本学会の設立発起人のひとりで、当初より会長を務められた鈴木道彦先生が、去る11月11日にご逝去されました。95歳でした。
先生は日本におけるサルトル受容の中心的人物のお一人であり、数多くの翻訳を行っただけでなく、サルトルのアンガージュマンの思想を実践された方でもありました。そのご業績は、サルトルにとどまらず多岐にわたっています。
出発点であったプルーストに関しては、『プルースト論考』(筑摩書房、1985)を刊行し、新境地を開かれたあと、『失われた時を求めて』の個人完訳全13巻(集英社)で2001年に日本翻訳文化賞、2002年に読売文学賞(研究・翻訳賞)を受賞されました。
サルトル関係では、サルトル存命中の1963年にいち早く発表された『サルトルの文学』(紀伊國屋新書)や竹内芳郎との共編著『サルトルの全体像 日本におけるサルトル論の展開 』(ぺりかん社、1966)などでわが国におけるサルトル研究を牽引されてきました。また、サルトルを通して、フランツ・ファノンの『地に呪われたる者』(浦野衣子との共訳、みすず書房、1969)やジュール・ロワ『アルジェリア戦争 私は証言する』(岩波新書、1961)などアルジェリア戦争関連の書籍も多数翻訳され、その後のフランス語圏や植民地研究にも多大な影響を与えられました。一橋大学、獨協大学を退職されたあとも『嘔吐』の新訳(人文書院、2010)から『家の馬鹿息子』(人文書院)全5巻(1982-2022)の完結まで重要なテクストを次々に翻訳され、研究の第一線に立っておられました。
しかし、鈴木道彦先生の次世代への影響はそのような学究的なものにとどまらず、サルトル思想の実践にありました。在日朝鮮人問題に深く関わり、アルジェリアの独立を支援し、さまざまな社会的不正義に対して行動する姿は、象牙の塔に閉じこもる学者の姿からほど遠く、一人の人間として現実社会とどう向き合うべきかについて、身をもって示してくださいました。そのような実践をしながら、どのようにして『失われた時を求めて』の個人全訳という偉業を成し遂げることができたのか、私たちにとっては文字通り驚異であり、学会会員の誰もが仰ぎ見る存在でした。
また、1968年の「5月革命」を間近で体験された先生のフランス滞在についての『異郷の季節』(みすず書房、1986)や『越境の時 1960年代と在日』(集英社新書、2007)などの証言は多くの一般読者の共感を呼びました。近年は、父親である鈴木信太郎先生の評伝『フランス文学者の誕生 マラルメへの旅』(筑摩書房、2014)で、日本のフランス文学の黎明期を鮮やかな筆致で活写する一方で、若い研究者たちの著訳書に帯文を寄せるなど、過去から未来へとつなげるお仕事を続けられました。 最後の著書となったのは『余白の声 文学・サルトル・在日』と題する講演集(閏月社、2018年)で、サルトル来日の際のエピソードや、パリでのサルトルやボーヴォワールとの私的な交流の思い出なども語られています。
サルトル学会には5、6年前まで例会にしばしば参加され、若い学生会員などとも気さくにお話をされるお姿が印象的でした。先生のお言葉に勇気づけられた研究者は多いことと思います。
鈴木道彦先生に改めて深い敬意と心からの感謝を捧げるとともに、ご冥福をお祈りいたします。
日本サルトル学会 理事一同