプニングにまとめてみた。
ユーモア話術コンサルタント 人星亭喜楽駄朗
長いも贈呈
2006年秋田県職員だった私がお笑いの世界に足を突っ込んで
以来1,000回以上全国で講演してきた。
これだけ講演するといろいろなことが起こる。
絶対に忘れることのできない講演があった。
2009年10月23日、青森県三沢市公会堂で第22回
三沢市民福祉大会が開催された。
「アカデミック漫談~健康長寿は笑いから~」と題して
市民を爆笑の渦に巻き込み無事終了した。
司会者「普通は花束贈呈ですが師匠はお笑い系人間です。
地元は長いも栽培が盛んですので長いもを贈呈します」
会場は大爆笑となった。素敵な女性がラッピングした長いも
を持ってステージに登場した。ここで笑って長いもを
受け取るだけではユーモア話術コンサルタントの肩書が泣く。
アドリブ「長いもってカットしても長いもと言うんですか」
会場は更なる大爆笑。ありきたりの花束贈呈ではなくて
地元特産品贈呈すると受けますよ。
忘れられない講演会
2012年9月28日青森市自殺予防セミナー
「いのちと心を支えよう!~今、私にできること~」
が開催された。特別講演では二人の講師が講演した。
東尋坊からのメッセージ「~今、あなたにできること~」
講師 NPО法人「心に響く文集・編集局」理事長の茂幸雄さん
次は アカデミック漫談~笑う力は生きる力~
講師 日本笑い学会秋田県人会長 人星亭喜楽駄朗
茂さんの講演を私も聴いた。400人の命を救ったすごい人だ。
東尋坊のベンチにポツンと座っている人を見つけると気さくに
声をかける。第一声は決まっているそうだ。
「どこから来たの?」
あんたとは関係ないだろうと言う態度の人が
「辛かったんだろうね。わかるよ。その気持ち」という茂さんの
の言葉で大の男が茂さんの足元に泣き崩れるという。
友達も家族も誰もが自分の本当の気持ちを分かってくれない。
最後のぎりぎりで見知らぬおっさんが私の気持ちを
分かってくれた。
出席者は涙ボロボロ、私も泣いた。
その感動的な講演終わってから次は私が会場を爆笑の渦に
して帰らせるという保健所の狙いなのだ。
主催者の意向をしっかり心に刻んで笑わせました。
一生忘れられない講演会となりました。
一流芸人の失敗
2年前の講演で失敗をやらかした。
サマージャンボ宝くじと言うべきところを年末ジャンボ宝くじ
と言ってしまった。会場がざわついたので言い間違いに気づいた。
その時平然と言ってのけた
「一流の芸人はわざと失敗ができる。間違えてお客さんが
どのように反応するのか確認したのです。会場がざわついたので
私の話を真剣に聞いていることを確認できました」
何事もなかったかのように次のネタを繰り出していった。
2006年57歳でお笑いの道に足を突っ込んで以来
1,000回以上講演しているからね。
どんなことが起きても平常心で対処できる。
フォローをうまくやればミスはミスでなくお笑いとなる。
ユーモア話術コンサルタント 人星亭喜楽駄朗
超一流講師?
数年前講演依頼文を見て驚いた。講演料 20,000万円
と書かれていた。指を折って確認してみたら2億円だ。
日本広しと言えども2億円の講演謝礼をもらえるのは
私くらいだろう。ややしばらくはいい気分に浸った。
でも、これは入力ミスですね。
2万円、あるいは20,000円と書くべきなのに
頭が混乱してしまい20,000万円になったんだよね。
現金輸送車にガードマン二人同行して講演会場に乗り込もうと
思っていたのにねえ。
依頼文を郵送する前にチェックを兼ねてもう一度読み返すと
こういうミスは防げる。
お人好しの人星亭喜楽駄朗で良かったよ。意地悪な講師なら
2億円要求するよ。だって2億円と書いてあるんだから、、、
ユーモア話術コンサルタント 人星亭喜楽駄朗
講演裏話
2006年お笑いの世界に足を突っ込んで以来1,000回
以上講演した。これだけ講演するといろいろなことが起こる。
午後1時講演開始なので昼食をとって12時半会場に入る。
担当者「控室で昼食を準備しております」
「昼食はもう食べてきました」
広い駐車場に車を停めて会場に入った。
「師匠、駐車場を玄関前に準備しております」
「駐車場の奥の方に停めました」
講演終了し帰ろうとすると「懇親会に是非とも入ってください」
「えっ、車どうするの。ウーロン茶だね」
これらは自分のやることだけを考えて講師に連絡しないから起こる。
昼食、駐車場、懇親会を私から質問はできない。
質問すると「それらを準備してください」と受け取られるから。
私のミッションは出席者を大爆笑の渦に巻き込むことなので、
担当者の配慮の無さはすぐに忘れて全エネルギーをステージに
集中する。百戦錬磨のプロだからね。
ユーモア話術コンサルタント 人星亭喜楽駄朗
ネタはどこにでも
10年前だろうか。温泉ホテルに宿泊した。
大浴場に行ったら掲示板を見つけた。
これより
はきものをぬいで
お入り下さい
見た瞬間、何かあると直感した。
これよりは
きものをぬいで
お入りください
このネタはどの会場でも爆笑を誘う。
だから常に笑いのアンテナを張って街中を歩いている。
ユーモア話術コンサルタント 人星亭喜楽駄朗
一度やってみたいネタ
古稀過ぎるとオシッコの間隔が短くなる。さっきトイレに
行ったのにまた行きたくなる。老化現象なんでしょうね。
講演途中に尿意を催した。我慢できないこともないのだが
もしも失禁してステージを濡らしたら大変なことになる。
「古稀過ぎるとオシッコの間隔が短くなるんですよ。
講演途中ですが尿意を催しまして暫時休憩というか
しっこうゆうよとします」
数分後ステージ再登場。
「尿意を催してもなかなかオシッコ出てこないんです。しようが
ないから掛け声をかけてお尻を叩くんですよ、にょういどん!
するとちょろちょろと出てきます。年取りたくないですね。
80歳以上の4人に一人はオシッコちびった経験あるそうです。
そこで保険会社が新しい保険つくりました。失尿保険」
ユーモア話術コンサルタント 人星亭喜楽駄朗
ステージで寝そべった
2015年9月2日大館市民文化会館で秋田魁新報社主催
・ヤクルト協賛「秋田さきがけ健康講座」が開催された。
立派な博士二人の格調高い健康講演のあとに私のステージショー
だった。タイトルは人生漫談~笑いは健康と幸せへのかけ橋~
この当時は寝そべるネタをよくやっていた。
日常生活で腹が立つことあります。その時はごろ寝すればいい。
立った腹が横になる。それから畳に大の字になって「わっはっは」
を三回、そうすると心も体もすっきりします。
私が寝そべった瞬間を記者は見逃さなかった。講師がステージで
寝そべるなんて千載一遇のチャンス。新聞に掲載されました。
寝そべりネタはこの数年やっていないです。コロナ後にお呼ばれ
されたら復活しようかな。マスクしてフェイスシールドかぶって。
右半身マヒの女性
2006年8月に日本笑い学会に入会した。
それ以来東北六県を中心に1,000回以上講演している。
これだけ講演すると想定外のことが時々起こる。
身体障害者施設で入所者と保護者約100人に講演した。
講演は大爆笑の連続で終わり笑いの小物をバッグに入れていた。
車いすに乗った20歳前後の女性が近づいてきた。
「先生、私右半身が麻痺しています。先生のエネルギーが
欲しいです。私の右手を握ってください」
冷たい右手を私の両手で撫でてから強く握りしめた。
「この笑いマスをあげますから部屋に飾ってください。
辛いことがあったら笑顔の人星亭喜楽駄朗を思い出してくださいね。
障害に負けないで明るく強く生きてください」
その間2分程度だったろうか。
彼女は笑いマスをもらったら車いすを回して立ち去って行った。
主催者が私を控室に案内しようとしていたので彼女は気を使った
のだろう。もっと話をするべきだった。
もっと優しい言葉をいっぱいかけてやりたかった。
そんな思いで立ち去る彼女を見送った。
井川町老人クラブ大会
10年前のことだろうか、井川町農村環境改善センターで講演した。
控室で窓外を眺めていたら井川町の福祉バスが玄関前に
駐車していた。
バスには大きく「いかわ町」と書かれていた。
見た瞬間、お笑い系人間独特の感覚でこれは何かあると思った。
逆読みすると「わかい」となる。
講演終了間際「老人クラブ大会ですが皆さん若々しいですね。
その理由わかりました。だってバスにわかい町と書かれて
いましたよ」
講演終えたら副会長「私この町に住んで72年になりますが
今日初めて逆読みするとわかいが分かりました。
ありがとうございました」
人星亭喜楽駄朗 1秒
副会長 72年
気の利かない主催者
講演ステージには通常水やお茶とコップが準備されている。
1時間もしゃべると喉が渇くからね。
ところが気の利かない主催者がたまにいて
お茶も水もない場合がある。
私はすべてを笑いにリンクさせる。
そういう時は絶好のお笑いネタとなる。
「講師は喉が渇くので水を置くのが普通ですがここの主催者は
気が利かないですね。そういう事もあろうと思って自分で準備して
きました」と言って
講演用リュックからコップとペットボトルお茶を取り出し
美味しそうに飲む
主催者は「大変申し訳ないことをした」と頭を抱えてしまう。
それを見て出席者は大笑いする。
担当が気の小さい人だと自分の責任だとして落ち込む場合がある。
そういう時はフォローを忘れない。
「〇〇さんは私にこのネタをやらせようとしてワザとステージに
置かなかったのです。ご配慮ありがとうございました。」
「人生漫談」誕生秘話
2006年8月、57歳で日本笑い学会入会し本格的に講演活動を
展開した。自分の講演をどのように命名しようかと考えた。
健康、幸せ、老い、夫婦、人間関係、ボランティアなどを笑いという
コロモに包んで格調高く話すのが私の講演だ。
学術的哲学的な漫談なのでアカデミック漫談がいいね。
それ以降は講演タイトルを「アカデミック漫談~〇〇〇〇~」
とした。お気に入りの演題だった。
ところが5年前だろうか。
アカデミック漫談にクレームをつける女性担当者がいた。
「高齢者はカタカナ言葉に抵抗があります。アカデミックでは
なくて例えば人生漫談とか日本語にしてもらえないでしょうか」
全国で講演している私の演題にクレームをつけるとは何事か。
と一瞬むかついた。
でもね、私の講演がどんなに面白くても主催者が呼んでくれ
なければ私は実力を発揮できない。この際彼女の提案を尊重しよう。
会場に入り垂れ幕をみた。人生漫談も悪くないね、と思った。
それ以来タイトルを「人生漫談~〇〇〇〇~」としている。
彼女のことは全く記憶にない。
彼女も私のことはすっかり忘れただろう。
でも二人のやりとりから生まれた人生漫談はいつもステージで
光り輝いている。
ネタの進化と深化
2年前かなあ「腹が立ったらごろ寝しよう」という新ネタを
ステージでやった。立った腹が横になる。
最初はただステージに寝転んでいるだけだった。
ある時、ふと思いついた。ステージに大の字になって大笑い3回
やってみた。これがけっこう受けた。
しばらくしたら寝転がって左足を高々とあげてみた。
「カモシカのような短い足。若い頃足が速かったんです。
男子100メートルの男鹿市中学校記録12秒4はいまだに
破られていないですよ。ウソのようなウソの話」
さらにネタは膨らんでいった。
「去年はピコ太郎が世界中で大ブームを巻き起こした。
今年は喜楽駄朗がごろ寝漫談で大ブレークしますからね。
皆さん、私のステージショーをどんどん動画に取って
フェイスブックにアップしてね。どうが よろしくお願いします」
最大出席者数は1,300人
2002年9月20日、秋田県秋田中央健康福祉センター
保健福祉課長の時初めて講演した。
広域五城目体育館で第11回南秋田・河辺郡民生児童委員大会が
開催され「幸せはどこにでも」という演題だった。
あの日から17年の歳月が流れた。
一番出席者数の多かった講演は今でもはっきり覚えている。
2011年2月28日、さいたま市浦和の埼玉会館開催さいたま市
民生委員児童委員協議会全体研修会で1,300人の民生委員出席。
80分講演し終わり直前の地元ネタがすごく受けました。
「皆さんが大笑いしてくれた理由がわかりました。駅に降りたら
わらうと書かれていましたよ」
浦和 → うらわ→ わらう
先生から師匠へ
2006年8月に日本笑い学会入会以来県内外で講演
してきた。初めの頃は先生と呼ばれていた。
8年前だろうか。講演担当者がふと思ったようだ。
「人星亭喜楽駄朗という亭号を持っている講師だ。
先生よりは師匠の方がいい」
垂れ幕には人星亭喜楽駄朗師匠と書かれ司会者も師匠と
呼んでくれた。チョット違和感あったが何回も呼ばれて
いるうちに「師匠も悪くないね」と思った。
先生よりは師匠が格上でしょう。
このようなことがあるとネットやクチコミで情報が拡散
して自然に師匠と呼ばれることが多くなった。
風貌もあるかもしれない。
師匠ではなくて「人星亭さん」「喜楽駄朗さん」「喜楽さん」
でも全然支障はないですけどね。
芸名持つと二つの人生を同時に歩んでいるようで気分いいです。
友人知人の殆どは芸名で呼んでくれる。
たまに本名で呼ばれるとその人だあれって感じです。
方針変更
私にはいろいろな組織や団体から講演依頼が来る。
日本笑い学会秋田県人会会長という肩書きで呼ばれても出席者が
全然笑わないことがある。
主催者は「まじめな人たちばかりだからたまにはリラックス
して笑ってほしい」と思って私を呼んだ。
でも出席者が笑いを価値のないものと最初から思っていたら
いくらおもしろいネタを繰り出しても笑うわけがない。
こういう集団を笑わせるのはプロのお笑い芸人でも困難である。
笑いに価値を認めないとしたら無理に笑わせようとしないで、出席者に
有益な情報を提供した方がいい。
上司部下同僚との人間関係はとても重要であるとともに
誰もが良好な人間関係を構築したいと思っている。
コミュニケーションツールとしての笑いの効用をメインに話せばい。
私の頭には引き出しがいっぱいある。何も笑いにこだわることはない。
笑いに興味を示さない集団には大学の階段教室で教授がレクチュア
するような真面目かつハイレベルな人間関係論を話そうではないか。
自慢になるので小さな声で話すけど私はとある団体から笑学博士
という博士号を授与されている。
台東区民会館で講演
2014年1月18日浅草の台東区民会館で日本笑い学会関東支部
主催第207回研究会が開催された。
私はアカデミック漫談~現代を笑え~と題して80名の関東支部
会員に対して1時間講演した。
秋田県男鹿市在住のいなかっぺ人間がどうして関東支部にお呼ばれ
されてレクチュアするのか。理由は簡単。
夏に開催される日本笑い学会大会で毎年違うテーマで笑いに関する
研究論文を発表しているからだ。10年連続で発表した。
普通であれば秋田県に東京のお偉いお笑い研究者をお呼びして
講演してもらう。
私は5年前に逆バージョンをやっている。
ベルコ会館で公演
11月18日シティホールおがベルコ会館でベルコ大感謝祭
が開催された。健康チェック、メモリアル写真撮影会、家族
葬相談コーナーの他にステージイベントとして
人星亭喜楽駄朗にお呼びがかかった。
葬儀社だから終活ネタをメインにしないといけないだろう。
と思ってネタを準備していったが会場の雰囲気はそんな
かしこまったネタよりも単純に大笑いしたいとの印象
を受けた。
いつものネタでここが葬儀会場かと思われるくらい大爆笑の
連続にした。お寺の本堂でも4~5回講演したことがある
けど葬祭会場での漫談は初めてですね。
ネタ「生まれる時はオギャーと泣いて生れたから、この世
にさよならする時は「ワッハッハ、ワッハッハ、ワッハッハ」でちょうどいい。
私なんか三途の川も大笑いしながら渡ろう
かなと今から楽しみにしています」
思いがけない出来事
2009年7月14日男鹿みなと市民病院で喜楽駄朗独演会が開催された。
通院患者入院患者など70名が出席した。
「患者さんこそ笑いが必要、病院こそ笑いが必要」これが私の持論だ。
いつものパターンで患者さんたちを大笑いさせた。私の講演では笑いマス
をその日誕生日の人にレゼントすることにしている。
独演会が終わったら70歳代の女性が私のそばに来て「笑いマスが欲しい」というのでプレゼントした。そしたら思いがけないことが起こった。
彼女は突然泣き出した。泣きながら「私男鹿市には友人知人誰もいないです。
夫に先立たれてしまい話し相手は誰もいないので寂しく入院していました。でも今日人星亭さんの漫談でとても楽しい気分になりました。
笑いマスにサインしてください。宝物にします」
女性に泣かれると男は困ってしまう。この時私は瞬間的に自分に気合い
を入れた。この女性にとってとても大切な時だ。
しっかり対応しないといけない。
私は優しくハグ(軽く抱きしめること)して「病気に負けないで生き抜く
意志を強く持って、毎日明るく楽しく過ごしてくださいね。生きていれば
いいことがあります。今日のように」と言葉をかけた。
看護師さんたちも感動的なシーンに思わず涙を浮かべていた。
一瞬のひらめき
講演会では当日誕生日の人いない場合は当月の人に笑いマス
を贈呈している。
「宝くじをその中に入れると必ず当たります。300円」
こんなくすぐりで笑ってくれる。
「裸のマスでは失礼なので銀座で買ってきたルイヴィトンのバッグも
差し上げます」ここで会場がざわつく。
バッグからかわいいビニール袋取り出して贈呈する。
この落差で大爆笑となる。
これで一件落着だがある時ハプニングが起こった。
可愛いビニール袋を渡そうとしたら
「私愛用バッグはこのルイヴィトンです」と見せつけられた。
さあ、この難局をどう切り抜けるか。
あれこれ考えるヒマはない。一瞬のひらめき。
「これはルイヴィトン社が先月モデルチェンジした
最新型バッグです。あなたは運がいいですね。
秋田県内で最初にゲットしましたよ」
瞬間的にこれくらいのことを言えるようでないとプロではない。
ユーモア話術コンサルタント 人星亭喜楽駄朗