日本サルトル学会会報 第15 2007年 3

Bulletin de l'Association Japonaise d'Etudes Sartriennes no.15 mars. 2007


日 本 サ ル ト ル 学 会 会 報 第15号 2007年 3月


研究例会の報告

 第19回研究例会が下記のように開催されましたので、ご報告します。

日時 : 12月22日(金曜日) 14:00~17:00

会場 : 関西学院大学梅田キャンパス ハブスクウェア1408

 今回は新しい試みとして、ワークショップ形式を取り入れました。告知期間が少なかったこともあり、参加者の予習が十分ではなかったにもかかわらず、岡村氏の報告にもあるように活気ある討論がなされ、第一回目としては十分手ごたえの感じられる結果となりました。今後もワークショップ企画は継続していきたいと考えております。次回は『倫理学ノート』をテクストに第二回ワークショップを開催する予定で、現在企画進行中です。詳細が決定次第会員のみなさまにお伝えします。

なお、今回の例会開催に際しましては、カミュ学会会員で、関西学院大学の東浦弘樹氏(残念ながら当日は急病のため欠席されました)に、会場の予約などで大変お世話になりました。この場を借りてお礼を申し上げます。

1 研究発表

「倫理と歴史―― サルトルの第一のモラルについて」

発表者 池渕泰正氏(京都大学大学院博士後期課程)

司会者 永野潤

 池渕氏の発表のテーマは、表題にもあるとおり、前期サルトル哲学における歴史の問題と倫理の問題の関係を探ることである。氏はまず、戦前から戦後にかけて、サルトル哲学における歴史というテーマの比重がどのように変遷したかを概観するが、歴史に対してほとんど無関心とも言ってよい戦前のサルトルから、第二次世界大戦をへて、次第に歴史と倫理のテーマが重要なものとなっていったことが確認される。次いで氏は、『存在と無』、『倫理学ノード』などの個々の著作に即して、サルトルの歴史観を詳細に検討する。従来過小評価されていた『存在と無』の歴史観については、後期に通じるテーマがいくつかかいま見られるなど重要なものであるとはいえ、倫理との関係という観点からすると、相克図式の枠内にあり不十分なものと氏は見る。戦後の『倫理学ノート』では、歴史の問題が前景化し、具体的な状況としての歴史こそが倫理の場であるということが明確化される。そこでもやはり『存在と無』の相克の図式が引き継がれているが、「歴史の他性」「脱中心化」といった、後期思想に通じるテーマがすでに展開されている点を氏は重視する。氏の発表は、これまで主題的に扱われることが少なかった、前期サルトルにおける歴史の問題についての考察であり、大変興味深いものであった。質疑応答の時間にも活発な議論がなされた。ただ、池渕氏のスタンスは、前期サルトルの思考に、あくまで後期思想の「萌芽」として着目するもので、前期思想の固有性は重視しないようである。その点に関しては、異論の余地があるようにも思えた。氏は、『弁証法的理性批判』『家の馬鹿息子』など後期のテクストまで視野に入れた、サルトルの歴史観の通時的な検討を長期的な研究課題として考えているとのことである。今後の研究に大いに期待したい。(永野潤)

2 ワークショップ

「サルトルの文体について考える:ジル・フィリップの仕事を手がかりに」

コーディネーター 岡村雅史氏・澤田直氏

 今回、本学会初のワークショップということで、2005年開催のシンポジウムで発表されたジル・フィリップ氏の「文体への郷愁」をもとにサルトルの文体について語るという試みがなされた。氏の論旨は、サルトルが哲学書に関し「唯一つのことを述べる」ような、技術的文書をめざしつつも、工夫によって言語の非線形化を図り、瞬時に多くの含みを持つ「文体」を求めたというものである。そもそも文体とは文学作品についてのもので、哲学書の文体を論ずることがありうるのかという見方もあるが、それゆえにこそ文体への「ノスタルジー」という言葉が用いられたのであろう。澤田氏の司会で、文体論と修辞学に関する話が進められた。そもそも言語学者に聞くまでもなく、「意味」や「文体」とは把握しにくいもの、単位のないものと考えられる。実際、サルトルやフィリップ氏においても文体という語は幾通りかの意味で使われている。以下、会場で出された論議を列挙する。―サルトルはカミュの文体を「sec 」という語を用いて評価するが、それは自分の文体にない特性であり、その反対の文体創造を目指しているように思われる。――60年代の倫理学の草稿の文体に関しては、基本的に講演なので、ジル・フィリップが指摘しているようなサルトル的文体の特徴はほとんど認められず、比較的分かりやすい。――演劇の文体に関しては、サルトルの劇作術には独創性がないとしばしば言われているが、昨年来日したベネディクト・オドノヒューよれば『出口なし』は、ベケット等の不条理劇作家たちに先駆けて「沈黙」を劇中に導入するといったオリジナリティーを持つ。――その他、『黒いオルフェ』などネグリチュードとの関連でサルトルがフランス語では「語り得ないものを語る」象徴詩にコンプレックスを感じていたらしいとか、『嘔吐』関連でセリーヌが、さらにかつての先駆的な哲学的文体としてのデカルトやガサンディが引き合いに出されるなど、予定時刻をはるかに超えて質疑応答が続き、活気ある会合となった。 (岡村雅史)


事務局からのお知らせ

☆ 2005年11月に日本サルトル学会と青山学院大学フランス文学科の共催により行なわれた国際シンポジウム「新たなサルトル像は可能か」の論集 『サルトル 21世紀の思想家 国際シンポジウム記録論集』(石崎晴己・澤田直編、思潮社)が近日中に発売となります。


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