日本サルトル学会会報 第22 2009年 3

Bulletin de l'Association Japonaise d'Etudes Sartriennes no.22 mars 2009


日 本 サ ル ト ル 学 会 会 報 第22号 2009年 3月


研究例会の報告

 ボーヴォワール生誕百年を記念して、第22回研究例会を「ボーヴォワールとサルトル」というテーマで開催いたしました。大変遅くなってしまいましたが、ご報告申し上げます。

日時 : 2008年12月13日(土曜日) 13:30~17:30

会場 : 立教大学(池袋キャンパス)5号館5302教室

シンポジウム「サルトルとボーヴォワール----カップル神話の表と裏」

コーディネータ:澤田直(立教大学)

パネラー:井上たか子(獨協大学名誉教授)、門田真知子(鳥取大学)


1.澤田直:サルトル=ボーヴォワールというカップルは何だったのか

 サルトル・ボーヴォワール・カップルについて、最近の文献を中心に紹介がなされた。

ボーヴォワール自身の著作がこのところいくつか出ているが、サルトルの場合は死後遺稿が出たことでサルトル研究のステージに大きな進展が見られたのに対し、ボーヴォワールの場合、ボーヴォワール読解に新たな観点は出てきていないのではないか、ということ。また、かつてのような実存主義哲学か、またはフェミニスムの切り口(特に身体性に重きを置いたもの)から語る、というものはあっても、思想史の中でボーヴォワールの哲学をきちんと検討しなおすという作業はあまりされていない、というのが全体的な評価であった。

Hazel Rowley,Tete-a-tete,2006(フランス語版と英語版があるが、フランス語版はシルヴィ・ル=ボンの意向で削除された箇所がある)は、サルトル・ボーヴォワール神話がいったい何だったのかを緻密に検討している。ボーヴォワールの仕事の全体像という点では、Ingrid Galster,Beauvoir : dans tous ses etats, 2007が力作。ただ内容的に新しいものがあるかというと若干疑問がある。トリル・モイ『ボーヴォワール:女性知識人の誕生』(2003)が「女性知識人」に焦点をあてながら全体を追っている非常に良い作品と感じられた。レ・タン・モデルヌの特集(2008)もよいがあまり新しいものは感じられない。

作家であり哲学的な著作も残したボーヴォワールだが、中でも50年代後半から発表しはじめた「自伝的なもの」は重要である。自伝についての研究としては、Vivi-Anne Lannartsson, L'effet-sincerite:l'autobiographie litteraire vue a travers la critique journalistique:l'exemple de La force des choses de Simone de Beauboir,Lunds Universitet,2001がある。しかし、ボーヴォワールの自伝は、サルトルと違って、新たな自己に関するエクリチュールの創設をしたという大きな評価はあまりされていない。

 ボーヴォワールの哲学をまっこうからとりあげ、なおかつ新しい知見が入っているような本は非常に少ない。例外としてはMichel Kail, Simone de Beauvoir, philosophe,2006がある。アプローチは野心的だが、どこまで哲学者ボーヴォワールが出ているかというと若干食い足りない。Karen Vintges, Philosophy as passion:the thinking of Simone de Beauvoir,Indiana University Press,1996もあるが、『第二の性』のボーヴォワールに限られるというきらいがある。Sonia Kruks,Simone de Beauvoir: Teaching Sartre About Freedom はサルトルの自由論にボーヴォワールが強い影響を与えた、という研究で、毛色が変わっている。

 ボーヴォワールからサルトルへの影響という点について。ボーヴォワールは、『第二の性』執筆時に精密に検討した『親族の基本関係』の書評を、レ・タン・モデルヌに書いた。それがサルトルの『弁証法的理性批判』におけるレヴィ=ストロース引用に密接に結びついている。それだけではなく『第二の性』におけるレヴィナス、メルロ=ポンティへの言及など、サルトルが触れたり、論争になったり、といったことの背景にボーヴォワールのワンクッションがあるのではないか。今回出たCahiers de jeunesse, 1926-1930を読むと、メルロ=ポンティの話がたくさん出てくる。今まで見えなかった1908年生まれ世代の人間関係を気にかけながら読んでいくことができる。テクストの字面だけでは見えなかったようなことも見えてくる。今後に期待したい。

そのほか、Catherine Poisson, Sartre et Beauvoir:du je au nous,Rodopi,2002は、二人のテクストをかなり綿密に検討しながら、いかにしてカップル神話がつむぎだされていくのかを見ていくという点で面白い。


2. 門田真知子:Daniele Sallenave, Castor de guerreをめぐって

 2008年3月と8月に渡仏された際に集められたボーヴォワールの本を中心に紹介がなされた。パワーポイントを使って多くの写真が紹介された。

 門田氏がクローディーヌ・セール氏と出会ったいきさつ、また、クローディーヌ氏がボーヴォワールと出会ったいきさつについての、興味深いエピソードを聞くことができた。また、晩年のサルトルに会った印象について描かれた、日本のサルトル研究者にあてられた手紙が紹介された。

 後半は、Daniele Sallenave, Castor de guerre, Gallimard, 2008について紹介された。

Sallenave氏は1940年生まれ、現在68歳、エコールノルマル出身。パゾリーニの翻訳など多数の本を出版し、多くの文学賞も受賞している有名な作家である。今回出版されたCastor de guerreの帯には、1939年、奇妙な戦争に動員されたジャック・ローラン=ボスト(『第二の性』のタイトルを提案したことでも知られる)に送られた一枚の写真が使われている。この写真の裏にボーヴォワールは自らCastor de guerre(「戦地のカストール」、「戦うカストール」)と書いていた。この写真についてSallenave氏はこのように書いている。

 「写真にはきわめて断固とした様子の彼女が写っている。表情には少しの微笑みもない。あごは引き締まり、ぴったりとしめたヘアバンドからは大きな額が現われている。これは来るべきカストールの予感を感じさせるものである。このとき彼女はまだ30歳になったばかりであるが、そこには彼女の未来におけるecrireにおいてと同様、人生における戦いを予感させるものがある。(…)カストールのこれからなすこと、あるいは生きることすべてが果てしない戦いの中にある」

 ボーヴォワール自身の言葉を象徴的なタイトルとして、サルナーヴは601ページもの本を書いた。同書は、Cahiers de jeunesseをマニュスクリの段階で参照しながら書かれた。これまでのボーヴォワールの評伝が主として4部作の回想録、戦中日記などに基づいて書かれていたが、このCahiers de jeunesseを入れることによって、ボーヴォワールがまだボーヴォワールでない素直な心の軌跡が見えてくる。サルナーヴの本の小見出しは「私は自分であるという大きな冒険を受け止める」などの、Cahiers de jeunesseの中のボーヴォワールの言葉を用いている。回想録はボーヴォワールが50歳になったときに過去を回顧して書いたものであるが、カイエドジュネスはリアルタイムの記述になっている。サルナーヴは、回想録とCahiers de jeunesseのズレをうまく分析している。さらに、サルナーヴの本は、サルトルの死までのボーヴォワールを扱っている。サルトルの死の時期を扱った部分では、まさにタイトルが暗示する、戦うボーヴォワールの苦しみ、さらにその苦しみに打ち勝っていくカストールの姿が描かれている。


3. 井上たか子:サルトルとボーヴォワール──『第二の性』の場合

 前半は、サルトルとボーヴォワールが実際どのような関係だったのか、ということについて。トリル・モイの『シモーヌ・ド・ボーヴォワール──ある女性知識人の葛藤』のフランス語版への序文で、ブルデューは「ボーヴォワールが自分とサルトルとの関係に、男女間の関係についての分析を適用することはけっしてないだろうという事実。この事実以上に、男女間の伝統的(家父長制的)関係を形成している象徴的暴力を完璧に証明するものはおそらくないであろう」と書き、当時、ボーヴォワールも含めて、女性がいかに男女の関係が含んでいる象徴的暴力に無意識に浸されていたかを示している、と分析する。しかし、これは必ずしもそうではない。彼女自身はサルトルとの関係について「絶対的な友愛関係に近い愛」と言っているが、彼女とサルトルとの関係は非常に対等なものだったと考えられる。また、回想録は、ボーヴォワールが当時の自分に戻って書いている。当時彼女は男女の問題に無頓着だった。そうした問題について真剣に考え始めたのは1946年である。彼女は一たん自伝の計画を中断して、女性のジェンダー的状況を研究し始めた。『第二の性』を執筆することで、ボーヴォワールは「女である」とはどういうことか、という問題に気づいていった。

 後半は、ボーヴォワールとレヴィ=ストロースとの関係について。結論としてはボーヴォワールはやはり実存主義の側だった、というものである。レヴィ=ストロースが、ボーヴォワールの「女と神話」を読んで、原始社会の記述に不正確なところがある、と指摘。そこで、彼女は出版前の『親族の基本構造』の原稿を読ませてもらう。『第二の性』序文でボーヴォワールはこう書いている。「女はその生理的な構造によって女である。そして、歴史がさかのぼれるかぎり昔も、女はつねに男に従属していた。この従属は事件、あるいは生成の結果ではない。それは起こったことではないのだ。女の他者性が絶対的なものに見えるのは、一つには、それが歴史的事実のもつ偶然的性格をまぬがれているからである。」(『第二の性』Ⅰ、新潮文庫、2001、p.19)もともと女性は男性に従属するものであった、というような一種の宿命論にも見える。これを彼女が書いたのはレヴィ=ストロースの影響なのではないかと言っている論者もいるが、それは事実とは違う。

 『第二の性』の原注では、外婚制に関するレヴィ=ストロースからの引用がある。レヴィ=ストロースは、「女の交換」が、「人間社会とって基本的な関係」であり、外婚制は、「部族間の平和を維持するために有用な規則」だ、と書いている。しかしボーヴォワールは、この箇所を引きながら、「外婚制」を、「男の超越への欲求を実現する手段」として、レヴィ=ストロースとは異なった形でとらえている。ボーヴォワールは、「外婚制は内在性の拒否であり、超越の欲求である」と、「現代」誌での『親族の基本構造』書評でも書いている。このように、ボーヴォワールとレヴィ=ストロースの違いは、根本的なものである。ボーヴォワールはレヴィ=ストロースの論理を実存主義にひきつけて解釈している。レヴィ=ストロースは男による女の交換を人間社会の基本構造と考え、それはずっと構造として残っていくと考えていたが、ボーヴォワールは、それは歴史の進展とともに進化する状況であると考えている点でまったくレヴィ=ストロースとは違う考えを持っていた(逆に、ボーヴォワールは生物学を無視しているという批判もあるが、「女に生まれない」というのはジェンダーとしてということであって生物学的に女に生まれないとはいっていない。決して生物学の重要性を否定しているわけではない)。一方、レヴィ=ストロースは何の躊躇もなく、人間が自然の状態から文化の状態に移行した時に女の交換が成立したと言っている。これに対してボーヴォワールは人間社会を構造ではなく状況によってとらえ、状況は人間に意識され、間接化されることによって初めて意味を持つものであり、歴史的発展によって変化しうる、と考えた。実際、歴史を見ると、レヴィ=ストロースが基本的直接的なものとした女の交換は現実には崩れてきている(未婚率の上昇、妻の両親と同居する夫の増加など)。これは、レヴィ=ストロースの論理構成そのものの欠陥を示している。



(報告:永野潤)


研究例会のお知らせ

 次回の例会は、7月4日(土)、立教大学において、大和日英基金とノッティンガム・トレント大学との助成により、ジャン=ピエール・ブレ、フランソワ・ヌーデルマン、ベネディクト・オードナヒューの三氏をお招きして行う予定です。詳細はまた次号の会報にてお知らせします。


サルトル関連出版物

・山縣熙『劇作家サルトル』作品社、2008年12月