人星亭喜楽駄朗は男鹿半島原住民と自称している。原住民とは私が男鹿市生まれ、両親も男鹿市生まれ、そのまた両親祖父母4人とも男鹿市生まれを私は男鹿半島原住民と定義している。
船越は秋田市から来ると男鹿半島の入り口になる地区だ。幼少時から寒風山を見て育った。寒風山は全山芝生の稜線のきれいな山、そして私にとっては故郷の山である。講演旅行で東日本各地を訪問してから男鹿市に帰ってくる。船越水道にかかっている男鹿大橋を渡ると懐かしの山寒風山が私を迎えてくれる。自宅から頂上までは車で20分程度である。頂上からの360度パノラマ風景は何度見ても飽きないものである。県内外からの来客がある時は寒風山に案内することが多い。
男鹿市と言ったら今や全国区人気となった「なまはげ」である。でも私が小学生の頃はとても怖い存在だった。大晦日は普段食べることのできない美味しいごちそうがいっぱい食卓に並ぶ。待ち遠しいはずなのだがあまり嬉しい気分になれない。夕食の頃になると「うおおお、泣ぐ子いねが、親の言うこときがね子どもはいねが、うおおお」と家の中に勢いよく上がり込んでくるのだ。
祖父がしっかりと抱きしめてかばってくれたり、祖母が「うちの子どもはいい子だ。ナマハゲさん、怒らねでけれ」と言ってなまはげをなだめたりする。いっぱい暴れてからおとなしくなったなまはげをお膳の前に座らせてお酒をごちそうする。なまはげはいい気分になって家から出て行く。帰り際に「また来年も来るからな。わがったが。親のいうことをきげよ」と必ず言う。ナマハゲは怖い。でも怖いなまはげから祖父母などが子どもを守ってくれる。だから家族の絆が深められていく。このような伝統的な風習は後世に残しておきたいものである。
首都圏等で酒席懇談となるとナマハゲが話題になることが多い。「恐いナマハゲも笑わせちゃう
人星亭喜楽駄朗です」などと自己紹介しては座を盛り上げたりする。
入道崎も男鹿観光の人気スポットだ。芝生と岩場の海岸線そして青い海のコントラストが美しい。
シーズンになると大勢の観光客でにぎわう。男鹿の名物「石焼料理」を出すレストランも並んでいる。石焼料理とは真っ赤に焼いた石を樽の中に投げ込み一気に魚を煮てしまうという豪快な料理だ。男鹿に来たら是非とも味わってほしい料理です。話のネタになります。
男鹿市民にとってハタハタは特別の魚である。幼少時から毎日のようにハタハタを食べて育った。大漁になると浜値が一箱50円とか100円で取引されていた。ハタハタよりも箱代が高かったかもしれない。だからどの家庭でもいっぱいハタハタを買ってくる。
いろいろと工夫して保存食にもしていた。毎日の食卓はハタハタで大にぎわいとなる。
私はしっかり焼いたハタハタでないと嫌だった。だから母に「ちゃんと焼いてね」とよく言ったものだった。それを聴くと祖父は「ハタハタはな、馬の息を吹きかけると食べられるものだ」
とよく言われた。長男の私をこよなく愛してくれた祖父は69歳で他界した。
今、私は72歳だが、還暦過ぎた祖父は完全に老人そのものだった。祖父と今の私を比較すると全然違う。祖父の時代は仕事は善で遊びは悪だった。だから元気な頃は毎日のようの働いていた。病気になって働けなくなるとすることは何もない。家の中でボーッとしているだけだ。遊びとか趣味は悪という時代だからね。今の高齢者はいい時代に生まれた。グランドゴルフ、500歳野球、公民館のサークル、趣味の会など遊びや趣味は絶対善なのだ。
定年退職してから講演、生き方いいねセミナー、人星亭一門演芸発表大会などを自由自在に楽しんでいる。これらは遊びの延長線上にあるのであって仕事と思ってことは一度もない